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プロメテウスに炎を捧げよ  作者: 浦切三語
3rd Story ザ・ポリフォニック・バベル
124/130

3-16 《土地の記憶》と《タガネ呪術》

 行きの時とは打って変わって、ルル・ベルの運転する車中は沈黙に支配されていた。重苦しさからではなく、死体安置所(モルグ)で知らされたピートの検死結果を前に、どう心の整理をつけてよいか、いまはまだ答えが出せないせいだった。


 事件は生き物だ――ミハイロヴィッチの言葉がブランドンの脳裏を過る。忠告通りの事態がこんなにも早く目の前に立ち現れてきた以上、思考を圧縮して上澄みの閃きを得るより、心を鉄のように硬くさせて、事実を事実として受け止めることに集中する。そうして、ひとつひとつの要素を丁寧に頭の中へファイリングする。海馬という名の抽斗。その最も手っ取り早いスペースに。意識的にラベルを貼り、判明した事実同士を結び付けるのだ。そうしていくうちに、徐々にではあるが、ブランドンの脳は能動的な活動力を獲得しつつあった。


 だからこそ、というのも理由のひとつだ。ルル・ベルへ安易に意見を求めるような素振りを見せないのは。それに、ルル・ベルも運転に集中しつつ、どこか物思いに耽っているようであったから、下手に喋りかけるのはためらわれた。


 車は緩やかに減速しつつ、A区より北に位置する広大なD区画の中へ――湾港工業地帯(ベイ・ファクトリー)の遺体発見現場へと進入していく。ネザー・リバー沿いに位置する第四ロジティクス・センターは、およそ十二時間に渡る市警の現場検証の後、通常業務を再開してはいるものの、遺体発見現場となった箇所には、立ち入り禁止の電光テープが剣呑な雰囲気と共に展開されたままだ。現場を保全する何人かの警官が直立不動でそれとなく周囲へ睨みを利かせている姿が、来客用の駐車場に車を停めたルル・ベルたちの視界にも映り込んだ。


 ブランドンにとっては二度目の来訪だが、初回のときとはまるで扱いが違った。白い半袖シャツにジーパン姿の、ともすれば湾港労働者のひとりと見られてもおかしくない中年男性と、柄模様を入れたくすみピンクのブラウスに、左右で形状の異なるダメージジーンズというガーリーとパンキッシュをブレンドさせたようなごちゃまぜファッションに身を包む女性を目にした時には、事前に報告を聞いていた現場側もさすがに額に皴を寄せたが、応対した警官は「厭渣(えんさ)だけは、残さんといてくれよな。現場の回復が大変になるから」と釘を差しただけで、二人の身元と諸事項の確認を終えると、素直に電光テープの内側へ通した。


「案外、あっさりしていたな」


 案内してくれた市警の後ろ姿を遠目にやりながら、ブランドンは意外そうに口にした。


「キンバリーとかいう事件担当官。仕事はちゃんとしてくれているみたいだな。君がさっき現場の呪的捜査を検証したいと口にした時も、あの警官、思うところはあるにせよ、なにも言ってこなかった」


「ホワイト・ギルドも、最低限の捜査権は持ち合わせていますから。キンバリーさんもこちらからの申請を無視することはできませんよ」


「だがアイツ、証拠品の貸し出しだけは頑なに拒んでいたよな」


「そうですね。まぁいまに始まった話でもないです。手柄を最終的には市警のものにしたいから、こっちが新証拠を手に入れる前に、徹底的に分析にかけておきたいんでしょう」


「そうしている間に、俺たちは俺たちなりのやり方で、新証拠を手に入れる。具体的には、儀式呪具の入手経路と販売、あるいは製作元の解明だな。しかし、それにしても……」


 平屋建ての倉庫前へ続く緩やかな坂道を下り切ったところで、ブランドンがおでこの辺りに手をやって庇を作り、ぼやいた。


「問題は、どれだけのモノが見つかるか、だな」


 現場で発見された証拠物の数々は、すでにキンバリーの指示の下で押収された後だ。遺体が発見された車にはじまり、血痕反応といった化学的な部分も含めて。目に見えるものたちの存在はすべて、地面に引かれた物言わぬ白線――チョーク・アウトラインの形状に、その痕跡を見るばかりである。


「やってみないことには、始まりませんよ。ブランドンさん」と、ルル・ベルはベルトループに括りつけた大量のカラビナたちを弄びながら、自然と口にした。


「すでに市警が洗ってしまった後とはいえ、残り物には福がある、と言いますからね」


「なんだ、その言い回し」


「初耳ですか? かつて東方にあった国に伝わっていた言葉みたいですよ。以前、コーチに教えていただいたんです」


「先人の教えを重んじるのは結構なことだが……具体的にはどうする? 見たところ、ギルドの車のトランクには、それっぽい専用器具は積んでいなかったようだが」


「必要ありませんよ。なぜなら――」


 ルル・ベルの手が、腰のポーチに伸びる。


「私の類感呪術(イミテーション)なら、市警が取りこぼした証拠も、見つかるかもしれませんから」





 ▲▲▲





 原初呪術(アブラカタブラ)。闇の世界で古き時代より培われてきた根源の呪術。そこから別たれて現代に伝わる二大呪術こそが、呪学療法士たちの駆使する力そのものである。


 その二大呪術の片割れである類感呪術(イミテーション)の要諦とは、()()()()()()()()()()()()()()()。磔刑に処された救世主の偶像は、もちろん本物ではない。しかし本物であると見立てることによって、さまざまな奇蹟をもたらす。獰猛な肉食獣の毛皮は、生きた肉食獣そのものではないが、しかしそうであると見立てることによって、毛皮を装着した者に多大な呪的効果を与えることができる。


「つまるところ、類感とは共感そのものです。一見すると関係なさそうな物事同士でも、術者本人がそこに関連性を見出しさえすれば、類感呪術(イミテーション)は働きます」


 持ち前の知識を披露しながら、ルル・ベルは腰のポーチから小指の第一関節ほどの大きさの白いドロップたちを丁寧な手つきで取り出すと、チョーク・アウトラインのフチに沿うように、等間隔に配置していく。


「大袈裟に言えば、因果関係を操作する力ですよ。原因が結果を生み出すのなら、結果から原因を操作できるんじゃないか……もしかすると類感呪術(イミテーション)の本質は、そうした思考哲学にあるんじゃないかとする論文もあるみたいで」


「市警時代にも聞いた話だが、いまいちしっくりこないのが正直なところだ。本人の見立て次第でどうにでもなる呪術って聞くと、若干の胡散臭さを覚える」


「呪術なんてのは、ただの詐欺行為だよ」


 どこか芝居がかった、しわがれた調子の声だった。ルル・ベルが、ふっと表情を緩めて続ける。


「師匠の言葉です。なにもそんな言い方しなくても、とは思いますが、本質を突いているとは思います」


「そうか……まぁ、たとえ詐欺的な力であっても、捜査の役に立つのであれば、話は別さ」


 ルル・ベルの呪的行為を傍で見守りながら、ブランドンが励ますように口にする。


「私も、そう信じたいです」


 ルル・ベルが、視線を地面へ向けたまま応じた。銀色に輝く海から吹く風は、潮の香りに混じって、赤錆にも似た臭気を運んでくる。しかし、ルル・ベルの集中力は、その程度では乱れない。儀式に臨むような厳かさを決して崩さず、白いドロップを静かに配置していく。


 ブランドンにとっては、新鮮な光景だった。これが封言呪符(ウエハース)を使った呪術捜査だった場合、付属の取扱説明書に記載されているマニュアルに従うかたちで呪符を開いておしましだ。だが、ルル・ベルがいま行使している呪術は、そうした規格化された、特にこれといった専門知識のない者が扱える類の代物ではない。儀式的な所作をおろそかにせず、工程のひとつひとつに呪的意味を持たせる。なるほど、たしかにこれは市警の連中には心得のない、本物の呪術と言って差し支えない。


「ひとまず、こんなところですかね」


 チョーク・アウトラインを白色ドロップで囲むのを終えると、ルル・ベルは立ち上がり様にズボンのポケットから灰色の錠剤を取り出し、それを口に含んで飲み込んだ。


「それは?」


呪応平衡錠剤(ビタブリウム)です。簡単に言えば、お腹にいる腸内細菌の呪力供給量を安定化する薬ですね」


「そんなのがあるのか? 初耳だ」


「最近出回り始めたんですよ。ところでブランドンさん」


「なんだ」


「私の手を握っていただけませんか?」


 むんずと左手を伸ばしながらの唐突な申し出に、ブランドンは一瞬、言葉に詰まった。だが、その口調が極めてあっけらかんとしていたのと、ルル・ベルの真面目くさった態度から、その意味するところをブランドンは察した。


「それじゃダメです」


 速攻のダメ出し。何がそんなに気に食わないと言うのか。


「しっかり指を絡めてください。そうでないと呪術の行使に影響が出てしまうおそれがありますから」


 戸惑いつつも、ブランドンは言われたとおりにした。ルル・ベルの、小さな谷をつくる白い指と指の付け根の間に、太くて無骨な日に焼けた己の指を遠慮がちに滑り込ませていく。俗に言うところの貝殻つなぎである。


 異性と手を握り合う。その行為自体に、いまさら胸の高鳴りを覚えることはない。しかしブランドンにとって、それは久方ぶりの安心感をもたらしてくれた。信頼できる人の体温。それを直に感じるということ――すでに遠い過去のものとなっていたが、別れた妻との新婚時代をふと思い出しそうになり、慌てて記憶の底に沈める。


 ルル・ベルの華奢な腕。そこから伸びる細くて白い指先からは、はっきりと彼女の体温が伝わってくる。ブランドンにとって、それは痛みとはまったく無縁の、長く忘れていた穏やかなヒトの体温だった。しかしながら、まるで人間離れした陶磁器のような滑らかさには少々驚いたし、力を入れて握り返せば、粉々に砕けてしまうのではないかと思えるほどの脆さも同時に感じた。


「そういえば、私の呪術がどういうものか、まだ教えていませんでしたね」


「あのドロップを使ったヤツか」


「《タガネ呪術》……それが私の扱う類感呪術(イミテーション)の正式名称です」


「結界術だろ?」


「ああーー……うーん……っとですねぇ……」


「あの蟲人間……ええと、魔導機械人形(マギアロイド)、だったか? 奴の攻撃を弾くときに展開していた《盾》のことだよ。ああいうタイプの封言呪符(ウエハース)を以前に見かけたことがあるから、君は結界術の使い手なんだろうと思ったんだが」


「うーん……まぁ結界術と言えば結界術なのかもしれないですし、そういう風に捉えられないこともないんですけど……」


 奥歯に物が詰まったような口調のルル・ベルだったが、話を先に進めるためか、気を取り直したように、口を切った。


「この呪術の要となるのは、私の呪力が込められた四色のドロップです」


 その小さな手が、細く引き締まったウエストへ伸びる。ルル・ベルが腰元のポーチから取り出したのは、赤、青、黄、白。合計四色のドロップだ。各色を一粒ずつ掌に乗せると、まるで大事に取っておいた小さな宝物を披露するかのように、ブランドンへ見せつける。


 小さな掌の上で、ジャラ……と音を立てて転がるドロップ。注視しないとわからないが、中心の色が不自然に濃い。ブランドンは目を眇めた。ドロップの内部で、もやに似たなにかが、ゆったりと渦を巻いている。これが、彼女の体内から抽出された呪力の塊なのだろう。


「ドロップは各色に特性を持たせているんですが、その特性を応用しつつ、配置や形状、飛ばし方を何かに見立てることで、タガネ呪術は真価を発揮します。ちなみに、あの魔導機械人形(マギアロイド)の攻撃を弾いた時には、《結合》の特性を持つ白色ドロップを繋げて《盾》を構成したんですよ」


「あの、赤色と青色のドロップは?」


「赤色は《増幅》。青色は《拡散》の特性を宿してます。敵を追い払う際には、この二つをよく組み合わせますね」


 まるで手品のタネを明かすかのような口調で説明するルル・ベルだったが、ブランドンはどこか難しい表情を浮かべている。


「もしかして、私の説明、わかりづらかったですか?」


「そういうわけじゃない」


 やや不安げに様子を伺ってくるルル・ベルの言葉尻に被せるように、ブランドンが言った。


「君の説明を聞いていると、攻防一体の呪術って感じがする。それが犯人捜査にどう役立つのかイメージしづらい。それだけだ」


「なんだ。そんなことでしたか」


 ルル・ベルが安心したように言った。


「タガネ呪術は、戦いのため()()に編み出した呪術じゃないですよ。まぁ見ていてください」


 一言そう添えて、改めて表情を引き締める。ルル・ベルは右手を使ってポーチから赤と青のドロップを器用に取り出し、それらを交互に白色ドロップで囲んだ陣の中へ放り投げていった。さながら、人工池に棲むブラック・ギルへの餌やりだ。


 下手投げの姿勢でドロップを地面へ投げ込んでいくその姿は、一見すると奇怪そのものでしかない。現場保全に当たる警官たちも、ルル・ベルのドロップ投げ込みを目撃しては、おかしそうに首を傾げるばかりだった。


 だがそれこそ、都市の市場に出回る、品質管理された封言呪符(ウエハース)がオミットした要素。煩雑且つ非合理的な所作に宿る、呪術の本質が産声を上げようとしている瞬間なのだった。


 ルル・ベルが四つ目の赤色ドロップを陣内へ投げ込んだ。その時だった。


 まるで小石を呑み込んだ湖面の如く、ひとりでに地面が波打ち始めたのだ。


 驚いて目を剥くブランドンのすぐ傍らで、ルル・ベルは次々にドロップを陣内へ投げ込んでいく。それも、ただ適当に投げ込んでいるのではない。《スポーツ・フォーラム》で試合に挑む電脳ビンフー選手よろしく、ドロップを弾いている。


 弾かれた青や赤の飴菓子は、陣を形成する白色の飴菓子にぶつかり、白い輝きを放つ波紋を生み出している。次第に増えていく波紋の連鎖。地面を波立たせている力の正体はそれだった。白輝の波紋は互いに共鳴し合い、定められたリズムを奏でるように、陣の中に複雑な紋様を刻み込んでいく。それは静かに、だが確実に、炭化水素の結合に非科学的な影響を及ぼしていく。


 ルル・ベルのタガネ呪術の力を受け、いま、チョーク・アウトラインで囲われた地面は地面であり、同時に地面ではなかった。波紋の運動と重なるように、不可解な死病の急性症状が如く、ブランドンの眼前に、それは顕れた。アスファルトの表面に、不気味な紫色の水泡が溢れはじめたのだ。奇妙な泡の数と量は瞬きをする間もなく増えていき、散らばる赤と青のドロップを完全に覆い尽くし、ついに陣の縁に達して溢れ出そうとした刹那、それまでの出来事が幻であるかのように泡が引いて、白色ドロップが、ひときわ強い輝きを帯び始めた。


 次の瞬間、誰もが知る、見慣れたアスファルトの黒灰色は、そこにはなかった。

 色すらついていなかった。

 あるのは、無色透明の鏡だ。

 とはいっても、本物の鏡が現れたわけではない。あくまで、照明のように輝く白色ドロップで構成された陣内が、鏡のように見える、というだけの話だ。


「ピート!」


 弾かれたようにブランドンが叫んだ。まさか――目を疑う。だがどうみても、見間違いではなかった。

 無色透明の陣内に映り込んでいるのは、見慣れた通りを背景に、横移動しているピートだった。

 歩いているのだ。陣内がカメラレンズの役割を果たし、些細な日常の一コマを切り取るように、ピートの姿を映し出している。誰かの呼び声に反応したか、鏡の中の少年はルル・ベルとブランドンへ視線を向けると、笑みを浮かべながら、奥から手前へ走り寄ってくる。


 だが、それも束の間の出来事。ホワイトアウトが陣内を白く光らせて場面転換。今度は《ヴァハール》で誰かの話を聞きながら、これまたピートが椅子に腰かけた姿勢のまま、リラックスした表情を浮かべている。その次に、今度は見慣れた通りで野次馬たちを一生懸命に煽る姿が。

 その次、その次、その次――まるで壁面スクリーンのザッピングの如く、矢継ぎ早にピートの映像が陣内にて移り変わっていく。


「ルル・ベル、これはいったい何なんだ!? 俺はいったい、なにを見ているんだ……」


 激しく困惑するブランドンをよそに、何事かをブツブツ呟くと、ルル・ベルは手を繋いだままの状態で、ブランドンを見上げて懇願した。


「ブランドンさん。難しいかもしれませんが、いいですか? ()()()()()()()()()()()


「どういう意味だ?」


「言葉通りです。何も考えないで」


「そんな無茶な……目でも瞑っていればいいのか?」


「気を紛らわせることができるのなら、それでもかまいません。とにかく、ピートさんのことを、できるだけ頭に思い浮かべないでください。すみません。お願いします」


 無茶苦茶な注文だが、言われたからにはやるしかない。ブランドンは暗い洞窟の中で急にライトを向けられた遭難者がそうするように、ぎゅっと目を瞑った。何も考えるな。意識を宙に飛ばせ。殴られた時の痛みを、他人事として引き受けていた時のように。


 突然、瞼の裏に強烈な光の存在を感じ取った。強烈なフラッシュを眼前で焚かれたような感覚に網膜を刺激され、よろけそうになるも、ブランドンはおそるおそる瞼を開いた。


 目にした先の光景に佇むのは、平凡な黒灰色のアスファルト。すでにピートの幻影はなかった。ドロップたちも、光を失くしている。あらかじめ内部に蓄積されていた呪力が底を尽いたのだろうか。


「ひとまず、終わりました」


 ルル・ベルは息を乱す様子もなく、平然とそう口にした。彼女は繋いでいた手を一方的に解くと、呆然とした表情のブランドンをその場に残し、いそいそと白色ドロップの回収に乗り出した。その小さな背中を見つめながら、ブランドンは疑問を口にせずにはいられなかった。


「終わったって……なにかわかったのか? さっきの映像はなんだ? なぜピートの姿? というか、映像?が映り込んだんだ」


「あれは、()()()()()()()()()()です」


「俺の記憶?」


「多少の影響はあると事前に予測していましたが……こうなる事なら、先に説明しておくべきでした」


 白色ドロップを回収し終えて、続いて青色ドロップを指先で拾い上げながら、ルル・ベルは自身が行使した呪術の解説を口にしはじめる。ブランドンの位置から見て表情は伺えないが、それでも、ルル・ベルの声に硬さがあるのはわかった。


「さきほどタガネ呪術でやってみせたのは、ドロップの配置を湖面に見立て、さらに結界術を取り込んだ、いわゆる《土地詠(とちよ)み》です」


「待て。結界なのか? いまのが?」


「市警の方々も、よくそういった感想をくださるんですが、これが正真正銘の、本物の結界術です」


「俺の知る結界術とは、ぜんぜん違うぞ。対象の防衛や拘束だけじゃないのか」


「私のような人間からすると、それは封言呪符(ウエハース)向けに、扱いやすく・理解しやすく・規格化された結界術、という認識です。本来の結界術は、土地の力を利用するのが定石。その結界術を応用するかたちで実行したのが《土地詠み》なんです。運勢や吉凶を読み取る《リーディング》の一種ですね。その土地で起こった出来事……つまり、いまの状況下で言うのなら、事件現場が宿した記憶を強制的に引き出し、出来事の仔細を再現視する、という呪術です」


「いや、なにをそんな、当たり前のようにとんでもないことを言っているんだ?」


 ブランドンの驚きは、至極当然なものだった。


 ()()()()()宿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……少なくとも、そんな効果は市警が扱う呪具にはない。もしそのような代物が仮に存在していたら、市警がホワイト・ギルドの手を借りるような事態にはなっていないだろう。


「君が扱うのは《タガネ呪術》なんだろ? それにプラスして、そんな《土地詠み》なんて呪術も扱えるなんて。なんだそれ。もうチートじゃないか」


 そう口にしながら、得心する。たしかに、そんなズバ抜けた呪術が使えるのなら、あのキンバリーがやたらとルル・ベルに接したがるのも頷けた。


「チートって。そんな、たいしたものじゃないですよ。完全な《土地詠み》なら、事件現場の再現視の精度は、もっと高いところに届きますが、あいにくと、私のはそこまで高性能ではないので」


 すべてのドロップを手際よくポーチへ戻し終えると、ルル・ベルはブランドンに向き直って自嘲するような笑みを浮かべた。


「私、器用貧乏なんですよね。《タガネ呪術》はドロップを組み合わせることで色々な効果を得たり、呪術を行使することが出来る。そのおかげで《土地詠み》も使えるんですが、その力は限定的なものに留まります。あくまで、そう見立てている、というだけで……」


「つまり……簡潔に言うと、君が扱ったのは純粋な《土地詠み》ではなく、《タガネ呪術》で疑似的に再現した《土地詠み》ということか?」


「その認識で合っています。だから、土地の記憶も断片的にしか知りえません。それにオリジナルの呪術には劣るので、もともと備えている条件も無視できません」


「条件?」


「《土地詠み》においては、土地の記憶をリーディングする際に、指標が必須になるんです」


「道しるべ、みたいなものか?」


「まさにその通りです。その土地が持つ記憶の中で、どんな記憶を知りたいのかもわからないまま《土地詠み》をするというのは、オアシスの場所を示す地図もなしに、広大な砂漠を歩くようなものです。だからこそ、ピンポイントに土地の記憶を読むには、引き出したい土地の記憶そのもの、つまり出来事と縁のあるものが必要になります。たとえば事故物件の入っているアパートを対象にした場合、その物件で起った出来事だけを知りたいのであれば、前の住人が部屋に残していったものや、遺留品を予め備えておく必要があります」


「ちょっと待て。君はピートの事件を《土地詠み》でリーディングしようとしたわけだよな?」


「ええ」


「《土地詠み》にはピートの遺留品が必要になる。だが、ここにはそんなもの、どこにも――あ、いや」


 そこまで口にして、はたとブランドンは気が付いた。《土地詠み》を実行に移す直前、ルル・ベルの見せた不可解な行動、その理由(わけ)について。


「……そういうことか」


 自身の右手。そこにわずかに残る温もりが、すべてを物語っている。


「君は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 口にすると妙な違和感を覚えるが、しかし呪術的な視点から見れば、理屈は通っている。


「すみません」


 ばつが悪そうに、ルル・ベルが目を伏せる。


「いい。気にするな」


 被害者と生前交流を持っていたという視点から、死者と縁のある生者を、故人の形見の品として捉える。そのことに、思うところがないわけではない。だが、そんなことにいちいち突っかかっている場合ではないことは、当のブランドンが一番わかっている。重要なのは、生き物である事件が、これ以上の歪な進化を遂げる前に、事の次第を明らかにすることなのだから。


「初めての試みだったのか?」


「いえ。証拠品や遺留品の貸し出しが難しい場合には、何度か。呪術は人の心に作用する力。被害者に思い入れのある方の意識が、《土地詠み》で引き出される土地の記憶へ、流れ込んでしまうというケースも、ままあります。しかし、ここまではっきりと顕れたのは、今回が初めてです」


 それがどういうことを意味しているのか、皆まで言わなくとも理解していた。ルル・ベルも、そしてブランドンも。重要なのは、そこで何を知り得ることが出来たかだ。


「ブランドンさんが目を瞑っていた間に、土地の証言を引き出すことができました」


「あの儀式呪具の出所についてか?」


 はやる気持ちを抑えて尋ねるブランドンに対し、ルル・ベルは静かに首を横に振った。


「いいえ。ただ、別の意味で重要な情報は手に入りました」


「なに?」


「あの儀式呪具は、フェイクです」


「フェイク? なにを言っているんだ。死体安置所(モルグ)で確認したときには、確かに本物だと言ったじゃないか」


「たしかに、儀式呪具それ自体は本物に違いありません。でも、ピートさんを死に追いやったのは、あのナイフじゃない。あの歪な検査結果から推測するに、捜査を攪乱する目的で使われただけの代物でしょう」


 ルル・ベルはチョーク・アウトラインで囲われた現場を見渡しながら、確信を抱いた口調で言葉をこぼす。


「この土地は、生者の魂が無惨にも狩り取られる記憶なんて、ひとつも宿していません」


「それは、つまり」


 ルル・ベル流の台詞回しを理解した途端、ブランドンの表情が一層険しいものになった。


「ピートは、別の場所で殺されたということか?」


「そして、ここに運ばれてきた」


 自らの口から出た言葉の重大性を噛み締めるように、ルル・ベルは頷いた。


「あの車も、誰が、いつ、どのように準備したか、調べる必要があります。私が詠んだ限り、あの車についての記憶も、この土地は持ち合わせていませんでした。犯人が自ら手配したか、あるいは、湾港労働者のなかに共犯者がいる可能性も考慮すべきかと」


「そいつがピートを殺ったという可能性は?」


「私は少ないと考えています。あの儀式呪具の違法性と特徴を考えれば、それなりの技術が必要になります。湾港労働に身をやつしている人が、そこまでの呪術の知識や技術を持ち合わせているのかどうか……封言呪符(ウエハース)とは性質も異なりますし……」


「……理に適っているな」


 平屋建ての倉庫。その近くに五台ほど並ぶオレンジ色のフォークリフトを睨みつけるように観察しながら、ブランドンが静かに口にした。


「二十四時間稼働している作業現場に進入しようとする不審な車輛。普通なら守衛に阻まれておしまいだ。事前に内部から手引きの算段をつけておけば……だけれども」


 そこまで考えて、ブランドンは改めて信じがたい気分に襲われた。


「共犯者なんて要素を持ち出してこなきゃいけない……これはそういう事件なのか?」


「あくまで仮説です」


「わかってる。それはわかっているんだ。でも、どうにもわからないんだ」


「……」


「儀式呪具が本命の凶器じゃなくて、ただのフェイクに過ぎないだなんて、そんな手の込んだことをしてまで、ピートは殺されなきゃならなかったのか?」


「ブランドンさん……」


「ピートは、そこまでのことをしたのか?」


 まるで道に迷った遭難者のような目を向けられて、ルル・ベルもなんと返せばよいかわからなかった。


「ミハイロからはじめて話を聞かされた時、怨恨でアイツは殺されたんだと、俺はそう思い込もうとしたんだ。背景を単純化できるからな。誰それの恨みを買ってしまって、殺されたんだと……アイツが殺されたことに納得はいかなくても、それで一応の説明はつく」


 だが、とブランドンは続ける。


「共犯者がいる可能性が出てくるというのは、どういうことなんだ。儀式呪具の件にしたって、おかしすぎる。それに、エンブリオ・ナノマシンだ。アイツ、なんであんなものを持っていたんだ? どこであんな恐ろしいものを手に入れてきたんだ。あれを俺に渡して、アイツは俺に何をさせようとしているんだ」


 脳裏を過るのは《土地詠み》によって喚起された己の記憶。その断片だ。ピートの何気ない振る舞い。あどけない笑顔。心の底から気を許した、年の離れた友人――いまでは遠く懐かしい想い出として、海馬の奥で眠りにつくはずのそれらが、得体の知れない何かに変貌しようとしている。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「……あの、ブランドンさん――」


 途方に暮れるブランドンを前にして、ルル・ベルが思わず何事かを口にしかけた。その時、二人の間を、一陣の海風がはしっていった。潮の香りに混じって届く、赤錆にも似た臭気。それは思案するルル・ベルの意識の隙間へとタイミングよく入り込み、()()()()()()()()()()


「どうした?」


「あ、えっと……」


「ああ……すまないな。急に取り乱してしまって」


「いえ、気にしないでください」


 いまは、口にすべきではない――ルル・ベルは逡巡を振り払うと、話を先に進める。


「ひとまず、ここで得た情報は、コーチを通じて市警にも共有することにします」


「わかった。儀式呪具と、車、それに……共犯者の件だな」


「それと、あともう一つあります」


「なんだ?」


「犯人と思しき人物の姿を捉えたので、それも報告しないといけません」


 やおらに、ブランドンの瞳が見開かれた。そのわかりやすい反応を見て、ルル・ベルが即座に手を前に出して「待った」をかける。


「早まらないでください。まだ犯人と決まったわけではないですから。あくまでも重要参考人です。待ってください。いま端末に出します」


 ルル・ベルはズボンの後ろポケットに差していた携帯端末を取り出すと、ポーチから白色ドロップをひとつと、変換ケーブルを取り出した。ケーブルの片側には、透明樹脂素材で制作されたと思しき、卵型の容器が接続されている。


「この容器の中にドロップを充填して、この特注品のケーブルを介して私の端末に接続すると、ドロップの中に封じ込めた呪的証拠……今回のケースで言うなら、《土地詠み》で手に入れた記憶の断片を、映像として出力することができるんです」


「それ、自作したのか?」


「私のアドバイスを基に、ナヴィさんに作ってもらったんです。あの方は電子工作のプロですから」


「あの、口の悪い気難しいタコが?」


「ああ見えて、親切なところがあるんですよ。一緒に行動してみないと、なかなか実感できないと思いますが」


 そうこう言っているうちにセッティングが完了。端末内の専用アプリケーションを起動させると、端末画面に映像が流れはじめた。二人して、六インチほどのサイズの画面を覗き込む。


 時間にしてわずか十秒。採掘塔の照明機がオレンジ色に照らす第四ロジティスク・センター前。そこに停車した車の運転席から、ひとりの人物がドアを開けて外に出てきたところを、やや引いた位置から捉えている映像。これが誰の視点なのか。土地の側からの視点なのか。あるいは詠み取ったルル・ベルの視点が反映されているのか。それは判然としなかったが、ブランドンにとってはどちらでも良かった。


「時間帯については把握できませんが、おそらく、ここに到着して直後の映像でしょう」


 車を運転してきた肝心の人物は、真夏にも関わらず黒いフードを被って、身元がバレないよう細心の注意を払っている。裾から覗く手は強い小麦色を帯びている。大陸の南に先祖を持つ家系の出だろうか。


「あ」


 ブランドンが声を上げた。動画の後半。ドアを閉めた直後、海から吹く強烈な風にあおられて、男のフードが一瞬だけめくれ上がった。


 決定的な映像をコンマ数秒捉えたところで、映像は終わった。


「いまのところ、もう一度見せてくれ。最後、男の顔が出たところだ」


 言われた通り、ルル・ベルがシークバーを微調整する。


「こいつは……」


 ブランドンが呟きを落とす。めくれ上がったフードを慌てて戻そうと手を回しているため、運転手の顔のすべてがはっきりと見えているわけではない。

 だが、浅黒い左頬を覆うように刻まれた《一ツ目の一角獣(モノ・アイ・コーン)》のタトゥー・シールを確認するやいなや、ブランドンは弾かれたように声を上げた。


身式簡易呪装(バン・ダイ)だ」


「ブランドンさん?」


「間違いない。この男は――」


 まさか――なぜ――なにもかもが出来過ぎているのではないか――


 疑念と驚きに思考がフリーズしかけるも、ブランドンは、その男の名を口にせずにはいられなかった。

 

 市警時代に、自らが逮捕し損ねた、男の名を。

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