クラシック界への招待
天出優子の同級生・堀井真樹夫は世界的にも知られた若手ピアニストである。
と同時に、最近では作曲家としても注目され始めた。
きっかけは、彼が5番目に作曲したピアノ・ソナタが海外の指揮者から絶賛された事である。
保守的で権威主義な面がある日本人は、海外の有名人が認めて、初めて注目する事がある。
ポップミュージック等は逆に日本で流行し、海外が注目するケースがあるが、芸術の中でも古典的なものは海外の評価が、日本国内の評価に勝る。
堀井が注目されたのは、ピアノ・ソナタ第5番だが、彼はそれではない凡庸な曲を大事にしていた。
ピアノ・ソナタ第1番、つまり彼が一から作り出した最初の曲であった。
基本的に今の彼は、教科書通りの技術しか作れない。
ソナタ形式、提示部→展開部→再現部といったフォーマットから一歩も出ない曲。
はみ出す意外性が無いから、曲は第1主題部の旋律に全てがかかっていた。
ここが第5番では評価されたのだが、その前に作ったものは平凡で、練習曲の域を出ない。
しかし
「既に頭に浮かんだ曲を楽譜に起こすならともかく、作曲を一から勉強するなら、まずは基本通りにした方が良い。
バロック音楽の輪唱を学び、そこから繰り返しを変化させるソナタに到る。
ジャズのような即興音楽でないなら、音楽史に沿って曲を再現し、背景を知って音楽の全てを取り入れる。
その後の新天地開発だ」
と彼の師から言われた。
彼の師ことモーツァルトの転生体だから、数百年に及ぶ音楽の歴史を学び、全てを消化したのだ。
まだ高校生に過ぎない堀井は、そこまでは出来ていない。
しかし、言ってる事はもっともと思い、教会音楽からバロック時代を経て、古典派時代とロマン派時代を再現している最中だ。
彼はピアニストで、これが好きだという感性を持っている。
それでソナタ、ソナタ形式を含む交響曲・協奏曲を好み、名曲が多い古典派とロマン派を学んだまま、まだその先の印象主義には進んでいない。
印象主義の後には新古典派が待っているが、まずは古典派・ロマン派を消化したいところだ。
なお、天出優子も、既にバロック音楽が時代遅れとなっていて、当初は周囲と同じように馬鹿にしていながらも、イタリア留学時にその理論を学んで自身の音楽に取り入れている。
こと音楽に関しては努力家だし、勉強熱心なのだ。
ちなみに優子は、既に現代音楽を吸収していて、映画と音楽の関係、主題曲が映画の世界をどう表現しているかを自分なりに解釈し、数多くの作曲家について学んでいた。
映画を作るとなると、オペラを書くよりも更に難しい事が分かり、監督となる勉強はしていない。
「戸方さんや灰戸さんのように、業界関係者と仲良くし、スポンサーを引っ張って来ない限りは製作にすら取り掛かれない。
寄って来る相手と仲良くするのは慣れてるけど、自分から関わりを持って金を引っ張ってくるのは苦手だな……」
なんて思っていた。
なお、自主製作映画なる、スマホ1つで作った映画も評価される事を知るのは、この高校時代である。
MVなどは自分でも考えて作る癖に、どこか無知なところがあり、「所詮子供が作った映画なんて評価されないだろう」という、音楽に置き換えてこれを言われたら頭に来るであろう事を思う頭の固さもあったりする。
「やあ真樹夫、待っていたよ!」
高校の校門に不審な外国人がいると職員室に通報があり、行ってみるとそこにはドイツ人の高名な音楽家がいて、立ったままにさせるのは問題があるので応接室に通した後、用件である堀井を呼んだという次第である。
「先生、どうしてここに?」
「ドイツに居た以来だね、懐かしいよ。
日本に帰った後は、何度も連絡をくれたのに、最近は数少なくなった。
寂しいから来たんだよ」
「そんなわけがないでしょ。
先生ほどの誇り高い人が、ギムナジウムにちょっといただけの日本人生徒に会いに来るのは、別な理由があるはずです。
あの当時の僕は、数多くいる貴方の弟子の一人に過ぎなかったのですから」
「そうだ。
あの時は数多くいる生徒の一人だった。
今は違う。
君の才能は頭一つ飛び抜けている。
君は曲を創造出来たのだ、これは素晴らしい事だ。
それも、モーツァルトやベートーヴェン、シューベルトに近い音楽だ。
私は君を誇らしく思う。
だがそんな君は、自分に作曲を教えてくれた師匠がいると言っていた。
音楽で遅れた国とは言わないよ。
だが極東の、古典音楽時代には刀で暴れていた国に、我が国の音楽を理解している人がいるのか気になってね。
丁度旅行しようと思っていたから、日本まで来たのだよ」
この一連の会話は、全てドイツ語でされていて、教師たちは理解出来ていない。
そして、堀井は師の望みが「自分に曲を教えた人を見る事」だと知ると、溜息を吐きながら教室にいる優子を呼んでくるよう教師に頼んだ。
「こんにちは、初めまして。
私に用事という事ですが?」
「おお、可愛らしいお嬢ちゃん、貴女もドイツ語を話されるのですか?
驚きです。
それも、随分と古いドイツ語ですね」
現代ドイツ語は、古典ドイツ語に比べて随分と簡略化されている。
更に天出優子が話すのは、オーストリアのドイツ語で、かつラテン語を借語として用いていた18世紀ハプスブルク家の宮廷内言語。
日本語に置き換えるなら。
「ご機嫌麗しゅう、そしてお初にお目もじいたしまする。
わらわに御用ありと承っておりまするが?」
と言った感じであろう。
なお、古いドイツ語は格変化に厳格なので、大学で習うドイツ語などとは相性が良い。
逆に言えば、日本の語学教育で学ぶ事は、現地では「それは老人しか使わないよ」となったりする。
最初は小さく、ドイツ人基準でなくても小学生にしか見えない優子を「お嬢ちゃん」と軽く見ていたのだが、古臭いドイツ語を話す少女が音楽に対し、並々ならぬ知識を有し、場所を変えて音楽室で演奏混じりで語っても、彼が知るどんな音楽家よりも凄い才能を感じ驚愕していた。
「素晴らしい!
極東にここまでの音楽家が居るとは思わなかった。
君が真樹夫に曲の作り方を教えたというのも納得出来る」
と大袈裟だが、確実に上から目線で褒め称えた後、こんな事を言い出した。
「素晴らしい提案をしよう。
君も我々の仲間入りをしないか?
さっき聞かせて貰った君の曲、十分に伝統あるコンサートホールで、交響楽団に演奏されるに足る。
才能ある者を私は愛する。
君と真樹夫は、こんな本場から離れた国に居るべきではない。
ドイツに来なさい。
面倒は私が見てあげるよ」
天出優子は内心呆れていた。
そして思い出す。
(そうだったよ、ヨーロッパの人間はこんな感じだったよ。
ずっとサブカルチャーも大事にし、争いを避ける為に穏やかな物言いをする日本人として15年生きて来たから私も穏やかになった。
ヨーロッパに居た前世では、傲慢で自信に満ちた言い方で相手を圧倒していたのだが、それをこうして聞くと実に不愉快だな)
日本人にも伝統主義、権威主義、サブカルチャー軽視の人間はいる。
クラスメイトの伝統芸能のドラ息子もそんな感じで、傲慢に高圧的に振舞っていた。
優子たちの才能に触れている内に、態度こそ変えないも、内心では思いっきり認めるように変わったのだが。
優子は、18世紀ドイツ人のモーツァルトではなく、現代の日本人として生きている。
前世であれば、皮肉も言って相手の傲慢さをおちょくり、喧嘩となってでも意見を言っただろう。
しかし日本人はそうはしない。
彼女は音楽室のピアノで、ドイツでも知られた日本のアニメや映画音楽をアレンジして聞かせた。
そして
「私は今、こういう音楽を学んでいます。
クラシックは素晴らしいですね。
でも、今の私の興味はこちらにあり、それはドイツでは学べない事です。
それに私はドイツ語はこのように話せますが、他の勉強は出来ませんよ。
貴方にとってもそれは恥になるでしょう。
いつか興味をまた持つ日が来るかもしれませんが、その日までどうか放置して下さい」
と告げた。
(折角、神の使いだか天の使者だか知らんが、あいつにつき纏われなくなったんだ。
こっちで好きなように生きるさ。
神の使いと同じように、当分見守っていてくれたらいいさ。
長い歴史の中で、私が死ぬまでの時間なんて、当分の範疇だろ)
要するに拒絶していたのだが、ドイツ語で話した中では別のニュアンスに聞こえたようである。
「私は不勉強ですから、今は勉強中です。
貴方が恥と思わないようになる日までお待ち下さい。
私は今は興味が他の音楽に行っていますが、その時までにはクラシックに興味が戻るでしょう」
ドイツ人音楽家はそう解釈して、満足した表情で握手を求め、そして学校から去っていった。
残された堀井が聞いてくる。
「なんか師が、天出さんが言ったのとは違う解釈したっぽいんだけど?」
優子は溜息を吐く。
「私も日本人なんだなあ。
もっとハッキリ、嫌だ、って言えば良かったかもしれないね。
でも、ドイツ人の気性から、そこからきっと討論になっただろうし。
面倒を避けられたから、これはこれで良しとしよう」
だが堀井は思う。
(天出さんがクラシックの世界に来てくれたら、音楽界はもっと活気に満ちたものになるのではないか。
僕はずっとそれを望んでいたんじゃないか)
だが、それを本人に向かって口にする事は無かった。
彼女がやりたい事が、今は女子グループアイドルの音楽なのは明確だったからだ。
おまけ:
ドイツ語では「Guten Tag」、オーストリア語では「Grüß Gott」。
ドイツ語では「Danke」、オーストリア語では「Danke sehr」。
標準ドイツ語とか出来る前の時代で、南ドイツやオーストリアの方言を彼等は話していたかな、と。
なお宮廷では「こんにちは」に相当する言葉がなく、手にキスをする行為で挨拶としていたとか。
あと日本で学ぶ外国語と、現代語の乖離というので、最近見たこんな話:
日本人「覆水盆に返らず(It's no use crying over spilt milk)」
アメリカ人「それ今ジジイしか言いません」
イギリス人「貴方は貴族ですか?」




