3-5 ロープマスター/キンバリー・ライブラ
バスがネザー・リバーを通り越し、最下層のシンボルであるA区の中心部に屹立する三角尖塔のストライク・タワーをはるか先に臨む位置に差し掛かった時、ブランドンは、勢い込んでバスに乗り込んだことに、ほんの少し後悔を覚え始めていた。警官だったのは、もう七年も昔の話だ。今の自分に何が出来るわけでもない。それなのに、どうして自分は事件現場へ向かおうとしているのか。自分で自分の行動の無鉄砲さに戸惑った。
携帯端末はポケットに入れてあるが、ニュースを見る気は起きなかった。直前の模擬試験で合格ラインギリギリのハイスクールの入学テストの結果発表が公表されたにも関わらず、怯えと恐怖で試験結果通知を開く手が震える気弱なティーンエイジャーのようだ。違いは、今回の通知は決して見たくなかった血の色に塗れているということと、確認しようが確認しまいが、結果は変わらないという確固たる現実がそそり立っているということだ。場に配られたカードを、絞り師が未来を変えるための奇跡の咆哮を上げながら捲りあげるのとはわけが違う。信じようと信じまいと、結果は変わらない。なのに奇跡を信じようとしている。妄想の世界に、逃げ込もうとしている。自分で自分のことが、馬鹿馬鹿しく思えてくる。
なんだかそれでは、こいつらと一緒ではないか――吊革に手をかけながら、ブランドンはちらりと周囲を見て自嘲した。湾岸工業地帯へ向かう労働者。男に女、白い肌に黒い肌、正規に派遣に嘱託に。性別も人種も年齢も役職もバラバラだが、共通点は見いだせる。捲り上げた腕、襟元から覗くうなじ、脱毛された頬、広いおでこ、固く分厚い手……位置はそれぞれで違うが、会社から支給される呪詛返し効果が付与された、タトゥーシール・タイプの封言呪符を呪身していた。例外はない。都市でそんな生活をしていたら、命取りになるからだ。
電脳技術と並行するかたちで都市に普及した呪術体系は、都市の歴史が八十年を過ぎた現在でも、暴力装置という枠組みからなかなか解放されずにいる。民間に流通する「規格化された呪術キット」である封言呪符は、プロメテウスの都市法で認められている自衛権で保障された「自衛手段のひとつ」という意味で考えるなら、銃や短刀と同等の価値を有している。それらの武器が、時に過った使い手に握られた途端に暴力装置へと変貌するという一面までも、等しく獲得してしまっている。そうした輩の手に握られた呪いの力から身を守るうえで、対呪詛系アイテムを身体付与させることは、立派な防衛手段であり、そのことにブランドンは異論を挟むつもりはなかった。
だが、他の部分は違う。ブランドンの目線が、ひとりの労働者に向けられた。昇降口付近の座席に座っている、そばかすを鼻の先に散らした若い男性。作業着を着た彼は、膝上に置いたタブレットへ真剣な目線を向けている。他の乗客たちもだ。無線搭載の移動式夢棺に籠ってないだけ、良しとするべきか。いや、だがそれでも、これは異様な光景に見えた。
ブランドン以外のみなが熱中しているのは、現在話題沸騰中の連続ドラマだ。タイトルについては、ブランドンの知るところではないし、あえて興味を持たないように務めている。ここにいる全員が(おそらくは)フューリーボーグである以上、視覚的娯楽をメンタル・ヘルスを維持する「栄養」として摂取し、疲れ知らずの仕事へ全力投球するための前準備として整えているのであるとするなら、無理に詮索する必要性はなかったし、首を突っ込む気もなかった。おぞましさだけは、抱いたが。
バスはD区に入った。鉄橋から眺めた際には、まるで鉄の竜が横たわっているような光景に見えたが、全容が見えてくると大型重機の数々に眩暈がしそうになる。各ロジティスク・センターが保有するバカでかいオイル・トレーラーが巨人の前歯のように整然と並んでいる。地中から過脊燃料を汲み出す大型リグの掘削に伴う地響きが、バスの窓枠を震え上がらせている。その三角錐のような外観と、中心部から真っ直ぐ地面に下ろされた組み上げポンプの異様な太さ。さながら異星からやってきた未知の鉄性侵略者が星を喰っているように見える。こうした光景を眺めているうちに、ブランドンの胸の内に生じてきたのは、違和感だった。ストリートで生きてきたピートの遺体が、こんな巨大重機の密集地帯で見つかった? どうにもイメージが結びつかない。
バスが目的地に着いた。エアブレーキから高圧空気が排出され、ドアが開いた瞬間、それまで小さな画面の広い世界に夢中になっていた労働者たちの目が現実に向いた。誰もかれもが、瞳の奥を煌めかせている。今では《ネイチャー・フォーラム》のオブジェクトで再現された自然公園でしか見ることのできない、素晴らしく透き通った小川のせせらぎのような輝き。大陸間戦争後の現実世界の七割を満たす、重金属まみれの鈍い光を放つ海洋の海面とはえらい違いだ。だがそれでも、彼らのような存在にだけは、絶対になるまいと、ブランドンは心に改めて誓った。彼らとは正反対の、昏い眼差しを陰気そうに向けながら。
現場となった第四ロジティスク・センターへの行き方はすぐにわかった。工業地帯の案内看板に刻印されたマップラベルに、携帯端末のコード読み取り部分をかざす。「第四ロジティスク・センター」と、携帯端末に向かって音声入力。画面にほど良くシンプルなマップが表示され、あとは指示に従って歩くだけだ。最近じゃ、拡張現実効果のあるマルチ・コンタクトレンズと連動させることで、案内図面を三次元的に現実空間と重ね合わせするナビ・サービスも提供されているが、あいにくとブランドンには無用の長物だ。古臭いと言われようが、構わない。余計なサービスはいらない。大きな買い物をしたのは半年前で、いまある貯金は個人的な贅沢を楽しむためのものではない。
広大な湾岸工業地帯にあって、目的の場所はA区寄り。つまり、D区画内のネザー・リバー方面に位置していた。トレーラーが行き交う産業道路沿いの歩道を大人しく歩いていくと、次第に目の前の光景が解像度を上げてきて、ブランドンは息が詰まりそうな感覚に襲われた。
パトカーが二、三台、センターの一般搬入出口を封鎖している。ドローン・カメラを飛ばすマスコミと野次馬が数人群がっていて、事件があったことを知らずに中に入ろうとしたトレーラーの運転手と警察官が大声で怒鳴り合っている。それらの喧騒をなるべく視界に入れまいと、そそくさとした足取りで通り過ぎ、少し離れた先の社員用玄関口へ向かう労働者たち。
ブランドンは足を止めると、たまたま近くを通りがかった他意なき通行人を装い、周囲を伺った。搬入出口は完全に封鎖されていて、守衛室を含めた敷地一帯を囲む青いフェンスには、有刺鉄線が巻かれている。正面突破は却下だ。そのまま十分ほどうろうろして様子を見るが、規制が解かれる様子は全くない。だが、諦めて引き下がるわけにはいかなかった。ここでピートが殺された。なぜ? なんのために? 彼の身に何が遭ったのか。断片でも良いから聞き出したかった。いますぐに。どうしても。《いま》でなければならなかった。理由はなかった。しかしながら、理由もなしに行動することの、なにが悪か。責められる謂れはない。やけっぱちに近いと分かっていて、それでも抑えられない。足元で見えないハンマーを延々と叩かれている感じだ。
足はひとりでに有刺鉄線の前に向かっていた。高さはおよそ二メートル。物理的な意味で乗り越えるのは可能だ。問題は、ここが都市主要エネルギーの一次生産を担う重要施設のひとつであることだ。自分が気づかないだけで監視カメラがあるのかもしれないし、そもそもこの有刺鉄線が、見たまんまの《有刺鉄線》なのかもあやしい。
思わず、手を伸ばしかけた。
「何してるんですか? そこの人。ジーンズ履いてるあなたですよ」
猛獣の噛みつきのような声が後ろで響いた。反射的にブランドンは振り返った。と同時に、自分がいま、どんなに情けない顔をしているか、なるべく考えないように意識を逸らした。
「フェンス、乗り越えようとしてましたよね」
男が、氷のように青い目で、まっすぐに見下ろしてくる。
ブランドンはあっけにとられた。身長百七十五センチの自分が、軽く見上げてしまうくらいには、立派な体躯の持ち主。黒一色の制服が破れずにいるのが、不思議なくらいだ。左の胸元に金細工の親指大ほどのバッジをつけ、肩は大きく盛り上がり、両腕はみっちりと太い。下半身は密林地帯に君臨する大木の幹のようにたくましく、僧帽筋から首元にかけて、血管がうっすらと浮き出ている。大胸筋に至っては、それこそ子供がちょっとした雨宿りに使えるのでは?と信じてしまいそうになるくらい、前方にせり出している。
「(侵襲型のフル・サイボーグ……)」
まさか、と思ったが、そうとしか考えられない。こんな見事過ぎる体つきの警官、少なくともブランドンは現役時代に出会ったことはなかった。かなりの量の金属繊維と強化筋骨、それに高級仕様の筋金も搭載されているに違いない。現代のプロメテウスにおいて、身体改造技術といえば、それは各種生体用ナノマシンを用いた生物工学手術による内的拡張を指す。自分のように、金属繊維や強化筋骨を外科的手段によって移植する外的拡張による身体強化は、時代遅れ扱いされるというのに……ましてや、フル・サイボーグなんて……
茫然――単純に衝撃だった。ブランドンを見つめるその青い瞳から厳しさが次第に和らぎ、どこか憐れむような目線を向けられているということにすら、気づかないくらいには。
「お兄さん、帰る家、あるのかい?」
「え、え?」
「こんなとこ、うろちょろしてたらダメだよ」
「バーン、どうした? そろそろ鑑識からの結果が――」
男の迫力があり過ぎるために、また別の警官がすぐ近くまできていることに、ブランドンは気づかなかった。大男に声を掛けるかたちで新たに姿を見せたその警官の身長は、ブランドンよりやや低い。金縁の丸眼鏡を掛け、黒髪をオールバックにまとめている。胸元にはバーンと呼ばれた大男と同じく金細工のバッジをつけているが、微妙に意匠が異なる。両手には捜査用なのか、白い手袋を嵌めていた。
小柄な警官はブランドンを見つけると、一瞬、驚いたような顔をしたが、すぐに表情を切り替えると、バーンの前に進んで立ち、ブランドンに向き合った。
「……現場への不法侵入か?」
「いや、未遂だ。多分、このあたりの浮浪者じゃないのか?……どうした? キンバリー」
バーンが耳元で呟いたが、小柄な警官――キンバリーは聞いているのかいないのか、鋭い視線でブランドンを射抜いた。
キンバリーの瞳は両目とも金色に輝いているが、左目だけが異彩を放っている。白く輝く星型と籠目型の紋様が、一定のリズムに従い、交互に形を変えている。五芒星型と籠目型の混合式可変人造護符。民間用に流通しているコンタクトレンズ型の封言呪符とは一味異なる。直接角膜に呪的外科手術を施すことで、使用者が生きている限り発動するタイプの市警専用の護術眼だ。
「あんたたち、呪捜部か?」
男は答えない。ブランドンが市警内部で使われる隠語を、さも当然のように口にしたことに対して苛立ちを押さえるかのように、右拳を握ったり開いたりを繰り返している。
「所属を答える義務はありません。なんなんですか? さっきから」
バーンが、閉口する小柄な警官の代わりに釘を差した。台詞そのものは一般市民に対する警官らしく柔らかいが、巌のような顔には再び厳しさが戻っている。おまけに、電動彫刻刀で削ったような細目には、有無を言わせぬ迫力があった。
「まさか、被害者のご親族の方? そうじゃないですよね」
「友人です。ピート・サザーランドの」
相手の言葉尻に被せる勢いで、ブランドンは言った。バーンが眉をひそめた。
「だからフェンスを乗り越えようとしていたと?」
「ええと、その」
「理由になりません。あそこになんて表示されてるか、わからないんですか?」
そういって、軽く顎をしゃくった。ブランドンはそちらを見た。彼らのいる地点からそう離れていない場所。遺体が発見された第四ロジティクス・センターの一帯を囲むように、黄色と黒の縞模様をした《警告テープ》がぐるりと張られている。テープの表面を右から左へ流れていく、赤い電子文字の警告文。【関係者以外の立ち入りを固く禁ずる】【これを侵した者には公務執行妨害罪が適用され、禁固……】云々。テープの向こう側では、鑑識を専門とする刑事たちが数人、証拠集めのためにあくせくと業務に没頭していた。彼らが着用しているえんじ色の制服の左肩に刺繍された紋章に、ブランドンの視線が向く。《枯れ木の前に傅く人》……ブランドンは、彼自身の警察官時代の記憶と共に、それの意味を引きずり出した。プロメテウス市警第四警邏部門刑事部総合殺人課の所属を示すシンボルマークだ。
ブランドンは、なんとも複雑な表情を浮かべた。呪捜部ではなく総合殺人課が担当しているということは、呪殺と物理殺人の両面で捜査を進めているのだろうか。だが、ブランドンがショックを受けたのはそこではない。そうした事実に、いまのいままで気づかなかったことだ。警告テープがすぐ目の前に張り巡らされ、鑑識たちが捜査をしているという事実に。声を掛けられる前に、とっくに気づいて然るべきだった。自分は今日、ここに来るまで、なにも見ていなかったし、なにも感じていなかったのではないかとすら思えた。混乱する頭を整理するのに必死で、だがなにひとつ整理できてなどいない。
「分かったなら、さっさとここを離れて。いいですか?」
聞き分けの悪い耄碌した老人を誘導するようなバーンの口調。しかしブランドンは、半ば意固地になって引き下がろうとはしなかった。そうして次第に、この目の前に立つ、目視で百九十センチを優に超え、体重は百キロを軽くオーバーするであろう巨人に慣れている自分に気が付いた。見た目の巨大さには驚いたが、身体を機械化した分厚い体の客を目の前にすることなど、日常茶飯事だ。粗暴な商売ゆえに身についた習慣と、友の身に何があったのかを知りたいという切迫感にも似た思いが、彼をこの場に立たせる原動力となっていた。
「犯人の目星はついてるんですか?」
「捜査事項を一般人に開示することは許されていません」
「早く、早く犯人を捕まえてください」
喘ぐようにして口にする。バーンの表情がますます曇っていく。
「あのねぇ、ちょっと」
「あいつとは、ピートとは仕事仲間なんですよ。もしかしたら、ウチに来た客の中にいるかもしれません。犯人が。ねぇ、お願いですから調べてくださいよ」
「わかりました。ええ、分かりましたから。さぁ、早くこの場から立ち去ってください」
バーンの受け答えは手慣れていた。当たり障りのない相槌を返しながら、体を開いて右手を産業道路へ向け、帰るように促す。それでもブランドンは、まだ何か言い足りない様子だった。その場で小さく足踏みをして、放っておけばいつまでもそうしているのではないかと心配になるくらい、視線を忙しなくあちこちに動かしている。やがて、思い出したように言った。
「さっき、ホワイト・ギルドの事情聴取を受けました」
「え?」
「ギャロップ・ギルドのミハイロヴィッチから、事件のいきさつを聞いたんです」
突然の告白に、バーンがうろたえた。キンバリーはちらりと視線を上げて、続く言葉を待っているようだった。
「俺だって、事件当事者なんだ」
ブランドンなりの真摯な告白を、キンバリーが鼻で笑い飛ばした。他方で、バーンはポケットから携帯端末を取り出し、どこかへ照会をかけようとしながら再度問いかけた。
「身分証を出してください。警務課に確認を取ってみますが……つまりあなたは、暫定捜査官として任命されていると?」
「なに? なんです?」
聞き馴染みのない言葉に、怪訝な反応を返すブランドン。その様子を見たバーンの携帯端末を操作する指が止まった。たちまち鼻白み、彫の深い強面に哀れみの色が出る。状況が不穏なものになるのを恐れるかのように、慌ててブランドンは付け足した。
「えっと、だから、その。つまり、俺はピートの仕事仲間なんですよ。あいつは母親との関係も上手くいってなかったみたいで。葬儀の手配とか、ほら、そういうのも多分、俺がやらなきゃいけない。解剖にはまだ回していないんでしょ? どうなんですか、その、そこら辺の手続きというか」
喋れば喋るほど、ますます自分の立場を危うくするとは一切考えず、とにかく頭に浮かぶ疑問や心配事の全てを、整理することなく、そのまま吐き出した。
「ふざけてんのか? さっきから何が言いてぇんだ」
そのお喋りな口を縫い合わせてやるといわんばかりの凄みで、様子を見ていたキンバリーがズボンのポケットに両手を突っ込んだ姿勢のまま、嘲りの感情をむき出しにして吐き捨てた。
「おい、キンバリー」
乱暴な物言いをたしなめようと、キンバリーの左肩に手をかけようとするバーン。しかし、キンバリーはそちらを振り返ることもなく、ポケットから抜いた右手をさっと挙げて、背後に立つ巨人を制した。バーンは口を噤み、それから手を引っ込めた。それだけで、部外者のブランドンにも、この二人の立場関係が明瞭に伝わった。
「たとえ地の底を這う目に遭っても、礼節を忘れるな……刑事部長のお言葉なら、じゅうぶん骨身に沁みているぜ、バーン。だがな、こいつは別だ」
と、右手を銃のかたちにしてブランドンへ向ける。
「薄汚い、それも平気で人に噛みつくような野良犬に礼節を向ける必要なんぞねぇ。そうだろ? ブランドン・ブリッジスさんよぉ」
「なんだと? こいつが?」
バーンは驚いた様子で、胡乱な視線を目の前の人物に投げかけた。緊張感にも似た居心地の悪さ――ブランドンの頬がひくついた。次にどんな悪罵が飛んでくるか、想像するに難くなかった。
「警務課の奴らから聞いてるぜ。《殴られ屋》とかなんとか、けったいな商売を始めたらしいな」
キンバリーは右手をポケットに戻して言った。出来ることなら俺が客として出向いてやりたいくらいだ――絶えず可逆変化する瞳の紋様の奥に見え隠れする獰猛な感情を、ブランドンは嗅ぎ取っていた。市警連中に恨まれて当然の身分だと、ブランドンは自分でもそう感じているが、ここまではっきりと憎悪をむき出しにしてくる警官は珍しかった。
「遺族たちに鉄塊じゃなく、札束の塊を突っ込ませようってか? なるほど結構なことだ。お前の良心も無能じゃないらしい。だがな、そんなことをしたところでお前がやったことは消えないんだ。お前が轢き殺した市民は、あの世でお前を恨んでいるだろうし、お前のせいで失墜した市警への信頼は、もうどうやっても取り戻せない。ホワイト・ギルドなんていう意地汚いハイエナどもの手を借りる羽目になったのも、そのきっかけはブランドン、貴様にあるんだ」
「信頼?」
相手の言葉を遮る形で、ブランドンが口を開いた。先ほどのおどおどした感じは、すっかり消えている。焦りや心配とは無縁の鋭い目つきで、目の前の警官を睨みつける。まるで人が変わったようだ。
「本気でそう言っているのか?」
恐ろしいほど低い声で訊いた。キンバリーは忌々しげに口元を歪めるだけで、なにも答えない。バーンも硬い表情のままだ。なにか揉め事が起こったのかと、野次馬や他の刑事たちが遠巻きになって、興味深そうに向かい合う両者を眺めている。そのことに気付いたのは、キンバリーの背後に立つバーンだけだ。
「あったか? そんなものが。市警に。信頼なんて御大層な看板が」
「てめぇは……」
「だったら、それはあんたの勘違いだ。あんたらが首からぶら下げている看板には、上っ面だけの美辞麗句がお行儀良く並んでいるだけだ」
半歩、ずいと体を前に出しながら、ブランドンは忠告するように口にした。
「この都市のどこにも、信頼という名の価値を持つに相応しい存在なんて――」
「とにかくだ!」
キンバリーも負けじと応じる。
「これ以上捜査の邪魔をするってんなら、公務執行妨害で逮捕する」
後ろでバーンが小さくため息をついた。キンバリーにも聞こえていたが、彼の答えはいつも同じだ。だからどうした――無茶苦茶な職権乱用だと罵られようが構わない。令状も取らずに強制逮捕に踏み切るというキンバリーのひと昔前なやり方は、世間からの評判を過度に恐れる現在の市警において、異端も異端だ。そんなことは、キンバリー自身が一番理解している。理解していて、やめられないし、止める気もなかった。特に、目の前の相手に対しては。
「どうする?」
挑発するような物言いで、相手の出方を誘う。両者はしばし睨み合っていたが、そのうち、ブランドンは肩の力を抜くと、そのまま彼らの横を通り過ぎ、産業道路の方面へと戻っていった。成り行きを見守っていた野次馬たちは、一波乱起きなかったことに興ざめしてそぞろに散り、刑事たちは胸をほっと撫で下ろして、それぞれの持ち場へ戻っていく。
「あれがブランドン・ブリッジスか……」
小さくなっていくブランドンの背中を見送りながら、バーンはひとりごちった。それから、キンバリーへ向き直って訊いた。
「よく気づいたな」
「普通気づくだろ。逆になんで気づかねぇんだ」
「事件当時の印象が強かったからな。その頃と比較したら……いまの姿は目も当てられない。髪はぼさぼさ、髭は伸び放題。いくぶんか痩せたようにも見える。あれで気づける方が珍しいだろ」
「別件捜査で《ワイザツ・フォーラム》に没入したときに、たまたま配信を見かけたんだよ。その時の印象を叩き込んでたおかげだな」
「何のために?」
「言わなくてもわかるだろ」
「お取込み中に失礼します。管理監督人」
一通り、現場の鑑識に目途がついたのだろう。えんじ色の制服を着た小太りの男がひとり、現場から小走りに駆け寄ってきた。キンバリーに敬礼の後、捜査用のタブレットを手に報告に入る。
「怨嗟粒子凝析試験の結果が出ました」
「うん、それで?」
「呪力痕検知管を一番から五番まで試しましたが、負荷因子量はどれも基準値を下回っています。不公正感度も弱く、検知不能。ただ、五番に対してのみ基準値の三倍という、極めて高い数値が出ています。これから六番から十番までを試してみますので、その結果次第という感じですな」
「少なくとも呪殺された可能性、アリか」
「現状のところでは」
「全検査の出力パターンを総合して、どの封言呪符が使用されたかを絞り込むしかないな。五番にだけ反応した、というのが気にかかるが」
「違法改造品のケースも考えられます。それと、こんなものが」
鑑識はタブレットを小脇に挟みながら、腰に吊り下げた捜査バッグから、ビニール袋に包まれたそれを手渡した。
「被害者が乗せられていた車の中から発見されました。運転席の下に落ちていたそうです」
「被害者の外傷は?」
「左肩付近に小さな切り傷がありますが、致命傷にはほど遠いかと」
「目立つ外傷がないのなら、さしずめ儀式呪具ってところか、こいつは」
ごくごくシンプルな装いの、調理用ナイフだった。刃渡りはおよそ二十五センチ。柄の部分に出力調節用の目盛りが無かった。家庭用に普及している電熱式ではない。専門職人が使うような、表面に特殊なコーティングがされた形跡もない。
刃には濃く白濁した、粘性のある液体がべっとりと付着していて、硬貨サイズの赤黒い斑点が広がっている。
キンバリーは鑑識の手からからビニール袋を受け取ると、それを高くかざして、押収物の観察を続けた。光の反射が刃にこびりついた汚れの姿かたちを露わにした。白濁液に混じって、細長い銀片が干からびたミミズのように絡みついている。
しげしげと眺めながら、キンバリーが呟いた。
「にわかに信じ難いが、被害者は機械化手術を受けていたのか?」
キンバリーに並び、やや腰を屈めて観察していたバーンが訝しむように口にした。
「目視する限りでは、金属繊維か、耐圧式人工血管の破片にも見えるな。しかし、だとすると被害者は変わり者と断言してもいいだろう」
「フル・サイボーグのお前が言えた話か?ま、たしかに珍しいことに変わりはないが……」
いまの時代に身体改造を大雑把に論じるのであれば、それは神経素子のパーツ化やアミノ酸改良による人工筋肉の搭載/密度向上、筋骨のバイオアップデートに伴う各ホルモンの分泌調整を可能とする各種生体用ナノマシンを用いた、内的環境下における生物工学手術によるものが一般的だ。身体の恒常性管理にオートマティック的なアプローチを施すのは、従来の身体機械化手術と変わらないが、アルゴリズムの選択精度は比較にならない。
そもそもいまの時代、《フューリーオーグ》にはじまる生物工学手術というジャンルに相応しいクリーンなイメージと比較して、ごつごつとした金属繊維を埋め込み、体そのものを武器庫にするような手術につきまとうのは前時代的なイメージだ。なにより「安全」や「健康」や「格安」といった概念からは程遠い方法論に成り下がっている。市警やハンターなど、本人の意志に関わらず武力闘争下に身を置くのが常態化し、身体の定期的な特殊検診が約束されている立場にいる者を除けば、いまどき身体を機械化、それも対象者が未成年となれば、疑いの目を向けて当然である。
「ここで考えても埒が明かねぇな。遺体は司法解剖に回せ」
「承知しました」
入れ替わるように、別の刑事が「管理監督人!」と、急ぎ足で報告にやってきた。
「第四ロジティスク・センター一帯の倉庫管理者と連絡が取れました。イザベラ・マクシマム。女性。年齢は三十八歳。レーヴァトール社のグループ会社のひとつである、レーヴァトール・ロジティスク社で購買システム部のマネージャーに就いている人物です」
「ガラスの天井を突破したキャリアウーマンか。アリバイは?」
「取れています。昨晩は月初会議のために上層地域のメビウス・レジデンスで開催されたグループ会合にヴァーチャルではなく生身で出席。その後、慰労会にも出席したため、最下層に戻ったのは今日の午前六時過ぎとのことでした。被害者との接点ですが、いまのところ不明です」
「専属契約を結んだ呪学療法士を抱えているかもしれん。徹底的に洗い出せ。天下の大企業の領土で十五歳の貧民層の少年が遺体で見つかったんだ。しかも殺しでな。なんらかの政治絡みの可能性もある。防犯カメラの映像は?」
「全部で五か所に設置されていますが、そちらの録画管理と提出義務は、湾港工業協会協会長のダグラス・ビルドアッパー氏に帰属しています。現在、捜査員が当該人物に連絡を取っているところです」
「分かった。許可が取れたら連絡をくれ。それと、現場保全の手続きは俺たちがやっておく。先に呪科捜研に出向いて、調査の続きを」
「承知しました」
機敏に敬礼をしてから去っていく鑑識。姿が見えなくなったところで、キンバリーは深くため息をつき、それから相棒の巨漢へ水を向けた。
「どう思うよ」
「防御創があるかないで、身内か通り魔か区別はつきそうだ。が、わざわざこんなところで殺しをやったというのが解せないな」
「呪学療法士のクソ共が暗殺者めいてあっちこっちに攻撃を仕掛ける事例なんざ、ここ最近珍しくもない。ただの小競り合いに巻き込まれたってかたちなら、分かりやすいんだが」
総合殺人課に事件第一報が寄こされたのも、そこら辺が関係しているのだろうとキンバリーは睨んでいた。
ディエゴ・ホセ・フランシスコの死後、彼が遺した数々の《遺産》を巡って都市公安委員会と企業連合体の一部が対立関係に陥り、互いに腕利きの呪学療法士を雇っての呪殺合戦が横行しているというのは、電脳世界の各フォーラムでも、つと話題になっている。上層に住まう企業経営者や委員たちを下手に刺激しないためにも、「呪殺一本」で捜査を絞るのではなく「通常殺人」の線も含めて捜査しようという、市警上層部なりの配慮の表れだとキンバリーは考えた。
「どうする。ギャロップ・ギルドにいまの情報、伝えておくか?」
バーンの提案に、キンバリーはむかっ腹を隠そうともせずに答えた。
「なんだそれ。俺に対する当てつけか?」
他意はないとばかりに、バーンが岩のような両肩をわざとらしくすくめて言った。
「さぁな。ただ、お前の役目を伝えただけだぞ、キンバリー事件担当官殿」
「うるせぇ。いま連絡しようと思ったところだよ。義務だからな。ああそうだ。義務だから連絡するんだ」
舌打ちをしながら、キンバリーは携帯端末をジャケットのポケットから取り出した。
「お前がホワイト・ギルドを毛嫌いするのは分かる」
電話番号を押す親指が止まった。画面から目を外し、キンバリーはバーンを見上げた。
「俺だって、正直なところいい気はしないさ。仕事をぶん取られて我が物顔をされるってのは。やりたい仕事に就いたはずなのに、なんでこんな遠いところに来てしまったんだと思うこともある」
「……そうか」
「だがキンバリー。ギャロップ・ギルドは別だろ? 特にあの女。研磨呪学士。あれは大したタマだ。お前だって、本当はご執心なんだろうが」
「あくまでも戦力として、な。あれくらいのクラスの呪学療法士がウチにもいたら、ずっと楽だ。が、あそこのトップは気に入らねえ」
「ミハイロヴィッチか」
「あの昼行燈……けっ! 根回し野郎って二つ名の方が、よっぽどしっくりくるぜ」
苦味走った表情を浮かべながら、キンバリーが吐き捨てるように言った。
「こちらの許可なく、勝手に事情聴取をした件のことを言ってるのか?」
ブランドンの去っていった方角を見やって、バーンが続けた。
「たしかに気分の良いもんじゃないが、あの様子じゃ具体的なことは何も知らされてないって感じだ。『事情聴取のつもりはなく、ただ話をしただけだ』の一点張りを貫かれたら、協定違反だと詰るのは難しいぞ」
「わーってるよ。だから腹立たしいんだ。立ち回りが小賢しいというか……」
苛立ちを隠すことなく、キンバリーは足元の小石を明後日の方向へ蹴り飛ばした。
「あの中年オヤジときたら。ギルドの利益になる情報は公開しないで、のらりくらりと躱しやがる。それでいて事件を解決に導く手腕だけは高いから、なおのこと気に入らねぇ」
「同感だな」
「事情聴取と言っていたが、どこまで聞き出したんだか……しかし、ブランドンの野郎が被害者と仕事仲間だったというのは初耳だ」
「仕事で恨みを買ったりでもしたのかね」
「そのセンも考えられるな。《殴られ屋》を始めとしたストリート界隈のビジネスも洗い出した方がよさそうだ」
「すぐに動けるやつらを集めて、チームを編成しよう」
「ああ。本部に連絡してくれ」
「わかった」
そう言って、バーンはその場を離れようとしたが、ややあってキンバリーを振り返り、「なぁ」と声をかけた。
「もしもの話なんだが、ミハイロヴィッチは《殴られ屋》を暫定捜査官に任命するかな?」
「バカを言え」
バーンの質問を一笑に付して、キンバリーは大声を張った。
「あの野良犬はアゲられてんだぞ? 起訴されてんだ。前科はつかなかったが、被疑者逮捕記録にはしっかり名前が残ってんだ。そんな奴を暫定捜査官として引き込んだ日にゃ、どんな悪評が立つか。想像もつかねえよ」
「無罪判決が出たのなら、準一級協力者ってかたちで採用はとれるぞ」
「枠は内勤だけだ。現場に出張って逮捕権までは行使できねぇ。人手不足とはいえ、あの中年オヤジもそこまでトチ狂ってはいねえだろうよ」
キンバリーは、不味い飯を口にしたような顔で続けた。
「あんな野良犬、さっさとくたばっちまえばいいのさ」




