(番外)戸方風雅の経歴
アイドルグループ「スケル女」総合プロデューサー戸方風雅、彼は異色の経歴を持っている。
彼は小さな頃から音楽に触れて来たわけではない。
彼は元々は、理論物理学者を目指した少年だったのだ。
戸方風雅、これはペンネームなのだが、彼は進学校から国内最高レベルの大学に進学した、学者の卵だった。
その頃の彼は、今と違って尖っていた。
なにせ、勉強が良く出来る。
勉強が出来ない者を見下す癖があった。
そうして進んだ大学で、彼は巨大な壁にぶつかる。
自分より遥かに上の才能に出会ったのだ。
理論物理学の天才は、凡人では理解しがたい。
11次元宇宙だの、量子もつれだの、言われてもピンと来ない人間がほとんどだろう。
戸方は、本を読んでどうにか理解出来るくらいには優れている。
だが、彼が出会った才能は、それを思いつく側の人間だったのだ。
コロンブスの卵ではないが、言われて理解する人間と、最初に思いつく人間との間には、高くて分厚い壁が存在する。
天才とは、その壁の向こう側に棲息する化け物なのだ。
初めて見た、本物の天才。
戸方のように、勉強がよく出来る人間とは、根本から違った存在。
それを知って、彼の心は折れてしまった。
天才ではないが、天才を理解出来るくらいには賢かったから、天才を見ているだけで勝手に傷ついていった。
いつしか彼は、研究にも身が入らなくなり、その同期の天才が海外の大学に留学する辺りで、物理学者への道を諦めた。
そうして宙ぶらりんとなる戸方。
こうなると、理論物理学なんてものを勉強していた事が仇になる。
実用性が無い学問と見做され、良い就職先が見つからない。
ただでさえ「就職無理学部」なんて影口を叩かれる理学部生だ。
勝手に心が折れ、勝手に宙ぶらりんとなった為、就職活動では出遅れ、企業側からは即戦力と期待されるスキルもなく、彼は「無能」として社会に出てしまった。
(俺は一体何をしてるんだろう……)
新卒で就職出来ず、バイト生活に入った戸方は、己の転落っぷりが情け無くなる。
バイト先でさえ、高校生の方が覚えが早く、要領が良いから褒められていた。
(俺は何の役にも立たない男だ。
生きていても仕方ないんじゃないか?)
変に意識高いインテリだったから、自信喪失からの病みっぷりも酷いものだった。
そんな彼に転機が訪れる。
気力も無く、牛丼屋のシフトに入る日々。
その時、有線放送で流れて来た音楽が、妙に彼の心に沁みた。
なんか泣きたくなって来た。
とある「病んでる時、つらい時に心にスッと入って来る」と言われたアーティストとの出会い。
彼は、大学までは「負け犬どもが頭空っぽで楽しむ娯楽」と馬鹿にしていた音楽に、改めて出会ったのだ。
それから彼は音楽に興味を持ち始める。
一旦興味を持つと、学究肌の彼は、どんどんハマっていき、知識を深めていった。
そして、ついに彼は作詞をし始め、向こう見ずにもそれを件のアーティストに送って、感想を聞く挙に出てしまう。
ど素人のトンデモない行動。
だが、そのアーティストは器がデカかった。
このバイトに対し、
「これで生活してみない?
コンビニとか牛丼屋のアルバイトしながら書いたんでしょ?
だったら、レコード会社でアルバイトしてみようか。
知り合いの所を紹介するよ」
なんて言って、実際にバイトとして送り込んだのだ。
そこで戸方は成長する。
雑用からだったが、機材に触れ、歌手たちに触れ、ビジネスに触れている内に、理論物理学とは異なる才能が芽生え、育っていく。
また、理不尽に怒鳴られ、下っ端と馬鹿にされ、気分屋の芸能人に振り回される中で、人間としても練れていった。
(自分には大した才能は無い。
でも、この業界が思った以上に合っていて、ここで生きていきたい。
それには、今までの俺のような尖った性格じゃダメだ。
音楽は、考えて、作って、書き直して、歌ってもらい、宣伝し、店舗に頼んで売ってもらい、買って聞いてもらって完成する。
人との関わりこそ大事なんだ)
そうして彼は、一人称も「僕」と改め、口調も柔らかく腰が低い、呼ばれたらどこにでも顔を出すような人間に変わった。
それでいながら、ただの便利屋にはならず、密かに自分の曲も作り続けていた。
そうして曲を作っていた時、件のアーティストがやって来た。
ジッと聞いた後
「ダメだねえ。
僕なら、ここをこういう風にするよ。
ね!
断然良くなったでしょう」
とアドバイスをする。
(やっぱり凄いなあ)
この頃には、圧倒的な才能を前に揺らぐ事は無くなっていた。
凄い人を素直に凄いと言える。
「この曲、ちょうだい」
「あ、いいですよ」
「ありがとう!
じゃあさ、ペンネーム何にする?」
「ペンネーム?」
「作詞作曲は君じゃないか!
編曲して、僕のグループの曲として売り出すけど、君の名前はちょっと平凡過ぎて、なんか押し出しが弱いんだよねえ。
だから、なんか凄そうなペンネームでも……」
「いや、でも、あげたんですから、そんなの気にしなくても」
「ダメだよ、ちゃんと権利を主張しないと。
僕が教えてあげるから、印税入るように手続きしないと。
で、ペンネームどうする?」
たまたま貼ってあったクラシックコンサートのポスター。
それを見ながら
「戸方風雅……というのはどうでしょうか?」
と答えた。
「あー、バッハの『トッカータとフーガ』ね!
いいんじゃないの?
なんか、ピンと来たよ。
君、最初に歌詞送って来た時から思ってたけど、ワードセンスあるよね。
全部繋げると、回りくどかったり、話が飛躍してたりするけど、個々のフレーズは光ってるよ!
それって才能だよなあ」
彼は自信喪失後、初めて才能を認められた。
自信満々だった時と違い、評価されてたまらなく嬉しいし、生きていて良かったと思える。
「新しい才能を世に送り出すって、凄い面白い事だよなあ」
そう言って笑うアーティスト。
(もし僕が同じ立場になった時、同じように言える人間でありたい。
人の才能に嫉妬したり、自分との差に愕然とするのではなく、認め、引き立て、世に送り出す事を誇りに思う人間でありたい)
こうして戸方風雅というキャラクターが誕生した。
彼は、このアーティストが出した曲の作詞・作曲者として名前が知られるようになり、公募された別な歌手の曲もヒット、次第に売れっ子となっていく。
芸能関係者からも、付き合いの良さや、気前の良さ、仕事の速さから好かれるようになり、いつしかどんな現場でも
「おー、戸方ちゃん、おはよう」
と親しく呼ばれるようになっていた。
「そうそう、聞いた?」
「何の話ですか?」
「戸方ちゃんの恩人のあの人、番組の企画でアイドルのプロデューサーする事になったんだよ。
ドイツ語で『娘』って意味の、『フロイライン』だったかな。
まあ、色物ユニットだから、一年もてばいいけど、あの人も損な事するよねー」
確かにそのアーティストは、音楽に偏り過ぎ、お人好しだからビジネス的にはサッパリである。
しかし、「!」を付けて改名デビューした「フロイライン!」は、気が強い女の子たちが競い合う様子がテレビ放送され、不思議な楽曲とも相まって人気グループに成長した。
それから数年後、独立して自前の編曲家人脈も作り、アニメ歌手から大御所演歌歌手にまで楽曲提供していた戸方風雅に、テレビ局から依頼が来た。
「うちでも、『フロイライン!』に張り合えるアイドルグループを扱いたいと思ってね。
『フロイライン!』は他局との関係が深いからさあ、うちが使いやすいグループを作って欲しくてね。
お願い出来ますかね?」
こうして生まれたのが「スケル女」であった。
(僕にはあの人程の音楽の才能は無い。
中高生から楽器演奏してたあの人には遠く及ばない。
でも、人脈はやたらある。
そして売れる曲も分かる。
僕はあの人とは違うアイドルを、違ったやり方と曲とで育てていこう)
そう思って運営して十数年、戸方の前にとんでもない才能が現れた。
学生時代、プライドが打ち砕かれる程の才能を見た事がある戸方は、その時と似た雰囲気を天出優子という当時11歳の少女から感じた。
だが、もう戸方は嫉妬なんかしない。
(この子なら、僕を更なる高みに上らせてくれるかもしれない。
そして、才能は凄いものを感じるけど、やはりまだまだ子供だ。
鍛えてやれば、更に凄い才能になるぞ。
この才能を世に紹介出来る、こんな幸せな事がまたとあるだろうか!)
こうして希代の才能は、潰される事もなく、似たような変人たちに囲まれて、楽しい音楽ライフを送るのであった。
おまけ:
戸方「位相のズレ、波形の重ね合わせ、一つの存在が粒子でもあり波でもある二重の意味、次元という概念と時間という4番目の軸。
物理学ならよく知っている話さ。
音楽に適用する事になるとは、当時の僕なら思いもしなかっただろうなあ」




