3-1 悪魔の男《ディアブル・ダンテ》
「モンスターは生まれてから死ぬまでモンスターらしくふるまう。しかし善人にモンスターのふるまいをさせるには、まず物語を語って聞かせなければならない。壮大な嘘、悪の陰謀、世の中のすべてを説明する政治や宗教の神話を」
――『THE STORY PARADOX』より抜粋
心地の良い夜風をぶち抜く勢いで、浅黒い鉄拳が眼前に迫ってきた。
瞬間、ブランドン・ブリッジスは素早く前傾姿勢をとり、全身を投げ出していた。絶好のチャンスを逃すわけにはいかなかった。自分を使って相手に気持ちよくなってもらうための、絶好のチャンスを。
ごん、と鈍い音が、頭の中で鳴り響いた。拳の衝撃が額をとらえて、脳を的確に揺らしてくる。瞳の奥で白い火花が散って、鼻の奥を刺すような痛みが奔る。
後ろに倒れそうになるところを、ブランドンは下半身に力を込めて、ここ一番とばかりに踏ん張った。
ダメージは蓄積する一方だ。これが高級仕様のサイボーグなら、パワー・アシスト効果はもちろん、痛覚を消すことだって造作もない。だが、あいにくとそんな便利な機能は、ブランドンの青痣だらけの肉体には縁遠かった。
仕事とはいえ、なかなかに堪える。
続けざまに、ボディに一発。甘んじて、土手っ腹で受け止める。鈍痛が尾を引くように下半身へ伝播。生まれたての小鹿のように、ブランドンの両膝が小刻みに震える。切れた唇から流れる血が、涎と共に雨上がりの地面に垂れ落ち、右瞼の腫れあがった顔を、苦悶に歪ませる。
三十歳半ばに差し掛かるブランドンの肉体は、限界の一歩手前まで来ていた。部分的な機械化手術しか受けていない筋肉と骨は、さっきから軋みを上げ続けている。連日連夜、休みなく働いていれば、こうなるのは予想できていたことではあった。
だが、いまこの現実を選択しているのは、紛れもなくブランドン本人の意志だ。だからこそ、止める訳にはいかないのだ。
からん、からん――と鈴の音が鳴り響く。三角コーンと作業用の黄色いロープで簡易に設置された菱形リングの外。野次馬たちが群がっている方向とは反対の、ブランドンから見て右手側。今夜の馬鹿げた路上パフォーマンスの一切を仕切る、金髪の不良少年が、手に持つ真鍮製のハンドベルを勢い良く鳴らしまくっている。
「ここで三度目のヒットォォォーーーーー! 挑戦者の右ストレートとボディブローのコンビネーションが突き刺さる! これにはたまらず、《悪魔の男》も後退るしかないかーーーーッ!?」
首掛け式のポータブル拡声器を通じて、あどけない顔立ちをした少年の軽妙な実況が、歓楽街の通りに響き渡る。都市最下層の繁華街C区。その一角は、熱狂の渦に呑まれていた。
不良少年の傍らには三脚にセットされた撮影機材と通信機器が置かれていて、状況の一部始終をプロメテウス最下層のネットワークへ生配信していた。最下層民のみがアクセス権を有する電脳空間の《ワイザツ・フォーラム》も、現実世界の野次馬たち同様、ブランドンが殴られる様を楽しみにしている輩で溢れかえっているはずだ。
――いいぞ! 効いてる効いてる!
――ダウン取ったら賞金十万だぞッ!
――ついでに殺っちまえ! 殺っちまえよ! そんな奴ッ!
少年の実況を耳にして気を良くしたのは、ブランドンの対戦相手だけではない。夜の底で蠢く最下層の歓楽街の蟻ども……ビルというビルを彩るネオンの照り返しを受けた野次馬たちの表情もまた、興奮に燃え上がっている。ある者は酒瓶を片手に唾を飛ばして声を上げ、ある者は気が触れたようにタオルを振り回し、ある者は控えめに拍手を送る。男も女も、若者も中年も、関係なかった。
「(いいぞ、ピート。そのまま湧かせ)」
よろめきながらも、ブランドンは内心で少年に賛辞を贈る。「倒れろ! 倒れろ!」と叫ぶ野次馬たちの罵声を尻目に、わざとらしくならないよう細心の注意を払いながら、足元に意識を集中する。
ぜいぜいと肩で息を吐く。白の半袖スポーツウェアは自身の血と汗でドロドロに汚れていた。黒のトラッカーパンツも、汗を吸い過ぎて重たくなっているのが感覚された。
体力的には限界に近い。だが、へこたれるわけにはいかなかった。相手の拳を適度に避けて、適度に受け続けなければならない。それが、彼の仕事だからだ。
壊れかけのブリキ人形のように、ゆっくりと赤いグローブに包まれた拳を構え直し、ファイティングポーズを取る。
「なんとォ! 倒れないッ! 耐えるッ!? ブランドン・ブリッジス、ここで耐えたッ!? なんというタフネスッ! この男、よもや後退のネジを外しているのかッ!?」
「オオッ!?」という意外性に満ちた驚きの声。「ワッ!」と花咲く歓声。そして、消え入りそうな「チッ」という舌打ち。それら三種が混然一体となって、地鳴りのようにブランドンの耳朶を震わせた。
「さぁッ! 残り時間はあと一分ッ! 挑戦者、勝負を仕掛けるしかないぞッ!」
少年の実況は勢いよく、野次馬たちの心を揺さぶり続けた。少年は痩身で、背もそれほど高くはない。顔は中性的で、ときおり見せる表情にあどけなさが残る。だが、この場の流れを支配しているのは、間違いなく彼だった。くすみブルーの半袖シャツをサイズ大きめに着こなし、人気スポーツ・ブランドのキャップを小慣れたように斜めに被ったその姿は、フロアを盛り上げるDJに見えなくもない。オフホワイトのワイドカーゴパンツを履きこなし、足元はキャップと同じハイブランドの厚底スニーカー。ビニール・ベルトの端を膝のあたりまで垂らしている。完璧なくらいのストリート・スタイル。
――いけっ! ほらいけっ!
――モタモタすんなオラッ! ダウン取れダウンッ!
言われなくとも、と暗に告げるように、挑戦者の男は、厚ぼったい唇の端を喜色に歪め、青いグローブに包まれた両拳を構え直した。
互いに距離を取る。野次馬たちの悪罵をものともせず、ブランドンは、今夜九戦目の挑戦者を、射抜くように観察した。屈強な体躯の男だ。グレーのシャツに包まれた分厚い胸筋と、盛り上がった上腕二頭筋が逞しい。おそらくは、湾港労働者だろう。都市の万能エネルギーたる過脊燃料を汲みだすために、日夜大型の掘削機を操縦しているに違いない。
だが、果たしてその筋肉は真に天然物だろうか。疑問が残る。金属繊維と強化筋骨で、体の特定の部位を機械化した、伝統的なサイボーグにはとても見えない。歓楽街の灯りを受けても、挑戦者の皮膚に不自然な光沢がないからだ。つまり、人工皮膚ではない。身式簡易呪装を――街角の心経屋で手に入る、時間制限付きの身体機能特攻作用を有する封言呪符を――呪身している風でもない。それに、これだけの激しい運動量でありながら、相手は汗を一粒もかいていない。
ならば、ブランドンの中で導き出される答えは、ひとつしかなかった。
「(フューリーオーグ……それにこの身のこなし。近接格闘系統の《カセット使い》か)」
記憶の底に封じ込めていた、忌まわしい過去が漏れ出す予感。それを必死に振り払って、ブランドンは相手の出方を伺い続けた。
挑戦者が、躍りかかるように間を詰めてきた。見るからにヘビー級の巨体であるにも関わらず、その速度は身の丈に似つかわしくないほど、滑らかだった。
挑戦者の男は、ボクシングの経験は積んでいないと、試合前に口にしていた。にもかかわらず、足さばきや重心移動、拳を打つ際の肩甲骨の使い方にしても、とても初心者とは思えない――しかしながら、この手の者は、プロメテウスでは珍しくもなかった。ある分野の知識や経験にまったく疎い人物が、直ちにプロ級の知識や腕前を身に着けているなんてことは。
それこそ、都市が誇る現代科学の賜物と言える。身体機械化技術の普及と更なる進化。それに伴う身体拡張性の分野は、個人に由来する技能の完全データ化に成功した。その結晶が《テック・カセット》だ。こいつがあれば、あらゆる素人をその道のプロフェッショナルか、それに準ずる存在へと技能的に進化させることができる。
今からその真価を見せつけてやるとばかりに、挑戦者の、牽制の意味を込めた俊敏な左ジャブが、ブランドンの右頬を鋭く掠める。ステップを左右に踏んでからのワン・ツー、フェイントを絡ませての右フック。鳩尾付近を狙った右ストレート……
挑戦者の容赦ない猛攻に対し、ブランドンは決して慌てることなく、落ち着いた様子で対応した。気力も体力も限界に近いが、一種の飢餓状態ともいえるこの状況が、ブランドンの集中力を研ぎ澄ませているのは間違いない。彼は、挑戦者の呼吸のリズムを決して見逃すことなく、上半身を逸らしてウィービングをしたかと思いきや、姿勢を低くして全身を振り子のように揺らし、襲い来る拳の一発一発を的確に避けていく。
――ちくしょう、避けるのだけはアホみてぇに上手いな。
――ホントにこれで九試合目なのかよ?
――無理なんかしねーで、ぶっ倒れちまえよ!
――おいお前! さっさと倒せよ! そんなクソ野郎!
好き放題にがなりたてる野次馬たちを煩わしく感じながらも、挑戦者の表情が、次第に曇っていく。ブランドンがばら撒いている布石が効果的に働いていることの、なによりの証だ。
なんの布石か? 無論のこと、ブランドン自らが殴られる布石だ。
それは同時に、挑戦者に心地よくなってもらうための下準備も意味している。このあと待ち受けている精神的な爆発を挑戦者にたっぷり味わってもらうためにも、いまは相手のフラストレーションを溜めることに専念するべきだった。
刻々と時間が過ぎていく。
携帯端末で時間を逐一確認しながら、少年が二度ハンドベルを鳴らした。
「三十秒! 残り三十秒を切った! いよいよ時間がないぞ挑戦者! 逃げ切れるかブランドン・ブリッジスッ!?」
野次馬の数は、通りを一杯に埋め尽くすほどに増えていた。夜十時の繁華街の狂喜はピークに向けて上昇を続ける。
「あと二十秒! さぁーーーどう仕掛けるか挑戦者ッ!」
煽りを受けて、挑戦者の表情が険しさを増していく。さっきよりも手数を多く繰り出し、ブランドンの死角へ拳が入るように、自身の関節駆動に負荷をかけ、ロープ際へ追い込もうと躍起になる。
と、瞬間。わずかに挑戦者の足が硬直した。彼のうなじの中心から、やや左にずれた箇所。身体を機械化した際に搭載された、細い長方形型の《スロット》が、不規則なオレンジの明滅を繰り返し、ブゥゥウン……と、虫の羽音に似た騒音が微かに鳴る。試合前に挿入した《テック・カセット》のメモリ使用量が上がっているのだ。駆動設定を最低出力にしているにも関わらず、間接に無理矢理な力を働きかけ過ぎたせいだ。
しかし、挑戦者の足が止まった原因は、正確にはそれだけではない。身体と精神のバランスを何よりも重視するのが、近接格闘系統に属する《テック・カセット》の特徴でもある。残り時間を気にしすぎて焦慮が募るほど、身体へのフィードバックにラグが生じ、反射神経や筋収縮が鈍くなりやすい。
「残り十秒ッ!」
フェイントを仕掛けている場合ではなかった。動きに固さがあるのを自覚しつつ、両足に力を溜めて踏み込む。いちかばちか。ブランドンの右脇腹を、筋骨隆々とした挑戦者の左アッパーが急襲。
「(よし、きた)」と、脳裏で呟くブランドン。
全力で放たれた挑戦者の一撃。お世辞にも、褒められたものではない。拳を放った際の足腰の動きが固いせいで、体幹が崩れている。どこからどうみてもテレフォン・パンチ。見掛け倒しの一発だ。
だからこそ、ブランドンは避けなかった。そっとガードを上げて脇を開き、甘んじて挑戦者の一撃を肋骨の右下付近で受け止める。
瞬間、ブランドンの息が詰まった。人体最大の臓器が悲鳴を上げる。周辺臓器の神経の束に、苛烈な負荷がのしかかる。神経信号がわずかに途絶え、もたらされるのは呼吸困難。声にならない呻きが、ブランドンの口の端からずるりと漏れた。
どんなに歴戦のボクサーであっても、肝臓への一撃は耐えられない。痛みに悶え苦しんで、無様に膝をつくのが普通だ。
だが、驚くべきことに、ブランドンは倒れなかった。プロライセンスも何も持たない、どころか、ボクシングに関してはまるで素人の中年男がである。筆舌に尽くしがたい痛みに、眉根を寄せ、奥歯を食いしばって、根性だけで耐えしのぐ。
そのことに一番驚いているのは、拳を放った挑戦者自身だった。目を見開き、ブランドンの様子を観察する。攻撃の手が一瞬止まった。
――なにしてんだッ!
――ボケっとしてんじゃねぇぞッ!
――たたみかけろ!
怒号に近い煽りに、我に返る挑戦者。残り時間を気にしている場合でも、相手を気遣っている場合でもない。勢いそのままに、ブランドンをロープ際まで追い込む。持ちうる体力の全てを拳の一打に込めて、なりふり構わず、相手のボディを目掛けて、壮絶なラッシュをかける。
たまらず、ブランドンがガードを下げる。そこに、狙い澄ましたかのように放たれる、左のアッパー。
直撃――ブランドンの顎が、勢いよく跳ね上がった。
野次馬たちが、ここ一番の雄叫びを上げようとした――だが、
「戦闘終了ッ! イーブン・スタンスッ! ノー・マネー・フィニッシュッ!」
わずかに先んじて、少年が終了のハンドベルを鳴らしながら、ポータブル拡声器越しに『終了』の合図を告げる。
挑戦者は拳を止めると、涼しげな顔つきで、ブランドンから二、三歩距離をとった。冷静な反応と言って良かった。興奮に駆られるがあまり、終了のベルが鳴っても、ルールを無視して、構わずブランドンを殴りにかかる者もいる。そういう頭に血が上りやすい連中と比較したら、彼は良心的な部類の挑戦者と分類して良かった。
三分間の、パフォーマンスというには少々過激で、受け身一辺倒な芸当。その中心人物であるブランドン・ブリッジスは、今夜九度目のパフォーマンスにおいても、最後まで倒れることはなかった。顎に埋め込んでいる半有機体の衝撃緩衝材の働きで、先ほどのアッパーは威力が相殺されている。
もちろん無傷というわけではない。試合中に受けたダメージは、いまだに尾を引いている。特に、肝臓打ちは相当に効いていた。戦いが終了した直後、肋骨の右下あたりをしきりに左手で軽くマッサージして、下を向いた姿勢のまま、広い背中を震えるように上下させているのが、その証拠だ。
「おい、あんた大丈夫か?」
自分のグローブを外すよりも先に、挑戦者の男はブランドンを労わった。背中のひとつでも擦ってやろうかと、歩み寄り、右手を伸ばしかける。
気配を察知したか、ブランドンが、やにわに上体を起こした。客に余計な気を遣わせるのは《殴られ屋》の沽券に関わる。
「対戦、ありがとうございました。こっちの心配はせずとも、大丈夫です。それよりも、どうでしたか? 気分の方は」
精一杯の笑みを浮かべて、ブランドンは媚びるように尋ねた。
男は、ブランドンの痩せ我慢を額面通りに捉えたようで、それまで見せていた気まずさの一切を捨てたように、笑った。
「満足したよ。人を真正面から殴るなんて、子供の頃以来だからな。こんなにスッキリしたのは久しぶりだ」
「なら良かったです」
「にしても、あんた、普通じゃないな」
色んな意味で――その一言を男は飲み込んだ。男が何を口にしたがっているかは、ブランドンにも自ずと察しがついた。あえて肩をすくめて、おどけるような態度で言った。
「仕事ですから」
「仕事ね。もしかして、今日の客は俺で最後かい?」
「いえ」
ブランドンは、ちらりと腕時計を見てから、不器用に笑みを浮かべた。
「あと二人ほど、相手をする余裕はあるかと」
「そうか」
男は、まだ何か言いたげな素振りを見せていたが、結局は言葉を飲み込んだ。代わりに、グローブを外した手でカーゴパンツのポケットを漁ると、くしゃくしゃに折りたたまれた1000ゼニル紙幣を一枚取り出して、不躾に差し出した。
「ほらよ、チップだ」
「い、いいんですか?」
ブランドンの声が奇妙に上ずる。全身汗だくにまみれたその姿は、スポーツマンというよりも、媚びるような態度のせいで、物乞いのそれに近い印象を男に与えた。
「ああ、いい気晴らしになったからな」
「あ、ありがとうございます!」
ブランドンは満面の笑みを浮かべると、いそいそとグローブを外し、無骨な両手の平で、ありがたそうに紙幣を受け取った。
――まるで犬だな。
群衆のうちの誰かが、そんな嘲りを呟いた。呟きは直ちに、ストリートの騒音に掻き消されていった。それでも、幾ばくかの効果は残った。《殴られ屋》に対する群衆の苛立ちを増幅させ、その苛立ちを正当化し、同調を誘起させる効果が。
なるほど、確かに犬だ……と、誰もがそう直感したに違いない。それも罪深い犬であると。飼い主に手を噛むことよりも、ずっと許されないことをやってのけ、今もこうしてのうのうとしている犬を、誰かが躾けてやらねばならないとも考えていたに違いない。
「オイオイ冷めるな冷めるな! 忘れたのかいお客さん方! この狗を調教する権利は、あんた達が握ってるんだぜッ!?」
そんな観衆の意中を代弁するかのような勢いで、少年がロープを跨ぎ、リングの中央に陣取って大声を上げた。ポータブル拡声器に備え付けの小型機器を右手で操作する。ハード・コアの過激なメロディが、通りの脇に置かれたバッテリー式の音響機器から洪水のように溢れ出して、観衆たちの耳朶を震わせた。
「ここまで見たんだッ! もう引き返せねぇ! もう他人顔でいるのは止そうぜ! 安全地帯から石を投げ込むのは、生意気なエリートたちの常套手段だッ! この男に真の罪滅ぼしをさせるために、あんたたちはここにいる! 忘れちゃいないだろう? かつて、この都市の中層を襲った悲劇をッ! 俺たちのひとつ上の世界で起こった惨劇をッ! その惨劇を引き起こした張本人に裁きの鉄槌を与えるのは、地を這って懸命にもがいて生きる、俺たちに他ならないッ! その権利を、アンタたちは無条件で手にしているんだぜ!?」
矮躯を精一杯に躍動させ、全身全霊で客を煽り立てる少年。大袈裟にも過ぎる身振り手振りのパフォーマンスだが、試合の一部始終を目撃し続けている野次馬たちの好奇心に、獰猛な炎を再び灯すには、これくらい過剰である必要があった。
少年の狙い通り、沈静化しつつあった場は再活性のうねりを見せる。
少年が力強く両手を天に掲げ、手拍子をすれば、野次馬たちもつられて手拍子を送る。轟音をバックに、群衆の熱気は一気に膨れ上がった。その矛先は、リングの傍らで悪魔を気取るように、邪悪な笑みを浮かべて首切りのポーズを披露する、ブランドン・ブリッジスへ注がれる。
「悪魔の男! ブランドン! 悪魔の男! ブランドン!」
野次馬たちが、極悪のリズムに乗って罵声を浴びせる。当のブランドンは、まったく意に介していないのか、挑発のポーズを気取り続ける。
「炎の恐怖! ブランドン! 炎の恐怖! ブランドン!」
野次馬たちの熱狂が勢いづく。
頃合いを見て、少年はいつものお決まりの口上を謳い上げた。
「人を殴るのは犯罪さ! 市警にバレたらブタ箱行き! だがこの男を前にして! そんな常識通用しねぇ! 遠慮はいらねぇ容赦もするな! 殴って殴って殴り倒せ!」
「悪魔の男! ブランドン! 悪魔の男! ブランドン!」
「都市の闇に名を刻み! 最下層に堕ちてなお! 罪から逃れて生き恥晒す! 男の瞳は何を見る!?」
「炎の恐怖! ブランドン! 炎の恐怖! ブランドン!」
「遠からん者は音にも聞け! 近くば寄って目にも見よ! 変わり果てるは正義の狗! 都市の罪を喰らって生きる! 卑しく・いみじく・意地汚く! 最下層を這う獣! 煤けた首輪に刻まれた! 犠牲者の名を唱えてみやがれ!」
「最悪の巡礼者! ブランドン! さっさとくたばれ! ブランドン!」
「次なる勇者は名乗り出よ! 正義の鉄槌振りかざし! 今こそ罰を下す時! さぁ! さぁ! さぁさぁさぁ! 都市随一の《殴られ屋》! その眼に映るは地獄か狂気か!?」
達者な口上の終わりとタイミングを合わせて、ハード・コアなメロディが収束していく。と、野次馬の中に動きがあった。再燃した熱狂に煽られて、ひとり、ふたりと、次々に「挑戦者」として名乗りを上げる輩たち。
少年が挑戦者を指名している間に、ブランドンはグローブを嵌め直し、準備を整える。
《殴られ屋》の夜は、まだ続く。




