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プロメテウスに炎を捧げよ  作者: 浦切三語
3rd Story ザ・ポリフォニック・バベル
123/130

3-15 事件捜査開始《ケース・スタートアップ》②

虹鱗盾塔(スケイル・ホーン)》の来客用玄関口。その軒先を支える太い二本の大理石柱が、ギャロップ・ギルドの来訪者たちを出迎えた。二本の柱の側面には、都市の地下鉱脈から採掘された変種金緑石アレキサンドライトを材料に、さる著名な彫刻家が命を吹き込んで完成した、『力』と『意志』の象徴――有翼獅子グリフォン月下美人ナイトクイーンのエンブレムが象られている。

 混沌の道を辿る都市最下層にあって、唯一絶対の威光を放ち続けるそのエンブレムに複雑な想いを寄せながら、ブランドンはルル・ベルに先導されるかたちで、エントランスホールへと続く自動ドアを通った。


 玄関口付近に置かれている背の高い植木には、小さな五弁の花が咲いている。重金属酸性雨を濾過する機能を備え、封言呪符ウエハースの探知効果も併せ持つ六狂下ムクゲの木の他に、緑は用意されていない。

 平日の午前中だからか、エントランスホールは人もまばらだった。待合室のソファに腰かけている何人かが、大理石の床の上をコツコツと音を立てて素通りしていくブランドンとルル・ベルに気を取られて顔を上げはするものの、すぐに手元のタブレットへと視線を落とす。

 そうして、狭い画面内で繰り広げられる広大な物語に没頭するのが、FOことフューリーオーグの習性だ。書類申請の合間に映像作品を嗜み、不眠不休に耐える強靭な肉体にふさわしい魂の在り方を模索中といったところだろう。


 エントランスホールの壁一面は木目調の硬質タイルで敷き詰められていて、ところどころが長方形状に象られている。その枠の中では、科学の色彩が踊っていた。

 スクリーン上をテンポ良く流れていくのは、違法薬物・ディサッピアの使用撲滅や、呪術被害の注意喚起を促す電子ポスター。違法機械化手術の罰則規定を促すコマーシャル。それに、重要指名手配犯の顔写真だ。見知った人物が何人かいるのを横目で見ながら、ブランドンはルル・ベルと共に、ずらりと居並ぶ十六の相談窓口のうち、一番左の専用窓口へ向かった。


 ルル・ベルが受付の事務員に向けて携帯端末の画面をかざす。今年入局したばかりと思しき、スポーツマンにも見える爽やかな髪形をした年若い男性職員は、携帯端末に表示されているデジタル・カードを――炎の冠をつけた白馬のエンブレムを――やや緊張した面持ちで眺めながら、首掛け式有線電話で相手を呼び出した。


 待合室のソファに腰掛け、事件担当官の到着を待つ。その間、目の前を通り過ぎていく人々の暮らしの残響が、そうとは意識せずとも、自然とブランドンの耳に入ってくる。


――部活動クラブで活躍できないからってなんだ! 次やったら庇い立て出来ないぞ!――店で走蹴競技系統シュートスタイルの《テック・カセット》の万引きを働いた息子を、顔を真っ赤にして咎める父親。


――起きた時には鞄が消えてた。たぶんバスで居眠りしている間にやられたんだ――開発中の封言呪符ウエハースの設計書盗難に遭った男性サラリーマンが、付き添いの警官に事情を説明している。


――申請の記載内容が不適切すぎるってさ。やっぱり無理だよ。ノーパンチャイナで常時M字開脚をするネコミミ受付嬢なんて。コンセプトを最初から考え直した方が――《フォーラム》におけるデートクラブ営業開始申請を突っぱねられた若者が、電話先で何者かに愚痴をこぼしている。


『都市公安委員会は今朝の定例記者会見にて、上層および中層における土地区画の所有者を定める一連の関連法案に関する、段階的な見直しを検討する必要があるとの見解を述べました』


 待合室の正面に位置するスクリーンでは、神妙そうな顔つきをした女性アナウンサーが、昼前のニュースを流していた。


『都市公安委員会のドミニク委員長は、階層間移動規制緩和法の制定に伴い、上層および中層における土地区画の管理申請や土地権利の売買に関する法案の見直しを図ることで、フレキシブルな土地開発に着手する機会の均等化を目指し、更なる市場の活性化を実現したいとの見解を口にしました。これに対し、当該法案の見直しは、都市運営に関わる権利の一極集中化を推進している企業連合体からの強い反発があると懸念する声が一部の委員から上がっており、政局はますますの混乱を見せています。専門家は今回の件を受け手、委員会内での更なる政争と分裂を招く危険性があるとの指摘を持ち上がっており……』


 通路を歩く何人かが、自分とは関係ないニュースだという面構えで、スクリーンには目もくれずに通り過ぎていく。そうなって当然だと、ブランドンはヘアゴムで束ねた後ろ髪をいじりながら思った。階層間の人とモノの移動が規制緩和されたところで、転層・・にかかる額の大きさや、転層先の土地のキャパシティ……すなわち限界居住面積を考えれば、そこまで現実的な話とは言えない。


 それに、情報の流通についても同じことが言える。規制の緩和を受けて、居住階層に依らない電脳空間へのアクセスが可能になったとはいえ、それでもすべての電子の壁が取り払われたわけではない。最下層の人間のすべてが、中層、ましてや上層の生活や政治に関する情報をすみずみまでチェックできるかというと、そう話は単純なものでもなかった。


『続いてのニュースです。プロメテウス湾港労働組合は、来月に控える地這渉外ファイティンに向けて、労都連盟との会合を行いました。ディオーネ・D・I・C中央書記長は――』


「ブランドンさん、来ましたよ」


 スクリーンを見つめていたブランドンの右肩を、ルル・ベルが素早く二回叩いて言った。我に返って目線を動かすと、四基のエレベーターのうち一基を使って地下から上がってきた二人組の刑事が、こちらに近づいてくるのが目に入った。紺色のダブルの胸元で光る金細工の市警章ミリタリーパッチが室内灯の照り返しを受けて反射している。


 ルル・ベルは機敏な動作で立ち上がり、直立不動で敬礼の姿勢をとった。その振る舞いが、ブランドンに古巣の作法を強制的に思い出させた。慌てて彼女と同じ体勢を取る。


 瞬間、眼前に立つ二人の刑事の姿を捉えたブランドンの瞳が、突然の夕立に遭ったかのように見開かれた。


「同姓同名の別人……じゃあなさそうだな」


 キンバリー・ライブラ。プロメテウス市警第四警邏部門総合殺人課のトップ。総合殺人課ミクスチャーに所属する刑事たちの首に見えざる輪っかをかけ、群れの指揮を執る管理監督人(ロープマスター)が、不快さを隠そうともせずそう言った。

 彼の背後に後ろ手を組んで立つは、いまや希少種と言っても過言ではない侵襲型のフル・サイボーグ刑事、サスカッチ・ブライトバーンである。


「恐れ入ったよ。ギャロップ・ギルドのやり口には」


 オールバックの黒髪を右手で軽く撫でつけながら、キンバリーは一転、真っ白な歯を覗かせて、出会い頭に皮肉を込めた挨拶を寄こしてきた。それから、侮蔑を込めた視線を金縁眼鏡越しにブランドンへ向けてからルル・ベルへ向き直り、当て擦るように口にする。


「あの昼行燈も考えたもんだな。事件を解決するには、同じく事件を起こしたヤツを使えばいい、か。なるほど。市警の人間なら誰ひとりとして持ち合わせることのない、斬新で画期的な着眼点だ」


「ミハイロヴィッチの提出書類に不備でもありましたか? 私たちの行動は、なにひとつ市警協定に違反していないはずですけど」


 自分よりはるかに上背のあるキンバリーを前に、ルル・ベルは少しも物怖じせず反論した。


「相変わらずの食いつきぶりだな、研磨士さんよ」


 キンバリーご自慢の左眼――白く輝く星型と籠目型の紋様が交互に展開する混合式可変人造護符(ダブル・タリズマン)が、わずかに相互変換の速度を変える。

 都市の暗黒街アングラを蝕む呪術の濫用に対し、卓越した防衛機能を誇る護術眼ポップアイでも、若きエージェントからの痛烈な批判の台詞を防ぐ術は、流石に持ち合わせてはいないようだ。


「事件の重要保護証人を暫定捜査官に任命するなんて、言語道断だと口にするおつもりではないですよね?」


 なおも噛みつくルル・ベルを前に、キンバリーは両手を上げながら苦笑する。


「そうムキになりなさんな。呪学研磨士(ザ・クリーナー)の名が泣くぜ?」


 我の強い優秀な生徒を宥める教師のような物言い――その対応ひとつで、キンバリーがギャロップ・ギルドの若く麗しいエージェントのことを、憎からず思っているだろうことは、ブランドンにも伝わってきた。立場を利用するかたちでルル・ベルをからかうことに、妙な気持ち良さを感じているのだろう。


「ホワイト・ギルドには思うところあるが、アンタは別だ、ルル・ベル。ハイエナの巣窟なんて、お前さんには似つかわしくない。いい加減に見限ったらどうだ?」


 言外に勧誘の意図を含めた言葉を口にしながら、キンバリーはルル・ベルに向かって、夏爽海マリンノートの香り漂う己の右手を差し出した。ブランドンには目もくれない。まるで、その場にいないかのような、空気にも近い扱いだ。


 キンバリーの露骨な応対に若干の腹立たしさを抱いたブランドンだったが、だからといって、これみよがしの反抗的な態度は取らない。そんな真似をすれば、ルル・ベルはじめ、ギルドメンバーの面子を潰してしまうことになる。


 自分はあくまでも雇われの身に過ぎない――この場で求められているのは謙虚さだと、ブランドンは思い知った。ギャロップ・ギルドの肩書きがなければ、この場に立つ資格すらないのだから。


「キンバリー管理監督人ロープ・マスター、ひとつよろしいですか?」


 ルル・ベルはキンバリーの握手には応じず、任務遂行をモットーとする傭兵のような態度で尋ねた。


「コーチ・ミハイロヴィッチは、本件の早急な解決に全力を尽くすと口にしています。それは、私も同じです。もちろん、()()()()()暫定捜査官のブランドン氏も。彼はそれ相応の立場を保証されてここにいるのですから、私と同等の扱いをお願いします」


 キンバリーは仮面のような笑みを浮かべたまま、冬眠を前にしたツチネズミが穴倉へ戻るようなスピードで、おとなしく手を引っ込めた。プライドの高い者が、己の尊厳が傷つけられた事実を「なかったことにする」かのような素振りだと、ブランドンは見抜いた。


呪学研磨士(ザ・クリーナー)……性格まで磨き上げ過ぎると、そのうち取り付く島もなくなって、つまらねぇ女になるぞ」


 キンバリー・ライブラは口の端を吊り上げるように言うと、ただちに管理監督人(ロープ・マスター)に相応しい威厳のこもった表情へ戻り、二人を連れ立って、さっき使ったエレベーターへ乗り込んだ。巨漢のサスカッチでも背を丸める必要がないくらい、天井の高いエレベーターだった。


「ところで、第一発見者への聞き取りは――」


「とっくに済んだ」


 頭上で光る表示階数の数字が変わっていくのを眺めながら、キンバリーは隣に立つルル・ベルへ語りかける。


「イザベラ・マクシム。第四ロジティスク・センターの倉庫管理者だ。アリバイの詳細については後で共有しておく……なぁ研磨士さんよ、もっとシャッキリしてくれよ」


「第一発見者を、まずは疑え――私は犯罪捜査の基本中の基本を口にしただけですが」


「そうじゃねぇ……これは犯罪の教科書の一ページ目に出てくるような事件じゃないってことを言いたいんだ」


 まるで噛み締めるかのような口調。仕事上の付き合いがそれなりにあるルル・ベルにとって、このプライドの高い管理監督人ロープマスターがそのような態度を見せること自体、意外に映った。だからこそ、ピンときた。


「死因も判別できていない……ということですか?」


「いや、非境界事件ファズケースじゃねぇ。ウチの優秀な技官たちは、ちゃんと結論を出してくれた。呪殺マウスの線が濃厚だろう」


 だが、とキンバリーは一言付け加える。


呪力痕検知管チェッカーに反応は出るんだが、気味の悪い出方をしやがるんだ。それが気になる」


「あとで死体検案書を共有してください。それと、現場での再検証許可も」


「ん……」


 ちらりと後ろへ視線をやり、俯き加減に立ち尽くすブランドンを一瞥しながら、キンバリーは奥歯に物が詰まったような口ぶりで言った。


「手筈は整えてやる。だがな、俺が厄介なヤマと言っているのは、コロシの手口のことじゃないんだ」


「どういう意味です?」


 ルル・ベルが疑問を口にしたタイミングで、目的階に到着したことを告げるチャイムが鳴った。場所は地下五階。都市最下層よりも、さらに最下層に位置するエリアだ。


 キンバリーは無言のままエレベーターを出ると、三人を連れて歩き、廊下の突き当りに位置するドアの前に立った。


「とりあえず、ホトケさんを拝みながら話すとするか」


 キンバリーは眉間に深い皴を寄せながら、ルル・ベルへ告げた。





 ▲▲▲





 二十五メートルプールほどのサイズを誇るその地下フロアの一室は、常に徹底した消毒と抗菌作業が日夜施されている。鼻の下にワセリンを塗っていても、消毒液の微かな香りを嫌でも感じるくらいには。


 嗅覚が捉えた情報が身体の連鎖反応を引き起こし、ブランドンの脳にひとつの幻像を結ばせた。意識と活動を手放し、忘却の激流に呑まれた人のかたちをした肉塊が、震える手で生の断崖にしがみついている、そんな悪夢のビジョンを。どれだけ大量の消毒液をぶちまけて清潔クリーンさを保とうとしても、この恐ろしい匂いが消えることはないだろう。穢れた過去が消去クリーンできないように。


 都市の建設以来、ここに運ばれてきた夥しい量の肉と血は、時代を下っても、亡霊のようにフロアに漂い続けるはずだと、ブランドンは思った。それこそが、死体安置所モルグ死体安置所モルグたらしめる、なによりの証明となるはずだ。


 広大な部屋の手前から奥側にかけての壁際を、一定の間隔で占拠する、遺体安置棚の青ざめたステンレスの鈍い輝き。遺体の一時保管の事務手続きや、検死カルテの作成に黙々と取り組んでいる検死官たち。

 必要最低限の検査物品と、必要最低限の人員。余計な感傷が生まれないよう、どこまでもドライな雰囲気を貫こうとしているかのようだ。


 部屋の中央には、検死台が三つ、横に並んで配置されている。

 そのうちのひとつに目が向くやいなや、ブランドンは己の心臓が早鐘を打ち始めるのを、必死に押さえつけようとした。だがそれでも、心臓は拍動を早め続け、視線が自然と真ん中の台へと引き寄せられていくのを止められなかった。


 他の二台には何も置かれていないが、真ん中の台だけは違った。抗菌・消臭機能を持つ合成樹脂製の銀シーツがかけられ、それが不自然なかたちに膨らんでいるのだ。


 シーツの隙間から覗く、ほっそりとした二本の足の裏が目に入った瞬間、ブランドンは雷にでも打たれたような衝撃を覚えた。


「状態を確認する。準備してくれ」


 キンバリーはサスカッチと共に、作業に従事している検死官らへ近づくと、何事かをやり取りしはじめた。様子を伺うように、ルル・ベルが検死台へと近づく。それから、検死台を挟んで対面に回り込んだブランドンの様子を、ちらりと上目遣いで伺った。

 その赤いふたつの瞳に心中を見透かされてはなるまいと、ブランドンは心を宙に飛ばすことを意識して――《殴られ屋》稼業の時に培った技術のひとつを最大限に活用して――咳払いをひとつ。平静を装う。


「私から説明させていただきます」


 全身を薄青い検査服に包み、鼻から下の部分を、《検目アラタメ》の二文字が印字された白いベールですっぽり隠した男性検死官が、手に持つタブレットへ鋭い視線を走らせた。彼はルル・ベルの隣に立つと、スタイラスペンのノックでこめかみのあたりを掻きながら、遺体の状況について、滔々と説明を開始する。


「まず被害者の外傷ですが、左肩付近に楕円形の鋭器損傷を確認しました。傷の大きさは、およそ直径0.5ミリ。サイズからみて、致命傷には程遠いかと。それと、全身の至る箇所に痣が見られます。肩甲部、上腕部、胸部から側腹部にかけて集中的に観測されますが、ほぼ全身に広がっています。検査の結果、これが死斑でないことは明らかです」


 スタイラスペンのノック部分で銀シーツの裾を軽く捲り、確認を促す。検死官の言葉通り、脇腹のあたりも含む上体部だけでなく、下肢にも、まるで判でも押したかのように、赤紫色の斑点が広がっていた。ところどころ、鮮やかな紅色の痣も確認できる。


「通常、人は亡くなると血液が重力の流れに従って足元付近に溜ります。しかし、この斑点模様は全身の至る所に、ほぼ均等に広がっている。一部には血液の凝固反応もみられました。皮下出血とみて間違いはないでしょう」


「それ以外の生活反応は?」


「いくつか確認できましたが、いろいろとおかしいところがありまして。まず被害者の前頸部……喉のあたりを切開してみたんですが、気管支に火傷の痕跡が確認できました」


「それって、つまり、ええと――」


「高温の煙を吸い込んで、一酸化中毒死した……そういうことか?」


 言い淀むルル・ベルを遮り、堂々と検死官へ向き直って推測を口にしたのは、意外なことにブランドンだった。


「ブランドンさん……」


 驚き混じりに、見上げるルル・ベル。


「大丈夫だ」


 ブランドンの声に若干の緊張感が孕んでいる。表情筋の動きは固い。それでも、平静を装わねばならない。それがプロだからだ。


「心遣いには感謝するが、もとより覚悟の上だ。死者について語る場で、言葉は選んじゃいられない。そうだろう? 管理監督官(ロープ・マスター)殿」


 己の真後ろ。屈強な部下を従える金髪の小男へ、ブランドンは言葉だけを投げかけた。


「ほう、殊勝なことだな」


 会話を振られたキンバリーが、肩をすくめた。


「七年前の事件のときも、そういう態度でいてくれたら、こちらとしては助かったんだがね」


「キンバリー」


 背後に立つサスカッチ・ブライトバーンが、たしなめる様に声をかけた。この場でそんな発言ができてしまうことに、他ならぬブランドン自身、驚きを隠せなかった。

 厳格な縦社会である市警において、部下が上司の言動に意見するなどありえないことだ。だがサスカッチは平然と苦言を呈し、矛先を向けられた当の本人も不快感を特に示すことなく、大人しく引き下がるような態度を見せた。


「話がわき道に逸れちまったな。検死官、続けてくれ」


「……我々も被害者の死因のひとつに、大量の一酸化炭素を吸引したことによる中毒死が関連しているのではないかと疑いました。ですが、被害者の血液を検査にかけたところ、血中の一酸化炭素―ヘモグロビン濃度の吸光度測定で、測定不能エラーが出てしまったんですよ」


 選手交代。ブランドンと入れ替わるようにして、今度はルル・ベルが前に出る。


測定不能エラーの原因は? 試料の状態が悪かったとか?」


「血液を薬物反応検査にかけましたが、なにも出てきませんでした」


「だとしたら、測定機器の調子が悪かったとかですか?」


「それこそありえません。一週間前に完全修繕オーバーホールから戻ってきたばかりですから」


「……他に特徴的なことは?」


「被害者の鼻腔部から、泡状の水痕も確認されました。溺死した遺体によく見られる生活反応です。ですが遺体を非破壊透過検査アンブレイカブル・サーチにかけたところ、気道末端と肺胞に閉塞痕は確認できず……これでは、死因が溺死だとは断定できかねます。にも関わらず、一部に溺死の生活反応が出ているんです」


 口調は冷静さを保っているが、検死官の目には困惑の様子が見て取れた。

 法医学の観点から遺体の状態を分析し、要素を繋ぎ合わせて死因を特定するのが、彼ら検死官の仕事だ。だが、その要素に偽装の痕が見られる場合、死因の特定は困難を極める。

 しかし、偽装に際して何が使用されたかを推し量ることは、ある程度可能だ。ここが、悪徳の火に苛まれた都市・プロメテウスであることを念頭に置けば。


物理殺人ハンドを誤魔化すために呪的偽装を行ったか。あるいは、何かしらの呪術行使の被害が肉体に顕現したのかも知れません。まだ現場をこの目で直接見ていない以上、推測の域を出ませんが」


 言葉を選びながらも、確信的推測に満ちた若き呪学療法士の言葉に、キンバリーは満足そうに頷きながら、ぱちんと左指を鳴らした。


「アンタなら、そう言うだろうと思っていたよ」


 ズボンのポケットから取り出したゴム手袋を装着しながら、キンバリーは検死官に指示を出した。

 ほどなくして、ジップ式ビニールパックに納められた調理用ナイフが、金属のトレーに乗せられた状態で運ばれてきた。

 刃渡り二十五センチの、ごくごく普通のナイフだ。切っ先にこびりついた血痕。酸化が進んで褐色を帯び始めたそれを見るにつけ、ブランドンの脳裏にまざまざと過去のビジョンが蘇りはじめた。

 口元がわずかに震え、堪えていたものが溢れるのを恐れるかのように、視線を逸らす。


「被害者が乗っていた車の助手席付近で発見されたものだ。指紋は丁寧に拭き取られていやがる。ちなみに、現場で見つかった物的証拠はこれだけだ」


 キンバリーは指先でビニールパックを摘まみ上げたまま、ルル・ベルの眼前に差し出した。


「肩口についた傷は、これによるものと思われます」と、検死官。


「儀式呪具ですね」


 ナイフを一見しただけで、ルル・ベルはそう言い切った。自信家にありがちな傲慢な言い方ではなく、経験に裏打ちされた慎重さと自然さが口調に滲み出ていた。


「刃部に微量の厭渣えんさを感じます……呪力濃度は高めですね。鮮度も悪くない。呪具が蓄積型(チャージ・タイプ)だとしたら、その場限りの使用を前提としたものかもしれません」


「見ただけでわかるのか」


 ブランドンが驚くのも無理はなかった。彼は市警時代、電脳界隈の事件以外に、呪学関連の事件捜査を担当したこともあったが、はっきり言って、そこまで業界の専門知識や特殊技能に精通しているわけではない。

 現場を主戦場とする者たちの主な仕事は、上から降りてきた違法品リストに並べられているブツの押収である。押収品のうち、どれがどの程度の危険性を持つ呪具であるかを調査するのは、専ら神秘検証技師(サイコ・ロジスト)などの専門職の役割であり、彼らでさえ、呪具の特性を判別するには、専用の反応液やら検査器具やらを使う必要がある。

 それを、器具もなにも使わず、目視しただけでここまで見解を述べることができるというのは、特筆すべき才能と言わざるを得なかった。


「目が良いんですよ」と、赤い瞳を気恥ずかしそうに伏せながら、ルル・ベルが言った。「師匠の鍛錬のおかげで、目に呪力を流し込むことで、ある程度は呪具の性質をることが出来るようになったんです」


「研磨士さんの言う通り、たしかにコイツは儀式呪具だ」


 お墨付きを与えるように、キンバリーが後を継いだ。


「ウチの呪力痕検知管チェッカーで検査済だ。一番から十番までを使って怨嗟粒子凝析試験カオスパーティクルテストを実施したところ、五番にのみ反応を示しやがった。そう、()()()()にな」


「五番? コトダマ式の封言呪符ウエハースにですか?」


「奇妙な話だが、反応が出た以上、儀式呪具とみて間違いはないだろう」


「確かですか?」


「そんなに疑うなら、自分の目で確かめてみな」と、キンバリーはポケットから四つ折りの記録紙ログペーパーを取り出した。受け取って中身を確認するルル・ベルの表情が、だんだん険しいものになっていく。


「このピークの出方、たしかに奇妙ですね。コトダマ式を使って五番だけに反応が出る、というのは……副反応として八番と九番にも微量のピークが出るはずですが……ひとつも出ていない」


「おそらく、正規販売店で購入したものじゃない。違法呪符ゴオフレットのたぐいだろうな。市警ウチのリストにも保管されてない、全く未知の呪具だ」と、キンバリーが儀式呪具の収められたビニールパックを金属トレーへ戻しながら、話を続けた。


「その証拠に、怨霊分析官(スカル・アナライザー)神秘検証技師(サイコ・ロジスト)に分析させたところ、被害者の精神雲図(マインド・マップ)に、市警ウチが未登録の斬刃痕跡ジンコンが確認された。コトダマ式らしく、()()()()()精神を切り刻まれた痕跡があったということだな……誰がどう見ても呪殺マウスだ。違法呪符ゴオフレットの使用時に、一連の生活反応が副反応として顕れた疑いがある。こちらとしちゃそういう考えだ。研磨士さん。あんたならわかると思うが、精神攻撃を喰らったら、その副反応が肉体面に顕現するのは、呪いの世界じゃよくある話だろ? 俺も元・呪捜官ソーサリーだからな。それくらいの知識は持ち合わせている。違法改造された代物が殺害に使用されたのなら、こんなめちゃくちゃな生活反応の出方にも納得がいくってもんだ……というわけで、仕事だ」


 キンバリーが咳ばらいをひとつ。その金縁眼鏡の奥を光らせて告げる。


「殺害時に使用されたと思しき儀式呪具の具体的な効果内容の洗い出し。ならびに、呪具の購入ルートと製造元を調査すること。悪いが、こっちからは応援は出せない」


「いつものことじゃないですか」


 最初から期待などしていないとばかりに、ルル・ベルが小さく整った鼻を鳴らして言い切った。その反抗的な態度に眉を顰めつつも、キンバリーは努めて冷静に言った。


「こっちもこっちで入り用なんだよ。発見された現場が現場なだけに、レーヴァトール社や湾港労働者の連中に聞き取りをせにゃならんし、なにより、いの一番にやらなきゃならんことがある」


「なんですか?」


「ピート・サザーランドの()()調()()だ」


 死体安置所モルグに嫌な静けさが舞い降りた。身元確認ではなく身元調査――キンバリーの不穏な物言いが、ブランドンとルル・ベル、双方の顔に緊張の線を走らせた。


「なにか知っているって面構えだな」


 そして、わずかな顔色の変化を『勘違い』の一言で誤魔化せるほど、目の前の管理監督人(ロープ・マスター)は与しやすい相手ではない。子飼いの犬が肚に隠し持っているものは、なんであろうと徹底的に嗅ぎつけなければ気が済まない。そういう性格の男なのだ。


「昨日、ピートの自宅を訪ねたら、まったく見知らぬ女が住んでいた」


 ルル・ベルが口を割ろうとするより先に、ブランドンがまっすぐキンバリーを見つめ、情報を提供した。


「……念のために聞くが、住所を間違えていたとか、そういう間抜けなオチではないな?」


 やや間があってから応じたのは、バーンだ。キンバリーは憮然とした態度のまま、口を利くのもうんざりだとでもいうように、明後日の方向へ目を向けている。


「そうであってほしいと切に願うよ。俺も何がなんだかわからないんだ」


 ブランドンはバーンの、その大柄な体躯には似つかわしくない優し気な目元を見つめて、被りを振った。


「ふむ……キンバリー」


「こっちの調べと一致するな」


「調べ?」


「被害者の個人情報(パーソナルデータ)だ」


 キンバリーは肩をいからせながらブランドンに近づくと、彼の目を見据えて言い放った。


「念の為に役所に確認してみたが、ピート・サザーランドの住所は()()されている。まったく、連中も温い仕事をしやがるぜ」


 絶句するブランドンを前に、キンバリーが淡々と続ける。


「住所に記載されていたアパートの部屋に足を運んでみたが、貴様も会っていると思しき、血縁関係もなにもない人物が住みついていた。母親と二人暮らしをしていると周囲には吹聴していたようだが、それも嘘だ。彼に両親はいない。データベース上だけの、架空の存在だ。なによりも奇妙なのは、被害者のからだの構造だ……検死官。コイツに事実を見せてやれ」


 キンバリーの指示に従って、検死官が銀シーツを丁寧に捲り上げ、物言わぬ裸体を人目に触れさせた。


「ピート……」


 永遠の眠りについた友への呼び声は、ひそやかに震えていた。ルル・ベルは何とも言えない表情でブランドンを見守り、キンバリーは両手をポケットに突っ込んだ姿勢で、ブランドンを睨み付けている。


「ピート、おい……」


「ブランドン暫定捜査官……」


 震える素手でピートの顔に触れようとするブランドンを、無表情のバーンが、それとない言葉で制した。


 遺体衛生保全エンバーミングされたピートの、枯れ木のように細くなってしまった肉体。血色を失くした薄い唇がわずかに開いている。それこそ、いまにも吐息が漏れてきそうな自然さで。


 遺体には、解剖時の切断痕も綺麗に縫合と化粧が施されていた。まるで眠りに落ちているのかと錯覚するほどの完璧な保存措置だ。いまここで声をかければ、年頃の少年には似つかわしくない、長い睫毛を震わせて目覚めそうな雰囲気があった――肩口の小さな切り傷と、全身に広がる生活反応の、惨い痕跡を無視すればの話だが。


「結論から言うと、被害者は過去に機械化手術を受けた経歴があります」


「なんだって?」


 思いもよらない検死官の言葉に、ブランドンが顔を上げて反応する。


「たしかなのか?」


「はい。ただ……これは手術というか、そういうレベルを超えているとしか……」


 検死官は言葉をひとつひとつ選ぶような慎重さで、検死の最終報告を口にした。


「被害者の血管、筋骨、神経系、内臓系統が金属器官と接合しているのは確かですが、その強度がありえないほど高い。通常、神経系と金属を接合する際には、ナノフランジと呼ばれる超微小の炭化系接合素材が使用されますが、それが使われた形跡がまったくない」


 検死官は、ピートの右肩口をスタイラスペンで指さしながら口にした。


「傷口から採取した細胞片を分析にかけました。結果、被害者の細胞膜は金属繊維片に置換されています。落ち物パズルのように、異成分が食い合っているとも言えます。いや、本当に。まったく驚きですよ。こんな超精密にして完璧な接合……もはや『融合』と言った方が良いかもしれない」


「どこか、凄腕の外科医にやってもらったんじゃ――」


「いやいや、ありえませんよ」


 検死官は『何もわかってない』とでも言うように、ベールの奥で苦笑いを浮かべた。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。通常ではありえない強度の接合が観測されているという時点で、人間業じゃない。生まれつき、こういう体質だったと考えたほうが、まだ自然です」


「早い話が、だ」


 キンバリーが両手をポケットに突っ込んだまま、ブランドンを睨みつけた。


()()()()()()()()()()()()()()()()()。ついでに言えば、この都市で暮らしていた痕跡すら捏造ときた。なにもかもが、()()()()()()()ってことさ。おい、暫定捜査官サマよ。おめぇはどこのどいつと、個人的な関係を持っていやがったんだ?」


 沈黙――自然と両の拳に力がはいった。血管が手の甲に浮かび、肩が震える。伏し目がちにリノリウムの床を眺め、噛み締める下唇の隙間からは、荒い呼吸が漏れる。


「なんだ。何も言えねぇのか? 友達だったんだろ? 被害者の」


 キンバリーの表情が喜色に歪む。更なる追い打ちをかける。


「友達面して涙目になりながら事件現場へ不法侵入を働こうとした奴が、この期に及んでダンマリか。テメェの知らないピートくんの理解不能な一面を見て、いまさら怖気づいたか?」


「お前の言う通りだ」


 耐えた――眠れる獅子が首をもたげるように、ブランドンはゆっくりと顔を上げ、決然とした態度で言った。


「俺はピートのことを何も知らない。だから、これから知る努力をするんだ。今の俺に出来るのはそれだけだ」


「ブランドンさん、あの……」


「行こう、ルル・ベル。現場に向かうぞ」


 ブランドンは踵を返して、死体安置所モルグを後にした。ドアの向こうへ半分ほどその身が隠れたところで、ルル・ベルが慌てて後を追いかけた――と、ドアノブに手をかけたところで振り返り、その可愛らしい顔には似つかわしくない、鋭い視線をぶつける。


「あなたって本当にイヤな人ですね! キンバリー!」


「なっ……おい! 貴様!」


 ひとことお灸を据えてやらんことには――と息巻いている暇もなく、来訪者の片割れは、首にかかる見えざるロープを気にも留めず、ドアが軋みを上げて閉じる音を残し、風のように去っていった。


「ずいぶんイイ面構えになったもんだ」


 感心したようなバーンの口ぶりに、キンバリーが舌打ち混じりに反論する。


「前々からああいう性格だったろうが。近頃だいぶ拍車がかかっているようだけどな」


「いや、あの研磨士の方じゃなくて」


「あぁ?」


「ブランドン氏の方だ。一昨日のホームレス姿が嘘みたいな振る舞いだったろ?」


「たいして変わんねぇだろ」


 金縁眼鏡をはずし、ジャケットの胸ポケットから取り出したクリーナーで丁寧に脂汚れを拭きとりながら、「だが、まぁ」と、キンバリーはつまらなさそうに続けた。


「こっちの挑発に乗らなかったところを見るに、知恵は前よりもついたみたいだが」


「やっぱりそうか」と、いたずらをした子供を嗜めるような口調で、バーンが言った。「向こうが手を出してきたら、それを材料に暫定捜査官の任を解くつもりだったんだろ?」


「誰が手綱を握っているのか、はっきりさせる必要があるからなぁ」


「今回だけにしといた方が良い。見たところ、あの研磨士はかなりブランドン氏を買っているぞ。彼に要らぬちょっかいをかけ続けていたら、今後彼女に捜査協力を仰ぐのが難しくなる」


「……ルル・ベルねぇ」 


 キンバリーは眼鏡を掛け直すと、その曇りなきレンズ越しに、剥き出しになったピートの遺体を眺め、それから、手に余る若き女呪学療法士の、あのつぶらな赤い瞳を脳裏に描きながら、つぶやいた。


「あいつこそ、人間離れした目をしてやがるよな」

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