3-7 都市の底を照らす彼女は②
鉄芯――自分よりもはるかに上背の低い少女の背中を見上げるブランドンが最初に抱いた印象は、それだった。
まるで、この事態をあらかじめ予期していたかのように颯爽とガラス窓から侵入し、怪奇極まる襲撃者を前に『この場を切り抜ける』と堂々と宣言してしまう彼女の度胸に、唖然としつつも、眩さを感じなかったと言えば嘘になる。
《殴られ屋》という仕事柄、最下層で暮らす人々とは数多く接触してきた。客の多くが自分の写し鏡だった。現実の生活に鬱屈とした思いを募らせ、どうにかこの現状を変えようという意識だけはある。しかしその一方で、立ちふさがる現実はおろか、自分自身を変える努力すら怠る者たち。そうこうしているうちに、取り返しのつかない事態に陥ってしまった者たち。
目の前で脅威に立ち向かおうとしている少女は、見知った客たちとは百八十度違う存在だった。その小さな体に、一本、太く燃える鉄芯が通っているようなたたずまい。最下層には似つかわしくない、異邦人そのものだ。そのような印象をブランドンが掴んだのは、少女の毅然とした態度もそうだが、彼女の一風変わった姿にもある。
紫灰色のセミロングヘアに、血のように赤い瞳。そこまではいい。ブランドンが疑問を抱いたのは服装にあった。いまは真夏の季節にも関わらず、少女は長袖だった。インナーに着こんでいるのは赤いロングシャツ。羽織る耐環境コートは重合繊維製のショート丈で、雪のように白い。あまりにも白を貫いているおかげで、彼女の立つ周囲だけ、明度差がくっきりとあるような違和感があった。
下に履いているのはデニム生地のショートパンツ。左腰と右腰の両方に、ベルトループを介して、黒くてやや大きめの革製ポーチが括りつけられている。すらりとした大腿部は剥き出しで、足元には移動のしやすさを考慮してのスニーカー。最下層のスポーツ量販店で、ごく普通の値段で購入できるタイプ。洒落っ気のかけらもない。ブランドンの見立てでは、跳躍力を倍加させるようなハイテック・スニーカーでもない。だとするなら、どうやって彼女はこの部屋まで飛んできたのだろうか。
サイボーグか、それとも更新強化人か。
あるいは、もっと別の力が?
少女に向けられるブランドンの疑問は、そう長くかからないうちに氷解することになる。
三角錐の集合形態のまま機を伺っていた甲蟲たちが、その頂点部分から噴水を浴びせるように一斉に襲い掛かってきたのと、少女が両手をそれぞれのポーチに差し込み、アンダースローの要領で寸毫の内に何かを放ったのは、ほとんど同時だった。
闇に閉ざされた部屋を昼に変えるほどの爆発的閃光に続いて、重い金属同士が衝突したような轟音が迸った。ブランドンは咄嗟に右手で右耳を多い、左手でひさしを作ると、その一部始終を目撃しようとした。
少女の目の前に、白く輝く半透明の光の盾が現れていた。盾は鮮やかな乱反射を繰り返しながら、蟲の大群の進撃を阻んでいる。盾に隙間はなく、床と天井を繋いで、壁と壁の間にぴっちりと張り巡らされている。
さながら、屋内の光に誘われて夕暮れのガラス窓にびっしりと貼り付くように、蟲たちが棘だらけの節足を光盾に押し当てている。なかには、翅音を羽ばたかせながら力づくで突破しようと体当たりを繰り返す蟲もいるが、そのたびに、光盾の表面には琥珀色の波紋が断続的に生じるだけだ。衝突の際に生じる運動エネルギーが、完全に受け流されている。
脅かすように鋏角を剝き出してはカチカチと威嚇をかける甲蟲の大群。年頃の少女でなくとも卒倒しかける光景だが、少女の表情は石のように硬く、それでいて怯えとは無縁だった。
ブランドンはゆっくりと起き上がりながら、少女の肩越しに光盾の構成を見て、はたと気づいた。長方形に展開されたそれの四隅。小指ほどの大きさの白いドロップがあった。宝石のように光り輝くその飴菓子が、まるで見えない糸で縫い留められているかのように宙空で静止している。その白ドロップ同士が、見えざる力で幾何学的に連結されて、この光盾は構成されているようだった。
ブランドンの背筋が震えた。少女の行使した力は初めて見る現象だが、しかし類似の力を目撃したことはあった。中層で人並みの生活を送り、まだ罪を犯す前の警官時代。組織犯罪対策部に在籍していた頃、電脳世界と双璧を為す、もうひとつの業界絡みの事件をいくつか担当したことがあった。その時の経験で知見を得て、長らく記憶の奥底に封印していた光景。
術者と対象物の間に、見えざる力場で壁を作り、守衛または束縛する呪術。
「(呪学療法士の技術のひとつ……これは、まさか結界術か……?)」
ブランドンの確信的推測を補強するかのように、少女が更なる呪術的手段を行使した。光盾を支えるように左手を開いて前に突き出しながら、空の右手をポーチに突っ込む。斬り上げるように右腕を振るった。小さな手中から勢いよく放たれた四粒のドロップが、湖面を揺らすように光盾をすり抜けた――三つは赤、一つは青。
すかさず少女が何事かを唱えると、ドロップは物理的にあり得ない軌道を描きはじめた。ひとつは緩やかに弧を描き、ひとつはVボールの剛腕投手が放つ球のように真っ直ぐ飛び、ひとつはバネ仕掛けのように縦横無尽にスプリングし、ひとつは等速直線運動でゆっくりと動き……都合四粒のドロップが、なおも洪水じみて襲い掛かる甲蟲の大群を取り囲むように宙空で固着。
少女の右手が軽やかに宙を凪いで、親指と中指の腹を勢いよく擦り合わせた。真夏の蒸した空気を切り裂くように、乾いた音が部屋に響き渡る。
フィンガー・スナップだ。体のサイズの大小に関係なく、筋肉と骨で創り上げられた人体が行使可能な最速の動作運動――それを起点として、少女の指先が白く明滅。指先から放たれた呪力が光線となり、一粒の赤いドロップ目掛けて、一条の流れ星のように一直線に跳んだ。迷いなく。それこそ、いまの少女の佇まいを体現するかのように。
呪術的な流れ星は、尾を引いて赤いドロップに衝突すると、そこで軌道を変えた。はじめに少女の指先から放たれた時よりも威力と速度を増して、別の赤ドロップへ衝突。またもや軌道を変えて威力と速度を増して、光線が別の赤ドロップへ衝突。
それは、呪術的なビリヤード、というよりかは、各ドロップを中継地点にして暗闇に描かれる一条の光のアートだった。それは、ブランドンに星座を彷彿とさせた。ただし、主役は星ではない。その間を幾何学的軌道で行き交う呪力の光線であり、そしてそれは、星座のように、ただ美的好奇心だけを見る人に与えるものではない。
与えられたのは、破壊だった。
天井付近に固着した青のドロップ。少女が張り巡らせた呪術の最終地点。そこに下方から昇る光線が衝突した途端、鈴鳴りに近い高音と共に光が拡散した。まるで小規模の流星群のように、幾条もの光が驟雨となって大量の蟲たちへ降り注ぐ。光が、飛び交う蟲たちを次々と焼き撃ち、焦げ跡を床に刻み付ける。
光の消毒を浴びて十数匹の甲蟲たちが床の上でのたうちまわり、完全にその機能を停止した一方で、大部分はまだ生き残っていた。数では圧倒的に向こうが上回っている。それでも、少女の見せた、芸術的とでも形容すべき呪術を前に作戦を練り直そうと思ったのか。甲蟲らは場当たり的な体当たり攻撃を止めて、やや距離を取ると、足元から人型の形を取りはじめた。
【お前の、ことは、知っている】
下半身の構築を完了した辺りで、蟲たちが嘲るように口にした。
【あのお方から、聞いた話とは違うが、その髪の色に、その瞳。人の身に堕ちて、都市の最下層を彷徨う道を選んだ、類を見ない愚か者よ】
「私も、あなたの出自については知っています」
少女は毅然とした態度で光盾を展開したまま、言葉を紡いだ。攻撃に使用したドロップたちはすでに力を使い果たしたのか、さっきまで宙空に留まっていたのが、ばらばらと床に転がっている。
「曖昧な予感に過ぎませんでしたが、先ほどの戦いを通じて確信しました」
【ふん――】
「レギオス・エル・センチピードル。ディエゴ・ホセ・フランシスコが亡くなる直前にこの都市に産み落とした、《最終四作》のうちの一体。リストにあった能力の特徴と一致します……何が狙いなんですか」
【人形がその意志を露わにするのは、主のご命令を仰いだ時のみ】
「ディエゴはすでに亡くなっています。あなたたちの生き方は、あなたたち自身で選択したものではないのですか」
【人間が神の手から離れたように、我々もまた、すでに人の手からは離れている。だが、傍若無人に振る舞っているつもりではないのだよ】
少女が、怪訝そうに眉根を寄せた。
「あなたは、誰のためにその力を振るっているんですか」
ヴ、ヴ、ヴ――と、蟲たちの羽音が哄笑を上げた。上半身が完成する。真っ黒な蟲人間。深淵を匂わせる虚空の瞳が、じっくりと少女を捉えた。
【人のためだ。じきに解るさ】
その言葉を置き土産に、爆発するような勢いで蟲人間が炸裂した。蟲たちは、再びブランドンの室内を検めるように、数秒間、信じられない速度で飛び交うと、一目散に割れた窓ガラスから外へ飛び去って行った。
▲▲▲
いまや暗闇と静寂だけが、ブランドンの部屋を支配している。
ずいぶんな有様だ。部屋の調度品のほとんどが破壊されっぱなしでいる。戦闘の際に騒音もまき散らしていたし、近隣住民が騒いで市警に連絡を入れたのは確実と見て良かった。
ブランドンとしては、早いところ事情を説明して欲しかったが、それでも緊張と警戒をなかなか解かずにいる少女に、なんと声をかけて良いものか判断に迷う。
追撃は来ない。そう判断すると、彼女は全身から力を解いた。光盾が閉じる。四つの白色ドロップが、木枯らしに吹かれた葉のように落ちてくる。華麗に片手で受け止めると、少女はコートのポケットから手の平サイズの『球』を取り出した。それを軽く頭上に放り投げた瞬間、球の三か所から小型のプロペラが飛び出し、その場でゆっくりと回転しながら、部屋を照らし始めた。鏡面仕上げの球面から光を飛ばす、最下層の夜間生活者向けに販売されている鏡綿球と呼ばれる、なかなかの高額商品だ。
一時的な灯りを得た室内で、少女は腰を浅く落としながら、床を探るようにして歩みを進める。
「……き、君、何をしているんだ?」
少女の背中に向けて、ブランドンが困惑しながら問いかけた。少女は振り返らず、きょろきょろと辺りを見渡しながら答えた。
「ドロップを拾い集めてるんです。道具は大事に節約してあげないと……あ、あった」
朽ち果てたベッドの下に手を伸ばし、戦闘に使用したドロップを注意深く拾い上げて、大事そうにポーチへしまっていく。その様子を、ブランドンは不思議な生き物を見るような眼差しで見守った。
戦闘の後処理に集中する少女の姿は、不思議と可愛げがあった。あの恐ろしい蟲の大群に堂々とひとりで立ち向かって撃退に成功したほどの腕前でありながら、それを鼻にかけるようなこともしない。目の前の仕事に淡々と集中する生真面目な所作には、しかし、どこかあどけなさの余韻がある。
「昆虫採集の趣味はありませんが、ひとまずこれも回収しておきましょうか」
そう独り言ちると、焼け焦げた蟲の残骸を平然と素手で拾い上げ、コート内側のポケットから取り出した小さめのジップ式ビニールパックに放り込んだ。ドロップを回収していたときよりも、気持ち雑な取り扱いに見える。
「……そういう壊れやすいものを回収する時は、袋に液体プラスチックを流し込んで一時的に保全しておくと良い」
口を挟むつもりはなかったが、気づけばブランドンの口は自然と動いていた。少女の立ち振る舞いに怪しいところは見受けられなかったし、なにより、腰の抜けた自分に代わって窮地を切り開いてくれたという事実を無視することはできない。親切心で言ってやったつもりだった。
「もちろん、知っていますよ」
床を舐めるように観察しながら、少女が口にする。
「あいにく持ち合わせがなくて……あとひとつ……」
せっせとドロップを回収するのに夢中なのか、話半分といった具合だ。
なんだか、会話のペースが掴めない。ぎこちなさを覚えながら、ブランドンは続けた。
「だ、だいたい、市警が来るまで勝手に動き回るのは良くない」
「市警?」
「通報されているさ、確実に。事情を説明……い、いや、その前に。おかしな動きはできるだけ控えた方が良い。不審な動きをしていると感知されたら、取り調べが長くなる……まぁ、まずこの状況をどう言語化すべきか考えなきゃいけないが」
「それなら、心配する必要はありません」
一通りドロップを拾い終えると、お待たせしましたとばかりに、少女がブランドンに向き直った。頭のてっぺんが、ブランドンの肩にぎりぎり届くかどうかという矮躯ながら、物怖じせずにいまの状況を整理し出す。
「われわれは警察の認可を受けて動いていますからね。事情を説明すれば向こうは納得します」
「われわれって言うのは?」
そこで少女は、ハッと虚を突かれたように目を丸くすると、焦ったようにコート外側のポケットから携帯端末を取り出しながら、
「すいません。自己紹介がまだでした。私、ルル・ベル・アンダーライトと申します。CA財団認可の呪学療法士で、ギャロップ・ギルドに所属しているエージェントです」
「ギャロップ・ギルド……」
少女……ルル・ベルの差し出してきた携帯端末の画面を見る。身分を証明するデジタル・カードが映し出されていた。炎の冠を被った白い跳ね馬のエンブレム。今朝方、ここを訪ねてきた民間捜査組織の査頭を名乗る男が差し出してきた手帳にも、全く同じエンブレムが刻印されていたのを、ブランドンは思い出した。
「今日、ウチのボスから事情聴取を受けましたよね?」
「ボスというのは、ミハイロなんとか……」
「アレクサンドル・ミハイロヴッチ。普段は紙タバコを吸ってばかりの昼行燈ですが、ホワイト・ギルドいちの切れ者です」
自信満々にそう口にするルル・ベルを、ブランドンは意外そうに眺めた。喫茶店で話した時の印象だけで言えば、相手を煙に巻いて決して腹の内をなかなか見せない、妙におかしな拘りをプライベートに持ち込んでいそうな『変わった性格の男』という表現の方がしっくりくるからだ。
「たしかに、彼から事情聴取を受けている。もう一人傍にいたな。アイリスなんとか」
「アイリス・ツインブラッド。私より先輩の有能なエージェントです」
「それで、どういういきさつで君がここに?」
「あなたの事情聴取を終えてすぐに、ボスから指令を受けたんです。あなたの身に危険が迫っている可能性があるから、身辺警護も兼ねて彼の尾行を頼むと」
「ずっと尾けていたってのか?」
「ええ。ピートさんの事件現場を離れたあたりから」
平然とルル・ベルは口にしたが、ブランドンにしてみれば、尾行されているという感覚は露ほども感じなかったから、心底驚くしかなかった。なにかしらの呪術を行使していたのだろうか。
「しかし、身辺警護とはひとくちに言っても、通常業務で許されている内容には限度があります。過度な直接戦闘が想定される場合は、事前に特別な許可申請が必要なんです。法務局と協会の認可を得るのに時間がかかってしまって……駆けつけるのが遅くなってしまいました」
破壊された調度品の残骸を見やりながら、申し訳なさそうにルル・ベルが口にした。
「全額とまではいきませんが、補填の方はこちらで行いますから、あとで書類へのサインをお願いします」
「ありがたい。助かるよ。君が来てくれなかったら、今頃どうなっていたか……本当にありがとう。にしても、その特別な許可申請ってのは、いったい何なんだ?」
「単刀直入に言えば、我々はあなたを本件の……ピート・サザーランドさん殺害事件の重要証人として保護する方針を固めました。そのための申請が必要だったんです」
「重要証人だって?」
「生活を保全するために、事件解決に重要と見られる人物を、事件隠滅を図る勢力ないし個人から、一定期間に渡って武力保護する。そういう法律があるんです」
「ま、待ってくれ、ちょっと待ってくれ」
「待ちませんよ。ブランドンさん」
ルル・ベルは狼狽えるブランドンを前に、淡々と事実を口にした。
「もうすでに、あなたは事件の渦中に巻き込まれている。それも、相当の手練れに命を狙われています。放っておくわけにはいかないんです。これはきっと、ただの殺人事件じゃありません。私はそう直感しています」
「ピートの事件であることには変わりないだろう? アイツとは確かに付き合いがあったが、なんで俺が狙われるハメに? 説明がつかないじゃないか」
「おそらく、理由があります」
「だから、どんな理由なんだ、それは」
「落ち着いてください。ウチのギルドに今朝方、小包が届けられたんです」
ルル・ベルはやや間を置いて、ここからが重要なのだと暗に告げるように、目線をブランドンにぶつけて言った。
「差出人の名前は、ピート・サザーランド。消印は、彼が亡くなる前日。恐らく昼間のうちに発送したんでしょう」
「……どういうことだ」
なぜ? 疑念が渦巻く。
「ピートと君たちには、生前、交流があったのか?」
「それなら話が早いというか、筋は通っていますよね。でも、少なくともギルドの設立以降、事件を通じて彼と接触した記録はありませんし、ギルドのエージェントたちと個人的な付き合いがあったなんて話もないんです」
「小包みの中身は?」
「まだ検めてはいません。荷物には肉筆の手紙が添えてあって、そちらに書いてあった内容が内容だったので、ボスは私に指令を下したんだと思います」
「なんて書いてあったんだ?」
はやる気持ちを抑えて尋ねた。ルル・ベルは端的に答えた。
「要約すると、次のような内容です。自分は近いうちに殺されるかもしれない――その時には、ブランドン・ブリッジスを重要証人として保護してほしい――そう記してありました」
こめかみを鋭く殴られた感覚だった。《殴られ屋》稼業で経験した、どんな打撃よりも重く響いた。焦げ跡の残る壁に背中を預け、頭の中身を整理しようとする。
ピートは、自分が殺される予感を覚えていた。なぜ、それを俺に相談しなかったんだ? 迷惑をかけないため? だとしても、保護して欲しいとはどういう意味だ。俺と一緒に飯を食っていた時、アイツは何を考えていた? 俺はどうして、何も気づいてやれなかったんだ?
疑念、後悔、苛立ち――制御しようのない感情の刃に、体の奥が切り刻まれるような感覚に襲われた。それでもブランドンは、思考することを止めなかった。自らを襲った事態を憐れんでいる場合ではない。死んだピートと生きている自分を繋げている物はなんだ――ただの殺人事件ではないと言い切ったルル・ベルを前にして、感情論に逃げることはしたくなかった。それは、自らの仕事に誇りを持ち、誠実さで以て自分の身を助けてくれた彼女に対する無礼にあたると、ブランドンは考えた。
すると、自然と湧いてきた言葉があった。
「……鍵」
「え?」
「あの、よくわからん襲撃者がそんなことを口にしていた。《鍵》を寄こせとか、なんとか……」
「生前、ピートさんから何か預かっていたんですか?」
「いや、そんなものはひとつも。ただ、今の君の話を聞いてピンときた。多分、あの蟲人間が探していた《鍵》とやらが、その小包みなんじゃないのか。アイツは……ピートは、俺に何かを託そうとしていたんだな?」
「そして、どういうわけか、それをギャロップ・ギルドに送り届けてきた。これが何を意味するのか……それに、あなたを襲撃してきた人物の狙いも……早急に解明しないと……」
顎に手をやり、点と点を結ぼうとするルル・ベル。その真剣な表情を見ているうちに、ブランドンの胸の内に熱いものが沸々と湧いてきた。市警時代に何度も味わい、今ではとっくに、この弛んだ身体からは離れていった気持ちの高揚。
熱意――《殴られ屋》稼業をこなしている時には決して味わったことのない、透き通った意志の起こり。
「ルル・ベル・アンダーライトと言ったな?」
「ルル・ベルで構いませんよ、ブランドン・ブリッジスさん」
「ブランドンでいい。ルル・ベルさん、その小包み、俺が受け取っても良いか?」
有無を言わせぬ口調だった。その返事を待っていたとばかりに、どこか緊張感を孕んでいたルル・ベルの表情が、わずかに緩んだ。ただでさえ童顔なのに、ますます幼く見える。
「わかりました。ですが」
「ですが?」
「条件があります」
「それは、君のボスが提案したのか?」
「ええ、言伝を預かっています。小包みの中身を知りたいのでしたら、ブランドンさん」
ルル・ベルが差し出してきたのは、一種の交渉条件だった。
「ギャロップ・ギルド専属の暫定捜査官になってください。私たちと一緒に、ピートさんの事件を解明していただけませんか?」




