作詞は難しい!
「天出さん、一曲歌を作ってみない?」
そう言って来たのは、スケル女総合プロデューサー戸方風雅である。
天出優子は、編曲家としてペンネーム「木之実狼路」の名で活動している。
スケル女グループ内の何曲か、既に編曲をしていた。
作曲も出来るのだが、今まで歌詞だけは必ず用意されていた。
それにやや不満を持っていたのだが、どういう風の吹き回しか、作詞もした上で一曲作ってみようか、と言っている。
「プロデューサー、どういう意図ですか?
特に曲作りで詰まっているって話は聞いてないんですが」
「うん、順調だよ。
君以外にも音楽スタッフはいるし、手が足りないわけではない」
「ではどういう目的で」
「君の作詞能力をチェックしてやろうと思ってね」
不敵に笑うプロデューサーに、中身が天才音楽家な優子はカチンときた。
「分かりました。
チェックしていただこうと思います。
足りない部分があれば、遠慮なく指摘して下さいね」
言い回しは丁寧だが、明らかに
(やれるものなら、やってみな)
という感情が表情に出ていた。
戸方Pは含み笑いしながら
「まあ、僕がチェックするまでもなく、君なら気づくと思うよ」
と意味深な事を言って、その場を去った。
「これではダメだ……」
出来た曲を見ながら、天出優子は頭をかきむしる。
聴けば実に綺麗なメロディーの合唱曲に仕上がっている。
しかし、歌詞に問題があった。
『夜の帳が下りる時ぞ、我が胸中はかきむしられる。
嗚呼、君ぞ君。
我が脳裏を占めて離さぬ君への想い。
我苦しみて、眠る事許されず、嗚呼』
「これは王宮向けオペラなら良いが、アイドル曲の歌詞じゃない。
書き直しだ。
久々に詩を書いたから、書き方を忘れていたよ。
調子を取り戻さないと……」
そうして、出来るだけくだけた言い回しにしようと歌詞を直す。
『夜になったら俺のアソコがお前を求めるぜ!
おい、お前、お前だよ!
俺は〇〇して××したいんだよ!
眠れねえじゃねえか、どうすんだよ俺の△△《ピー》』
書き終わって、すぐに歌詞を書いた紙をクシャクシャに丸めてゴミ箱にシュート!
「如何にも私好みの歌詞だが、アイドルの曲じゃない!
禁止されていたから、しばらく言っていなかった下ネタ。
調子を取り戻す為に書いてはみたが、我ながら酷いものだ」
そうして第三稿に取り掛かる。
『夜になると、僕は切なくなるんだ。
ああ、君を想う。
僕の頭は、君への想いで満たされている。
苦しくて、今夜も眠れない』
書き上げて、
「まあ、こんな所かな……」
と、満足しないまでも、そこそこのものが出来たと納得した。
明治時代に言文一致という運動があった。
言葉で発する「口語」と、記録に残す「文語」、これを統一させようというものだ。
古い習慣に親しんだ者たちは、口語を文章に残す事に抵抗を感じ、反発する。
慣れというのは、そういうものだ。
古いオペラ作曲家に、ポップミュージックの歌詞を書かせたら、最初は言葉選びに苦労するだろう。
モーツァルトは、前世で大衆向けオペラも書いている。
子供の時はとんでもない歌詞の曲も作った。
だから、久々に作詞作曲をしたところ、勘が戻らなかったのは最初だけで、すぐに現代の歌詞に修正する事が出来た。
そこは正しく天才音楽家の凄さではあるが、同時に限界でもあった。
モーツァルトは超一流の天才音楽家であって、天才詩人ではない。
現代のポップミュージックとして書いた歌詞は、悪くは無いが、これといったインパクトもない。
俳句で言う「月並み」といったところだ。
本人もそれが分かっているようで、書いてはみたが、満足はしていない。
前世であれば「完成した音楽がピンと来なかった時点で失敗」といって、破棄した事だろう。
だが、破棄したところで次に作って、今より良い歌詞を書ける自信も無かった。
(プロデューサーは、私の歌詞をチェックするとか言っていたな。
あの男、一体何が分かっていたんだろう?
悔しいが、あの男の思惑に乗って、自分の足りない部分を指摘してもらおうか)
天才音楽家にしたら例外的な事で、自分で満足していない曲を提出する。
「その表情は、自分の曲を物足りなく思っていますね」
表情に現れやすい優子を見て、戸方Pはニヤニヤしている。
分かりやすく不満顔の少女から目を離し、歌詞をさっと読む。
読み終えると
「うん、ただの言葉だね」
と評した。
そして
「僕なら、こう書くよ」
と言って、同じ内容で歌詞を新たに書き上げた。
『夜は僕を詩人にするよ。
君、君、僕の君。
どんな詩だって、主語は君。
でも僕は、君に渡す夢さえ見られないんだ、今夜もずっと』
(へー……)
ここは素直に感心した。
「夜になると切なくなる」という表現を、「詩人になる」と言い換える。
「眠れない」と直接言うのではなく、「夢さえ見られない」と表現し、純粋に眠れないという事と、希望が叶わない事の二重の意味を持たせる。
他人に「チェックしてあげる」と言うだけの事はある。
他の部分も書き直しがされると、語句数は増えたし、今のままの曲では歌い難い。
しかし、歌詞が決まったとなれば、優子は編曲する事が出来る。
それでも、大きく書き直したこの曲を、編曲して別の曲にする気がどうにも起きなかった。
歌詞は平凡でも、曲としては一旦あれで完成していた。
完成したものを作り直す、どうにも気が進まない。
この辺、あくまでも天出優子の中の人は「芸術家」であった。
「さて、作詞というのは場数を踏めば、それなりに出来るようになる。
言い回しも、色んな歌を聞いている内に、そういうのに慣れるだろうね。
でも、君にはもっと致命的な欠点があるんだよ」
戸方Pがそう言うと、優子は前のめりになって話を聞こうとする。
自分の曲が失敗作だ、少なくとも自分の評価として。
そして、書き直された歌詞を、自分が書けるとも思えない。
実際、前世でも「フィガロの結婚」はフランスの劇作家ボーマルシェの戯曲が原作だし、「ドン・ジョバンニ」はロレンツォ・ダ・ポンテが台本を書き、「魔笛」は興行主で俳優かつ歌手のエマヌエル・シカネーダーが自分たちの為に脚本を書き上げた。
そこから歌詞に落とし込む事はしたが、そもそもの原作をモーツァルトは書いていない。
自分とは違う言葉を書ける者が存在する、それは認めていた事だし、実際転生後に自分の目の前にいる。
自分を向上させる為だ、何を言われるか、しっかり聞いてみたい。
「君には恋愛経験が足りない」
「へ?」
そんな事は無い。
確かに天出優子としては恋愛をしていないが、前世では色々と経験して来た。
恋の歌が書けないなんて事はない。
だが、戸方Pはそんな心の機微を見透かしたかのように
「もしかして、大人の恋愛は漫画か何かで読んで、分かったつもりになってるかもしれないけど、違うよ。
等身大の君の、14歳の天出優子の恋愛がそこには無い。
思春期じゃない。
中二病でもない。
だから、青臭い台詞が言えないし、そういう世界に居るファンたちの心に刺さらない」
考えてみれば、戸方Pが最初に書いて出す歌詞は、言ってて恥ずかしくなるくらい、少年少女の妄想満開、あるいは無理して考えた恋の言葉、または中二病と呼ばれる「子供が背伸びして言ってる」言い回しに満ちている。
それを歌いやすいように書き替えはするが、基本的に「思春期を代弁する」ような恋愛ソングだ。
露骨な言い回しはしないし、ましてや官能的な表現は無い。
だからこそ、公共の場で歌う事も出来るし、心の中が万年思春期な男性ファンや、そういう恋愛への憧れをどこかに残した女性ファンに刺さるようだ。
「まあ、これが今の君って所さ。
14歳なんだよねえ。
アイドルは恋愛禁止だから、言う事矛盾しちゃんだよねえ。
でも、良い歌詞を書きたいなら、これからの数年、子供から大人になる貴重な時間で恋愛をした方が良いんだよ。
人生経験が、その人の詩となって現れるのだから」
有難い仰せだが、優子は「実現困難だ」と思わざるを得ない。
(思春期とか、もう百年以上前に終わったし、しかもあの時からもう〇×△込みだったからなあ。
今の日本の中高生のような青臭い恋愛、切ない心……私に表現出来るのだろうか?)
大人の恋愛しか覚えていないし、転生後は身体は女性でも精神は男性、従ってまともな恋愛が出来そうにない天出優子という存在は、初めて大きな壁にぶつかったのだった。
おまけ:
とあるアイドルが、自分とこのプロデューサーに対し
「変態だと思ってた。
なんで男なのに、こんな若い女の子の気持ちを歌詞に出来るんだろう?
きっと、内面に女の子が住んでる、変態だって結論になった」
と言ってまして。
真相は
「常にお前らの言動、観察しとんねん。
朝早くて挨拶返すのもイラつくとか、全部見とんねん。
それを歌詞にしてんのよ」
だったので、別に中に思春期の男女が住んでなくても、そういう歌詞書けますな。




