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プロメテウスに炎を捧げよ  作者: 浦切三語
2nd Story フェイト・オブ・ジ・イノセンス・ギア
102/130

2-66 PM20:30/天理賢人【アイスキュロス】②

「プロメテウスの炎を、人間の手に取り戻す……天理たる(われわれ)を簒奪しようというわけか」


 言外に、自らを万物の統治者と自称する黄金色の彫像。その声には傲慢ともとれる宣誓を悪びれることなく口にする闖入者を諫めようとする感情も、ましてや怒気すらも感じられなかった。事実を確認するような、事務的な振る舞いだけが目に付いた。


 だからこそ、ディエゴも過剰に攻撃的な態度を選択しなかった。少なくとも今のところは、相手の波長に自らのテンションを合わせ、目の前に立つ彫像がそうであるように、壁としてこの場に立つことを意識した。汎用AIとして活動し続ける彼らの振る舞いに、怜悧な疑義を突き付ける壁として。そのような存在として己を価値づけることに、ディエゴが臆することは全くなかった。


「世界の裏側で、貴様がどのような活動をしてきたか。その概要については、そこに倒れ伏している男のオフィスにあった資料から把握している。憎悪、後悔、不満……人が人であるがゆえに、心に檻のように溜まる負の感情。そこをトリガーとして生まれる攻撃性を外部ではなく内部(・・)へ向けさせることによって、先の時代にあった戦争の勃発を未然に阻止する。そのために都市の経済情勢や社会通念の変動を大規模演算により予測し、攻撃性の発散が外の都市へ向かぬよう、軍師(アドバイザー)のように活動してきた。二度と戦禍を起こさぬために。そうだな?」


「そうなるよう望んだのは、他ならぬこの都市の人間たちだ。企業連合体の開発陣と、あらゆる階層に居を構える人間たちが、それを選択した。人が生まれながらにして持ち得る、時に合理的で、時に非合理的な物差しを、彼ら自身が捨てたのだ。すなわち、徳によってではなく、万物を統べる超越的な高次元的存在者たる(われわれ)こそ、この都市を運営するに相応しいと、大勢の人間たちがそう判断したのだ」


「大勢の人間たち?」


「開発された当初、(われわれ)には(われわれ)という自我は存在しなかった。初期実装されていたのは、この都市に住まう全都民の精神的なベクトルを観測する技術だけだ」


「つまり、都民の集合的無意識を観測する中で、貴様という存在が現れてきたと?」


(われわれ)は民主主義の産物だ。膨大な都民の感情が集合したことによって、一見乱雑に見える精神ベクトルの図版にも、ある程度の規則や秩序を見出すことはできる。そこに善悪という概念は存在せず、驟雨のように降り注ぐ矢群の先が定まっているように、示されるのは事実だけだ」


「その事実に照らし合わせて、都市を統治するわけか。事実を知らぬ者たちの意見は切り捨てて。なるほど、たしかに民主主義的な方策と言えるな。確認しておくが、貴様の両手で掬い上げられた規則性の中には、私の無意識領域下の願望も含まれているのかね?」


「都市を生命として扱っている以上、そのような個人的な願望は、都市を運営する上では些事に過ぎないと(われわれ)は考えている」


()()()()()()()()()()?」


「いかにも。地球を生命として扱うガイア理論が存在するように、(われわれ)は都市を生命と認識している。都市生命体(プロメテウス)にとって、(われわれ)は脳であり、支柱は骨であり、階層間エレベーターは血管であり、物流は血流であり、需要と供給の経済活動はカロリーの摂取と消費そのものであり、それらを生み出す都民は細胞片だ。何百万という細胞片のうちのひとつが、都市の生命維持に重大な障害をもたらす可能性があるのであれば、他の細胞片らの感情に圧力をかけて潰すまで。そのように世論をコントロールするためのルールや制度を提言するのも、(われわれ)にとっての重要な使命のひとつだ。最も、その多くは(われわれ)の介入を待つことなく自然消滅するものだが……ディエゴ・ホセ・フランシスコ。か弱く小さき細胞片が、ずいぶんと用意周到に立ち回っているようだな。こうして(われわれ)の前に姿を現す前に、早々に芽を摘んでおくべきだった」


 掌の上の肉塊が大きく唇を開き、真っ黄色な乱杭歯を剥き出しに、ノイズそのものな笑い声を上げた。それまで「賢人」の名を持つ者らしい理性的な態度とは真逆の、人間が持つ攻撃性を具象化したような態度だった。それでも、ディエゴは怯えるどころか、そのエメラルド色の瞳の奥で、この醜悪と華美が同居する黄金の支配者の真相を掴もうと、言葉を発した。


「個人の願望を切り捨て、最大公約した都民の意思を掬い上げ、都市の生命線を伸ばすアルゴリズムを選択し、政策を敷く。対外的な戦争に取り組むこと自体が、ビジネスとしてすでに欠陥であると判断する。そして、まるで都市を生命という名の総和として扱う姿勢……なるほどな。貴様の最大の目的は、都市の長寿化。()()()()()()()()()()()()()()()()にあるということか。民主主義の中でも、最も獰猛な類の思想だな」


「原始的でいながら、最も効率の良い統治手段だ。社会の最大幸福を追求することこそが(われわれ)の目的であり、またそうなるように努力することこそが、都民が意識的に取り組むべき正しい行為だ。社会全体の幸福値(プライス)を高め、その総和を増やすことが、都市の価値(プライス)を高める行為に繋がる。人間が社会という枠組みの中でしか生存力を発揮できないのであれば、社会をより良いものにしていこうという取り組みは、極めて自然で合理的な行為と称賛してしかるべきだ。そのうえで、このプロメテウスという生命体が生まれながらにして宿す階層構造は、(われわれ)にとって、()()()()()()()()()()()()と言わざるを得ない」


「たしかに、社会の最大幸福を求めるという価値観から縁遠い者たち……仕事を失くした者や、飢えに苦しむ者らにとって、社会奉仕の精神ほど馬鹿馬鹿しいものはない。そしてそのような者らの心に巣食った憎しみは、他の都市ではなく、この都市そのものに向けられる傾向が強い。外交における摩擦係数を限りなく小さくする……格差があるからこそ、保たれる平和があるということか」


「残酷だとは言うまいな? 絶対的な格差と不平等こそが社会の幸福化へ至るのに必須であるからして、社会に益をもたらす者と、そうでない者とを物理的に区別する階層構造は抜群に優れた統治機構なのだよ。たしかに、階層化することで治安悪化が偏在する可能性が高いが、都市の幸福値を下げるような不調を及ぼす病巣(にんげん)は一か所にまとめてしまったほうが、こちらも対処しやすいというもの」


「下層の労働者たちが、どれだけ働いても一向に改善しない生活環境に苦しみ、貧困に喘いでいても、なおそう言い切れるのか?」


「聡明な知性の持ち主にしては、愚にもつかない問いだな。徳によって世を治めていた時代ならいざ知らず、そのような物差しをはじめから持ち合わせない(われわれ)には、関係のない話だ」


 肉塊がせせら笑った。「社会の最大幸福を追求する」という大義名分の前には、いかなる言説も力を失うと信じて疑わない態度だった。


「都市を運営するとは、言い方を変えれば教育(・・)そのものだ。人権を重んじ、富の再分配に傾注する政策は、この教育を遂行していくうえで、全く価値(プライス)を持たない。貧する者は、その大部分が健全な社会生活を送るための基礎教養の欠落を有していながら、その事実に向かい合おうとせず、そればかりか、社会全体の幸福を考慮することなく、常に個人としての幸福のみに拘泥し、声高に権利を主張するばかりだ。これらは、都市の寿命を長らえる上での障害の一つと(われわれ)は判断する。だからこそ教育が必要なのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そのような自己責任論を強力に意識させるような教育が、今後ますます必要になっていくだろう。これは教育でありながら、《自己中心的な願望》という名の病魔に侵された細胞を()()()()行為とも言えるな」


「よくもぬけぬけと言えたものだ。過脊燃料(ギャソリン)に始まる地下資源の採掘事業と比較して教育事業が金にならないと知ったうえで、労働法に関する規制緩和を敷き、低所得者層が増えるような政策を敷いたのだろうが」


「教育施設に通わねば知識を獲得できないという古典的な考えに縛られた結果だ。人工の太陽が照り付ける路傍の隅でも、本を読むことは可能だろうに。結局のところは、社会に奉仕し、都市のために幸福を掴もうとする意識が欠けているからこそ招いた、同情の余地なき悲劇だ。今の彼らに必要なのは、自らに降りかかる悲劇を、自己責任として自然に受け入れるようになるための、精神的な鍛練なのだ」


「だが事実、下層に充満する不満の声は日に日に高まっている。貴様の唱える教育や鍛練とやらが実を結ぶ前に、いずれ大規模な暴動が起こるぞ」


「仮にそうなったとしても、都市の幸福値(プライス)を著しく下げる事態にはならないだろう。憎悪が他の都市へ向かず、限定された領域内で発散されゆく分には問題ないからだ。市警の介入、法的拘束による労組の解散、機動警察隊(クリミナル)による自治、不調を解決(クリア)するためのこれら投薬手段を実行するのにかかる費用と、他都市との戦争とにかかる費用とを比較すれば、前者の方が圧倒的にローコストで済む。しかしながら、まず仮に暴動が起こったとしても、都市公安委員会は私を手放さず、ゆえに私による統治は続くだろう」


「なぜそう言い切れる」


(われわれ)という存在が、プロメテウスのあり方を規定する評価基準でしかないからだ。(われわれ)の存在を知る者はごく一部に限られているし、第一に、(われわれ)は人々の集合的無意識領域を元に演算を実行し、いかにして社会全体の幸福値(プライス)を高めるかを思考する。都市の経済活動にとって有益な制度を敷き、ルールを設計する。それだけなのだ」


「つまり、貴様自身に都市の軌道を強引に捻じ曲げるだけの強力な干渉力はないということか」


(われわれ)は実行者としてではなく、提言者としてのみ存在価値を有しているからな」


「では尋ねよう。実行者とは誰だ? おおかた、都市公安委員会の誰かなのだろうが……」


「何を言うか。実行者とは他ならぬ、この都市に住むすべての人間たちよ」


「……なに?」


「言ったはずだ、(われわれ)は提言者に過ぎず、社会の最大幸福の総和を増加させるための評価基準として君臨し続けるとな。そのような統治体制を敷くことによって、都民は自分たちの生きている現実の世界が、(われわれ)の計算に基づいたものだと意識することはない。彼らは、(われわれ)が敷いたルールや制度を、ただ実行するだけ(・・・・・・・・)なのだよ。デモや暴動に参加していながら、その行為の延長線上に、(われわれ)という存在を意識することは永遠にない。社会に対する反乱行動そのものですら、(われわれ)が敷いたルールや制度の延長線上でしかないというのにな」


「……人が日常生活を送る上で、己の脳を意識しないのと同じように。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「その通り。都民は都市を生きているのではない。都市の幸福を最大のものとするために、無意識のうちに生かされているのだ。(われわれ)の提言するルールや制度に則るかたちで」


黒幕(マスターマインド)という揶揄も、あながち間違ってはいないということか。いま、この都市では個人的な願望を叶えようとする者たちが局所的な騒乱を起こしているが、貴様が積極的な介入を見せなかったのは、その本質が実行者ではなく提言者だからか」


「それもあるが、主な理由は四つある。奇跡を求めるために闘争に明け暮れる者たちの社会的価値(・・・・・)が治療不可能なほどに失墜していること。二つに、人であって人ではない二頭の怪物が乱入してしまっていることだ。彼らを外敵と断じるには脅威のパラメータが水準まで届かず、加えて、都市に対して能動的な敵愾心を抱いているわけではない。三つ目に、騒乱の中心にいる少女の情報が意図的に拡散を封じられていたこと。そして四つ目は、少女が奇跡を求める人々の集合的無意識から立ち現れてきた存在だからだ。あの少女は精神的な意味で(われわれ)の兄弟にして、外の世界からやってきた来訪者であり、ならば博愛と慈愛の精神を持つ(われわれ)が、彼女の邪魔立てをする理由はどこにもない」


「それでも、《緋色の十字軍(クリムゾン・バタリアン)》の暴走ぶりには、その醜い肉の体を震わせるしかなかったのではないか?」


「あれは極めて許し難い、最優先で切除せねばならない病巣(にんげん)共だった」


 ディエゴの侮蔑的な物言いに対してではなく、すでにその全員が彼岸を渡った狂気の狩人にして、かつてこの都市を外敵の脅威から守り抜いた戦士たちに対し、《天理賢人(アイスキュロス)》は憎々し気に毒を吐いた。


「ひとつ間違えば、彼らは都市の生命を即座に絶ちかねない凶悪な癌細胞へ変貌する可能性があった。もし第三小隊(サード・プラトーン)だけでなく他にも生存者がいたのなら、(われわれ)もただちに策を練り提言をまとめる予定だったが、その必要はなかった」


「すべて、貴様の計算通りというわけか」


「初めからそうであったわけではない。十年前は(われわれ)の演算能力もまだまだ発展途上だった故に、彼らの醜悪な旅程を完璧に予測しきること叶わず、だからこそ失敗は許されなかった。あの業突張りのハンターどもと、鬼血人(ヴァンパイア)の生き残りには助けられた。もちろん、彼らがそれだけの活躍をするであろうことを、(われわれ)は見越していたわけだが」


「しかしだ。落ちぶれた都市の守護者と言えども、得るものはあったはずだ。そう……たとえば、共感(エンパシィ)という概念」


 ここまで問答の応酬に愚直に従事するだけだったディエゴの雰囲気が、その瞬間に一変した。エメラルド色の瞳の奥底で、まるで鋭利な刃物のように研ぎ澄まされた光が瞬き、続く言葉の一つ一つが、矛となって立ち向かった。


「彼らの検診を担当していた医療局のアーカイブによれば、彼らのリーダーは重度の精神疾患に陥っていた部下たちと、問題なくコミュニケーションを取れていた。それは、此度の奇跡の少女を巡る騒乱においても十全に発揮されていた。言語機能を喪失し、理性が蒸発したと断じてもおかしくない者たちと、なぜリーダーは淀みない意思疎通を図れたのか。それはひとえに、彼らが同じ時間に同じ場所で同じ強度(・・)の経験を共有しているからに他ならない。それは肉体の記憶として深層心理に深く根ざし、我々の思考から導き出される言語とは、また別の言語体系を獲得していた可能性が高い。月並みに言えば、彼らは我々が日常的に使う言語ではなく、深層心理の奥にある、《魂同士の共鳴》とも呼ぶべき言葉でコミュニケーションを図っていたのだ」


「何が言いたいのだ?」


「社会全体の幸福値(プライス)を最大化する……たしかにそれを達成するよう舵を取れば、他都市との間に無用な摩擦を起こすリスクは限りなく回避でき、結果として都市は安定化の一途を辿るだろう。ひもじい者が寒風吹きすさぶ道端で餓死しようが、首を切られた労働者が絶望の末に凶悪な犯罪を起こそうが、その他大勢の人々は見向きもしない。貴様の設定した評価基準を社会全体が解決(クリア)していれば、些末なことに過ぎないのだからな。だが……」


 ディエゴは一旦言葉を切ると、異様の彫像をじっと睨みつけるようにして続けた。


「社会全体の幸福値(プライス)を最大化することが、必ずしもすべての都民を幸せにするとは限らない。《天理賢人(アイスキュロス)》よ、貴様は都市を生命体として扱うことに大変ご執心のようだが、しかし、都市はしょせん都市なのだ。人々が生きるための器でしかない。だからこそ、そこで生きる人々、ひとりひとりの幸福を追求せぬことには、真の統治者とは言えないのではないか」


「笑止千万。プロメテウスの大脳、万物を超越せし天理たる(われわれ)に、政治の何たるかを説こうというのか」


「何度だって説いてやるつもりだ。私は都市の全ての人々、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それも従来の資本主義的な、金銭欲にまみれた安っぽい幸福とは違う。精神的な豊饒性に起因した幸福な暮らし――その実現のために貴様を利用してやろうというのだ。貴様が持つ観測能力と演算能力。それらを応用し、抽出ではなく流入という手段を以て、私という自我で人々の集合的無意識領域を括りつける」


 まるで聴衆を前にした独演会じみていた。舌を回せば回すほど、ディエゴの口から放たれる言葉のひとつひとつが熱を帯びていく。人生において培ってきた哲学を、何としても実践してやるのだという強烈な意志の力が、彼の言葉には込められていた。


「私という自我が溶け込んだ集合的無意識領域を通じて、都市の人々は、感情と記憶を完全に共有することになるだろう……そう、共有(シェアリング)だ。見知った者同士の魂に共鳴を起こし、文字通り以心伝心を可能とする共感(エンパシィ)よりも、さらに高次元に位置する感応技術。見知らぬ誰かの魂と、己自身の魂との間に鏡像関係を成立させ、感情と記憶の完全なる共有(シェアリング)を打ち立てるのだ」


「魂の融合化ではなく同質化。都民の意識をひとつに統合するのではなく、個人としての意識を保ったまま生かすというのか」


「そうだ。これにより、全ての人々は個としての意識を保ちながら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。私が喜びを覚えれば、全ての人々は我が事として喜びを覚え、私が悲しめば、全ての人々が我が事として悲しむ。私が己の過去を振り返れば、全ての人々は、その過去を己自身の(・・・)過去として(・・・・・)疑う(・・)ことなく(・・・・)、ごくごく自然に振り返り、想い出に馳せる。そして……私が他の都市とそこに住まう人々を憎めば、全ての人々が我が事のように憎しみを覚え、戦争の実現に協力的となる。誰もが他都市を叩き潰すことに熱心に努力し、ビジネスとしての戦争はやがて復権するだろう」


「なんと……なんということか……」


「この野望が現実のものとなれば、もはや都市の階層構造は何の意味も持たない。プロメテウスにて、その他大勢という概念は消え去り、誰もが純粋な当事者意識を持つようになる。健やかなる者も、病める者も、高潔なる者も、愚かしき者も、友に恵まれた者も、孤独に苛まれた者も、等しく苦痛と快楽と憤怒を分け合うのだからな。真の意味で差別のない暮らし。真の意味で不平等を撤廃した暮らし。幾星霜の時を経て人類が思い描きながら、その困難な道のりゆえに机上の空論でしかなかった極上の理想郷(ゆめ)を、私という自我によって成立させてやる。これぞ、優しさと労わりに満ちた世界のかたちだ。すべての人々が、他者の苦しみをを己の苦しみそのものとして、他者の歓びを己の歓びそのものとして、他者の怒りを己の怒りそのものとして、完全に体感し、理解する時代がやってくる。それこそが、私の望む、()()()()()()の到来なのだ」


「……聡き者にあらず。悪魔の火を灯したその瞳、まさかここまでの傲慢と狂気に燃えているとは……貴様の唱えし野望は、都市はおろか、人の理性と本能を腐らせる猛毒だ。全都民の精神ベクトルが一つの方向を選び取るようになれば、競争の原理は生まれず、停滞という名の奈落を転げ落ちるだけだ。第一、貴様という個人と全都民とが、感情と記憶を完全に共有すると言っておきながら、肝心の貴様自身が体験したことが、都民の精神状態に悪影響を及ぼす可能性について、全く考慮していないではないか」


「無論、考慮しているとも。私は貴様ほど自らの力に溺れているわけではないのでな」


「……なんだと?」


「言ったはずだ。誰もが純粋な当事者意識を持つようになると。私は一人の権力者による統治ではなく、大勢の手による自治を望む。集合的無意識領域に私の自我を溶け込ませ、私という存在を精神的に慣れさせ、学習させてやれば、私を上位の管理者に据えたシステムであり続ける必要はない。人々の心は集合的無意識領域を通じて私から学び、やがて私そのものとなる。私一人では過ちも起ろうが、しかし数百万の私が存在するようになれば、話は別だ。その時々の状況において最適な回答を選択できるような、精神的進化を果たすはずだ。もちろん、そんな段階にまで至った時には、オリジナルの私という自我は集合的無意識領域に完全に溶け込み、跡形も失くなっているだろうが、()()()()()()()()()()()()


「莫迦な……己が己であることを捨てることに潔さを覚える人間が存在するとは思えん……」


「道具的存在として産み落とされ、意識を持つことの喜びしか未だ知らぬ貴様には、なおさらそう見えるのだろうな」


「……いったい……」


 足下に立つ小さな細胞片の告白に、肉塊は困惑の反応を示すしかなかった。それだけ、ディエゴの発言は《天理賢人(アイスキュロス)》が観測してきた常識という概念から外れていた。自我を獲得し、自我が在るからこそ、この場に在ることが()()()()()()統治者にとって、ディエゴの主張は全く理解しがたいものだった。


「ますます……ますます、貴様という細胞片を看過してしまった(われわれ)の怠慢さを呪わずにはおれんな」


「己を卑下する必要はない。天理を自称するのであれば、常に己の判断に善悪を超越した価値基準を有していなければな」


「戯れをほざくなよ小僧が。(われわれ)(われわれ)としての意思を手放すつもりも、(われわれ)(われわれ)として為すことの意志を挫くこともない。(われわれ)の権能は(われわれ)だけの特権だ。ディエゴ・ホセ・フランシスコ、これより貴様を都市生命体(プロメテウス)の病巣と断じ、速やかな切除(・・)を開始するよう提言を組み上げるプロセスに入る」


「やってみるがいいさ、《天理賢人(アイスキュロス)》。物語を統治せんとする創造者として、最良と信じる結末を思考しろ。その間に、こちらは貴様の力をそっくりそのままいただくとするがな……そら、援軍が到着したようだ」


 不意に入り口のドアが開き、そこから雪崩を打ったように大勢の人影が現れた。そのほとんどは、ディエゴが地下に待機させていた魔導機械人形(マギアロイド)だったが、中には市の職員と思しき人間たちもいた。


異世界転生者(デジョン・シフター)の末裔たる私が、精魂込めて造り出した人形たちと、志を同じにする信者たちの力で、必ずや方尖要塞(キャンドル)に灯された賢人の炎を簒奪せしめよう。そして新たなる炎を方尖要塞(キャンドル)に……否、プロメテウスに捧げるのだ。闇夜を照らし、理想郷(ゆめ)への道標となる、私の炎を」


 機械仕掛けの下婢(はしため)と信奉者を背負い立つ水銀色のカリスマが、不敵な笑みを浮かべた。そのエメラルド色の瞳の奥には、確かに炎の揺らめきがあった――真の幸福へ至ろうとする炎の揺らめきが。




▲▲▲




 鬼禍再来の片隅で勃発した学究局々長、ディエゴ・ホセ・フランシスコによるクーデターは、武力を背景にした方尖要塞(キャンドル)ならびにイーライ・サンドリア亡き後の医療局の強制占拠というかたちで幕を開けた。


 野望実現のため、学究局と医療局を併合し、三統神局(ゲル・ニカ)の発足を宣言するディエゴに対し、事の重大性を認識した都市公安委員会は企業連合体と協同関係を結び、ディエゴの委員資格をはく奪。都市の統治機構を破壊する意思があると断じ、内乱罪を適用。その私的権限の一切を抑え込みにかかったが、ディエゴは、自らに付き従う信奉者および魔導機械人形(マギアロイド)を駆使し、いつ終わるともしれない都市の暗闘へ、身を捧げに入ったのだった。


 野望の炎に灼かれ、犠牲の血に濡れた彼の旅路が、どのような最期を迎えるに至ったか。その語りが許される時機が来るまで、彼の物語はしばしの間、眠りにつくだけである。

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