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プロメテウスに炎を捧げよ  作者: 浦切三語
3rd Story ザ・ポリフォニック・バベル
112/130

3-4 ホワイト・ギルドの二人

 その喫茶店の、二人掛けの皮張りのソファーに座ったとき、ブランドンは、自分がどうやってここに来たのか、その具体的な経過をすぐには思い返せず、軽く困惑しかけた。ただ、突然の来訪者がもたらしたニュースに、心底打ちのめされたまま、寝巻から白シャツにジーンズという簡素な格好に着替え、民間捜査組織(ホワイト・ギルド)のエージェントを自称する二人と共にタクシーに乗り込み、C区にやってきたということだけは、たしかだった。それでも、足元は地につかず、頭もふらふらした。ろくに朝食も摂らず出てきたため、脳に栄養が届いていないから、というのが理由の全てではないように、ブランドンには思えた。


 自分がいま置かれている状況が、現実だとはどうしても認めたくなかった。店内のスクリーンが流すニュース映像に目を向ける出社前の企業戦士サラリマンや、スクールの一限目を憂鬱に思う学生らの他愛ない会話。キッチンから鳴り響く、皿やスプーンやフォークの擦れ合う音。生活が奏でる雑音が、遠い異国の言語のように聞こえてくる。


 これは、果たして現実なのか。いや、これこそ悪夢だ。どうか、そうであってくれ――と、この期に及んでも、ブランドンは諦めの悪さを捨てずにいられなかった。もし、この状況が現実そのものなのだと認めてしまえば、それは「友人の死」という、およそ信じがたい状況すらも認めてしまうことになると、頭の片隅で感覚していたからだ。


「なにか、食べられます?」


 ぼんやりとした生活音を切り裂くように、テーブルの向かいに腰かけた中年男が、軽く身を乗り出して聞いてきた。口調に多少の柔らかさがあった。目の前には、入店とほぼ同時にウェイターが運んできた濾過水の入ったガラスコップが置かれている。ブランドンは、それをぼんやりと眺めた。


「事情聴取、なんて言っちゃいましたが、そう緊張せんでください。少しお話を伺えれば、それで十分ですから。ささ、遠慮なく」


 こちらの心象を推し量り、あまり深刻な雰囲気を出さないように務めているのだろうということは、ありありと感じられた。だが、その優しさを素直に受け取れるだけの余裕は、いまのブランドンにはなかった。


 心は断崖のように、固く、際立っていた。俯いた姿勢のまま、黙って力なく首を左右に振るので精一杯だった。


「あ、そうですか……じゃあ」


 中年男は苦笑交じりに、半袖シャツから伸びる腕をいそいそと伸ばした。テーブルに投影されたタッチ式のメニュー・パネル。その右下隅に表示されている「注文完了」を、指毛の生えた骨張った手でタップしようとしたところで、細くしなやかな女らしい指先が、するりと割って入ってきた。


「えーっと! オリジナル・メガ・ブレックファーストは……あ、これか。あと、飲み物はベリーベリー・チョコ・シロップの……Lサイズにシュガーマシマシ……っと!」


 まるで当然の権利だとでも言うように、中年男の隣に座るその女性は、すらりとした体型からは想像できないほどの高カロリーな朝食セットを注文。


 メニュー・パネル一面に、陽気な字体フォントで「ご注文ありがとうございました」と表示されるのを、ブランドンはただ黙って見つめていた。


 中年男の顔が緊張に引き攣り、右ひじで女性の脇腹あたりを小突いた。


【ちょっと、なに勝手に頼んでんの】


【別に、過剰に気を使う必要もなくないですか?】


 両者の声は、現実に表出していない。それぞれの電脳に設定された、ギルド専用の秘匿通信インナーフォンチャンネルを介した会話だった。


【状況ってもんがあるでしょ状況ってのが。何年経ったら分かるのかなぁ、もぉ】


【まぁまぁ。固いこと言わないでくださいよ】……「ねぇ、ブランドンさん」


 女性は秘匿通信インナーフォンを切ると、あっけらかんとした態度を崩さぬまま、何の変哲もないテーブルのうえに両膝をつき、じっと項垂れるブランドンへ、生身の声で水を向けた。その茜色の瞳は山々の稜線に沈む夕陽を思わせ、どこか神秘的でもあった。


「ブランドンさんも、どうか遠慮しないでくださいね。お腹が減ったら食べる。どんなに気持ちが沈んでいる時でも、食べなきゃどうしようもないわ。あ、そうだ。ここの支払いは私たちが持ちますから。どうぞ気にせず、好きなものを……はは……」


 女性の声が、次第に小さくなっていった。というのも、どれだけ明るい調子で声をかけようが、ブランドンがずっと眉ひとつ動かさず、目も合わせず、微動だにせずにいるせいだ。まるで、出来心でやった万引きがバレた純朴な少年のように、すっかり殻に閉じこもっているようだった。


 これには、女性もさすがに口を噤んだ。中年男が秘匿通信インナーフォンで釘を差す。


【言わんこっちゃない。心象を悪くしたじゃないか】


【だって、イメージしていた人とだいぶ違うから……こういうノリの方が良いかと思って】


【メディアや伝聞に惑わされて先入観を持つなって、あれほど言っているじゃないの】……「あー、えっと、ブランドン・ブリッジズさん」


 気を取り直して、中年男が生身の声で呼びかけた。当然、返事はなかった。構わず男は話を続けた。


「じゃあ、ご挨拶が遅れましたが、軽く自己紹介の方をさせていただきます。私が民間捜査組織(ホワイト・ギルド)のひとつであるギャロップ・ギルドで査頭コーチを務めています、アレクサンドル・ミハイロヴィッチです。こっちにいるのが、ウチのエージェントの一人で、アイリス・ツインブラッド。派手な名前に聞こえるかもしれませんが、まぁ偽名ハンドルネームみたいなものです。ホワイト・ギルドなんて名乗ってますけど、昔ながらのハンター稼業の伝統がわずかばかり残ってるんですな、これが。とは言いましても業務上で使用する名前ですから、しっかり役所の認可を得てはいますので、違法性はございません。ご安心ください」


 ブランドンに反応はなかった。しばらく間を置いてから、ミハイロヴィッチは両手をテーブルの上で組んで、話を続けた。傍らで、アイリスが合皮製のショルダーバッグからいくつかの資料を取り出し、それらを丁寧にひとつずつ、ブランドンの前に並べた。


「では事情聴取の前に、軽く当局の内容について紹介させていただきます。出来るだけ短く済ませますので、どうか聞いていただけると幸いです。いやまぁ、お気持ちは分かりますよ。聞くの面倒くさいなという感じですよね? しかしですね? 市警と結んだ規定上、どうしても事前に説明せにゃならんのですよ」


 ブランドンの視線が、その時わずかにテーブル上の書類へ向けられた。


「過去にネットニュースでも話題になっていたので既にご存じかとは思いますが、民間捜査組織(ホワイト・ギルド)というのは都市法に則って活動する、プロメテウス市警の関連団体です。関連団体とは言っても、尻尾を振る相手は市警のお偉い共ではなく、ギルドを束ねる協会であるんですが。なんでまぁ、関連団体というより協力団体と言った方が適切ですな。システムとしましては、市警側の事件担当官が提出する捜査協力申請書を協会が受理して、それをその時々の状況に応じて、各々のホワイト・ギルドに通達するというものです。そういうわけで、今回の案件の捜査を我々が担当することになりました。あー、ちなみにですね、ホワイト・ギルドについてなんですが、一部では、定年を迎えた市警上層部や都市公安委員の天下り先に使われている、なんて批判もありますが、呪術に電脳にと、急増する最下層の凶悪犯罪に対し、これまで以上に可及的速やかな対応と解決を実行する……という理念の下に設立されたというのが背景にあります」


 と、話の途中で、不意にミハイロヴィッチが失笑を漏らした。


「ま、『可及的速やかに』なんて大層なことを役人連中は口にしてますけど? あんなものはただの建て前ですよ。ぶっちゃけた話、市警も機動警察隊クリミナルも、人手不足なんですなぁ、はは」


 この場に市警の関係者が列席していれば、まず間違いなく目くじらを立てるであろう台詞をあっけらかんと言い放ち、ミハイロヴィッチは話を続けた。


「ただ、彼らの名誉のために補足しておきますと、ホワイト・ギルドの母体となっているのは従来のハンターズ・ギルドではありますが、ならず者たちの手を見境なく借りるほど、市警も落ちぶれちゃいませんでしてね。厳格な審査基準と構成員の徹底した履歴の洗い出しを行い、市警が定める活動実績評価を毎年クリアできているギルドでなければ、活動認可証と捜査バッジを手にすることはできません。漂白された傭兵(ホワイト・ギルド)とはよく言ったものですな。当局はその中でも、少数精鋭のチームを組んで活動して――」


「ピートは」


 唐突に顔を上げたブランドンが、流れを完全に無視して、その一言を口にした。淀みないミハイロヴィッチの説明は、容易く断ち切られた。


 ブランドンの、樫の木を思わせる茶色ブラウンの瞳が、次に出すべき言葉の在処を求めて、彷徨うように揺れ動く。だが、どれだけ探そうとしても、答えはそこにはなかった。答えは与えられるものではなく、自分から探し求めなければならないという当たり前のことを、ブランドンはこの時ほど痛感したことはなかった。


 息苦しそうに口を動かし、目を伏せ、再び顔を上げ、かと思いきや下唇を噛んで伏せ、それから、十分に呼吸を落ち着かせて、


「ピートは、本当に。その、本当に」


 限界だった。どうしても言葉にならなかった。気持ちを抑えきれず、目に熱いものが込み上げる。咄嗟に俯いて鼻を啜る。三十半ばの大の大人が、朝っぱらから啜り泣いている。


 一日の始まりを告げる風景の中で、彼らの座るテーブルだけが、深海の底のようだった。周りの客たちが刺すように向ける好奇な視線を無視して、ミハイロヴィッチは慎重に語りかけた。


「心中、お察しいたします。この台詞も、いまのあなたにとっては形式上の言葉にしか聞こえないでしょうが、言葉が持つ意味を、あなたなら感じ取ってくださると、我々は考えています」


「あいつは、どうして。あいつがなんで……」


「現場検証は慎重に行っているところです。ただ、自殺か他殺かの区別がつかない限りはなんとも。検死につきましても、行政解剖か司法解剖になるかは、事件担当官の裁量次第なところがありますからな」


 ブランドンは押し黙った。その間に、アイリスの頼んだ朝食セットが家畜犬模造型(ドッグ・スタイル)のアニマル・オペレーターの平たい背中に乗って運ばれてきたが、頼んだ当の本人は、それに手をつけるより先に、ブランドンの氷のような心の構えが自然と氷解していく様を期待するかのように、じっと言葉を待ち続けている。


「……俺に、何を聞きたいんですか?」


 アイリスの表情に安堵の色が見て取れた。ミハイロヴィッチは部下ほど露骨な態度は見せなかったが、それでも体からわずかに緊張が抜けるのを、シャツ越しに上下する肩の動きで、瞬時にブランドンは察知した。相手の身体を観察し、その心理状況を推し量る。《殴られ屋》の仕事をしているうちに自然と身についた、彼の特技とも言うべきものだった。


「いくつか確認事項を取れるだけでいいんです。というのも、ピートさんの目撃情報がありましてね。昨日の深夜から今朝の一時にかけて、あなたとピートさんが歓楽街C区にあるハンバーガーチェーン店の《ヴァハール》にいたと、店の従業員が証言しています。防犯カメラも確認しましたが、たしかにお二人が映っていた。これに間違いありませんか?」


「ええ。あの店は、よく行ってました。常連ですね」


「死亡推定時刻ですが、事件担当官の見立てでは、今日の午前二時から四時頃なんですよ。仮に死因が自殺だった場合、彼が生前最期にお会いしたのが、ブランドンさん、あなたという可能性が非常に高い。なにか、気づきませんでしたか? 普段の彼と様子が違うとか、なにか、思い悩んでいる風であったとか。どんな些細なことでも結構なんですが」


「あいつが自殺だなんて、あり得ませんよ」


 ミハイロヴィッチが言い終わるやいなや、ブランドンが食って掛かるように言った。先ほどの沈みきった態度とはうって代わり、口調に若干の自信が込められているのを、ミハイロヴィッチもアイリスも見逃さなかった。


「なぜ、そう言い切れるんです?」


「あいつ、言ってたんです。一か月後に、この都市を出ていくって」


「プロメテウスを? なぜ?」


「具体的な理由は聞いてません」


「聞いてない?」


「はい。ただ、俺が思うに、あいつの母親が関係しているんじゃないですかね」


「ピートさんの、お母様ですか」


「あいつ、母親が病気かなにかで、ずっと苦労していたんです。もうかれこれ十年くらい。あいつが五歳の時に、精神病に罹って。暴れて手に負えないから、施設に預けていたらしいんですが、やっぱり、あんまり環境が良くなかったんでしょう。それで、もっと良い治療環境を求めて、この都市を出ていくなんて言ったのかもしれません」


 怪訝な表情を浮かべてお互いの表情を伺う目の前の二人を眺めても、ブランドンは不快感を覚えなかった。むしろ当然の反応だと思う。いまさらな感じはするが、自分でも、ピートとの関係は奇妙だと自覚していたからだ。だが、その奇妙な関係性が、ブランドンにとっては心地良かったというも事実だ。


「ああ、いや……うーん」


 ミハイロヴィッチは眉間に皴を寄せると、広めの額をコツコツと右手親指の腹で叩きながら、何事かを考え始めた。沈黙の思考を開始した上司に代わり、今度はアイリスが、先ほどより落ち着いた声音で尋ねた。


「あの、『らしい』とか『かもしれない』とか、曖昧な表現が多いのが気になるんですが、はっきりと理由はお聞きにならなかったんですか?」


「プライベートを詮索し合うのは、お互いに避けていましたから」


「でも、ご友人だったんですよね?」


「友人……俺とあいつ、そう見えますか?」


「違うんですか?《ヴァハール》の店員が言うには、年齢差は気になるけど、いつもフランクに会話していたから、てっきり兄弟か年の離れた友人同士に見えたらしいんですが」


「友人というより、仲間と表現した方が正しいと思います」


「仲間?」


「それ、言葉を選ばずに言うなら、同じ穴の貉ってやつですか?」


 ミハイロヴィッチがテーブルの上で腕を組みながら、下から顔を覗き込むようにして、鋭く言い放った。隣にいるアイリスが、ぎょっとした顔で上司の顔色を伺う。


「どういう意味です?」


 こめかみに青筋が立つような雰囲気を纏わせて、ブランドンは低い声で問い返した。だが、ミハイロヴィッチは構わず続けた。何を考えているのか、よくわからない表情で。


「あなたの経歴、事前に少し調べさせていただきましたよ。ブランドン・ブリッジスさん。私はあんまり詳しくないですが、あなた、結構な有名人らしいじゃないですか。しかしながら、いや、これは」


 言いながら、ミハイロヴィッチがズボンのポケットから紙を一枚取り出した。


「なかなか興味深い経歴ですよ」


 紙はやや湿気ってはいるが、そんなことにはお構いなく、ミハイロヴィッチは四つに折り畳まれたそれを広げていく。電脳所有者でありながら、時にアナクロな手段も用いる、いまどき珍しいタイプ。『変わった性格の男』という印象が、ブランドンの中でますます強まっていった。


「えー……十八歳で都市警察学校を卒業後に第三警邏部門(セクション・スリー)に幹部候補生として配属。中層の組織犯罪対策部で三年間活動の後、二十一歳という若さで機動警察隊クリミナルの第一〇四治安維持中隊の第二小隊長に任命され、主に中層の治安維持活動に務めていた、というわけですな。私が口にするまでもないですが、誰がどう見たってエリートコースだ」


 しかしながら、とミハイロヴィッチは続ける。


「二十八歳の時に、中層で発生した市民大量死事件の責任を取るかたちで、警察官を辞職。その直後、中層の市警宿舎から最下層B区へ移り住んだ。最下層ここでの暮らしは今年で七年目。現在三十五歳。離婚歴あり」


 栄光と転落の軌跡。他者の言葉を借りて出たせいか、経歴の明暗、その境界がはっきり意識されてしまい、ブランドンは自分でも辟易した。だが、ワイザツ・フォーラムのネタに使われたり、電脳空間を彷徨う放浪者クローラーたちの餌にされたときと違い、痛みは生じなかった。自尊心は砕かれ、人生を肯定する術は、とっくに喪われていたにも関わらず。


 昔は、それこそ毎晩寝付けないほどの苦しみを味わい、有象無象の誹謗中傷に心を苛まれたものだが、いまはどうってことはなかった。この先も、別れた家族のフォトフレームを胸に抱き、死んだ部下たちの悪夢を見続ける生活を続けるだけだ。


「人の過去にあれこれツッコむなんて、ゲスな真似はしないよう心掛けているつもりですが」


 ミハイロヴィッチは姿勢を正すと、紙を折り畳んで胸ポケットにしまい、咳払いをひとつ。それから、テーブルの上で両手を組み、淀みない流れで言い放った。


「この分かりやすいほどの経歴、メディアが飛びつくわけですよ。世の中には、苦難と挫折を地道な努力の末に乗り越えて輝かしい功績を遺した偉人の話よりも、無能が幸運に恵まれて美男美女に崇拝されるストーリーか、エリートが転落して『負け組』の仲間入りになるストーリーを好む人もいますからな。私の体感ですが、最下層の住人にはとくにその傾向がある。彼らは『負け犬の物語』を求めているフシがある」


「俺が、負け犬だと?」


「私は別にそうは思っちゃいませんが、しかし世間一般では、そのように見られてしまっているんじゃないですか?」


「……俺はまだしも、ピートは違う」


「では、なぜ先ほど『仲間』だと口にしたんです? 本当はあなた、彼の中に――」


査頭コーチ


 続く言葉は、部下の怜悧な一言で断ち切られた。ミハイロヴィッチはおろか、話の途中で反論しようと口を開きかけていたブランドンも、気を削がれて口を噤んだ。

 ややあって、ミハイロヴィッチが仕切り直すように口を開いた。


「念のためお聞きしますが、組織犯罪対策部では主にどんな事件を担当されてたんです?」


現実リアルがメインでしたが、電脳犯罪もいくつか担当しました。電子覚醒剤デンリューの元締めを叩いたり、オブジェクト偽造を取り締まったり、あとはフォーラム同士の小競り合いを仲裁したり。よくある仕事です」


「呪術犯罪については?」


 一瞬、ブランドンの頬が緊張で引き攣るが、それもすぐに落ち着きを取り戻した。


「ニュースなんか見ていると、いまは組対も呪術犯罪の捜査に駆り出されるみたいですね。たしかに、俺がいた頃もその傾向はありました。ただ、俺はあんまり、そっちには手を出さなかったな。出さないように上から言われていたというか」


「もしかして、呪捜部ですか?」


「なんだ、知ってるんじゃないですか」


「我々も、何度か彼らには煮え湯を飲まされてきた経験がありますから」


「いまに始まった話じゃないですよ。あそこの連中は昔からプライドが高くて強情なんです。人より多少の呪学を齧ってるってだけで、こっちを素人扱いしてきて。ちょっとでも犯罪に呪術が絡むと、うるさく首を突っ込んできてましたよ。気難しい奴らばっかりだったな。特に怨霊分析官(スカル・アナライザー)神秘検証技師(サイコ・ロジスト)の連中に対しては、あまり良い思い出はありません」


「なるほど。ところで――」


 一区切り置いてから、ミハイロヴィッチはブランドンの顔を覗き込むようにして言った。


「さっきから気になってたんですが、どうしたんですか、その顔の傷」


「ああ、これですか」


 ブランドンは、顔に貼り付いた切れ毛を取るような自然さで、頬のあたりに貼れた大きな絆創膏に手を当てがった。無論のこと、傷はそこだけではない。切り傷と擦り傷全て含めて、実に七か所。一見したところ、すぐそこの路地裏で喧嘩のひとつやふたつをこなしてきたと言っても、話が通じるくらいには傷だらけだった。


「仕事ですよ。《殴られ屋》の」


「《殴られ屋》……失礼ですが、どういうお仕事です?」


「決まってますよ。読んで字のごとく、人から殴られる仕事です。興行の一種ですね」


 平然とした口ぶり。ミハイロヴィッチは虚を突かれたように固まり、それから反応に困ったかのように、苦笑いを浮かべた。


「簡単に言いますなぁ。殴られるって、それって要はサンドバッグ扱いってことじゃないですか」


「別に、殴られ続けるのが仕事ではないですから」


「んん? どういう意味です?」


「仕事の目的は、お客さんのストレスを発散させることにあります。でも、一方的に相手を殴り続けるような状況だと簡単すぎるし、それに、いくら興行でやっているとは言っても、罪悪感を覚えるお客さんもそれなりにいます。だから、最初のうちは相手の攻撃を避けるんです」


「ほぉ」


「拳を避けまくる。そうすると、躊躇いや罪悪感は薄まり、相手はフラストレーションをどんどん溜めていく。それが限界に差し掛かった頃合いを狙って、こっちはわざと相手の打撃を食らいにいく。するとカタルシスが起こって、お客さんの中に『達成感』が生まれる」


 ブランドンは、昨晩の試合でつけられた瞼の上の切り傷を軽くなぞりながら言った。


「上手く当ててやったぞ、という満足感を、お客さんの心に芽生えさせてやるんです」


「実のところは、あなたが上手いところコントロールしているのに」


「そうです。だから、決してわざとらしくならないように、こっちから当たりにいかなきゃいけない」


「なかなか、勇気のいる仕事ですね」


「……それは、違う」


「え?」


「いえ……避けるのはそんなに難しくないんですよ」


「はぁ」


「慎重になるのは、当たりにいくときです。パフォーマンスの一種なので、わざと当たりにいってるのがバレてしまうと、お客さんは白けてしまいますから。そこは上手くやらなきゃいけない」


「なるほど。ちなみに、一晩どれくらいの人から殴られるんです?」


「多い時で十五、少ない時だと五か六。昨日は十二試合でした」


「時間帯と頻度は」


「夜間だけです。人が多いし、それに酔って気が大きくなっている人もいますから。ほとんど毎日やってます」


「場所は?」


「歓楽街」


「パフォーマンスということは、配信もしている?」


「まぁ、一応。配信のプラットフォームは《ワイザツ・フォーラム》がメイン。実入りはそこそこといったところです」


「ふむ。さきほど興行の一種と言ってましたが、興行許可証は所持されているんですよね?」


「……それ、ピートに預けたままだ」


「再発行申請をお勧めしますよ。まず返ってこないと思った方が……って、元警官に向かって言う台詞ではありませんね」


「……」


「どうかされました?」


「え? あ、ああ。いえ、なんでも……あ、あの」


「はい」


「事情聴取は以上で?」


「あぁ、ん、まぁそうですね。すいません、お時間を取らせてしまって」


「いえ……まだ、やってますかね?」


「……現場検証ですか?」


「はい。第四ロジスティクス・センターですよね」


 縋るような目つきでそう尋ねてくるブランドンには目を向けず、ミハイロヴィッチは――いまどきファッション性以外の目的でそれを装身する者は珍しいが――左手首に巻いた古めかしいデザインのアナログ式腕時計をちらりと見やり「あー、そうですね」と呟いた。それから、窓の外を指さして言った。


「おそらくは。そこの停留所から湾港工業地帯(ベイ・ファクトリー)行きのシャトルバスがそろそろ出る頃です。まだ間に合いますよ」


「……わかりました。あの、ありがとうございます」


 ブランドンは挨拶もそここに、溜め込んでいたものを吐き出すような勢いで席を立った。ちょうど入れ替わるように入ってきた客を押しのけるかたちで店を出たところで、タイミングよくバスが到着。ぎりぎりのところで、労働者たちがぎゅう詰めの車内に身を滑らした。バスはブランドンを格納すると迅速に扉を閉め、早朝のプロメテウスの只中へと潜っていく。


「なんでわざわざ教えたんです?」


 アイリスはバスの去った方向へ窓ガラス越しに視線を向けながら尋ねた。


「別に、教えない理由なんて無かったからね。守秘義務違反には当たらんだろ。それに、ぼくが見たところ、彼はシロだからな。泳がせておいてもいいと思うけど」


 言いながら、ミハイロヴィッチは腕時計の竜頭をタイミング良く人差し指で、かち、かち、と二回押し込んだ。


 腕時計に刻まれた流麗な『一』から『十二』の数字たちが、水面に起こる波紋に揺れる葉の如く波打ち、やがて生き物であるかのように動き始めた。黒い数字たちはポロポロとかたちを崩し、線虫のように文字盤の上をもぞもぞと這い回り、新たなかたちと成った。


「ほら、コイツもそう言ってる」


 NO LIAR――文字盤に貼り付いた結果をアイリスに見せる。市警公認の呪具屋から購入した封言呪符ウエハースの一種、俗に虚実時計(F・M・P)と呼称されるそれは、先ほどまで眼前にいた者の声を録音。その内部に仕掛けられた呪的解析装置によって、発言の正確性を主に知らせていた。


「向こうが呪的隠蔽(スペル・シールド)封言呪符ウエハースを隠し持っていなければ、信頼できる結果ですね」


「あいかわらず疑い深い性格してるねぇ」


「冗談です。私が見ても、彼はシロですね」


「だなぁ」」


 ミハイロヴィッチは、腕時計の竜頭を三回きっかり回しながら相槌を打った。本来の役目を終えた文字はたちまち形と呪的意味を失い、再び数字へと還っていく。


 アイリスは、熱を失いかけているブラックコーヒーに少し口をつけてから、所感を述べた。


「しかし、被害者との関係性は気になりますね」


「と、言うと?」


「仲間という呼び方が、どうにも気になります。彼は否定していましたが、要は友人関係ってことですよね?」


「んー……どうだろ。まぁ、友人関係っちゃ関係なのかな」


「だとしたら、ちょっと無関心過ぎると思いません? 被害者の暮らしぶりについて、ほとんど知見がないというのは、どうにも腑に落ちません」


「異様に見えるか? ぼくは少しだけ、彼の気持ち、わからんでもないけどね」


 頭の後ろで両手を組みながら、ミハイロヴィッチは懐かしむように言った。


「親しき仲にも礼儀あり」


「なんです?」


「かつて、大陸の東にあった国に言い伝えられていた言葉だ。親しい仲だからと言って、礼儀を働くことを忘れてはいけない。友人関係は互いの心の中に土足で入り込むための免罪符じゃないからね。隠し事のひとつやふたつ、知らないことのひとつやふたつ、あってもおかしくはない」


「そういうものでしょうか。価値観や考え方の異なる人間同士が、ひとつの場所や出来事を共有するのに、お互いの境遇を建前に遠慮しているなんて、友人関係としては不健全ですよ」


 きっぱりとアイリスは言った。ミハイロヴィッチはため息を吐いた。


「ま、そこは考え方の違いってことで」


 そこで、ふたりは押し黙った。周囲のテーブルが空いたかと思いきや、またすぐに客足で埋まっていく。都市の朝はいつも通り忙しなかった。企業戦士サラリマンや学生たちの姿は徐々に消えていった。客層は入れ替わり、夜勤明けのフューリーオーグで席はいっぱいだ。その疲れ知らずの肉体に朝食を適当に流し込みながら、各々が携帯端末の小さな画面に視線を落として、娯楽に興じている。生きているのか死んでいるのか、一瞬わからなくなるくらい微動だにせず、文字通り釘付けとなっている。


「ねぇ」


 おもむろにミハイロヴィッチが口を開いた。


「いま、何考えてるか、当ててあげようか?」


「……」


「彼を、暫定捜査官として迎え入れたい……どう? 図星でしょ?」


査頭コーチはどう思います?」


「決まってるじゃない、そんなの。ナシだよ、ナシ。オオナシだね」


 話にならないといった風に鼻を鳴らすと、ミハイロヴィッチは部下が頼んだハイカロリー料理てんこもりの大皿から、フィッシュフライをさっとつまんだ。みっともないほどの大口を開けて、ひといきに咀嚼。隣の卓に座る労働者がそれを目撃し、あまりにも品の無い食べ方に眉をひそめたが、当人はお構いなしといった具合だ。


「あの」


「なに?」


「それ、ちょっと焦げ付いてましたよ」


「いいんだって、焦げくらい。人生と一緒だ。ちょっと焦げがあるくらいが丁度いいの」


「じゃ、彼を暫定捜査官として任命してもいいですよね」


「彼は焦げ付き過ぎだ。話にならないでしょ。それに彼を雇うとなったら市警との協定に引っ掛かる。それくらいわかるでしょ?」


「そこは査頭コーチの腕で、どうにか」


 まったく悪びれない調子で、アイリスはあっけらかんと口にした。冗談で言ったというより、完全にあてにしているといった素振りだった。いつものことだが、たまらずミハイロヴィッチはむせた。慌てて水を飲んで、口内の食べカスを流し込む。


「できますよね?」


 プレッシャーをかけてくるようなアイリスの口調。わざとなのか本気なのか。女の複雑な心の内を、ミハイロヴィッチは推し量る術を持たない。彼に出来ることといえば、遠慮なく無茶を強いてくるワガママな部下を、うんざりした表情で嗜めることぐらいのものだ。


「あのさぁ。君は本当に、ぼくをなんだと思ってるわけ?」


「私たちの頼れる上司、って認識ですけど」


「おためごかしも、わかりやす過ぎると嫌味にしか聞こえないんだよな」


「あぁ、ひとつ付け足し忘れてました。普段は昼行燈で、食事作法が汚くて、あと足が臭い。趣味は《ソープ・フォーラム》のポイント集め」


「……それでバランス取ったつもり? 言っとくけど、流石のぼくでも無理だね。だいたい、事件担当官にどう説明すればいいのさ」


「というか、ご存じなんじゃないですか」


「なにを」


「彼のことです。さっきは、まるで知らないみたいな態度を取ってましたけど」


「そりゃあ、名前ぐらいはね。誰でも知ってるでしょ。彼が過去にやらかしたことも。でもまさか、《殴られ屋》なんてけったいな商売をしてるとは、コイツは予想外だったな」


「私は別の意味で、予想外でしたね」


「というと?」


「イメージとあまりにも違い過ぎました。もっとこう、粗野で乱暴者な印象を持ってたのに……身なりはひどかったけど、繊細で真面目そうだったなぁ、彼」


 面影を思い出すような口ぶりだった。からかうような口調でミハイロヴィッチが突っ込む。


「まさか、彼のファンなわけ?」


「違いますよ。純粋に戦力補強の観点から言っているんです。『少数精鋭』なんて、それらしい看板を下げていながら、実際のところは人手不足。仕事上仕方ないとはいえ、休日なんてほとんどない。なんなんです?」


「だからさ、何度も言ってるじゃないのアイリスちゃん。単に人を増やせばいいって問題じゃないの」


「でも、彼の経歴は役立つと思いませんか? 組織犯罪対策部で電脳犯罪を多数処理。機動警察隊クリミナルの元小隊長。見たところ、サイボーグ化にはそこまで手が込んでなさそうでしたが、フィジカル面は一定の水準をクリアしていると思います」


「まさか、ウォルトと組ませるつもり? やめとけやめとけ。彼、ぜったい嫌がるぞ~。あの手の人間・・をいっちばん嫌うんだからな、奴は」


「しかし」


「あ、待った。通信だ」 


 何事かを言いかけたアイリスを右手で制し、秘匿通信インナーフォンに切り替える。


【ぼくだ。おう、エックスか。どうした……ああ、こっちは事情聴取が終わったところ……そうそう、殴られ屋の。なんだ、エックスちゃんも知ってるの~?……うん……? いや、さっき別れたところだが……なに…………? 差出人は?…………そうか…………うむ、わかった。ちょっと考える。じゃ……あ、待った。念のため、"彼女"に連絡を……そうだ。頼むぞ。それじゃ】


 通信を切ると、ミハイロヴィッチは事情聴取の時と同じ、いやそれ以上に神妙な顔つきを浮かべた。その変化は、アイリスもすぐに感じ取った。


 ミハイロヴィッチは、右手の人差し指で一定のテンポを刻むように、とん、とん、とテーブルを叩き始めた。彼が思考の海に沈む際にほとんど必ず行う癖であり、それは同時に、彼の中で事態を進展させるための決定的な一手が生まれる前兆でもあった。


 とん――指の動きが止まった。半年に一回の定期メンテナンスを控えた人工皮膚は艶めきをほとんど失い、代わりに、彼の長年の経験を抽出したかのような、無骨さをたたえている。


「アイリス」


「はい」


「前言撤回だ。ブリッジス氏を本件の暫定捜査官として引き込もう」


 アイリスは驚きを隠せなかった。茜色の瞳が揺れる。


「どういう風の吹きまわしです?」


「事情が変わった。エックスから連絡があったんだ。詳しいことは事務所で話す」


「わかりました」


 アイリスはテーブルに広げていた資料をてきぱきと片付け始めた。ふと、何かを思い出したかのように、その手が止まった。


「しかし、可能なんですか?」


「ちょっとした賭けが必要になるけどね。それにしても」


 ミハイロヴィッチは立ち上がり、コップに入った残りの濾過水を一気に呷ると、難しそうな表情で呟いた。


「どうにも、キナ臭くなってきたな」


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