5 開けた未来
学園に入学し、ソフィアの世界は広がった。
「ソフィアはほんと、優秀よねえ」
ライカ=ラフォルトは、カフェテラスで宿題を広げながらため息を吐く。
「こことここの計算式を合わせれば、ほら、答えが出たわよ」
「それを覚えていて、思い出すのが大変なんじゃない」
「正直、頭脳には自信がある……」
「ほほう。敵を作ることを厭わない慢心ぶり、上等じゃない」
「ごめんなさい」
「うむ、許そう」
「なんという上から目線……」
くすくす笑うソフィアに、ライカも笑っている。
貴族学園での友人は何人かいたけれども、一番仲良くなったのは、目の前にいるこのライカだった。
貴族学園の学生達は、当主の子どもであることが多い。嫡子として、または嫡子に何かあったときの控えとして学園に通う彼らと、当主の従妹にすぎないソフィアは、仲は悪くないけれども、価値観が合わないこともままある。
それに比べて、ラフォルト伯爵の弟の子であるライカは、ソフィアと立ち位置が似ていることもあり、話が合うことが多く、気安かったのだ。
「それにしても、これで子爵家の傍系だなんてねえ」
「うん?」
「ソフィアはやっぱり、王宮で勤めるべきだわ。一代侯爵を狙いましょう」
「一代侯爵の妻じゃなくて?」
「そうよ。侯爵本人」
「宰相にでもなれってこと?」
「この国で初めての女宰相ね」
大袈裟な物言いのライカに、ソフィアはくすくす笑う。
一代侯爵は言い過ぎだが、ソフィアの学業の成績は良かった。子爵家の傍系であることを考慮され、中級クラスに配属されたけれども、成績は体育以外は常にクラストップ。ちなみに、一学年上の兄も中級クラス配属だけれども、似たような状況らしい。
ソフィアは正直、勉強が得意だった。
知識を入れるのは楽しいし、試験の順位が張り出されるので虚栄心も満たされる。
そして、そんなふうに優秀さを隠さないソフィアに、クラスメート達も好感を持って接してくれていた。
中には、異性として意識してくれている素振りの、子爵家や男爵家の嫡子だっている。しかし、ソフィアは彼らには靡かなかった。
(王宮で勤めたら、きっともっといい出会いがあるもの)
下手にクラス内で婚約者を作るより、一代伯爵の誰かと結婚する方が、きっとソフィアの能力も生かせるし、性に合っている。
「それにしても、貴族の一族って得よね」
「ライカ?」
「貴族学園に通うことができて、卒業後は色々な選択肢があるもの。特に私達は嫡子じゃないし」
「そうね」
「どうやって家に恩返しをするかが悩ましいところだけれど。ソフィアなら沢山選択肢がありそうよね」
「……ええ。なんとなく、王宮勤めをする考えではいるのだけれど」
ソフィアはサルヴェニア子爵領を継ぐ訳ではない。
だから、王宮という政治の中枢部で力をつけ、かの子爵領が少しでも有利な環境になるよう、必要な時に取り計らえば、恩返しにもなるだろう。
「子爵領に戻って、官僚になったりはしないの?」
「ええ。私は、王都にいたいから」
「まあ、そうよね。一度王都に慣れてしまうと、田舎に戻るのって辛いわ」
肩を竦めるライカに、ソフィアは引きつった笑いを浮かべる。
サルヴェニア子爵領に戻って官僚になる。
それは、ソフィアにとって死刑宣告をされることに近しい行為だった。
あそこに戻ると言うことはおそらく、子爵領の官僚という名誉のない立場で、馬車馬のように働かされ、酷使されるということだ。それはソフィアにとって、耐えがたい。
(別に、あの領地のことを忘れた訳じゃないわ……)
子爵領のことは、『できる人』『やりたい人』がやること。
ソフィアは今、学生だ。だから、学ぶことが本分で、悪い事をしている訳ではない。
卒業後に王宮勤めをしたとしても、働かない訳ではない。サルヴェニア子爵領のためになることだって、しようと思っている。それに、嫡子でないソフィアが、直接手助けしなくても問題ないはずだ。あの領地は、この九年間、ずっと問題なく治められてきたのだから。
そうしてソフィアは、子爵領のことはなるべく頭から排除し、順風満帆に学生生活を過ごしていた。
ただ、彼女にとって気になることが一つあった。
サーシャの婚約者であるウィリアムのことである。
「あ、ウィリアム様よ。また沢山の女の子に囲まれているわ」
ライカの言葉に、ソフィアは眉を顰める。
ウィリアムは、二学年上の上級クラスに配属されていた。
成績は上級クラスの上の方で、女性陣にも人気があるのだという。囲んでいる女性陣からすると、おそらく、『婚約者がいるいい男』というポジションが気安いのだろう。男爵令嬢達は、ともすると愛人を狙っているのかもしれない。サルヴェニアは、税収が高い地だと聞くから。
「……」
「ああ、ソフィアは心配よね。従姉の婚約者だものね」
「そうなのよ。サーシャ姉さんの手落ちだとは思うけれど」
サーシャは着飾らない。
おそらく、ボロボロになるまで仕事に邁進し、わき目を振らずに生きているからだ。
しかし、それは当主として視野が狭すぎないか。
隣地のウェルニクス伯爵家と誼を結べば、それだけの配慮を受けることができる。関税率をお互いに下げたり、同じ施策をすることで流行を作り出すことができたりと、隣地の大領地と提携するメリットは計り知れないのだ。
だというのに、婚約者のウィリアムだけを貴族学園に通わせ、自分は領地に引きこもり、彼を野放しにしている。
しかも、ウィリアムは成績が良く、今後仕事の上でも、サーシャの力になるであろうことは間違いないのに。
(このまま婚約破棄でもされたらたまらないわ)
そう思いながら、冬休みに一時的に実家に戻ったソフィアは、どうすればいいのか悶々としていた。
とりあえず、父サイラスに相談してみるかと思い、団欒の場でその話題を出す。
すると、意外なことに兄セリムがその話題に乗ってきた。
「ウィリアム様、可哀想にね」
「そうだよ。あんなに優秀なのに、うちのボロ雑巾なんかと結婚だなんて」
「こら、そんなことを言ったらだめだよ、セリム、ソフィア」
たしなめる父は、決して、現在のサーシャがぼろ雑巾のような状態であることを否定はしない。
胸の中に燻るもやもやした何かを払いのけるように、続きを話そうとして、ソフィアは気が付いた。
視界の端で、捉えた。
――サーシャ姉さんが、聞いてる。
ソフィアは顔を上げて、父に言い募った。
「……だってパパ。髪もいつも一つに縛っていて、色気のかけらもないし、デート一つまともにできないのよ?」
「ウィリアム様、学園だと優秀でモテるんだ。色んな女の子に誘われてはデートしてるみたいだし」
「……今のサーシャはアレだからなぁ。ま、学生の間は遊んでいても、うちに婿に来てくれるつもりはあるんだろう?」
「他に手頃な跡取り娘がいれば、乗り換えそうな気もするけどなぁ」
「うーん、それは流石に困るな。ウェルニクス伯爵に釘を刺しておくか……」
その後、すぐに話題は変わってしまった。
しかし、サーシャは今の話を聞いたはずだ。
ソフィアは、自らの功績にほくそ笑んだ。
(サーシャ姉さんが、放置してるから。今からでも遅くないわ。仕事の量を抑えて、ちゃんと着飾って……)
先程の話を聞いたサーシャは、きっと人生における優先順位を見直し、ウィリアムを絡めとるべく策を弄するはずだ。
サーシャは、着飾ればそれなりに見目もいいはず。何しろ、ソフィアの従兄弟で、サルヴェニアの一族の令嬢なのだから。
そう思い、ソフィアは、人生における課題の一つに着手したような、解決したような、そんな気持ちになっていたのだ。
ウィリアムがサルヴェニア子爵の夫となる未来を、確定させたつもりでいた。
そして、その日の夕方、サーシャは人生における優先順位を見直した。
疲労困憊のソフィアの従姉、子爵サーシャは失踪したのである。
次話から転落開始です。
どんぐりのように転がり落ちてきます。




