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6 従姉の失踪



 子爵サーシャ=サルヴェニアが失踪した。

 それは、サルヴェニア子爵領の存在そのものを揺るがす事態だ。


 しかし、サーシャが、失踪したことに気が付かれたのは、失踪した翌朝のことだった。


 何しろ、サーシャは夕食を食堂で摂らない。

 領主邸の執務室か、領主官邸の執務室のどちらかに食事を運ばせ、仕事をしながら食事をしていたのだ。あるいは、会食のため、外で食事を摂っていた。なので、領主邸のシェフも、領主官邸のシェフも、連絡がないことを不思議には思いつつ、今日は別の建物で食事を摂ったのだろうと納得していたのだ。

 他の使用人達もそうだ。

 サーシャは領主邸の自分の寝室に戻らないことも多々あった。仕事が深夜に及んだ場合、彼女は領主官邸にある湯あみ設備を使って、ソファで仮眠を取り、そのまま執務を継続していたからだ。

 だから、サーシャが自分達の目の届く範囲に居なかったとしても、彼女は別の建物に居るのだろうと、皆、そう思っていたのだ。


 彼女がいないことに最初に気が付いたのは、家令のグレッグだ。


 彼は毎朝必ず、サーシャに領内全体に関する業務報告を受ける。

 しかし、領主邸にも領主官邸にも、サーシャはいない。寝室にも、執務室にも、どこにも居ないのだ。


「サイラス様!」

「なんだ、騒々しい。ここは食堂だぞ。朝食が終わった後で……」

「サーシャ様が居ません」


 固まるサイラスに、グレッグは青い顔で、「どこにもおられません」と続けた。


 ソフィアがこんなにも青い顔をしているグレッグを見たのは二度目だった。

 九年前のあの日。サーシャの両親が亡くなった、あのとき。


 ソフィアが血の気の引いた顔で、朝食を食べる手を止めていると、父サイラスが立ち上がり、激昂したように叫んだ。


「居ないとはどういうことだ!」

「この邸内にも、職場にもおられません。早朝から職場に居た者を使って、荒くですが全体を捜索しました。ですが、どこにも」

「まだ探していないところがあるだろう! 私が探す。捜索に参加した者はどこだ!」

「サーシャ様の、本邸及び領主官邸の執務室に集めています」

「本邸は私が指揮する、お前は官邸へ急げ。人事部長のナサニエルが出勤したら、最優先で捜索チームを編成させろ。医療隊を二隊、各邸宅の執務室に配置しておけ。捜索には無線機を使用しろ」

「畏まりました」


 家令のグレッグは頭を下げると、足早に食堂を立ち去った。

 サイラスは、残っていた朝食をかき込んだ後、同じく足早に食堂を出ていく。


 ソフィアは、初めて見る父の狼狽した様子、そして何よりも、その機敏な対応に驚愕した。

 そして、食卓についたままの母ジェニファーは、何事もなかったかのように食事を再開した。そのことも、ソフィアに衝撃を与えた。


「……お母様」

「あら。ママ呼びは卒業かしら。寂しいものね」

「お母様は、行かなくていいの?」


 ソフィアの質問に、ジェニファーは穏やかに答えた。


「あの人が行くならなんとかなるわよ。私なんかが介入したら、邪魔になってしまうわ」


 反応できないソフィアに、声をかけたのは、兄セリムだ。

 気が付くと、皿の上は空になっていた。それまで黙っていたのは、朝食を掻き込んでいたかららしい。


「僕は行く」

「兄さん」

「探すなら、一人でも人手があった方がいい」

「私も」

「来るなら全部食べてからにしろよ。こういう緊急事態のときは、できるときに補給はしておかないと」


 ソフィアは立ち上がろうとして、セリムの言葉に動きを止めた。

 セリムは騎士を目指しているので、騎士になるための選択科目を受講しているのだ。おそらく、その授業の中で、そういう教えがあるのだろう。確かに、父サイラスも、食べられるだけ食べてこの場を出ていった。


 出て行くセリムの背中を見守った後、ソフィアは自分も朝食を済ませ、食堂を立ち去る。

 母ジェニファーだけは、ゆったりとその場で朝食を摂っていた。



****


 そうして、サルヴェニア子爵領では、子爵サーシャの捜索が行われた。


 当初は、サーシャはどこか人目のつかない所で倒れているのではないかと、大騒ぎだった。

 皆の脳裏には、脳溢血で倒れたサーシャの祖父、ザックス=サルヴェニアのことがあった。サーシャも、ザックスと同じように、日々体と頭を酷使し続けていた。だから、倒れていても不思議ではないと、誰もが最悪の事態を想定したのだ。


 彼女はその頃、倒れるどころか辻馬車に乗り、ガードナー辺境伯領に向けて出立していたのだが、探している者達にはそんなことは分からない。


 とにかく、彼女は見つからなかった。


 二日間捜索を続け、最終的に、自ら行方をくらませたのだと、父サイラスは判断したらしい。

 『らしい』というのは、サイラスが殆ど家に戻らなくなったからだ。家令のグレッグも、殆ど領主官邸に入り浸っているようで、領主邸には近寄らなくなった。だから、全て使用人達から伝聞で聞いたことだ。


 貴族学園の冬休み期間を使って帰省していたソフィアは、これからどうしたらいいのか分からず、誰に聞いたらいいのかも分からず悶々と日々を過ごす。

 俯きながら廊下を歩き、ふと、居間に居る兄セリムを見つけて、ソフィアは走り寄った。

 彼は捜索が終わってからもサーシャを探している。今日も捜索に出ていたのか、疲れた様子でソファに座り、紅茶を飲んでいる。


「兄さん。これから、どうするの?」

「ソフィア。……僕は貴族学園に戻るよ」

「えっ。子爵領の仕事を手伝うために残らなくていいの?」

「ウィリアム様は、これからサルヴェニア子爵領の仕事を手伝うらしい。元々、卒業後は執務に当たる予定だったし、あの人は最終学年で、最低出席日数も超えているから、三学期の授業に出席しなくても卒業できる。でも僕らは違うだろう」


 そうなのだ。

 セリムとソフィアは、学園に戻り、単位を取得しなければならない。でなければ、貴族学園を留年することになってしまう。

 正直、三学期の授業に出なくても、次の学年に上がることまではできるだろう。

 しかし、一学期分の欠席が、次の学年での勉学に影響することは間違いない。そして、最悪の場合、中級クラスに居るソフィア達は、次の学年で下級クラスに落とされるかもしれない。それは、卒業後の進路に影響する重大な問題だった。


「でも、自領が大変な時に、いいのかしら」

「それはそうだけど。ここに居て、僕達に手伝えることなんてあるか?」

「……お茶を運ぶとか、書類整理とか」

「そんなの、金で雇った誰かにやらせればいい単純作業だろ。貴族学園の授業をさぼってここに残るなら、それなりの仕事をしないと。そんなの、何かあるか?」


 ソフィアは、息を呑んだ。

 それなりの仕事。

 何かあるかどうかも、ソフィアは知らない。サルヴェニア子爵領のことを、何も知らない。

 ソフィアは震える自分の手を握りしめた。


「…………分からない……」

「……。だろう? だから、僕は戻る。元々僕は騎士志望で、文官志望じゃないからな。卒業後に勤め始めたときの給金で恩返しをするさ」


 そう言うと、そそくさと自室に戻ったセリムに、ソフィアは暫く、その場に佇んでいた。



****


 その後、ソフィアは貴族学園に戻った。

 そして、何かに急かされるように、今まで以上に勉強に励んだ。

 そんなソフィアを真っ先に心配したのは、友人のライカだった。

 テラス席で、時間を忘れて黙々と勉強をしているところに、彼女は現れた。


「ソフィア。なんだか最近、元気がないわ。大丈夫?」

「ライカ。……ちょっと、自領が大変で」

「ここに居ていいの?」

「私には、できることがないから」

「……そうなの?」

「うん。その分、ここでしっかり勉強しないと」


 何か言いたそうなライカに、ソフィアは微笑み、目の前の教科書と向き合う。


 そうだ、今、自領に対してソフィアが直接的にできることは、何もない。

 だから、勉強に邁進するべきだ。子どもであり、力のないソフィアにできる、やるべきこと。


「本当に?」


 だから、その言葉がとても不快だった。

 ソフィアだって、考えた上でここに居るのだ。

 だと言うのに。

 ソフィアが教科書から目を離し、ライカを見上げると、ライカは真剣な顔でこちらを見ていた。


「ソフィア。もう一度聞くわ。自領が大変なら、手伝わなくていいの?」

「手伝うって、何を?」

「何を、って……」

「私みたいな子どもにできることなんて、単純作業くらいよ。それなら、人を雇えばいいもの」

「それはそうだけど。そうじゃないこともあるでしょう」

「そうじゃないことは、父がやってるから」

「あなたのお父様が手伝って、それで済みそうな問題なの?」

「何が言いたいの」

「ウィリアム様は、学園に来ていないって聞いてる」


 ギクリと体を強張らせるソフィアに、ライカは続ける。

 ふと周りを見渡すと、自分達の周りには人が居なかった。テラス席の遠くに座っている生徒はいるものの、おそらくあの距離なら、ソフィア達の会話は聞こえないだろう。

 ライカは、この話をする場所として、外野に話を聞かれないタイミングを選んだのだ。


「なぜ、婚約者に過ぎないウィリアム様が手伝うのに、サルヴェニアの領主一族のソフィアがここにいるの?」

「……私は、成人前の子どもだもの」

「ウィリアム様と二つしか違わないわ」

「ライカ」

「友達として、あなたのために聞くわ。サルヴェニア子爵領に何があったのかは知らない。だけどソフィア。あなたは本当に、ここに居ていいの」


 射抜くような視線に、ソフィアの苛立ちはこれ以上ないほど大きくなった。

 なぜ、人の領地のことに口出しをするのか。

 ソフィアだって、悩んだ末にここにいるのだ。

 それなのに。


「何も知らないくせに」

「ソフィア」

「サルヴェニア子爵領のことも、うちのことも。ライカは何も知らないでしょう」

「……そうよ。だから、あなたに聞いてるの」

「自分のことじゃないからって、理屈を振りかざさないで」


 ソフィアは教科書をバックに収め、席を立った。

 そんなソフィアを、ライカは悲しそうに見つめていた。



 そしてその三ヶ月後、瞬く間に、子爵であるサーシャ=サルヴェニアの失踪の知らせが、国土を走る大ニュースとして広まったのだった。





意外と転落せずにまだもちこたえてしまったので

投稿を悩みましたがとりあえず。


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