26 誰が助けたのか
ソフィアは目覚めた後、自分がどうなったのかウィリアムから聞かされた。
兄セリムに刺された後、ソフィアはすぐに治療師の元に運ばれた。
それから三日間、ソフィアは昏睡していて、生死の境をさまよっていたらしい。
それを聞いたソフィアは、思わず自嘲してしまう。
「サーシャ姉さんが、助けてくれたのね?」
苦い顔をしているソフィアに、ウィリアムは逡巡の後、頷いた。
兄セリムに刺されたとき、ソフィアにはわかっていた。
セリムは致命傷にはならない部位を、わざと刺していた。
何度もソフィアを貫くために。
長く、ソフィアと向き合うために。
だから、手当てが間に合えば助かる可能性があることはわかっていた。
けれども、兄セリムの襲撃は夜道で行われた。
あの街道は広かったけれども、人通りは少なくて、兄セリムの凶行を止め、ソフィアに応急手当を施しながら、治療師の下に運んでくれる人が通りがかるとはとても思えなかった。
それでも助かったのだとしたら、兄セリムの凶行を止め、ソフィアに応急手当を施しながら、治療師の下に運んでくれる人が、何故かソフィアの近くに居たからに他ならない。
そんな有能な人材が、夜道で、ソフィアの近くに居るとしたら、偶然を頼るより、誰かの恣意によるものと考えるほうが自然だ。
「サーシャ……というよりは、サーシャの夫のガイアス=ガードナー次期辺境伯の采配だけどね。彼はこの一年以上、君に見張りをつけていたんだ」
「全然気が付かなかったわ」
「そりゃあ、隠密が彼らの仕事だからね。素人の君に見つかったんじゃ、商売あがったりだよ」
それでも、ソフィアには不思議だった。
人に見張りを付けるというのは、簡単そうに聞こえるけれども、膨大なコストのかかる行為だ。
それをわざわざ、平民に堕ちたソフィアに対して行う理由が、いまいち掴めない。
「サルヴェニア一族を軽視しているのは、サルヴェニア一族ぐらいってことだよ」
「ウェルニクス、伯爵家……?」
「もうやめてくれ。えぐらないで。わかってるから、頼むから」
「それで、どういうことなの?」
ガードナー辺境伯及びガードナー次期辺境伯は、サルヴェニア一族を最後まで警戒していた。
サイラス=サルヴェニアは北の修道院に入った。
彼の妻、ジェニファー=サルヴェニアは、元々サルヴェニアの血を引いていない。
けれども、その息子セリムと、娘ソフィアはどうだろうか。
「ガードナー辺境伯家は、君達がその能力を活かして、闇商人や政治犯になって、サーシャやガードナー辺境伯領に仇なす可能性を警戒していたんだ」
「えぇ……?」
「実際、セリムはそういった道に進んだ可能性は高かったと思う。それに、君の商才を、まっとうでない商売に使えば、それなりに儲けることもできそうじゃないか?」
「新人二年目にしてそんなことを言われても、わからないわよ」
「うん、まあ、それもそうなんだけどさ……」
「でも、そうね。私ってば、ひどい道化じゃないの」
ソフィアは思わず笑いがこみ上げて、背中が痛んで「あいたたたた」と声を上げる。
蒼白になったウィリアムに「笑わない!」と叱られたけれども、どうにも笑いがこみ上げてしかたがない。
だって、信じられるだろうか。
なんでもできると言いつつ、何もしてこなかったセリムとソフィアを誰よりも評価していたのが、まさかのガードナー辺境伯一族であったというのだ。
ソフィアの気持ちを誰よりも理解していたのはサーシャだったし、本当に、世の中というのは意味が分からない。
(それにしても……)
全容を聞いてみると、心底情けないのが、すべてサーシャのてのひらの上だったという事実だ。
ソフィアは肩を落としながら、ウィリアムを恨めし気に上目遣いで睨む。
「結局、ウィルに仕事を紹介した友人っていうのも、サーシャ姉さんだったのね」
「違うよ?」
「え?」
「友人っていうのは、サルヴェニア子爵領で新人官僚として働いていたときに、僕の指導担当についていた先輩。リチャード=ラングレーっていう人なんだけどね」
ウィリアムはサーシャ失踪の全貌が国王の前で明らかになった後、当然ながら、サルヴェニア子爵領を去ることになった。
貴族界での評判がすこぶる悪い中、次の働き先に悩むウィリアムに、一緒に働いた同僚達の対応は温かかった。
なんだかんだ色んな人が伝手を紹介してくれて、最終的に、指導担当についていたリチャードの紹介でラングレー商会に勤めることになったのだ。
「じゃあ、なんで私のことを知っていたの? 王都に居るだなんて、誰にも連絡しなかったのに」
「セリムが、騎士団で盗難事件を起こしたのを聞いてね。あの事件のせいで、国や騎士団から、僕やサーシャ、ジェファソン子爵家に連絡が来たんだ」
「ああ、それは……なるほど……」
「それで、僕がソフィアに声をかけたいって、サーシャに頼んだ」
「え」
病室で安静にしているソフィアの隣で紅茶を蒸らしていたウィリアムは、ソフィアの驚いた顔に構うことなく、「お、いい頃合いだ」と言いながら、紅茶をカップに注いでいる。
「ちょっと、ウィル。なんでそんなことしたの」
「え? うーん、まあ、その……」
「ウィル」
「おすそ分け、かなあ」
ウィリアムは何故か、目を彷徨わせながら、照れくさそうに頭をかいている。
訝しむソフィアに、彼は居住まいを正した上で話し始めた。
「僕は、ラングレー商会を紹介してくれた先輩だけじゃなくてね、あのサルヴェニア領で知り合った仕事仲間とは、今でも連絡を取り合っているんだけどさ」
「そうなの」
「あそこで働いた経験と、彼らに会えたことが、僕の財産なんだ」
ウィリアムはそうして、言いにくそうにしながらも、かつてサルヴェニア子爵領であったことを教えてくれた。
貴族学園で順風満帆に過ごしていて、なまじ勉強ができたことで、仕事もできると勘違いしていた自分。
何もできない自分と向き合う苦痛。
それでも、周囲の先輩達は、いつまでサルヴェニア子爵領にいるのかわからないウィリアムを根気よく教育してくれたこと。
同じように仕事をしながら、愚痴をきいてくれた同期の仲間達。
「僕は本当に恵まれていた。だから、君のことが気になっていたんだ。あと、セリムのこともね」
「私と……兄さんのことが?」
「サーシャが失踪して、サルヴェニア子爵領の全貌が明るみに出て。二人はきっと、僕みたいに、壁にぶつかっていると思ったんだ。だけどそのとき、二人の周りには誰が居るんだろうって思った」
ウィリアムには、先輩達が居た。同期の仲間達がいた。
彼らが居なかったら、だめな自分を乗り越えることができたかどうかわからない。
そう告げるウィリアムに、ソフィアは静かに耳を傾けている。
「だから、君を商会に誘った。誘いたいって、サーシャに頼んだ。サーシャは関係ないんだ。僕が、同僚のみんなからもらったものを、君達にも渡したかった。ただのお節介なんだ」
なんだか恥ずかしいね、と言う彼に、ソフィアは腹が立って仕方がなかった。
ソフィアの怒っている気配を感じて、ウィリアムはビクッと体を震わせる。
ウィリアムがソフィアの様子を窺っていると、彼女は最終的に、両手で顔を覆ってしまった。
「……ソフィアさん?」
「ずるいわ」
「何が?」
「こんなの、卑怯よ。このタイミングで、そんなこと言うなんて」
「それ、この間の君に僕が言いたかったことなんだけど」
「格好つけすぎでしょ」
「それはまあ、そうかも」
「好き」
空気が凍った。
二人はそのまま、しばらく無言で固まる。
ソフィアは両手で顔を覆ったまま動かないし、ウィリアムもそれを見つめたまま、微動だにしない。
「待って。今のなし」
「え」
「……違うの。こういうのは、だめよ」
「なんで」
「ウィルとは、ずっと一緒に居たいから」
忘れて、と小さく呟いたソフィアに、ウィリアムはごめんと呟いた。
じわりと涙を浮かべるソフィアに、ウィリアムは「待った!」と叫ぶ。
「それは誤解だ」
「何も言ってないわよ」
「僕が好きなのは君だ」
「え?」
「だから! 僕は君が好きだ。だから、さっきのを忘れるのは、多分一生無理だと思う」
だからごめん、と呟いた後、ウィリアムは俯いてしまった。
ソフィアも、自然と俯いて、思考を巡らせる。
そうして思考のたどり着く先は、お互いの発言が指し示すものだ。
じわじわと体温が上がってきて、気がついたときには、二人とも顔を真っ赤に染め上げていた。
「何よ。いつからなの」
「知らないよ。君こそいつからなんだ」
「ウィルがわからないことが、私にわかるわけないでしょ」
「君のほうが頭が回るじゃないか」
「私より賢いのはウィルでしょう!」
「そんな伝家の宝刀みたいに言う内容かな!?」
息を切らしながらそこまで言い切ると、二人はぎこちないそぶりで目を逸らす。
「……別に、その」
「なんだよ」
「どうしてもっていうなら、付き合ってあげてもいいわ」
「どうしても」
「……急に素直じゃない」
「本当に好きなんだ」
ウィリアムの意外な言葉に、ソフィアは目を丸くする。
「本当に、好きなんだ」
真っ赤な顔で床を見ているウィリアムに、ソフィアも床を見ながら、とりあえずお礼を言うことにした。
心臓がバクバクと音を立てていて、きっとソフィアの顔も、ウィリアムに負けず劣らず赤くなっているのだろうと思う。
「……ありがとう」
「どういたしまして?」
いつかと同じ言葉に、顔を見合わせたソフィアとウィリアムは、ふ、と失笑する。
一年以上の時間を過ごしてきたぎこちない二人は、とりあえず、初めて手を繋ぐことから始めてみることにした。
あと一話で終わりです
多分(これから書く)




