3-17 スリーピーホロウ事件
『ふたりともご苦労だった。報告にあった内容の一部は、キンバリー氏に共有しておくよ』
車載スタンドにセットされた携帯端末の画面に映り込むのは、白髪交じりの黒髪をオールバックにまとめた、クールビズ・スタイルの中年男性、アレクサンドル・ミハイロヴィッチだ。
『なんだか、霧の中に迷い込んだような感覚になるねぇ』
台詞だけを抜き取れば至極まともな感想だが、年相応の皴が刻まれたその顔、とくに目元が薄く笑っている。その目元を見て、市警の中にも、ミハイロに似たタイプの人種がいたことを、ブランドンは思い出した。大なり小なり関係なく、とかく「事件」と耳にすると、真摯で冷静な態度を保とうとしても、ついつい熱を入れ込んで暴走してしまう、いわゆる《事件狂い》と陰口を叩かれるタイプの人物だ。
しかしながら、これまでの彼の振る舞いを思い返すと、ミハイロはそうした一面を持ちながらも、また別の顔を持っているようにも見える。
未知の研究分野に挑もうとする研究者然とした雰囲気――ブランドンがそう感じた理由には、端末に映り込む背景映像も関係していた。あの事務所のどこに設置する余裕があったのかと思えるほどの、大型にして大量のモニターや情報解析機器が映り込んでいる。ナヴィの協力を得て、エンブリオ・ナノマシンに同封されていたメモリーカードの解析に取り組んでいる最中だった。
『被害者は人間にあらず、しかし姿かたちは人間そのもの。通常のサイボーグ化手術では見られない特殊な施術跡。殺害現場は遺体発見現場とは別の場所である可能性が極めて高い。単独犯ではなく複数犯の疑いあり。プラス、事件の重要参考人に該当すると思しき人物は、被害者の友人が、かつて逮捕し損ねた暗黒街の人物だった。頑張って退屈したくても、事件がそうはさせてくれないって気がしないかい?』
難関ステージを前にゲームコントローラーを握り締める子供じみた物言いに、運転席に座るルル・ベルが眉をひそめた。無言の批判を受けて、さすがに表現がまずかったかと反省したか、ミハイロは咳払いをひとつこぼした。
『儀式呪具による偽装にはじまり、車の手配の件も含めて、計画性のある犯行とみてまず間違いはない。で、ブランドン』
ずい、と画面の向こうで身を乗り出して、ミハイロが尋ねる。
『《土地詠み》の映像で、君が確認した男というのは、いったい誰なんだ』
「サディー・サハル」
助手席に座るブランドンは食い気味に答えながら、携帯端末の画像検索で引っ張ってきた人物の顔写真を、画面越しにミハイロへ見せつけた。
「見えるか?」
『問題ないよ。たしかに、ルル・ベルが送ってきた映像に映る人物にそっくりだねぇ』
生まれつきの浅黒い肌に、整った顎髭。カールのかかった黒の短髪。鳥のように大きく飛び出した眼が、男の神経質な性格を表しているようだった。この男がなにで生計を立てているかは、その右頬に刻まれたまじないの刺青が――一本角を生やした不気味な単眼馬型神獣の赤い紋様が――強く物語っている。
『頬に呪身しているこの呪紋は?』
「身式簡易呪装だ。種別は《一ツ目の一角獣》……俺たちはそう符牒していた。市警のデータベースには載っていない呪紋だ」
『ということは違法呪符か。ルル・ベル、どう思う?』
「画像だけでは判別できかねますが、見たことのないパターンですね。少なくとも《アカデミック》の教本に載ってないことだけは確かです」
「こんな特殊なヤツを呪身しているのは、コイツぐらいだ」
忌々しそうに眉間に皴を寄せるブランドン。
ミハイロが手元の装置をいじりながら口にする。
『このサディー・サハルなる人物の直近の動向を、ウォル……ナヴィに調べさせてみるか。すぐに判明するかもしれない』
「そんな短時間での特定が可能なのか?」と、半信半疑な様子のブランドン。
『心配はいらない』と、自信たっぷりに応じてみせるミハイロ。
『氏名と画像情報があるなら、アイツにとっては水槽の岩を持ち上げることよりたやすいはずさ。ナヴィはホワイト・ギルド、いや、この都市の中でも抜きん出た電子工作者だと、ぼくは評価しているんだ……で、サディー・サハルって奴は、なにをしでかしたんだ?』
「サイバー・ポ―ト利用者の精神を拉致した。いわゆる連続電脳暴行犯だ」
「精神を?」
『拉致……ね』
異様な表現にどう反応して良いか困っているふたりをよそに、ブランドンが口惜しそうに付け加える。
「……正確には、拉致した『疑いがある』って表現が正しいんだが」
「どういう意味ですか?」
「嫌疑不十分につき、奴を起訴することはできなかったんだ。だが、俺はいまでもコイツが、《あの事件》の犯人だったと確信している」
重々しい気分になりながら、ブランドンが話を続ける。
「重要事案ナカ一〇〇三号。当時のニュースでは《スリーピーホロウ事件》の通称で報道されていた。忘れもしない。十五年前のことだ。夢棺で眠って電脳空間へ没入している最中に、何者かの手で《アバター》の核たる精神を抜き取られる事件が、あちこちで多発したんだ。被害者は全員が心身喪失状態に陥り、わかっているだけでも二十八人が奴の毒牙にかかった」
ミハイロとルル・ベルが、ほぼ同時に息を呑んだ。
「二十八人って……」
『多すぎるな。あまりにも』
「市警の怠慢もあるにはあるが、致し方ない部分もあったんだ」
当時の状況を振り返りながら、ブランドンは述懐した。
「被害者は全員、家庭に問題を抱えている未成年者たちでね。問題行動を起こしてスクールを退学になり、家出にはしった者がほとんどだった。行方不明届すら出されていなかった。親の愛情を受けずに育ち、スクールにも友達がおらず、教師からも見放されていたんだ。現実に居場所がなくて、電脳空間に人との繋がりを求める若者がいるのは、最下層も中層も変わらない」
あそこ、と人差し指を上に向けて口にするブランドンの目には、犯人がそういう境遇にある少年少女たちを吟味して犯行に及んだ事実に対する怒りが込められていた。
「《ムジーク・フォーラム》で、さる有名アイドルの電脳ライブ開催中に、いくつかの《アバター》が不自然な消失をしたことが、事件認知のきっかけだった。ここにきて、市警もようやく事態の重大さに気付いたってわけさ。あれは、俺が経験した中でいちばん大きな捜査だったよ」
当時、第三警邏部門の組織犯罪対策部に所属していたブランドンは、部下たちを率いて事件の捜査本部に加わり、被害者たちの惨状を目の当たりにした。点滴に繋がれて精神病院のベッドに力なく横たわり、虚ろな視線を宙に向ける子供たち。頬はこけて土気色になり、腕と足はやせ細り、医師の問診にも反応しない。精神がごっそり肉体から抜き取られたのだから、当然とも言える。回復の見込みが薄いことは一目でブランドンにもわかった。生きながら、同時に死んでいるようなものだ。
「つまり《スリーピーホロウ事件》は、電脳界隈を舞台にした呪術事件だったわけさ」
口にするだけでもやっかいそうな匂いが漂ってきそうだと言わんばかりに、ミハイロが鼻の下を人差し指でこすった。
「初動捜査の段階では物理殺人の疑いがあったから、捜査は難航したよ」
ブランドンが当時の捜査経緯を思い出しながら口にする。
「風向きが変わったのは、現場を仕切っていた管理監督人が、ものは試しと呪捜局の連中を応援要員として呼びつけてからだ。いまでは一般的な捜査手法になっているが、当時はまだ画期的だった厭渣採取システムを現場に導入したんだ。驚いたことに、コイツがビンゴでね。事件現場になったすべてのサイバー・ポートで、同一の呪術行使の痕跡が確認されたんだ」
滞りを見せていた捜査は、重要な呪的証拠を得たことで、水を得た魚のように活気づいた。得られた唯一の証拠に対し、市警が保有する呪術専門の分析官たちは、犯行の属性を特定した。封言呪符による犯行の可能性=限りなくゼロ。未登録の呪術体系による犯行の可能性=極めて高い確度。
ブランドンをはじめとした現場の捜査員たちは、中層の暗黒街を徹底的に洗い出した。呪的証拠から呪術体系の詳細を特定。呪力構造から特徴量を抽出。それを基軸に呪力生成菌の種別を絞り、菌の密売ルートから被疑者とおぼしき人物を割り出した。
「それで、捜査線上にコイツが浮上してきた」
ブランドンの骨張った指が、携帯端末の画面を弾くように叩いた。
「サディー・サハル。事件当時の年齢は二十八歳。在野の呪学療法士だ」
ルル・ベルが、驚いたように顔を向けた。ミハイロも両腕を組み、眉間に皴を寄せている。
『アカデミックの指定登録は受けていないということか』
無免許での呪術行使――それは都市プロメテウスにおいて、当該の人物が呪術犯罪の渦中にどっぷり浸かっていることを意味している。
使用の際に免許や専門知識も必要なく、購入も比較的容易な封言呪符と異なり、腸内に呪力生成細菌を飼うことを前提とした呪的身分の獲得および呪術の実行はその限りではない。都市プロメテウスの呪術体系を管理・運営する組織たるケイオス・アカデミック振興財団――通称・《アカデミック》への登録および専門講習の受講が必須条件となる。
公的な呪学療法士登録資格制度を設けている彼の巨大呪術団体の認可も受けず、やりたい放題に呪術を行使しているとあれば、これは紛れもなく重大違反事項にあたる。
「無許可であれば《アカデミック》の罰則規定を気にすることなく、その辺を歩いている一般人相手に、危険な呪術を好き放題に試すことができる……犯罪者にはうってつけの環境ですね」
ルル・ベルの唇がわななく。《アカデミック》が規定する呪学療法士の三大階梯のひとつ、究級の位を史上最年少で獲得した呪学研磨士。都市の治安を磨き上げる彼女にしてみれば、無責任にも殺傷という名の汚物を都市のあちこちにまき散らす在野の呪学療法士の存在を、看過できようはずもない。
ブランドンは、この生真面目な呪学療法士の怒りに、同調の意を示すように無言で頷いた。
サディー・サハル。中層の暗黒街のたまり場をふらついていた彼を発見したのは、ブランドンが当時率いていた組対の第五班だった。任意同行を求めたところ、サディーはとくに抵抗する素振りもみせず、あっさりと出頭した。
「いまにして思えば、絶対に捕まらない自信があったんだろう」と、当時を回想しながらブランドンが続ける。
「奴の取り調べを担当したのは俺だ。あまり口にしたくもないが、そりゃあ、徹底的にやったさ。都市プロメテウスはじまって以来の大規模な心身喪失事件、その犯人である可能性が極めて高い男が相手だったんだから。だが、最後まで詰め切れなかった。証拠が足りなさ過ぎたんだ」
呪的証拠だけでは決定打を欠く。それは当時の捜査本部も理解していた。だからこそ、手あたり次第に犯行の裏付けに繋がる新証拠を探して、中層のあちこちを駆けずり回ったが、その努力は水泡に帰した。
「まず、犯行の目撃者がひとりもいなかった。二十以上が犠牲になったにも関わらず、客はおろか、サイバー・ポートのスタッフや管理人たちも、サディーの顔に見覚えがないと口を揃えて言う始末だった。念のため、彼らの口座を調査したが、不正な金の出入りもなかった」
『カネで雇われた形跡は皆無ということか』
「ああ。それに、ポート内に設置された防犯カメラにも、どういうわけかサディーの姿は映っていなかった。夢棺の没入活動記録は外部からの不正アクセスを受けたのかクラッシュしていて、犯行予測時間を割り出すことも難しかった」
「心身操作タイプの呪術体系を使用した痕跡はなかったんですか?」
「もしそれが立証できたら、データクラッシュの謎も、管理人が操られてやったということで納得がいくんだがな……」
そう簡単にはいかないものだと口にする代わりに、ブランドンはため息をついた。
『犯行の立証という点で言うなら、市警のデータベースに乗ってない呪的証拠が起点になってしまうのも、なかなかにしんどそうだな』
市警のデータベースに登録のない呪的証拠は、それ単独では十分な効果を発揮しえない。呪的証拠は、あくまでも呪術行使の『結果』だけを示す。法廷で物的証拠として活かすには、呪術がどのようにして実行されたかの『過程』について、深く調査する必要があるのだ。
すなわち、どのような手段でサディーが呪術を行使したか?
その手順やメカニズムを明らかにしなければならないのが、当時のブランドンたちをはじめとした捜査員たちの火急の任務だった。しかしながら、ポート側がサディーの存在を認知していない以上、動きようがなかった。
「サディーは、自分が扱っている呪術体系に、絶対の自信があったんでしょうね」
『用意周到な奴だな。ちなみに聞くが、サディーが略奪した被害者たちの《精神》の格納場所は突き止めたのかい?』
ミハイロの問いかけに、画面越しのブランドンが力なく首を横に振った。
「その行方も最後まで掴めていない。サディーの単独犯行ではなく、組織的な力が背後に働いていたとしか思えないんだが、いくら問い詰めても、あいつが共犯者の名前を口にすることは、二度となかった」
ブランドンはふと、己の右拳に視線を落とした。
「どれだけ殴りつけても、奴は薄笑いを浮かべるだけだったよ」
ブランドンが勾留期間のタイムリミットに焦りを募らせているあいだ、組対と呪捜から成る合同捜査本部は揺れに揺れていた。それこそ、市警の威信と権力闘争という悪習慣のなせる業だった。
「都市プロメテウスはじまって以来の猟奇事件を前に、捜査本部の偉いさんたちの意見は分裂を極めた。唯一の証拠である呪的証拠をベースに、まずは起訴するべきだという意見。慎重を期して、もっと多くの証拠を集めてから、確実な勝負に出るべきだという意見。さらには、事件を早急に解決に導くことで、市警内部における第三警邏部門の発言力を高めようと画策するろくでなしもいた。輪をかけて厄介だったのは――」
『組対と呪捜の現場レベルにおける意見の食い違いか、あるいは情報の出し渋り、じゃないか?』
先回りされたことに驚き、続くはずの言葉がつっかえる。ミハイロは胸ポケットからタバコを一本取ると、安物ライターで火を点け、美味そうに煙をくゆらせた。
『図星か』
「どうしてわかった?」
『君と喫茶店で交わしたときの会話を思い出したのさ』
職業柄、記憶力には自信があるんだと言わんばかりに、トントンとこめかみのあたりを親指で叩く。
『なにやら、呪捜官に思うところがあったようだからね……ま、よくある話だ。犯行現場は電脳分野の領域。犯行に使われたのは呪術分野の領域。同じ市警でも専門分野が別なら立場も別。そうなると、捜査を詰めることよりも、いかにして相手を出し抜くかに躍起になるのが、巨大組織に飼い慣らされた人間の常というやつだ。そこではいつだって、個人の情熱よりも、組織の冷徹な利益計算が優先される。やがて情報の共有は疎かになり、お互いが欠けているパズルのピースを肚に隠しながら捜査するハメになる。組織が巨大になればなるほど、意思の統一は困難になることの典型だね』
ブランドンは閉口した。完璧に理解している答案ミスの原因を、改めて教師から説明された学生のような気分に陥る。胸の奥でにわかに渦巻くドス黒い感情を紛らわすように、その手がダッシュボードに置かれたビニール袋へと伸びた。
「すべては、俺の詰めが甘かったせいだ」
昼食がてら購入したバタースコッチを袋から取り出してふたつに分けると、ひとつを乱雑に口へ放り込み、ろくに咀嚼もせず、さっさとミネラルウォーターで流し込む。その目元にありありと後悔の色が滲んでいた。同時に、視線だけで相手を殺せるのではないかと思えるほどの、昏い迫力もあった。
「もっと暴力的に、徹底的にやるべきだった。手段にこだわらなければ、アイツを死刑台に立たせることも出来たはずだったのに」
心配げに何事かを言いたげにしているルル・ベルや、事務的な表情を崩さないミハイロの視線を気にも留めず、ブランドンはサディーを殴りつけたほうの手で、残りのバタースコッチを握り潰し、ビニール袋の中へ捨てた。手中に収めたはずの呪的証拠を有効活用する機会もないままに、捨てる道を選んでしまった、かつての捜査本部のように。現場の意思統一を最後まで図れず、新たな有力証拠も探し出せず、起訴状をゴミ箱へ叩き捨てた、あの管理監督人がそうしたように。
『それで? サディー・サハルはどうやって、あの厳重な夢棺を相手に犯行をやってのけたんだ?』
事件のあらましをひと通りブランドンが話し終えたタイミングを狙って、ミハイロが肝心要の部分について探りを入れた。
「死霊使役だ」と、落ち着きを取り戻したブランドンは端的に言った。
「厭渣から判明したのは、サディーが死霊を使役して被害者の精神を略奪した疑いがあるということ。それ以外はまるでわかってない」
『棺に死霊と、なんだかホラーじみてくるじゃないの』と、口調は軽々しいが、顎に手を当てて考え込むミハイロの目は真剣そのものだ。
『たしかに精神攻撃という意味において、死霊は相性が良い。物理的障害を受け付けないのであれば、《夢棺》のセキュリティを突破できる可能性は高いだろうしね』
「あの……」と、ここでルル・ベルが遠慮がちに話に割り込んできた。
「夢棺のセキュリティって、そんなに厳重なんですか?」
ルル・ベルの問いかけに、ブランドンはどう反応して良いかわからなかった。まるで靴ひもを結べない大人を見るようなその態度に、ルル・ベルが自らの知識不足を恥じるかのように「すみません」と、伏し目がちに言った。
「あまりサイバー・ポートに出入りした経験がなくて……眠るが【使う】って意味のスラングなのはわかるんですけど」
『彼女は電脳関係の仕組みというか文化については、ちょっと疎い傾向があってね。これはぼくのせいでもある』と、助け舟を入れるようにミハイロが口を挟んだ。『彼女は呪術の専門家だから、そっち方面の案件に注力してもらっているんだ。ルル・ベル本人としては、電脳関連の知識や経験も身につけたい気持ちが強いんだけどね。一度にたくさんのことを学ばせて、本来の専門分野に関する洞察が鈍ってしまっては本末転倒だから』
「まさか、マルチ・スロットもないのか?」
「いちおう刻んではいるんですけど、使う機会はなくて……」
そう言って、ルル・ベルは居心地悪そうに目を伏せた。彼女ほどの年にもなって、サイバー・ポートを利用した経験がないというのは、世間一般の感覚と照らし合わせると、たしかに珍しい。しかしながら、中層や上層の良家に身を置く者の中には、家庭の教育方針とかで、雑多で猥雑な情報の集まる電脳空間への没入をあえて制限しているという話もある。
「(この娘、もしかして良いとこの出なのか?)」
だとしたら、こんな最下層で日々奮闘しているぐらいだし、ご両親は気が気でないだろうな――と、そんなことを考えながら、ブランドンは、電脳界隈初心者のルル・ベルでも理解しやすい説明を心がけた。
夢棺――名前の由来は、その形状からきている。大昔の怪奇映画に出てきそうな、伝統的な石造りの棺を彷彿とさせるフォルム。その実態は、電脳空間へのフル・ダイブを唯一可能とする大型体入電子装置だ。利用者は自身の肉体に刻まれたマルチ・スロットに、装置備え付けの有線ケーブルを差し込むことで、己の《精神》を《アバター》へ変じさせ、電脳空間へ潜り込むのだ。没入中、利用者は眠りに落ちたも同然の無防備状態になるため、装置には厳重な安全装置と、酸素供給機能をはじめとしたボディ・アシスト機能を搭載することが、都市の法令で義務化されている。
「没入の最中、利用者の肉体は夢棺にすっぽり覆われているのと、個人の電脳IDとパスワードに紐づけられた認証機能も働くおかげで、部外者が勝手に夢棺の蓋を開けることはできない仕様になっている」
「もし利用中に、身体に何かしらの異常が発生したら、どうするんです? たとえば、心臓に持病を持つ人が、利用中に突然発作を起こしたりしたら……」
「まず、そういう重度の疾病に罹患している人物は、ポート側の検診をパスできない。没入前に検査を受ける必要があるのさ。サイボーグで自己診断プログラムを入れている奴なら、そのデータを提出しても構わない。自宅に設置可能な簡易型の夢棺にしても、まずは専門医院で電脳利用の指示書をもらわないとダメだ。これを無視して夢棺で眠って異常が発生しても、装置不良が認められない限り、利用者本人の責任ということで、メーカーにはお咎めがない」
「ようは、コンタクト・デバイスを使う時と同じ手順が必要になるということですか」
「そういうことだ。それに、いざって時のために管理人だけが使えるマスター・キーも用意されている。だがまぁ、実際どれだけのポートがそのあたりを遵守しているかは疑わしい。最下層の連中は、そこら辺の法令意識が希薄だ。歓楽街には、心身に異常が生じているにも関わらず、どうしても没入を止められない連中……俗に言う《電脳中毒》に陥っている奴らだけを対象にした夢棺を提供している、違法なサイバー・ポートもあるって……聞く……」
不意に、ブランドンの舌が動きを止めた。視線の先に茫とルル・ベルの姿を捉える。意識は外ではなく、内に向けられている。それは脳裏に閃光のように浮かんだ「気付き」をはしと掴み、自然と言葉となって零れ落ちた。
「サイバー・ポートだ」
ルル・ベルが、その言葉の意味するところを悟り、赤い瞳を見開いた。
「ピートさんの自宅の件……もしかして」
「ああ。アイツもしかすると、最下層のサイバー・ポートを住処にしていたのかもしれない」
「だとしたら、ピートさんは夢棺を使っている時に、サディー・サハルに襲われた? でも、仮にそうだとするなら、どうしてわざわざ湾港工業地帯に遺体を遺棄したんでしょうか?」
「世間の目を、逸らすための工作だとしたら?」
ブランドンは額に親指を当て、これまで得てきた情報のひとつひとつを、それこそパズルのピースを組み立てるように整理しはじめた。
「サディーが俺に対する復讐のためにピートを殺したというセンは考えにくい。たしかに俺は奴を尋問したが、十五年も昔のことだ。いまさら復讐のために動くなんて説明がつかないし、奴はそんなことをいまさら持ち出してくるようなタマじゃない。これは、あきらかに組織的な犯行だ。奴はあくまでも実行犯。裏にいる何者かが、ピートを殺した。鍵を握るのは、エンブリオ・ナノマシン……ENと、それに、あの謎のメモリーカードだ」
「どういうことです?」
「エンブリオ・ナノマシンは、もともと市警が開発した技術。それをレーヴァトール社が流用して、フューリーオーグ……FO技術として世に広めた。もしかするとFO技術には、重大な欠陥があるのかもしれない。あのメモリーカードには、公には出ていないENの化学構造式や成分データの他に、ENを流用したFO施術に関連する、いまだ訴訟には至っていない健康被害のリストが格納されていたとしたら? 仮にピートが企業スパイじみたことをしていたとするなら、非常に価値のある情報だぞ。なにせ、企業連合体の母体を堕とせる格好の武器になるんだからな」
「欠陥……たしかに、不眠不休の労働を可能とするのに、エンタメコンテンツを浴び続けて精神衛生を保つなんて、あまりにも常軌を逸していますね。どうしていままで疑問に思わなかったのか、謎ですけれど」
「いまは、まだ公に知らされていないだけだ。ピートは企業連合体の首魁であるレーヴァトール社の不正を暴こうとしていたのかもしれない。そのための手段としてENを手に入れたまでは良かったが、しかしそれを快く思わないレーヴァトール社が、どういう経緯か知らないが、サディーを殺し屋として差し向けた。ピートは、あらかじめそれを予期していたのかもしれない。プロメテウスを出ていくと俺に言ったのも、身の危険を感じてのことだったのか……」
独自に推理の道をひた走るブランドンだったが、そこでルル・ベルが待ったをかけるように投げかける。
「でも、仮にレーヴァトール社が黒幕だとしたら、ピートさんの遺体を自分たちの保有する工場の敷地内に放置するというのは、なんだか辻褄が合わないように思いますが」
「それこそ、自分たちを被害者に見せるための方便さ。上層じゃ都市公安委員会や企業連合体に雇われた呪学療法士たちが、権力争いのためにお互いを殺し合う代理闘争じみた展開になっているって、ニュースでもさんざん報じられている。呪殺された遺体をあえて自社工場の敷地内に放置することで、さもこの事件が、都市の権力闘争に端を発した事件なんだっていう印象を、世間に与えるための工作だとしたら?」
「そのために、ピートさんの死を利用した」
「ああ。腹立たしいが、俺はそう考える。でも、アイツは最期に保険を掛けた。それがせめてもの救いだったのかもしれない。ピートは、君たちギャロップ・ギルドを信じた。アイツが命を懸けてギルドに預けたENと、あの謎のメモリーカードは、こちらの手にある。どんな手を使ってでも、ピート殺害に関与している連中は、アレを奪おうと躍起になってくるはずだ。あの夜、俺を襲った魔導機械人形とやらも、それが目的だったはずだ」
「……ブランドンさんは、あの魔導機械人形が、レーヴァトール社に雇われた殺し屋だと考えているんですか?」
「そう考えるのが自然じゃないか?」
さも当たり前のようにブランドンが言うと、ルル・ベルはしばらく考え込み、それから滔々と知られざる事実を口にしはじめた。
「魔導機械人形は、三統神局のトップを務めていた、ディエゴ・ホセ・フランシスコが創り出した人形兵器です」
「それは、前にも聞いたよ」
「ディエゴは長年、都市公安委員会や企業連合体と敵対関係にあったんですよ。都市の覇権を握るために、何十体もの魔導機械人形を彼らに対して差し向けています」
「でも、亡くなったんだろ?」
「ええ……ディエゴがこの世を去った以上、もう人形たちが支配に縛られる必要はありません。だから、魔導機械人形が企業連合体に与するのも、理屈上は理解がいきます。彼女たちに兵器としての有用性を見出した企業連合体が、割り切った関係性を構築する可能性も十分に考えられます」
それでも、納得しがたい部分があると口にする代わりに、ルル・ベルは両手を膝の上に置いた姿勢のまま、肩に力を入れて思案に耽る。
人間が神の手から離れたように、我々もまた、すでに人の手からは離れている――あの夜に出会った魔導機械人形の言葉。その意味を計り損ねている感覚がある。人の手から離れたと自負する被造物が、今また人の手にその身を委ねているというのは、どこか矛盾してはいないだろうかという疑念が、どうしてもルル・ベルの脳裏に付きまとって離れない。
『ひとまず落ち着こうか、ふたりとも』
収拾のつかない議論になりかけたところで、手元の灰皿にタバコの火を押し当てながら、ミハイロが双方を宥めつこの場を取り仕切った。
『全体像を捉えようとしても、いまはまだピースが足りない。にしてもブランドン、君の推測はなかなか興味深いな。さすが元刑事といったところか。ピート氏がサイバー・ポートを寝倉にしていた可能性が高いって考え、真相は置いとくとして、ぼくもそう思うよ』
だが、とテーブルの上に両肘をつき、意地悪な笑みを浮かべて言った。
『どれもこれも、憶測の域を出ない。それに、彼の身体構造についての説明にはなってないな』
「そこは……追い追い考えるさ」
『ふむ。追い追い考えるか』
ミハイロが笑みを消した。背もたれに体を預けて腕を組み、なにを考えているのか傍目にはわからない表情で、しばらく考え込む。
「どうした? ミハイロ」
石のようにじっと黙り込んだことに痺れを切らしてブランドンが尋ねると、ミハイロは重い岩が転がるような声で言った。
『推測に過ぎないが、これはそんなにわかりやすい事件じゃないと思うぞ』
「わかりやすい? どこがわかりやすいんだ?」
ブランドンが不服そうに口元を曲げる。推理に相応の自信があったにせよ、その根っこにフューリーオーグ憎しの感情があることにブランドン本人が気づいていない。ミハイロは、そこをあえて指摘はせず、未知の科学現象を前に慎重な態度を崩さない研究者のような姿勢で持論を述べる。
『悪徳企業の不正をひとり追求しようとした挙句、敵の毒牙にかかって犠牲になった企業スパイの少年、というのは、筋書きにしてはあまりにも出来過ぎている。これまで君たちが集めた数々の証言や状況証拠は、この事件の本質に結びつくようでいて、その実、事件の背景にあるものをカモフラージュさせるための餌に過ぎないのかもしれない』
「つまり犯人の目的は、ピートさん殺害ではなく、別にあったということですか?」
ルル・ベルが訊くと、ミハイロは頷き、それからブランドンへ視線を合わせた。
『いずれ話そうとは思っていたんだが、このタイミングしかないようだな。魔導機械人形の話がこうも出てきては、ぼくも無視するわけにはいかない』
深い鳶色の眼――ブランドンは、その時初めて、アレクサンドル・ミハイロヴィッチという男の根源、その一端を垣間見た。事件狂いに侵された者に特有の、向こう見ずな眼とは違う。底辺社会を這いずり回る、飢餓感に満ちた者の眼でもない。かつて中層世界で暮らしていた自分がついぞ目撃することはなかった、異次元の景色を幾度となく目にしてきた者に特有の眼差し――
自分は、このミハイロという人物を大きく計り違えていたのかもしれない。そうと気づいた刹那、しかし次に彼の口から出たひとことは、ブランドンの想像をはるかに超えるものだった。
『ぼくは、かつて三統神局に籍を置いていた主任研究者だった。ディエゴ・ホセ・フランシスコは、ぼくのかつての上司だったんだよ』
瞠目――思わず横目でルル・ベルを伺う。自分と違い、たいした反応は見せていない。
「知っていたのか?」
黙って頷くルル・ベル。
『エージェント全員が知っている事実だ。あ、市警の連中には内緒にしといてくれよ? ぼくの経歴は一部誤魔化してあるからね』
「アンタ、最上層の人間だったのか」
いまだ驚嘆の尾を引いているブランドンに対し、ミハイロが朗らかに応じる。
『見た目はどこにでもいる四十代のおじさんだから、意外に思えるかもしれないなぁ』
青と白のストライプ柄のシャツの裾をおどけ顔で軽く引っ張りながらミハイロははにかんだが、すぐにその表情が引き締まる。
『ぼくに言わせてみれば、最上層も最下層も、見える景色が違うだけで、住んでいる人間の本質は変わらないものさ。己の業の深さをどのレベルで具現化しているかだけの違いでしかない』
「その具現化した結果が、魔導機械人形だと?」
『あれは、主任研究員のぼくでも触れることを禁じられていた、トップ・シークレット案件だった。ディエゴは老境に差し掛かっても、あの人形遊びを止められたなかったらしい』
「らしい、というのは?」
『ぼくは彼の死に目には会ってない。十年も前に下野したからね。まさか、亡くなる直前になっても"アレ”を作るのを止められなかったとは……彼が死に際に完成させた、四体からなる指折りの魔導機械人形……最終四作の符牒で呼ばれる人形たちの存在を知ったのも、ごく最近のことなんだ』
「市警上層部から流れてきた長期案件のひとつが、アイツらを討伐することだとルル・ベルから聞いた。もし奴らがピート殺しに関わっているとなったら、俺も肚を括るぞ、コーチ・ミハイロ」
『ふむ……』
鼻息荒く意気込むブランドンをしばらく見つめ、それからちらりと視線をルル・ベルへ移しながら、ミハイロは続けた。
『エージェント・ブランドン。気持ちは嬉しいが、あくまで警戒するだけにしといてくれ。連中は君が想像している以上に危険な存在だし、積極的に探そうとしても、なかなか難しいところがある。というのは、奴らに関する情報のうち、はっきりしているのは個体識別名だけなんだ。レギオス・エル・センチピードル。モンフル・エル・ブルーオーシャン。ディスコ・エル・フロアゲート。ディライト・エル・エッジワース……そのうち、姿かたちまでわかっているのは、レギオスとディライトの二体のみだ。ここまで話してしまったんだ。君にも共有するよ』
ミハイロが手元のインターフェースを慣れた手つきで操作する。瞬く間に四体の恐るべき機械人形の情報が、ブランドン手持ちのギルド専用携帯端末へと送られる。サディーの画像を消して、新たに送られた情報に、ブランドンはさっそく目を通した。四体の画像情報を見て、ブランドンの表情から血の気が引いていく。
「なんだこりゃ……どこからどうみても、ただの人間じゃないか」
画像情報が空白になっている二体を除く、残りの二体に視線が釘付けになる。そのうちの一体は、顔の右から左にかけて斜めにはしる前髪と、紫を基調とした濃い目のアイシャドウに、蝶を模した髪飾りが特徴的な女、レギオス・エル・センチピードル。もう一体は、大きな黒縁眼鏡をかけ、ひとつ間違えれば役所の事務員に見えてしまようなキャリア・ワーカーじみた格好の女、ディライト・エル・エッジワース。
「このレギオスとかいう奴、俺を襲ったときはこんな格好はしていなかったぞ」
『それが奴の能力だ。身体を構成するパーツを、無数のムカデ状の半有機生命体に分割し、人相も体型も自在に変える。レギオスだけじゃない。ひとりひとりが、名うての更新強化人の何十倍にも匹敵するパワーと特殊能力を持つ。レギオスが動いたということは、他の三体も、なんらかのかたちで接触してくる可能性があると見た方がいいだろう』
「万が一に遭遇した場合は?」
『逃げるが勝ちだ』と、ミハイロは即答した。
「納得いきません」と、たまらずルル・ベルが声を上げる。
「もし今回の事件の背景に彼らの存在があるのだとしたら、私は力づくでも――」
『情報が足りない』と、ミハイロがぴしゃりと言い放った。
『敵を知り、己を知れば、百戦危うからず……東方の国に伝わる諺だ。相手の能力や行動目的が不明瞭なまま戦いにもつれこむのは得策ではない。それにな、ルル・ベル。我々は民間捜査組織なんだ。我々の目下最大の目標は、ピート氏を殺害した犯人を捜し出すことにあるんだぞ。忘れたわけじゃないだろ?』
これには、思わずルル・ベルも口を噤むしかなかった。市警の走狗としての立場を考えれば、余計な人的被害は出さないのが、当たり前の振る舞いであるからだ。
『前回、たまたまレギオスと接敵できたのは、とても幸運だったと言える。敵方の情報をある程度把握できたという点ではなく、君が傷つくことなく、無事に帰還できたという点においてだ。しかし、次もまた同じ展開になるなんて、誰が決めた? 神様にでも約束されたのか?』
「……幸運は二度続かない。直感を頼るな。力学を信じろ……の精神ですね」
『そうだ』
満足そうにミハイロは頷くと、聞き慣れない表現が飛び出してきたことにブランドンが困惑しているのを見て、補足を入れる。
『このギルドの訓戒のようなものだよ。幸運なんて、目に見えないものに頼っていてはダメだ。感覚を頼るのではなく、実証を信じろ。それが足で得たものであろうと、呪的証拠だろうと、電脳世界で得たデータだろうと、事実としての価値があるかどうか、それを見極めるのが肝要だ』
襟元を正した姿勢を前に、思わずブランドンも黙って頷く他なかった。
『推測を述べるのは構わない。だが、推測はあくまで推測でしかない。感覚傾向は妄想への入り口でもあることを忘れちゃならない。そしてぼくらの仕事は、妄想に囚われることじゃない。捜査を続け、証拠と証言を集め、犯人を捜し出す。その極めてシンプルな一連のプロセスこそ、この仕事の基本だ。その基本を乱す諸要素……命を懸けた戦いや、無謀な行動は不純物だと思え。いいかな、二人とも』
部下二人の返事を待たず、ミハイロは再び手元のインターフェースを弄り始めた。
『サイバー・ポートの件については、マリオに調査させるよ。ようやく別件の仕事が終わったみたいだから、じゃんじゃん働いてもらうつもりさ』
「俺たちはどうすればいい?」
『そう焦るな。サディー・サハル、と言ったか。この事件の起点となりうる人物は見つかったんだ。その足取りもね』
「おい、まさか」
呆気に取られるブランドンを尻目に、ミハイロが手元のモニターに嬉々として視線を向けながら、ギャロップ・ギルド唯一にして気難し屋の電子工作者たる、ナヴィ・ストライダーの成果報告が届いたのだった。
『我がギルドの誇る電子工作者が、氏名と画像を餌に《海溝エリア》から釣ってきた、サディー・サハルのデータだ。どれもこれも改竄の形跡は見られない。信憑性はSSSクラスだが……なるほど、こいつはなかなか……』
その表情が次第に険しさを増していく。不安に駆られるルル・ベルとブランドンだったが、四つの耳は次に出てくるミハイロの言葉を、一字一句聞き漏らすことはなかった。
『サディー・サハルは一か月前まで、過激反呪術団体で有名な《プログオック》……プロメテウス実銃所有協同組合を束ねる《炎と祈りの交流会》に出入りしていたようだ。タイムスタンプを調べると、たしかに名簿に名前が載っているようだな。しかしそれ以上に驚きなのは……』
ミハイロが呻き、視線をブランドンへ向ける。
『どうやら、異母兄弟がいるらしい』
「なんだと?」
初耳だと言わんばかりに身を乗り出しかけたブランドンに対し、ミハイロがさもありなんとばかりに応える。
『知らなかったのも無理はないだろうね。徹底的に隠蔽されていたようだ。ナヴィのヤツ、結構深い領域まで潜ってきたらしい』
「……で、誰なんだ?」
『スティンガー・アル・ミラージ』
車内に沈黙が流れる。ブランドンはにわかには信じ難いという表情を浮かべ、ルル・ベルは小さく息を呑んだ。
『ご存じ、企業連合体に名を連ねる一大企業、メリアデス・グループのCEOを務める男だ』
釣れた魚の予想外の大きさに、さすがに肝を冷やしたのか。ミハイロのこめかみを、ひとすじの汗が流れ落ちた。




