7 突き放したのは
サーシャの失踪の知らせが国土に広まったのは、ちょうどソフィアが新しい学年に上がる手前、春休み中のことだった。
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春休み期間に自領に帰省していたソフィアは、家の中の雰囲気がピリピリしていることに、居心地の悪さを感じる。
出迎えの使用人も少なかったし、紅茶は冷めた状態で運ばれてくる。
せっかく久しぶりに帰省したというのに、なんなのだろう。
「セリム、ソフィア。話がある」
「パパ……いえ、お父様」
「ジェニファーも来なさい。家族に関わる大事な話だ」
居間に現れた父サイラスは、目の下にクマを作り、げっそりとした様子であった。
自分には関係ないという顔をしていた母ジェニファーは、声をかけられて、嫌そうに片眉を上げる。
ため息をつく父サイラスに、ソフィアはなんだか嫌な予感で手を握りしめる。
「サーシャの失踪について、公表することになった」
ソフィアは目を見開き、兄セリムは眉をしかめた。
母ジェニファーは何事もないかのように紅茶を飲んでいる。
「父さん。公表する必要はあるのか?」
「……国王陛下の主導の下、全国的な捜索が行われる」
サイラスの言葉に、セリムは愕然とする。
「陛下が? な、なんでそんな。子爵なんかに……」
「ここは交通の要所だからな。陛下も気にかけておられる」
「別にそんな、サーシャなんて探さなくてもいいだろう。十代のあいつがやっていたことなんて大したことはないだろうし。父さんが子爵代理から、子爵になり代わればいいだけじゃ――」
気がつくと、セリムは紅茶を頭から被っていた。
給仕のために近づいた侍女がやったのだと気がつくまでに数瞬。
冷めた紅茶であったことが幸いし、火傷を負ってはいないようだが、セリムは紅茶で濡れたまま呆然としていた。
「――ふざけないで!」
今まで誰からも向けられたことがないような、ドス黒い恨みと怒りに燃える視線に、ソフィアも、紅茶をかけられたセリムも動けない。
「な、何……」
「この九年間、サーシャ様がどれだけのことをしていたと思っているの!」
ぶるぶると怒りに震えるその侍女は、今にも掴みかからんばかりの形相で一家を見ている。
その彼女を止めたのは、他の使用人達だった。
腕を掴まれ、セリムから引き剥がされた侍女は、それでもセリムに向かって叫んでいる。
「お前やお前の父親なんかに、この子爵領の領主が務まるもんか!」
「や、やめろ、ティエナ!」
「こんな事態なのに、なんの手伝いもせずに! サーシャ様の捜索だって三ヶ月も公表を遅らせて。陛下が手を下さなかったらお前らは、何もしないつもりだっただろう!」
「ティエナ、やめなさい! サーシャ様の留守を守るために、ここに残るんじゃなかったのか!」
「でも! みんなは許せるんですか、これを! この、人間のクズ達を! あの方が何をしてきたのか、九年も、知ろうともせずに!」
ティエナと呼ばれた侍女は、泣きながら叫んでいた。彼女はそのまま、他の使用人達によって退室させられていく。
呆然としているセリムに、誰もタオルを用意したりはしない。
サイラスはため息をついて、執事の一人に命じた。
「あれはクビだ」
「……はい」
「セリムに拭くものを持ってこい」
使用人達は、物言わず下がる。
サイラスはもう一度ため息をつくと、ハンカチを取り出してセリムに放り投げた。セリムは自分のものも含め、ハンカチで頭を拭きながら、父の言葉を待つ。
「サーシャは子爵として働いていた。セリムもそれは知っているな?」
「……うん」
「統治の難所、サルヴェニア子爵領を、九歳の頃から今に至るまでの九年間、持たせた。陛下が興味を持っておられる」
「それが一体、なんなんだ?」
「サーシャが見つからなければ、この子爵領はおそらく、別の領主を迎えることになる」
「な、なんで! 父さんが、継げばいいだろう! そうしたら、ただの子爵の交代で済んで――」
「私は嫌だよ」
は、と動きを止める兄セリムの気持ちが、ソフィアにはよく分かった。
父は一体、何を言っているのだ?
「お前達も分かっているだろう。このサルヴェニアの土地が、どういう場所か」
分かっていない。
知らない。
ソフィアは何も知らない。知りたくない。
「お前達の祖父母は、過労で死んだ。サーシャの両親は――兄さん達は事故死だが、兄さん達がこの居間にいるところを、お前達は何回見たことがある?」
そんなの知らない。
だって、小さい頃からそうだった。
肝心の当主のいない、領主邸の居間。
「サーシャも仕事から戻らない。私は嫌だよ。そんな生き方はできない。お前達は、自分の生活を維持するために、私に馬車馬のように働かせて過労死させるつもりなのかい?」
違う。
そう言わなければいけないのに、言葉が出てこない。
だって、そのとおりだ。
ソフィアは、子どもだから、まだ育ててもらう立場だから、父に養ってもらいたいと思っていた。
でも、それは悪い事なの? 当然の権利ではないの?
「サーシャは九歳の頃から、当主として仕事をしていたよ。お前達も、サルヴェニア子爵家の一員としての地位を保ちたいなら、自分が代わりに仕事をしなさい。お前達もそれができるだけの年齢だ」
「で、でも父さん! 僕は、騎士に!」
「その自由を保障できる状況ではなくなったことは分かるだろう?」
「そんな、でも!」
「サーシャが居なくなった。ならばあるべき次の当主は、その次の世代は誰だ」
兄セリムは、血の気の引いた顔で固まった。
サーシャが居なくなったのであれば、本来、何事もなければ、次の子爵はサイラスだ。そして、それを継ぐのは、嫡子であるセリム。けれども、セリムは領地経営を始め、領主向けの勉学を疎かにしてきた。騎士になるのだと、領主や官僚という選択肢を完全に除外してきたのだ。そして何より、治めるべき土地として目の前にあるのは、統治の難所、サルヴェニア子爵領。
青を通り越して白い顔をしているセリムを見た父サイラスは、父親のする顔とは思えない、あざけるような表情で嗤った。
「まあ、私の子だ。そんなものだろう」
「……!」
「身の振り方を考えなさい。一応、隠し金はある。ただ、貴族の一員でいたいなら、あがくことだ。私もサーシャも、お前達と同じ年頃には、既に足掻いていたよ」
それだけ言うと、サイラスは、母ジェニファーを見た。
ジェニファーは、こんな話を聞いたとばかりだというのに、穏やかに微笑んでいる。
「私は、お金さえあれば構いませんわ」
「そうだね」
「そういう約束でしたもの」
「うん。分かっているよ」
そう言うと、ソフィアの両親はお互いに分かったような顔で微笑んだ。
ソフィアは、世界が崩れ落ちるような感覚を覚えた。
目の前がぐらぐらと揺れる。
これは一体、何。
身の振り方を考える? サーシャが、やってきたこととは。貴族の一員でいるために、自分で……?
父サイラスが去り、母ジェニファーが興ざめとばかりに部屋に戻ると、兄セリムがソフィアに食って掛かってきた。
「ソフィア。お前、目ぼしい男は居ないのか」
「えっ」
「誰でもいい。お前が領主になれる男を夫にすれば、なんとかなる」
「そんな、無茶言わないでよ! 私が居るのは中級クラスで、私が一番優秀なのよ。あそこにいるような男に、このサルヴェニア子爵領を任せるなんて」
「じゃあどうするんだ!」
理不尽な兄の叫びに、ソフィアは返す言葉がない。
「僕にこの子爵領の領主が務まると思ってるのか!」
「兄さん」
「このままじゃ、卒業も危ない。お前は僕に、平民と同じ、いやそれより二年も三年も遅れて、見習い騎士から始めろって言うのか!」
そんなことを言われても困る。
ソフィアの気持ちはただそれだけだった。
セリムだけではない、ソフィアだって、学園を卒業できないのは困るのだ。サルヴェニア子爵領に戻ること自体も、何がなんでも避けたい。
「……兄さんならできるわ。騎士は……残念だけど……」
「お前にだってできるだろう」
「私に押し付けないでよ。嫡男は、兄さんでしょう!?」
「僕は嫌だ。父さんが無理だと逃げたものを、なんで僕が!」
「嫡男だからよ。長男で……何より、兄さんはできる人じゃない」
「僕はお前やサーシャ姉さん、ウィリアム様と違って、領地経営の勉強なんて、殆どしていない!」
「……それが、なんだというの?」
兄セリムは確かにこれまで、統治の勉強を疎かにしてきた。
だが、それが一体、なんだというのだ?
ソフィアの視線に、セリムは目を見開いた。
そして、逡巡した後――憎々しげに、ソフィアを睨みつけながら、吐き捨てるように叫んだ。
「……ああ、分かったよ。お前相手に隠しても仕方がない。サルヴェニア子爵領の領主、できなくはないさ。サーシャ姉さんみたいに馬車馬で働けば、あのウィリアムよりはな!」
サーシャの婚約者であるウィリアムは、業績がよくないらしい。彼では、サーシャの代わりにはならないのだ。統治に関してさほどのセンスは無く、目端も利かず、新人事務官として補佐の付いた状況で手伝いをするにとどまってるという。
しかし、セリムは違う。
統治のセンスがないのではない。能力が足りないのではない。ソフィアが思うに、多分――ただ、やりたくないだけ。
「勉強なんて、これからすればいい。お前が思ってるとおりだよ。できないんじゃない、避けてきたんだ。万が一にも、使える奴だと思われたくなかったから!」
足りないものは今から補えばいい。知識なんて、やる気があれば吸収するのは訳もない。
ソフィアがそうなのだ。
一学年上の中級クラスで、常にクラストップの成績を維持しているセリムの能力も、きっとさほど変わらないはず。
けれども、セリムはそれを、今までずっと隠してきた。
自領の官僚ではなく、騎士を目指すと豪語し、騎士向けの選択科目を取得した。領主や官僚という選択肢を、握り潰そうとしていた。
――優秀だと思われたら、どうなる?
領主一族の一人が、サーシャの支えになれる人材だと認識されたら。サルヴェニア子爵領領地経営を任せるに値すると思われたら――。
要は、サイラスの二人目の子であるソフィアよりも、一人目の子である兄セリムの方が、ずっと大きく身の危険を感じ、息を潜めていたということだ。
「僕だって嫌だ」
「兄さん!」
「お前だってそうだろう。サーシャ姉さんが父さんに食って掛かっていたあのとき」
ギクリと身を震わせるソフィアに、セリムは嗤う。
父サイラスと、そっくりな顔で。
「あのとき、お前はサーシャ姉さんを見捨てたんだ」
「……兄さんも、居たの」
「お前だって、同じだ」
「やめて」
「僕だけじゃない。お前も、全てをサーシャ姉さんに押し付けて逃げたくせに!」
「やめて、やめてよ!」
悲鳴のように叫ぶソフィアに、セリムは念を押すように言い放つ。
「いいから、領主になれそうな男を見繕ってこい。お前自身がサルヴェニア子爵領の領主になれって言わない分、優しいだろう」
それから、その春休みの間、ソフィアは兄セリムと口を利かなかった。
真っ先に突き放したのは父と兄
次は学園です




