14 面会
ソフィアは意外にもすんなりとサーシャに会うことができた。
応接室に通された後、ただ一時間ほど、待っていただけだ。
「辺境伯夫人が、お会いになるそうです」
そう言われたとき、ソフィアは目頭が熱くなり、慌てて目をぬぐった。
ここまできたことは、無駄ではなかったのだ。
サーシャはそこまで怒っていないのかもしれない。
そう思ってただひたすら待っていたところに、サーシャは現れた。
そして、一瞬、口を開くことができなくなった。
南国風の碧いデイドレスを身にまとった彼女は、美しかった。
美しい金糸はゆったりと編みこまれた上で結い上げられ、白磁の肌は少し日に焼けているものの血色がよく、赤い唇が映えている。耳にも首元にも、金と宝石をふんだんに使ったアクセサリーが揺れており、右手の薬指では碧い宝石をはめ込まれた指輪が煌めいている。普段使いしやすそうなあれはおそらく、このガードナー次期辺境伯から贈られたものなのだろう。
あの、サーシャ姉さんが。
一つにまとめたひっつめ髪、身だしなみを整えるどころか、いつも領主服に身をつつみ、その領主服だって、汚れが目立たないようにとシャツも暗めの色ばかりを選んでいた。
目の下に消えないクマを抱え、食卓にも来ずにサンドイッチを咥えていた従姉が、磨き上げられた貴族の女性として、この場に居る。
そう、今のソフィアの、何倍も美しく飾られている……。
一瞬、ソフィアの嫉妬が漏れ出たことにサーシャは気が付いたのだろう。
彼女がくすりと笑ったので、ソフィアはビクッと体を震わせ、慌てて「サーシャ姉さん!」と叫んだ。
「会ってくれてありがとう、本当に嬉しいわ!」
ソフィアは満面の笑みで、サーシャに駆け寄る。
けれども、その場にいる護衛に阻まれて、サーシャに接触することはできなかった。
思わず鼻白んでしまったソフィアに、サーシャは微笑みながら、着席を促す。
「ソフィア、久しぶりね」
「サーシャ姉さん! あのね、私達、凄く困ってるの。私達家族でしょう? 助けてくれないかしら」
いつまで時間をとってもらえるかわからない。
貴族の家族、しかも次期辺境伯の妻ともなれば、時は金、面会に割いてもらえる時間もわずかだろう。
本来なら、場を賑わす話でも振りたいところだが、今のソフィアにはサーシャに提供できる明るい話題もない。
必死の様子で本題に入ったソフィアに、サーシャは沈黙していた。
これはまずい。
けれども、何がまずかったのか。
ここから、どう盛り返せばいいのだろう。
「……父が修道院に行かされてしまって、お金がないのよ。せっかく貴族学園に通っていたのに、学園をやめなくてはいけなくなりそうなの。お願い、助けて。次期辺境伯夫人なら、自由になるお金も沢山あるんでしょう? 私達への援助なんて、はした金よね?」
わからない。
わからないけれど、とにかく哀れっぽくみせるのだ。
手を貸す労力はさほどでもない。
貸さなければ、相手はそこに落ちていく。
返す目処があることも、この賢い従姉ならばわかるはず。
必死に訴えるソフィアに、サーシャは意外なことを言った。
「ソフィア。私、あなた達から、家族として扱われたこと、ないと思うのだけれど」
「えっ」
家族としての扱い?
「私が普段何をしていたのか、知ってる? 私の好きな色、好きな食べ物、どういうところに行って、何をしたいと思っていたのか、一つでも分かるかしら。お誕生日にプレゼントをくれたことはある? 建国記念日の家族パーティーに誘ってくれたことは?」
その質問に、ソフィアは目を泳がせた。
思い出せ。
ここでそれを言えなければ、すべては終わってしまう。
後がないのだ。お金はほとんど王都とガードナー辺境伯領への往復で使い切ってしまう。
なのに、思い出せない。
サーシャとの思い出を、思い出せない。
だって、ないのだ。
サーシャはいつだって、食堂に来なかった。居間に来なかった。ソフィアたちのところに来なかった。
思い出なんてない。
(だけど、それは、私だけのせいじゃないのに!)
「で、でも、同じ屋根の下で生活していたじゃない!」
「私の稼いだお金でね。叔父さんの収入だけでは、あんなふうに贅沢な暮らしはできなかったわ」
「そ、そうよ。あなたが私達を、養ってくれていたの。それは、家族だからでしょう?」
「違うわ。未成年の私にお金を扱う権利がない中、叔父さんが私の資産を好き勝手に使っていた。ただそれだけよ」
青い顔をするソフィアに、サーシャは何の感情も込めない目線を送る。
「だけどね、ソフィア。この九年間で、あなたは一度だけ、私に声をかけてくれたことがあるの」
ソフィアは驚いた顔をした。
いつのことをさしているのか、すぐには思い浮かばず、けれども数秒後にそのときのことが脳裏に浮かんだ。
学園入学前に、ソフィアは見た。
ふらふらと、頼りない足取りで歩いていたこの従姉を見たのだ。
そして、大丈夫、と声をかけた。
それをサーシャは覚えているのだ。
本当はあのとき、もっとしっかり声をかけるべきだったのだ。けれども、ソフィアはそれをしなかった。
あの日あのとき、ソフィアはサーシャから逃げ続けることを決めてしまったのだ。
だから、とてもそのときのことを言葉にできない。
「私が廊下で転んだとき、『大丈夫?』って声をかけてくれた。手当をするとか、そういうことはなかったけれども、ただ、心配する言葉をかけてくれたわね」
「……サーシャ、姉さん……」
「だから、その恩義に報いるため、今日は面会をすることにしたのよ」
瞳に期待を浮かべるソフィアに、サーシャは目を伏せる。
「あなたは平民で、私に会うこともできない立場だわ。最後にこうして会話をする機会をあげたことが、私の恩返しよ」
「そ、そんな! たったそれだけ!?」
「たったそれだけを、手にする力があなたにはないのよ。今までのように贅沢をする力も、あなた達にはないの。分不相応な生活をしてきた過去は、これからの分不相応な生活を保障するものではないわ」
その言葉に、ソフィアは怒りで目の前が真っ赤になった。
ここ数ヶ月の辛かった出来ごと。
なんとかお金を工面してやってきた旅路。
分不相応だと言われた生活への未練。
そして、同じ血を引く従姉妹であるにもかかわらず、かつてのソフィア以上の生活を享受している存在に、それを言われることの激しい屈辱。
歯をかみしめて震えるソフィアに、サーシャはこの日、初めて彼女に向かって微笑んだ。
「したいことがあるなら、自分の力で成し遂げるのよ。あなたにもきっとできるわ。私、あなたのこと、甘えたな女だと思っているけれども、無能ではないこと、知っているもの」
「……?」
「全部分かっていて、知らないふりをしてきた人だって知ってる」
ギクリと肩を震わせるソフィアに、サーシャはただ微笑む。
「私の従妹、ソフィア。あなたは決して、無能じゃない。知っていて知らないふりをしていた、叔父さんの共犯者。私、自分を虐げた人に情けをかける程、愚かじゃないの」
ソフィアは青ざめた。
知っているのだ。
サーシャは、すべてわかっている。
助けるべきか悩んで、その結果、助けの手を出さなかったソフィアのことを、知っている。
「そして、私の辛かった過去は、もう私だけのものじゃない。私の気持ちに共感して、私を助けたいと思ってくれた大切な人達のものでもあるのよ。私があなたに過度の情をかけて許し、あまつさえ援助をするということは、私を助けるために力を貸してくれた人達を足蹴にすることと同義だわ」
サーシャの言うことは正論だ。
そうだ、いつだって、サーシャは正しくあろうとしていた。
サルヴェニア子爵領という領地を捨てずに、一人で領主としてすべてに立ち向かっていた。
でも、そうじゃないのだ。
ソフィアが欲しいのは極論だ。贔屓で、寵愛で、不公平でいいのだ。
でないと、ソフィアが救われない。
「そんなことをしたら、私の手元に残るのは、『許した』という優越感と間違った正義感、そして私を足蹴にしたあなた達だけよ。だから、私はそうしない」
「サーシャ姉さん、でも!」
「さあ、お客様がお帰りよ。連れて行きなさい」
ソフィアは取りすがるようにして叫んだけれども、サーシャには届かなかった。
護衛に引きずられるようにして、領主官邸の外に追い出される。ガタイのいい兵士達に女一人で抵抗できるはずもなく、ソフィアは建物の外に放り出されてしまった。
裏口で人が少ないとはいえ、そこそこに人が行き交っている中、護衛に外に追いだされたソフィアは注目を浴びていた。
しかし、ソフィアは動けなかった。
呆然と、今出てきた建物を見つめる。
(……どうしたら。一体、どうしたら)
サーシャはすでに心を決めていた。
これから何度面会を申し出ても、ソフィアはサーシャと会うことはないし、会ったとしても、彼女がソフィアを支援してくれることはないだろう。
貴族としての生活。
王宮侍女としての明るい未来。
綺麗な服を着て、美味しいものを食べて、ちょっと商人に物申していればすむ生活……。
(失ったわけじゃない。まだ、取り返せる。取り返さないと。でないと、私はなんのために)
そこから先は、言葉にならなかった。
意識することすら、脳が拒絶する。
(いやだ、いやだいやだいやだいやだ)
(なんで、私だけが!)
ソフィアは宿に戻り、兄のセリムに電報を書いた。
『シッパイ サーシャ カタクナ』
電報は文字数毎にお金を取られるので、言葉は最小限を選んだ。
これだけで、兄はソフィアが何を言いたいのか理解することだろう。
こうして、ソフィアは王都にいる母と兄の元に戻った。
しかし、そこに居たのは母だけで、兄セリムは失踪していた。




