11.帰ってきた
「お兄ちゃん、茶々がうるさいよ。ちゃんとご飯あげたの?」
「何言ってんだ、さっき一緒に食べただろう」
「うるさくて仕事にならないのよ、何とかしてよ」
シェリーが戻ってからしばらくは落ち着いていたが、やがて俺と初美の関係もぎくしゃくし始めた。元々別々に住んでいたということもあり、齟齬が見えてきた。茶々も緩衝剤になってくれてはいるが、やはりポメラニアンなので意思の疎通が難しい。ここにきてシェリーの存在が俺たちにとっても看過できないほどに大きくなっていたことを改めて自覚した。
「わかったよ、ちょっと待ってろ。ネズミでも入り込んだのかもしれないからな」
「ネズミ! こっちに逃がさないでよね!」
台所に顔を出した初美はそう言うなり自分の部屋に籠ってしまった。確かにさっきから茶々が吠えているが、敵愾心丸出しの吠え方じゃないような気がする。渡邊さんが来てるのかとも思ったが、渡邊さんなら茶々は吠えたりしない。居間に向かおうとすると、茶々の吠える声とは別に、声のようなものが聞こえた。やはり誰か来てるのか?
「はーい、どちらさん? ……誰もいないじゃないか」
「ワンワン!」
玄関から出てみれば、そこに人の気配はない。相変わらず茶々は吠えているが、それは居間からだ。まさかいくら防犯意識の薄い田舎だとはいえ、勝手に上がり込むような人はこの集落にはいないはず。なら茶々はどうしてこんなに必死に吠えている?
「どうした、茶々?」
「ソ、ソウイチさん……うわあぁぁぁぁ!」
「シェリー? どうしてここに……って傷だらけじゃないか! おい初美! すぐに来てくれ!」
全身細かい傷だらけでボロボロのシェリーは俺の顔を見るなり、より一層泣き出してしまった。さっき聞こえた声はシェリーの泣く声だったのか。だが先日元の世界に帰ったはずのシェリーがどうしてここに?
「何よ、こっちは忙しいんだから……ってシェリーちゃん! どうしたの! 傷だらけじゃない!」
「ハツミさん……うわあああぁぁぁぁ!」
初美の顔を見てさらに泣き出すシェリー。その様子から何か尋常ではないことが起こったのは明らかだ。あれほど自分の世界に戻ることを喜んでいた彼女がどうしてこんなにボロボロになってここにいるのか? 詳しいことを聞きたいところだが、今のシェリーの状態ではどうにもならない。まずは落ち着かせないと。
「いいよ、シェリーちゃん。今は思いっきり泣いちゃいなさい。嫌なこと全部涙で流しちゃえ」
「うう……うわああああああ!」
蹲って泣きじゃくるシェリーをそっと自分の胸に抱く初美。その温もりに心の箍が外れたのか、シェリーは心の中に溜まったものを吐き出すかのように泣き出した。
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「ほんと酷い話よね、その支部長ってヤツ、ネットに晒して炎上させてやろうかしら」
「こっちのネットに晒したところでダメージにならないだろ」
「それもそうか……聞いてるだけで吐きそうになるくらいクソみたいな連中ね」
シェリーは泣き疲れたのか、茶々のそばで寝息を立てている。泣きながらではあるが状況を説明してくれたシェリーにはかなり負担をかけてしまったので、このまま寝かせておいてやろう。
「でもさ……ある意味アタシたちのせいでもあるよね。向こうじゃ貴重なものをたくさん持たせちゃったんだから」
「それもあるけど、そもそもそれはシェリーの持ち物だろ? いくら欲しいからって無理矢理奪うなんて……文化レベルの違いを舐めてたよ。幸いにもシェリーの味方をしてくれた人たちがいてくれたことに感謝だな」
「シェリーちゃん、ショックだったろうな……」
シェリーの話は俺たちの想像を軽く超えたものだった。大事な仲間たちは自分が死んだと思ってパーティを解散、貴重なものを持ち帰って英雄扱いかと思えば、お宝を独占したという意味不明な理由で犯罪者のように追われる。やっと自分の世界に戻れるという喜びに満ち溢れていたシェリーの心がどれほど傷ついたかわからない。
「ずっと離さないんだよ、あれ」
「……カブトさんの角か」
シェリーは泣いている間も、そして眠っている今もカブトムシの角を抱きかかえて離さなかった。通常のカブトムシより遥かに大きなそれは、間違いなくカブトさんの角の先端部分だろう。ドラゴンからシェリーを守るために、自らの命と引き換えにシェリーの逃げる時間を稼いだカブトさんは、最期の時までシェリーを守ろうとして、それは叶った。カブトさんのおかげでシェリーは生きて戻ることが出来た。
シェリーの話を聞く限り、もしシェリーが逃げ出さずに投降していたとしても、無傷でとはいかなかっただろう。いや、間違いなくシェリーは死んでいたと思う。大勢で追い立てるような連中がシェリーの持ち物だけで我慢できるとは到底思えない。彼女の性格から考えても、俺たちに迷惑が掛からないように、死んでもこの世界のことは語らないはず。度重なる拷問の末に待ち受けるのは肉体的な死かもしれないし、精神的な死かもしれない。そう考えれば、カブトさんの功績は数えきれないくらいだろう。
「カブトさんがいてくれたおかげで、シェリーは戻ってこれたんだな……」
「うん……いくら感謝しても足りないよ……」
シェリーの身体に刻まれた傷跡がどれほど辛い逃避行であったのかは容易に想像がつく。治癒魔法で治せるはずの傷すら治せなくなるくらいに消耗しながら、大事なものを自分から切り捨てながらここまで戻ってきた。そんな彼女を俺たちがどうして見放すことが出来るだろうか。
「もっともっと住みやすい環境にしてやらないとな」
「うん、そのためには……アタシたちがもっと仲良くならないといけないよね」
「ああ、そうだな」
初美のほうも最近のお互いの関係に気まずい思いをしていたようだ。だがシェリーが戻ってきてくれたことで、またあの騒がしくも心地よい生活が戻ってくるはず。様々な事情はあれど、帰ってきてくれた大事な家族の寝顔を見ながら、改めて決意を固めた。
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