フェロモン?
「天出さん、貴女何か変わった?」
同級生で、同じくアイドルの武藤愛照が、優子に顔を近づけながら尋ねて来た。
「いや、何も変わってないと思うけど?」
「そうかなあ、なんか違うような気がする。
どこをどうとは言えないけど、いつものオッサンぽさが消えてる」
「オッサンって……」
「あんた、気づいてないかもしれないけど、どうにも雰囲気が男っぽいのよ」
(そりゃそうかもしれんなぁ)
「何というか、女の子らしくないんだよね。
なのに今日は違う……。
好きな人でも出来たとか?」
「アイドルは恋愛禁止だし。
それに、私がそういうタイプだと思う?」
「思わない。
あんたに気があった男たちとか、可哀想だったからね。
となると、あ、分かった!
美容院変えたんだ!
スケル女正規メンバーになったから、先輩に良いお店紹介して貰ったとか」
「あ~……、まあ、そんな感じかなぁ」
「やっぱりねえ。
スケル女ともなれば、カリスマ美容師の店とか使いそうだもんね。
そこで髪を梳いたり、スキンケアしたり、整えてもらったんだ」
「あはははは……」
当たらずとも遠からじ。
お店ではないが、メンバーから散々お肌のお手入れをされて、そう日が経っていないのだ。
女性というのは、妙に目聡い。
男性が気づいていない事に、すぐに感づく。
ちょっとした変化に気づき、それを口にする。
……その感覚を男性にも求めるから、ドン臭い男性にキレて喧嘩に……いや、何でも無い、忘れよう。
さて、愛照は天出優子の微妙な変化に気づいた。
だが天出優子の中の人は、我が身体の事ながら全く気づいていない。
何か変わったかと聞かれるまで、何かが起きているという認識すらしていなかった。
それはスケル女メンバーにメイクをされ、女性としての美を色々と試された後、妙に色気というか、大人の女性の気のようなものが漂い始めた事だった。
もしかしたら、肌に染み込んだ化粧品の残り香かもしれない。
化粧水とか乳液で、全く手入れをしていなかった時に比べ、肌の感じが良くなったせいかもしれない。
本人は変わった事なんかしてないと思っているのに、外から見ると妙に女性らしさが増したのだ。
まあ、微妙な変化でほとんどの人は気づかないようではあるが。
だが、気づく者もいる。
芸能クラスのカースト上位、伝統芸能のボンボンが、野生のオスの本能で迫って来た。
「お、ちんちくりんの天出が一丁前に色気づいたのか?
なんかメスの感じがするわ。
なんだよ、俺に抱かれた…………(声にならない悲鳴)」
「うざい……」
しばらく下腹部を抑えながらのたうち回った後、脂汗をかきながら噛みついて来た。
「おい、ちんちくりん!
てめえ、なんていう事しやがるんだ!
俺の親はいずれ人間国宝になるんだぞ。
その人間国宝ジュニアにジュニアに膝蹴り食らわしやがって!
ジュニアが壊れてジュニアが生まれなくなったら、日本の損失なんだぞ!」
「あー、ジュニアだメスだ、うざいなあ。
メスがそんなに好きなら、そのジュニアをメスで切り取ってやろうか?」
「メス違いだ!
俺は人間のメスが好きなのであって、刃物のメスは好きじゃねえ!」
「ほお、気が合うな。
私も女性が好きだが、君のように動物呼ばわりはしないよ。
女性とは愛でるものだからねえ」
一連のやり取りを呆れながら見ていた愛照は
(気のせいだったかな?
アレ、何も変わっていないのかもしれない)
と溜息を吐く。
愛照は、音楽において圧倒的な高みに居るが故に、自分たちには関心がなく、それゆえに過去の事などは一切覚えていない優子を腹立たしく思っていた。
細かい所に気がつく女性ならではの気遣いが欠けている。
だが、それは優子がまだ「女」ではないからだと思っていた。
女子小学生の悪ガキなんて、動物の分類として女性とされているだけで、実態は男と大して変わらない。
思春期になり、女の子は男よりも早くに精神が成熟し、目配りが細かくなる。
ガキっぽい同年代の男子が物足りなくなったりもする。
そういう「少女」になった女性から見れば、優子はまだ思春期を迎えていないようにしか見えない。
いや、既に通り過ぎてオッサン化しているのかも。
ちょっかいかけて来た男子の股間を、前蹴りしたり、握り潰そうとするのは、思春期女子は決してやらない事だ。
そういう悪ガキっぽい面もあれば、女性への接し方が妙な紳士っぽく、ねちっこい時もある。
優子が所属しているグループで「天出優子ハラスメント、通称アマハラ」とか言われるくらい、どっちかというとオッサンっぽい。
そんな同級生が、妙に色っぽい感じがする。
小柄で、身だしなみには気を遣っているが、どうにもまだ女子小学生が中学の制服に着られているような感じだった。
それが今日は、妙に女子っぽく感じられる。
好きな男子が出来た、というのは飛躍し過ぎだが、先輩の女性らしい女性たちによって内面が変化させられたのかな、
(そう思っていた時期が、私にもありました……)
と首を横に振っていた。
纏う空気が少し変わったかもしれないが、内面は相変わらずクソガキ、もしくはオッサンのままのようだ。
女の勘、男の本能の他に、もう一つ「芸術家の多感さ」というものも存在する。
優子からたまに作曲についての手解きを受けている若手ピアニストでもある同級生・堀井真樹夫は、今日に限って妙な胸のトキメキを感じていた。
(何だろう?
この安らぐようで、切ないような感じは……)
思えば、優子の前世たるモーツァルトも少年期は多感で、感受性豊かであった。
子供の頃は、妙にトランペットの音だけに恐怖を感じたとも言っている。
大人になったら、別にトランペットを嫌がる事も無くなった。
この辺、やはり多感な時期を忘れてしまい、思春期も思い出せなくなったと言われて仕方ないだろう。
そんなモーツァルトの転生体の優子は、堀井に持論を語っていた。
「自分が好きなメロディーが一番だよ。
人間が最初から持っている楽器、それが口。
気分良い時、知らず知らずのうちに口ずさむ鼻歌。
これをベースに曲を作ってみようよ。
最初は1分くらいので良いよ。
最近は便利なものがいっぱいあるよね。
スマホで録音し、アプリで楽譜に落とし込む。
手書きするより、余程楽よね」
「音は多い方が良いとは限らない。
良い曲は、指一本で主旋律だけをピアノで弾いても良いと感じる。
『きらきら星』とか『エリーゼの為に』って、ピアノ弾く人には初級も初級の曲だけど、それだけに良曲だって分かりやすい。
さっき言った鼻歌から出来た曲も、主旋律としてより洗練させていこうか」
「この前は『飽きた』とか言ったけど、やはりクラシックって呼ばれる音楽には多くを学べる。
元はキリスト教の教会音楽かな。
厳かに聞こえる和音がある。
でも、それこそ自分は厳かさではなく、安らぐ和音も重視したよ。
勉強したんだけど、1/fのゆらぎってのがある。
演奏してみると、こんな感じね」
そう言って奏でられる音楽を聴きながら、
(ああ、そうか。
理論的に説明されて分かった。
この不思議な感情は、音楽によるものだったんだ。
音楽の力って凄いなあ)
と堀井は解釈する。
折角の感受性が、(本人は不本意かもしれないが)優子から放たれるフェロモンのようなものを感じ取ったのに、本能に任せず、理性で処理してしまった結果、いまだ恋には繋がらずに、音楽凄い、天出優子流石!という感情に落ち着けてしまった。
中身が18世紀の天才音楽家の少女と、現代の若手ピアニストの関係は、全く深まる事は無かった……。
おまけ:
作者の学生時代のネタ。
ちょっとだけ仲が良かった女子がいました(過去完了形)が
作者「あれ? この化粧品の香りは?」
女性「え? 気づいたの?
〇〇君、結構そういう所に気がつく人なんだ、意外!」
作者「うん、芳香族炭化水素、いわゆるベンゼン環系特有の臭いが……」
その日以降、しばらく口を利いてくれませんでした。




