4.覚悟
その日は昼過ぎから不安定な天気だった。垂れこめる鈍色の雲はゲリラ豪雨を予想させるものだったが、それにしては事前の兆候によく見られる気温の急激な変化や突風などの自然現象がない。雨が降らないならいいじゃないかと言う人もいるが、ゲリラ豪雨のような集中豪雨の場合は急激な水量の増加により小さな沢や側溝が溢れることがある。溢れた水は山の斜面を流れ、地盤を緩くする。それが続けば土砂災害につながる恐れもあるので、こういう予想のできない天候ほど厄介なものはない。
降るのか降らないのかはっきりして欲しいところだが、農家としては降り過ぎる雨は勘弁してほしいが、程よい雨なら大歓迎だ。うちは畑への灌水も井戸水で、井戸も水脈まで届いているので余程の無ければ涸れることはなく、尚且つ裏山の湧水も使えるので雨が降らなくても問題は無いが、集落の他の農家は農業用水を使っているので水不足はそのまま作物の成長不足に直結する。同じ集落で自分のところだけ順調というのは少々気まずい。
「とりあえず側溝のゴミ掃除しとくか……」
側溝は定期的に綺麗にしておかないと、ゴミが詰まって溢れやすくなる。役所に言えば清掃してくれるが、すぐに対処してくれる訳でもないので自分でやったほうが早い。大雨で道路が寸断されたら孤立しかねないので、日常的な対処が重要になってくる。田舎の山村暮しはこういうところにも気を配らなければいけないということは子供のころから知っていたので問題ないが、都会からスローライフを夢見てやってくる人たちは注意が必要だろう。とはいえこんな目玉になるような観光地もない田舎に来ようという物好きはいないと思うが。
側溝の掃除を終え、初夏とは思えない肌寒い風が頬を撫でる中自宅に戻れば、ちょうど初美が洗濯物を取り込んでいるところだった。慌てた様子の初美の姿を縁側で茶々とシェリーが見守っていた。
「ソウイチさん、お帰りなさい」
「ワンワン!」
「ああ、ただいま……誰か来たみたいだから奥に隠れてな」
「あ、はい。行きましょう、チャチャさん」
「ワン!」
外から宅配便のトラックの音が聞こえたので、中に入るように促せば茶々と共に居間の奥へと消えていくシェリー。昼間はカブトさんが寝ているので、茶々もシェリーを独占できてどこか嬉しそうだ。宅配便のドライバーは初美に荷物を預けているので、おそらく初美が通販で購入したあれこれだろう。
「また色々と買い込んだな」
「うーん……まぁ何となく、かな?」
若干言葉を濁す初美。ただそこは血の繋がった兄妹だけあって、その真意は何となく伝わる。恐らくその真意は俺の考えてるものと概ね同じであり、出来ることなら訪れてほしくないという俺たちの身勝手極まりないもの。そして言葉を濁すのは、それを言葉に表すことで今までの関係が崩れ去ってしまうのではないかという恐怖心を無意識に避けたからだろう。
今現在のこの状況がとても中途半端なものだということは俺たちも理解している。それでもこの居心地のいい時間をもっと味わっていたいと思うのは、彼女の意思を無視したものであり、本来ならばあってはならないことだ。しかし俺たち兄妹は家族の温かさに飢えていたこともあり、今の状態がとても楽しくて堪らない。
こんなことを考えているとシェリーが知ったら軽蔑するだろうか。なんて酷い人たちだとなじられるだろうか。出来れば彼女にそんな気持ちを抱いてほしくは無いが、もしその時が来てしまった場合、果たしてまともな受け答えが出来るかどうか全く自信がない。
「お兄ちゃん、たぶんシェリーちゃんはそんなこと思わないよ」
「……何のことだ?」
「しらばっくれなくていいよ、兄妹なんだし、大体考えてることは一緒だから。アタシだってさ、本当はシェリーちゃんが戻れなければいいって思うことはあるよ。でもシェリーちゃんのことを考えれば、元の世界に帰ったほうが幸せなんだろうなって。だってさ、短い間とはいえ家族同然に暮らしてたんだから、そういう感情が起こるのは当然だと思うし、それはきっとシェリーちゃんも同じじゃないかなって思うんだ」
「……そうだな」
確かに初美の言う通り、家族のように接していたのならば別れを惜しむ気持ちが起こるのは当然だ。もしこれが一定の距離を保っての関係ならば違うのかもしれないが、少なくとも今までの時間はとても濃密なものであったはずだ。俺の考え得る限りにおいて、だが。
「ということは、その中身は……」
「うん、保存のきくものを取り寄せたんだ。そのためにシェリーちゃんにヒアリングもしたんだから。もし帰ることが出来たとしても、これだけの間行方不明になってたとしたら生活に困るかもしれないじゃない。元の世界で価値のあるものばかり集めたから、売って生活の足しにでもしてもらえたらなって……」
「そうか……」
初美は初美なりに、来るべき時のために色々と考えているようだ。確かに我が家に来て数ヶ月、その間行方不明扱いになっていたとすれば、生活資金など無いかもしれない。帰るということにばかり気が向いて、帰った後の生活というものを見落としていた。だが俺に何が出来る?
「お金で手に入るものばかりが贈り物じゃないよ」
「え?」
「お兄ちゃんはもうアレを贈ってるじゃない。きっとアレだけでかなりの財産になるんじゃないかな?」
「ああ、アレか……」
初美の言葉により脳裏に甦るのは、毛皮に包まって喜ぶシェリーの姿。確かにあの喜びようは今まで見たことの無いもので、どれだけ嬉しいかを如実に表していた。だがあんなもので本当にいいのか?
「言ったでしょ、ちゃんと元の世界で価値のあるものを聞いたって。あれだけのものはそう簡単に手に入らないはずだからね」
「そうか……」
いつか来るその時のために、現実と向き合わなければならない。ただ元の生活に戻るだけ、と簡単に割り切れるほど俺は薄情な人間じゃないと思ってる。だがそれでも彼女が望むのであれば……笑顔で送り出してやりたい。彼女の未来に幸せが訪れることを願って……
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