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18 エピローグ(終)




 空は快晴。

 夏の日差しが降り注ぐ中、私サーシャと夫のガイアスは、海辺の砂浜に遊びに来ていた。


 数ヶ月前、私の実家のサルヴェニア子爵家は取り潰しとなり、サルヴェニア子爵領はダナフォール侯爵領へと姿を変えた。

 現在、ダナフォール侯爵領の統治は問題なく行われているようだ。

 ガイアスが家令をクビにしたと聞いた時には驚いたけれども、私と各部の部長達で無事にダナフォール一家に引継ぎを行うこともできた。ダナフォール一家は非常に頭の回転が速く、何を伝えても、乾いた土に水をやったがごとく吸収されていくので、引継ぎは楽しかった。いや、後半はむしろ恐ろしさを感じる程だった。ただ、私が「ダナフォール一家、優秀すぎてもはや怖いわ」と統治部の部長に愚痴を言ったところ、「ご自分のことは見えないのですね……」と呟くばかりで、共感してもらえなかったのは残念なことである。


「でも、心配だなー。鉱山長とか、どうなったかしら」

「心配するような相手か?」

「うん。彼ね、いつも怒鳴るけど、ああやって自分が前に立って怒鳴ることで、他の人たちの怒気を抑えていたみたいなの。『頭の悪い俺にはこういう方法しか取れない』って悩んでいたもの。とはいえ、ただ()()()()()を起こして怒鳴り散らすときも多かったから、私は苦手だったんだけどね」


 朗らかに笑いながら、私は裸足になった足で、足元の海水を散らす。


 半年前は、こんなふうに穏やかな気持ちで、昔の話をできるようになるなんて思ってもみなかった。


(きっと素敵な旦那様のおかげね)


 そうして気が緩んだところで、強風で日傘が煽られ、バランスを崩した私は海の中にべしゃっとしりもちをつく形で転んでしまった。


「サーシャ!」

「びっくりした。服がびしょびしょ!」

「だからやめた方がいいって言ったのに」

「どうしても、水遊びがしたかったんだもの」

「……人払いをしていて本当によかったよ」


 海水まみれでけらけら笑っている私に、ガイアスはタオルを被せる。

 私はありがたくそのタオルを受けとった。


「だって、男性は海の中に入って遊ぶじゃない。私だって遊びたいわ」

「貴族の女は、海は日焼けするから嫌だって避けるものなんだけどなぁ」

「こんなに綺麗な場所を避けるなんて、人生損してると思うわよ?」

「そうか」


 本当に嬉しそうに笑うガイアスに、私はふと、伝えていなかったことを思いだした。


「そうだ。昨日、従妹のソフィアが私のところに突撃してきたわ」

「んん? ちょっと待て、それ、大丈夫だったのか」

「うん。要はただの、お金の無心だったから」

「……融通したのか?」


 立ち上がった水浸しの私をタオルで拭いながら、ガイアスは心配そうな顔で私を見ている。

 そんな彼に、私は満面の笑みで微笑んだ。


「まさか!」



****


 昨日のソフィアの訪問は、当然と言えば当然なのだが、アポイントメントなしでのものだった。


 侍女から、私宛てにソフィアが来ていると聞いたときには本当に驚いた。

 平民に過ぎない彼女は、次期辺境伯夫人である私に、会いたいと思って会える身分ではない。面会するかどうかは、私の一存で決まる。


 少し悩んだ後、私はソフィアと面会することにした。


「サーシャ姉さん! 会ってくれてありがとう、本当に嬉しいわ!」


 ソフィアは、私が応接室に入室するなり駆け寄ってきたけれども、護衛に阻まれて、私に接触することはできなかった。

 鼻白むソフィアに、私は微笑みながら、着席を促す。


「ソフィア、久しぶりね」

「サーシャ姉さん! あのね、私達、凄く困ってるの。私達家族でしょう? 助けてくれないかしら」


 助けてもらえると確信を抱いた表情で縋ってくるソフィアに、私は沈黙した。

 『私達』というのはおそらく、ソフィアと、ソフィアの母、そしてソフィアの兄セリムのことだろう。


「父が修道院に行かされてしまって、お金がないのよ。せっかく貴族学園に通っていたのに、学園をやめなくてはいけなくなりそうなの。お願い、助けて。次期辺境伯夫人なら、自由になるお金も沢山あるんでしょう? 私達への援助なんて、はした金よね?」


 叔父サイラスの家族。

 私に対して、具体的に何をした訳でもない。

 逆に、優しくしてくれたことも特になく、私の資産を使って、贅沢な暮らしをし、ドレスを買い、身を飾り、貴族学園に通っていた人達。


「ソフィア。私、あなた達から、家族として扱われたこと、ないと思うのだけれど」

「えっ」

「私が普段何をしていたのか、知ってる? 私の好きな色、好きな食べ物、どういうところに行って、何をしたいと思っていたのか、一つでも分かるかしら。お誕生日にプレゼントをくれたことはある? 建国記念日の家族パーティーに誘ってくれたことは?」


 私の質問に、ソフィアは目を泳がせる。


「で、でも、同じ屋根の下で生活していたじゃない!」

「私の稼いだお金でね。叔父さんの収入だけでは、あんなふうに贅沢な暮らしはできなかったわ」

「そ、そうよ。あなたが私達を、養ってくれていたの。それは、家族だからでしょう?」

「違うわ。未成年の私にお金を扱う権利がない中、叔父さんが私の資産を好き勝手に使っていた。ただそれだけよ」


 青い顔をするソフィアに、私は何の感情も込めない目線を送る。


「だけどね、ソフィア。この九年間で、あなたは一度だけ、私に声をかけてくれたことがあるの」


 ソフィアは驚いた顔をした。

 どうやら、覚えていないのだろう。


「私が廊下で転んだとき、『大丈夫?』って声をかけてくれた。手当をするとか、そういうことはなかったけれども、ただ、心配する言葉をかけてくれたわね」

「……サーシャ、姉さん……」

「だから、その恩義に報いるため、今日は面会をすることにしたのよ」


 瞳に期待を浮かべるソフィアに、私は目を伏せる。


「あなたは平民で、私に会うこともできない立場だわ。最後にこうして会話をする機会をあげたことが、私の恩返しよ」

「そ、そんな! たったそれだけ!?」

「たったそれだけを、手にする力があなたにはないのよ。今までのように贅沢をする力も、あなた達にはないの。分不相応な生活をしてきた過去は、これからの分不相応な生活を保障するものではないわ」


 怒りに満ちた顔をするソフィアに、私はこの日、初めて彼女に向かって微笑んだ。


「したいことがあるなら、自分の力で成し遂げるのよ。あなたにもきっとできるわ。私、あなたのこと、甘えたな女だと思っているけれども、無能ではないこと、知っているもの」

「……?」

「全部分かっていて、知らないふりをしてきた人だって知ってる」


 ギクリと肩を震わせるソフィアに、サーシャはただ微笑む。


「私の従妹、ソフィア。あなたは決して、無能じゃない。知っていて知らないふりをしていた、叔父さんの共犯者。私、自分を虐げた人に情けをかける程、愚かじゃないの」

「……!」

「そして、私の辛かった過去は、もう私だけのものじゃない。私の気持ちに共感して、私を助けたいと思ってくれた大切な人達のものでもあるのよ。私があなたに過度の情をかけて許し、あまつさえ援助をするということは、私を助けるために力を貸してくれた人達を足蹴にすることと同義だわ」


 真実人を許すことは、難しい。


 一方で、()()()()()()()()()()は、簡単で、心地の良いことでもある。

 今まで自分を虐げてきた人達が、許しを乞うてくる。疎かに扱われてきた自分が、少し優しくするだけで、彼らが媚びへつらってくる。復讐心と虚栄心を満たしながらも、『許さない』『罰を与える』というエネルギーの必要な行為が不要となる、ぬるま湯につかるような世界がそこにはある。


 そしてそれは、人としての道理に背く行為だ。

 人を虐げた者達を理不尽に許し、優遇することは、誠意を持って真面目に生きている人達への侮辱である。


「そんなことをしたら、私の手元に残るのは、『許した』という優越感と間違った正義感、そして私を足蹴にしたあなた達だけよ。だから、私はそうしない」

「サーシャ姉さん、でも!」

「さあ、お客様がお帰りよ。連れて行きなさい」


 ソフィアは何か叫んでいたけれども、私はそれを聞かずに、扉を閉めさせた。

 こうして、ソフィアとの面会は終わった。

 きっともう、一生会うことはないだろう。



****


「……そうか」


 話を聞いたガイアスは、安心したように、そう呟いた。

 私はそんな彼に、肩をすくめる。


「あら。私、そんなに信用なかった?」

「いや。ただ、家族って言うのは難しいものだから」

「……そうね。あの人達がこの九年間、私を家族として半端に受け入れていたら、もっと迷ったと思う」


 ソフィア達が、下手に私に優しくしていたら、私はどうしただろうか。私を馬車馬のように働かせながらも、気休めの言葉だけはかけ、贈り物をし、家族の団欒に誘っていたら……。

 そう考えて、私は、考えるのも無駄だと思い、思考をとめた。


「そうだとしても、私は援助しなかったと思うわ。そういうことにしておく」

「サーシャ」

「だって、私はあの人達より、ガイアス達をもっと大切にしたいんだもの。私を助けてくれた大切な人達を優先する。それだけは、何があっても、絶対に違わないはずだから」


 迷いなくそう伝えた私に、ガイアスが抱き着いてくる。急に抱きすくめられて、私は驚いて日傘から手を放してしまった。貴族夫人向けの可愛らしい日傘は、風に乗って、海を滑っていく。


「ちょっと、日傘が飛んで行っちゃった!」

「いい」

「ガイアスまで濡れちゃったじゃない」

「愛してる」


 急に何を言い出すのだ、この旦那様は!


「な、なによ! 濡れネズミの私が好きなの?」

「どうやらそうらしい」

「惚れなおしちゃったの?」

「うん。大切にするよ。絶対に守る」

「あ、それなんだけど」

「ん?」

「あのね。多分、大丈夫だと思う」


 少しだけ腕を緩めたガイアスに、私は満面の笑みを向ける。


「今までずっとね、誰かに守ってほしいと思ってたの。助けてって、どうして私ばっかりって思ってた」


 疲労困憊だった子爵領での日々。

 あの辛くて苦しい九年間、ずっとずっと、私は呪いのようにそう思っていた。

 亡くなった父を恨んだこともある。いつも支えてくれている部下の失敗に、涙が出たことも何度もある。


「でもね、いざガイアスが守ってくれると思ったらね。なんだか私、守ってもらうよりも、私もガイアスを守りたいと思っちゃった」

「サーシャ」

「支えてくれる人がいたら、強くなれるのね。だからきっと、私は大丈夫。私、ガイアスの奥さんになれて、本当によかった」

「ま、またそういう殺し文句を……」

「えっ? あっ、ちょっと――わぁ!」


 なんと、ガイアスは私を抱きしめたまま、足の力を抜いて、海の中に倒れこんでしまったのだ。

 バシャーンと大きな音を立てて倒れこんだ私達は二人とも、頭から海水を被ってびしょ濡れだ。


「何してるの!」

「今のはサーシャが悪いと思うぞ」

「顔が赤いわ。照れてるの? 次期辺境伯は、たったあれだけで照れちゃうの?」

「そういうのは自分に返ってくると学習しない辺りが可愛いよな」

「あ、ごめんなさい。何でもないです、ガイアス様は水も滴る良い男です」

「もう遅い」


 そのままさらりと唇を奪われて、私は顔を真っ赤にして抗議する。


「外ではダメって言ったのに!」

「砂浜でキスは許してくれるんじゃなかったかな」

「海の中だわ」

「うーん口が減らない」

「そういうところも好きなんでしょ?」

「心底惚れてる」

「……なら、許す」

「本当に、あんたは可愛い奥さんだよ」

「素敵な旦那様のおかげよ」


 こうして、私達は改めて、夏の日差しがふりそそぐ中、南の海の中で幸せなキスをした。



 その後、夏が過ぎ、秋が来て、冬を迎えた。

 ガイアスはいつだって、私の傍にいてくれるし、素敵な人達に囲まれて、私は次期辺境伯夫人として、忙しく過ごしている。


 そんな中、私は、たまに、ふと外に行きたくなったあの日のことを思うのだ。


 疲労困憊で、あの日失踪した、子爵の『サーシャ=サルヴェニア』。


(でも、そんなサーシャは、もういない)


 何故なら、今いるのは、大切な人達に囲まれて過ごす、『サーシャ=ガードナー』だからだ。愛しい人の妻となった、幸せな女性。

 そして、そんな今の『サーシャ』をずっとずっと大切にしていこうと、私は改めて、心に誓うのだった。




~終わり~






完結です。

ご愛読ありがとうございました!


少しでも楽しんでいただけましたら、ブクマや感想、↓の★ボタンでの評価など、よろしくお願いします。



 あとよかったら、作者の別作品

『訳あり伯爵様と契約結婚したら、義娘(6歳)の契約母になってしまいました。 〜契約期間はたったの一年間〜』

『「愛ある婚約者」のフリをしろと言われましたが、僕は君を心から愛しているんです』

辺りも、そんなに長くないのでご一読いただけると嬉しいです!



追記

今週末辺りから、ダナフォール侯爵と鉱山周りの番外編を執筆・投稿予定です。

怒鳴り散らす彼等を手玉に取るスカッとほっこりストーリーの予定。

よろしくお願いしますー!

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