激怒する軍務大臣
「何たることじゃ!」
王城にある軍務執務室。
軍務大臣グスタフ・バーミーロンは、恰幅のいい身体を揺らして激怒していた。
豪華なテーブルを挟んで、反対側で直立不動している騎士団長は、苦い顔をしている。
彼の報告は、グスタフ大臣を怒らせるに足るものであった。
「どこの国に、たかが一人の賊に10人がかりで敗れる騎士がおるのじゃ!」
昨晩、騎士リィンハルトと兵隊9名の死体が、川の底から見つかった。
上級騎士が殺されるという由々しき自体に、騎士団長自らが軍務大臣へ報告に来ていた。
「お言葉ですが、グスタフ大臣。首狩りはただの賊ではありません。紛れもなくプロの職業暗殺者です」
「暗殺者が相手なら、10対1で負けても仕方がないとでも言うつもりか!」
「そうではありませんが……」
言い訳のしようがないのは事実だ。
騎士が殺された責任は、突き詰めれば騎士団長が負わねばならない。
「しかも外出禁止令が、まるで功を奏しておらん。昨晩も、その前も、住民に被害が出ておる。騎士たちは兵隊をどこで遊ばせておるのじゃ!」
「騎士たちはきちんと指揮の任に当たっています」
「当たっていてこのザマだというのか!」
「遺憾ながら……」
騎士団長は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
騎士たちが手を抜いているわけではない。
ただ純粋に、首狩りの力量が、この国の騎士や兵隊の上を行っているのだ。
「いいか! ことは10人がかりで騎士が殺されたという不名誉だけではない。僅か半月足らずで、何十人殺されたと思っておる! 住民の不満が爆発寸前なのだ」
「はっ。それは町の憲兵隊からも、報告として上がっております」
「一国の王都で暴動でも起きてみろ。前代未聞じゃぞ!」
「わかっています」
「わかっているだけでは、何にもならぬわ!」
騎士団長は、一度目を閉じ、開く。
内心で覚悟を決めながら、一歩進み出る。
「グスタフ大臣」
「何じゃ」
「魔法使いの動員を進言します」
「……何じゃと」
大臣の顔が引きつるが、騎士団長は構わず続ける。
「誠に遺憾ながら、我々にできる最大限を尽くし、なお首狩りを捕らえるには力不足です」
「最大限を尽くし、じゃと?」
「地方から王国軍を一部、王都に呼び戻し、王城詰めの衛兵隊を町に駆り出し、憲兵隊の睡眠時間を削って巡回を増やし、挙句に騎士まで動員し、それでも連続殺人を止められません」
「ぬう」
「かくなる上は騎士団を丸ごと動かすか、魔法使いを動員するかのいずれかと」
「……一部の騎士だけならともかく、騎士団は動かせん。わかっておるはずじゃ」
もちろん言われずとも騎士団長はわかっている。
国内の、それもたった一つの事件のためだけに騎士団を動かしては、他国に付け入る隙を与えてしまう。
リンガーダ王国は不安定だと、周辺国に吹聴するようなものだ。
「魔法使いならば、動員数は一人で済みます。周辺国への影響はほぼありません」
「……魔法使いは、戦争において一人で千人に匹敵する事実上の最高戦力じゃ。何かあったときの損失は計り知れん」
「ですが戦闘において、魔法使いに負けはありません。首狩りにぶつければ倒せます」
万が一、魔法使いがやられたときの損失については、騎士団長も重々承知している。
だが戦闘で魔法使いに勝てる存在は、同じ魔法使いしかいない。
万が一が起こる可能性は、限りなく低いと言えた。
「グスタフ大臣。これ以上、事態が長引けば、いよいよ住民の暴動が現実味を帯びてきます」
「むう」
「一国の王都で暴動が起きてしまえば、それこそ他国から格好の標的にされかねません」
特に隣国のキャルステン王国が、そんな好機を逃すとは思えない。
今は休戦しているとはいえ、隙を晒せばすぐにでも侵略に打って出るはずだ。
そしてキャルステン王国の侵略を許せば、その他の周辺国も便乗してくる恐れがある。
「……背に腹は変えられんか」
しばらく考え込んでいたグスタフ大臣は、怒りが収まって冷静な顔つきになっていた。
「では」
「確かに、暴動が起きては大問題じゃ。なりふり構ってはおれん。騎士団長」
「はっ」
「町の警備はこれまで通りじゃ。魔法使いはこちらで動かす」
「わかりました」
騎士団長が敬礼し、軍務執務室を退室するのを見届けてから、グスタフ大臣は毒づいた。
「まったく、賊ごときが忌々しい」
だが、たった一人の賊に、いいようにやられているのは紛れもない事実だ。
そして首狩りと呼ばれるその賊の正体も、未だに不明だ。
この国の治安体制はこれほど脆弱だったのかと、グスタフ大臣は情けない思いを抱きながら椅子から立ち上がった。




