日本は広い
メルカトル図法の嘘というものがある。
高緯度地域程大きく描かれるメルカトル図法での世界地図では、日本よりも高緯度にあるヨーロッパは大きく描かれてしまう。
実際のサイズで日本をヨーロッパに重ね合わせると、北はデンマークから南はスペインまでに跨る中々の国土なのだ。
まあ、横幅は狭いのだが。
天出優子の前世、モーツァルトは若き日にヨーロッパ各地を演奏旅行した。
ザルツブルクからミュンヘン、フランクフルトからブリュッセルに入り、パリに移動して5ヶ月滞在。
その後ロンドンで1年過ごし、ネーデルラントからスイスを経てザルツブルクに戻る。
約6千kmの旅行である。
だが、もし日本を自動車で移動するなら、1周は約1万2千kmである。
時代的に交通の便の問題はある。
北海道の端までは移動しないし、外周を回るわけでもないから、1万kmの旅などは有り得ない。
それでも今、アルペッ女が挑む47都道府県全制覇のツアーは、前世でのヨーロッパ大遠征旅行並の行程である事は変わらないのだ。
ツアーはまず東京で開幕し、その後広島でも公演。
翌々週に大阪と神戸でも開催し、上々の滑り出しであった。
だが、ここから地方回りとなる。
三連休に、青森・秋田・岩手の北東北公演となった。
優子は北東北を知らない。
スケル女の仕事で、宮城県仙台市と、北海道札幌市は訪れた事があった。
ここは夏は暑いし、東京はともかく、近隣の都市とは大して変わらなかった。
実際、客入りも上々だったし。
しかし、北東北となると行く用事が中々無い。
仕事では仙台と札幌の中間地帯は飛ばされがちだ。
プライベートでは、尚更行く用事がない。
そして、全国区アイドルのスケル女でもそんな感じなのに、姉妹グループで瀬戸内拠点のアルペッ女では、行く機会は皆無だし、ファンもほとんど居ないから、無縁の地であった。
そこのファンを開拓する。
優子は前世を思い出す。
過酷な旅だったし、兄弟や母が病気に倒れるなど、悪い思い出もあるが、それでもザルツブルクに籠って音楽活動をしているよりも有意義であった。
世界に自分の才能を知らせる事が出来た。
アウェーだからこそ、飛び込んで、名前を売るべきだろう。
優子は同期の斗仁尾恵里と話してみた。
斗仁尾は岩手県出身で、この地に詳しいと思ったからだ。
だが、答えは意外なものである。
「自分、久慈周辺しか知らねえって」
一応、近くの青森県八戸市が都会だから、そちらに遊びには行っていた。
しかし、岩手県中心都市の盛岡はちょっと行くのに不便だし、まして今回コンサートをする奥州市なんて
「小学校の時の修学旅行で行ったくらいかな」
というものだった。
岩手県一個取っても、栃木県・埼玉県・千葉県の3県合算の面積と等しい。
南北で見ると、東京駅から那須塩原辺りまでの長さである。
日本2位の面積は伊達ではない。
……つまり、日本1位の北海道は更に凄いのだが、今は触れずに置こう。
青森・秋田・岩手の北東北の面積は、現代のベルギーとルクセンブルクを足したものより大きい。
優子は甘く見ていたようだ。
「じゃあ、東北の特徴とか分かる?」
「分がんねえって。
岩手だって、北部の南部と、南部の伊達じゃ違ってるんだし」
「???????
ごめん、私勉強出来ないから理解出来なかった。
北部の何だって?」
「ああ、岩手はね、北部が南部で、南部が伊達なの」
「??????」
「昔、南部藩っていう大名がいて、それが北の方を治めてたんだよ」
「…………この質問、もうやめる。
コンサートで使えそうな情報、何か無い?」
「ねえなあ。
そもそも、コンサートとか盛んな場所で、アイドルがいっぱいいたなら、私も東京行く必要ねがったし」
それでも、流石にほぼ東京でしか生活していない優子に比べ、斗仁尾の東北の知識は豊富である。
余談だが、埼玉県や栃木県の人に
「何か名物とかありますか?」
と質問すると
「無いんだよなあ、これが」
と自虐的な笑いをする。
東北の人も似たような所があり、何か良い事を教えて下さいと聞くと
「うちは田舎だすけ、なーんもねえべ」
と謙遜してしまう。
だから聞き出すには
「田舎だから、何も無いよね?
見るべきものも、美味しいものも、有名な人物も何もない、日本の僻地だよね」
と煽った方が良かったりする。
ムっとして色んな事を教えてくれるだろう。
とりあえず斗仁尾の情報で、
「青森は定番だが、リンゴを褒めると、とりあえずは安心する。
ホタテとかニンニクとかの名前を出すと、おお? という感じになる」
「秋田はあまりショッツルだのハタハタだの言うと、ちょっと不機嫌になる。
いかにも秋田過ぎて、田舎者だと馬鹿にされてるって感じみたい。
米と秋田犬はいくら褒めても大丈夫」
「岩手は……農産物褒めるより、野球褒めよう。
あと、三大麵は鉄板ネタ。
わんこそば何杯食べたかは、話題としてハズレなし」
等の情報を仕入れた。
「まあ、私の知ってる範囲っつーか、個人的な感じで喋ったけんどね」
「……というわけで、東京組の私たち3人が青森に先乗りしたってわけです」
「なんか、『長門はご当地のものを好きなだけ食べて良い』って言われたんじゃけど、どうしてかな?」
「そりゃ、食欲を満足させておかないと、また他人の物まで持ち帰るからじゃないんですかね」
「優子ちゃん、私ってそんなキャラなの?」
「そういうキャラ以外の何者でもないでしょ!
前科あるんですから、心外だ、みたいな表情にならないで下さい!」
差し入れ泥として警戒されている長門理加と、ツッコミが忙しい天出優子。
「私こそ、ボケとかツッコミとか、そういうキャラじゃないのに」
とボヤく優子に
「まあまあ、師匠。
せっかくですから、のんびりいきましょう。
青森って、恐山とかあるから、私、ゾクゾクしちゃいます……」
なんて言っている筑摩紗耶だが、差し入れやらご当地物の持ち帰り事案について、彼女が一番腹黒い事を誰も気づいていない。
「ただ美味しい物食べて、私たちこんなの食べました~、青森って凄いですね~!
……って、こんなのはコンサートの本質から外れてると思わない?」
「……筑摩さんがまともな事言った……。
確かにそうなんですが、私が事前に調べていた情報では、使えるものがなくて……」
「でもまあ、バラエティー番組だと、美味しい物の話はハズレが無いよ」
アルペッ女では珍しく、東京でテレビ仕事をしている長門が、事情通な事を話す。
「食事は、人間誰しもがするわけだし、味ってのは大体同じ感覚なわけ。
だから、グルメレポートってのは、余程酷い事を言わない限り、50点は取れる事故を起こさない話題なのよね。
明日、私たち3人は地元テレビに出演して、コンサートの告知をするのだし、こうして現地に来て美味しいのを食べる事にも意味があるってわけよ」
「分かるけどね。
ただ、音楽を売りにしている私たちが、食べ物の話題で宣伝するってのもちょっとね」
「紗耶ちゃん、そこは割り切ろう。
テレビ局にしたら、面白い物を観たいんじゃない、面白い脚本に従って演技する人が欲しいんだよ。
私たちがこうしたいって言っても、求めているものと違ったら、使ってもらえない。
そういう風に主張が強過ぎると、番組に呼ばれもしなくなるからね」
世知辛い話をしているアイドル二人。
両方とも本来「変人」と呼ばれる人なのに、こういう話題では常識人を通り越して、苦労人になってしまう。
そんな二人とは別に、優子は店内の放送を聞いていた。
「この楽器……」
地元の美味しい物を出す店だから、観光客にアピールする為に、津軽三味線の演奏を流していた。
「三味線だけど」
「これ、青森独特のもの?」
「独特かどうかは分からないけど、津軽三味線って確か有名だったはず」
「使える……」
現地まで足を運んでみるものだ。
優子はその晩、戸方プロデューサーに、アルペッ女のある楽曲を津軽三味線アレンジして送りつける。
とりあえずこの時点で、本人は三味線を弾けるわけではない。
しかし、EDMで音をアレンジするなら、本人の技量は関係なく編曲出来る。
許可を得て、ある曲をアレンジ版と交換した。
音が津軽っぽいだけで、歌詞やリズムは同じだから、メンバーも混乱しない。
そして、翌日の現地テレビ局出演の際、ディレクターに頼み込んでみた。
「天出優子さんは、津軽三味線に興味を持たれたようで」
「はい!
良い音だなって思いまして」
「演奏出来るとか?」
「はい、下手くそですけど……」
そう言いながら渡された三味線で、昨晩聴いた曲を再現してみせる。
(師匠って、三味線弾けたんですか?)
(知らないよ。
さっき習ってたけど。
昨日は存在すら知らない感じだったのに、もうこんな風に弾けるって、意味分かんない)
筑摩と長門が啞然としている中、
「実は、アルペッ女のコンサートで、青森スペシャルで津軽三味線アレンジの曲があるんですよ!
興味持たれた方は、是非聞きに来て下さい!
当日券も若干残っています!」
こうして、コンサートに来場する年齢層よりは遥か上の年代に
「なんか、可愛い感じだけんど、たんげ三味線弾けっ子がおったなあ」
とアピールをして、番組出演は成功したのである。
……なお、それでチケットが完売したかというと、そうでは無かった事は伝えておこう。
おまけ:
戸方プロデューサーからメールが届きました。
「秋田と岩手風のアレンジ、有るんだったら今日中によろしく。
昨日みたいに、いきなり送られても困るから、早めにアレンジしたのを送るように」
自分のせいとはいえ、コンサートだけに集中してられなくなった優子であった。




