郷帰り
「天出、なんかテレビ局の方で、観光させてあげるっていう申し出があったけど、行きたい所ある?」
マネージャーが天出優子にそう伝えた。
この番組収録は割とバタバタ決まったものだ。
そして、パリでライブをするから「だったら来て欲しい」と言って実現したものである。
その上、思った以上に質の高い番組になりそうだ。
予定を変えさせた謝罪と、良い番組のお礼にとで、テレビ局側がそう申し出たのである。
「ザルツブルク、行けますかね?」
「え?
ウィーン市内じゃないの?」
「無理ですかね?
なら良いんですけど」
「うーん、一応聞いてみるね」
……あっさりOKが出た。
条件としてテレビ局から派遣されたコーディネーターとカメラマンが同行する。
ついでに一緒に番組出演した堀井真樹夫も同行する事になった。
(なんという事だ。
この空港の名前、誇らしいけど、どうにもおかしな感覚だ)
ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト空港に着陸して、その名称のアナウンスを聞いて、優子はそう感じる。
彼女の前世はモーツァルトなのだが、ここまで大々的に使われているとは。
予習すれば分かる事だが、なにせ飛行機恐怖症な優子は、基本的に地名プラス空港という覚え方しかしない。
空港内では自分の顔がプリントされたチョコレートが売られているし。
(ザルツブルクは私をぞんざいに扱ったのになあ)
前世を思い出してみる。
当時のザルツブルクは、大司教ヒエロニムス・フォン・コロレドの統治下にあった。
モーツァルトは宮廷音楽家として彼に仕えていたものの、その扱いには不満を持っていた。
まず宮廷音楽家なんてものは、大司教からすれば「従僕」と同じものである。
大司教はモーツァルトの音楽的才能を評価し、国際的な名声を誇りに思ってはいた。
しかしそれを「私はそんな男を支配しているのだ」という形で現わしてしまう。
そして大司教は、音楽については保守的である。
当時から、転生後の「音楽は楽しむもの」に到る片鱗、自由な音楽を求めていたモーツァルトに対し、大司教は「音楽家も教会や大司教の為に奉仕する職業」という意識であった。
ゆえに、ミュンヘンでオペラ『イドメネオ』を上演する為、大司教の許可を得ずにザルツブルクから出た際は、勝手な事をするな!と激怒した大司教によって呼び戻されてしまう。
この時、大司教はモーツァルトに対し「役立たず」「怠け者」と罵倒し続け、ブチ切れたモーツァルトは
「もう我慢出来ん、辞表を出す!
私はお前の言う事など聞かん!」
と言い放った。
それはそれで、手元から「国際的な名声」が居なくなるから困る大司教は、モーツァルトの父のレオポルトを介して説得したり、辞表を受け付けない等して引き止めを行った。
しかし決裂し、モーツァルトはザルツブルク大司教の宮廷音楽家を辞任する。
その去り際、モーツァルトは大司教執事のアルコ伯爵から、尻を蹴られた。
尻を蹴って、宮殿の戸口から追い出したのである。
ザルツブルクを去ったモーツァルトだが、その後の活動はよく知られる通りだ。
ザルツブルクに対し、モーツァルトは
『ザルツブルクは私の才能に合わない土地だという理由で、ご勘弁ください。
第一に、音楽をやる人が尊敬されず、第二に何も聴けません』
と父への手紙に記している。
これは大司教に仕えるより前、就職活動に難航していた時期にパリから送ったものである。
母をパリで失い、就職も決まらない息子に、父はザルツブルク大司教への仕官を斡旋したのだ。
それに対し拒否しているため、モーツァルトは故郷に対し不満を持っていたようである。
ザルツブルクはキリスト教大司教が治める宗教都市である。
音楽は教会の儀式に参加する人々に限られたものだった。
ウィーンやロンドンといった、当時既に市民の為の音楽が出来ていた都市と違い、ザルツブルクでは一般市民が気軽に楽しめるコンサートホールやオペラハウスはほとんど存在していない。
音楽とは支配者の権威を示すものであったのだ。
家出息子が久々に「どんな風になっているのか?」と思って実家を訪ねたようなものである。
天出優子は郷愁とかは無しで生地を見たのだが、そこは自分を大々的に売り出す節操の無さを見せていた。
優子が「どうにもおかしな感覚」と言ったのは、前世での「退屈な場所」「自分をぞんざいに扱った町」が、一転していたからである。
そんな優子の複雑な感情を余所に、市内観光が始まった。
場所は旧市街。
(これは、自動車が走り、電気があるとはいえ、ほとんど変わっていないではないか!)
優子は驚く。
それはウィーン以上の変わりの無さであった。
当然である。
世界遺産として、変えないように保護しているのだから。
大聖堂、ホーエンザルツブルク城、聖ペーター僧院教会、レジデンツ広場など、前世でも見かけたものがそのままの姿でそこに在った。
天出優子は次第に不快になって来た。
パリでは変わり果てて、わずかな名残を残す故郷に感傷的になった感じであった。
ウィーンでは、変わってはいたが懐かしさを残す風景に、穏やかな気分で和んでいた。
しかしザルツブルクでは、余りに変わっていない為に、前世を思い出してしまう。
喧嘩別れで飛び出した故郷、自分の才能を活かす場の無かった故郷。
そこが昔と変わらぬ姿で存在していた。
例えるなら、喧嘩して飛び出した実家に久々に帰省した所、年老いたものの、昔と変わらぬクソ親父がいたようなもので、不快さがフィードバックしたようなものだ。
(それでいて、私の名前を堂々と利用する厚顔さ。
この町は私には合わないのかもしれない)
そんな不快な感情が消し飛ぶ場所もある。
自分の生家が残されていた事には、驚きはするものの、感情的な変化は無かった。
そのモーツァルト生家から近い、聖セバスティアン墓地を訪ねる。
コーディネーターは
「そんな観光地でも無い場所に?
変わった女性だ」
と肩をすくめていたが、同行した堀井から
「彼女はモーツァルトが好きなんだ」
と説明され、なるほどと納得していた。
『レオポルト・モーツァルト 1719年11月14日~1787年5月28日』
『コンスタンツェ・ニッセンとモーツァルト 旧姓ウェーバー 1762年1月5日~1842年3月6日』
(ニッセンは再婚後の夫の姓)
他にもモーツァルト関係の墓が並ぶ。
天出優子はこの2つの墓の前で跪き、祈りを捧げる。
(父上、コンスタンツェ、なんと言ったら良いのかな? ただいま、かな?
私はこうして、二度目の人生を楽しんでいるよ。
変な気分だなあ。
まあ、私の墓がここにないから、更に変な気分にはならないだろうが)
モーツァルトの墓はウィーンの公共墓地であり、単独のものはない。
ウィーンで収録をして、すぐにザルツブルクに来た為、自分の墓は見ていない。
見ても意味が無いように感じられた。
だが、父と妻の墓は見ておきたかった。
(父上とコンスタンツェに久々に会ったら、なんか気分が晴れたな。
ザルツブルクに来てから、ずっとモヤモヤしてたんだ。
いや、ヨーロッパに来てから、かな?
でも、君たちに会って気分が整理出来たよ。
おかしいな。
おかしいよね。
まあ、私の心の中の問題だから、どうでも良いか)
以降、優子がヨーロッパに来ても変な感傷に囚われる事はないだろう。
「どうしたの?
なんか神妙な表情で、しかも泣いてたけど。
まるで家族に対するようだったね」
「え?
私、泣いてた?」
堀井に言われ、改めて自分の頬を撫でると確かに涙が伝った濡れた痕がある。
まあ家族に対していたというのは、間違いではない。
「次、どこか行きたい所はありますか?」
コーディネーターの問いに
「ヒエロニムス・フォン・コロレドの墓はありますか?」
と優子は答えた。
ザルツブルクには無い、ウィーンのシュテファン大聖堂の地下墓所だと言われ、ガッカリする。
前世で尻を蹴飛ばされた復讐に、墓を蹴ってやろうと思った、普段通りの罰当たりな優子であった。
……実行したら、きっと国際ニュースになったから、ザルツブルクに大司教の墓が無かったのはきっと良かった事だろう。
おまけ:
作者のザルツブルクの思い出。
駅前の中華料理屋で、麻婆豆腐を頼んだら、カシューナッツ炒めが出て来た。
あれえ???
あと、調べていたら作者が使った「チロリアン航空」ってオーストリア航空に吸収されて消滅したのね。
そんで、ウィーン~ザルツブルクの定期便は見当たらない、列車移動が一般的だ、と。
あれえ???
あのターボプロップ機で移動するの、好きだったのに……。
転生モーツァルト程、時を隔てたわけじゃないのに、なんか時代が変わった事を感じましたわ。
でも、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト空港ネタは使いたいので、チャーター便を使った事にします!
定期便がなくても、チャーター便や季節便はあるようなので。
(ネタの前提となる移動手段が無くなっていて、多少ヤケを起こしてます)




