幕間・4
「ランドール様、私をお放し下さいませ! 御一人ならば――」
その先を言う事は出来なかった。ミュウの唇は、ランドールのそれで塞がれてしまう。
肩を掴む、骨ばった手から伝わる、意外なほどの力強さ。爪が喰い込むほどに震えが走り、彼の想いがどれほどのものかを痛感してしまった。
こんな時だというのに、それをひどく嬉しいと思う自分が居る。ミュウは自身に対する情けなさと、想い人に対する愛しさに、涙を零しそうになってしまった。
「――もう一度、飛ぶ」
唇が離されると同時、ランドールはそれだけを言って、ハンドベルを掲げた。
――瞬間、空気を切り裂いて、何かが飛来する。
「ランドール様ぁ!!」
ミュウを咄嗟に庇ったランドールの腕に、それが着弾する。
鈍い音。骨が砕けるような嫌な音が、ミュウの耳朶を打った。
「だいじ、ない、な?」
それでも、ランドールは僅かに顔を顰めただけで、ただひたすらにミュウを案じてくれる。
嗚咽さえ零れそうになる喉を叱咤し堪え、ミュウは必死に頷いた。
「――ッ!」
常とは違う、空間の歪み。二弾目が穿たれるその寸前に、二人の姿が掻き消えた。
「はあ、はあ、はあ……っ!」
浮遊感と共に、体が宙へと投げ出された。左程の高さは無い。自分を庇おうとするランドールと位置を入れ替え、ミュウがその体を抱き留めた。
耳元で響くランドールの息が荒く、重くなる。
「無茶を、するな……」
「それはこちらの台詞でございます!」
王子の頬は、げっそりと痩せこけていた。
『祝福』の使用限界値が近付いているのだ。
ミュウは、第二王子に肩を貸し、よろよろと立ち上がる。
ゾッとする程に軽い体に、涙が溢れそうになった。
今、彼は。どれ程に身の重みを失ってしまったのだろう。
唇を噛みしめ、周囲を見回す。
霧に霞んで良く見えないが、ここは、庭園だ。
周囲に配置された石や細工物を視認し、ある程度の当たりを付ける。
(レディ・ゲルンボルクたちが向かった場所から、位置がずれている……!)
やはり、無謀だった。回復しきれていない状況での『祝福』の連続起動。
これ以上は、ランドールの身が持たない!
其れを示すように、空間の歪曲が解ける。閉鎖され、隔絶された箱庭から現実のそれへと切り替わる。
距離は、どれだけ稼げた? 『アレ』は、今。何処まで迫っている!?
(まさか、この機会を狙っていたとは! 見通せなかった自分の未熟が嫌になる!)
悔しくて悔しくて、体が震えて視界がぼやけてゆく。
ランドールを必死に支えながら、前へ前へと歩こうとするが、どうにも上手くいかない。
どうやら、足を挫いたらしい。何処まで足手纏いなのかと、嫌になる。
自分に、マリーベルやフローラのような特別な力があれば。
王子の配偶者に相応しい血筋と能力があれば。
無い物ねだりの思考がとりとめなく、ぐるぐると脳内を駆け巡る。
「あぐっ!?」
すぐ傍に、石の塊が着弾する。
抉れた地面から迸る土と石のつぶてに体を打たれ、ミュウは息が止まりそうになった。
振り返る。そこに、もうアレが――クレア・レーベンガルドの姿をした『ナニカ』が迫っている!
(ぐ、う――!)
何が、どうしてこうなったのか。
マリーベル達が離宮に到着し、『祝福』を起動させた瞬間。
一時的に空間が破れたその瞬間を狙って、『彼女達』が部屋に踏み込んで来たのだ。
そう、二人のクレア・レーベンガルドが。
こちらへと掴みかかって来た二人の令嬢。
その魔の手から必死に逃れたものの、もう精も根も尽き果てようとしている。
(衛兵も、護衛も。まるで障害にすらならない……! これが『祝福』! 神の加護を受けざる人の身には、どうにもならないと、そう言うの!?)
如何なる方法を使ったか。周囲に配置していた筈の兵も何もかもを突破し、クレア・レーベンガルドはミュウたちを執拗に追撃してくる。わけがわからなかった。状況が読めない。そも、マリーベルが見たという『クレア』は何だったのだ。
疑問を呈する間にも、脅威は迫る。
三撃目が飛来し、遂にミュウは足をもつらせて地に伏してしまった。
相手は、一定の距離を保って攻撃してくる。恐らくこちらの『祝福』を警戒して、近づかないのだ。
遠距離からの投擲により、確実に仕留めようとして来る!
「ち、い――!」
ちりん、と。音が鳴る。
それは、ランドール王子の命の響き。
体に伸し掛かる重みが更に減少し、ミュウは悲鳴を上げた。
ランドールの『祝福』は音の届く範囲にしか効果を及ぼさない。ゆえにその補助として、宮殿内や庭園内のあちらこちらにベルが配置されているのである。どういう仕組かは分からないが、ハンドベルを起点として、その音を伝播し他の『ベル』を共鳴させる。そうすることで、範囲を拡大化が可能らしいが、それに伴い代償もまだ加速するのだ。
今度の空間接続とそれによる転移は、今までとはまるで別風景をもたらした。
明らかに庭園内とは違う。前には整備された舗道が広がっており、霧に霞んだ遠くには、見慣れた街並みがあった。
――宮殿の、外に出た?
「逃げろ、ミュウ……」
「ランドール様!?」
ハッとして振り向くと、ランドールが顔を青白くさせ、息も絶え絶えといった風に肩を上下させている。
「へい、か――祖母上は、もんだい、ない。あの方の、しゅくふく、なら、ば……身はまもれる、はず……」
「ランドール様、なりません! どうぞ、お口を閉じてくださいまし!」
喋る事すら苦痛。
そんな想い人の姿に、ミュウは耐えられずに涙をポロポロとこぼしてしまう。
「アーノルド、ゲルンボルクに、何とか接触、しろ……もう、最後の頼みの綱は、あの男、しか――」
「では、一緒です! 殿下も、一緒に――」
「いかぬ。お前の命の方が大事だ。王族として失格だろうがなんだろうが、知った事か」
震える手が、ミュウの頬に添えられた。
その指先が溢れた涙に濡れ、滴を散らしていく。
「お前の器量ならば、このような醜悪な男でなく、もっと良き縁があるだろう」
言葉とは裏腹に、その口調は何処までも優しかった。
訣別の意味を感じ取り、ミュウは必死に首を振った。
「いや、いやっ! 私にはあなた以上の方などおりません! あなただけを、私は――」
縋る言葉すら、吐く時間は無かった。
何か、重い物がぶつかる音に、ぎょっとしてそちらを見る。
すると、どうだ。うず高い壁の上には、人影があった。
「クレア・レーベンガルド……!?」
「おう、ジ……ニガサ、なイ……」
人の言葉とは思えぬ唸り声。
唇を三日月の如く裂いて笑い、『クレア』が体を沈み込ませた。
こちらが限界だと、悟ったのだろう。獲物をしとめるべく、遂に飛びかかってこようというのだ。
逃れられないと知り、ミュウは震える手でスカートの内側へと手を伸ばす。
そこから輝くナイフを取り出し、構えた。いざという時のために、護身の術は習っている。
通じはしないだろうが、体は動く。愛しい人の盾にはなれる!
「よせ、ミュウ……!」
もっと早く、こうするべきだった。
自分という足手纏いがいなければ、ランドールは逃げられる。
それでも、と願ってしまったのは自分の弱さ。
彼との未来を夢見た己の愚かさと醜さであった。
『――美しい、花が手折られるのを防げた』
かつて、ランドールに掛けられた言葉が蘇る。
嬉しかった。本当に嬉しかったのだ。
親にすら器量なしと見捨てられた自分を、『花』と称してくれたこと。
不器用ながらも、誠実な愛を注いでくれたこと。
そう、ランドールと過ごした日々は、ミュウにとって至上の幸福であった。
永遠に続く物ではないと知っているからこその、夢のような生活であった。
だから、これは。やっと、その時が来ただけのこと。
夢見る時間の終わりが、遂に訪れただけ。それだけの、ことだ。
「お慕いして、おります。あなたを、あなただけを……」
「やめろ、ミュウ! よせ――!」
刺し違えてもいい。この身体を肉の壁として、攻撃を受け止めるのだ。
このお方を逃がす時間だけは、必ず作って見せる!
決死の覚悟と共に、両手を広げた、その時だった。
聞いた事も無いような爆音が響き、『クレア』の腕が爆ぜた。
飛びかかる姿勢だったことも災いしたのだろう。
堪える事も出来ずにその姿がぐらつき、壁の向こうへと落ちてゆく。
次いで、何かが潰れるような破砕音が微かに耳へ響いた。
「――フム。反動がちと大きいですね。新王国の製品はどうも威力は強いが、大味で仕方ない。もう銃口が焼けついてしまった。命中したのが奇跡ですね。まだまだ改良の余地があると伝えておきましょう」
状況に似つかわしくない、淡々とした声。
ミュウが茫然とそちらを向くと、火薬の匂いを漂わせながら、誰かがそこに立っている。
「まぁ、良しとしましょうか。人の知恵や技術も捨てたものでは無い。神々の加護によらずとも、それに迫ることは出来る。安心しましたよ、これで私も商会長の御力になれそうです」
霧の向こうから現れたのは、黒髪の青年だった。
ずれかけた眼鏡を人差し指で押し上げ、こちらへと近づいて来る。
その手には、大型の銃がある。学院の講義で習ったことが在った。
確か、ライフルとかいう代物。しかし、それはミュウが知るよりも更に一回り大きいように見えた。
「母の国の言葉に、こうあります。義を見てせざるは勇無きなり、と。間に合って良かった」
「あなた、は……?」
「おっと、申し遅れました。私はゲルンボルク商会の会長秘書を務めております、ディック・マディスンにございます」
青年は、ミュウたちの目の前で立ち止まり、恭しく紳士の礼を取った。
「推測するに、そちらの御方がランドール・エルドナーク殿下でございますか? そして貴女は恐らく、レディ・イーラアイム」
「……成るほど。マディスンの倅か。確かに面影がある」
「おや、父をご存知なので?」
首を微かに傾げる青年――ディックに対し、ランドールがよろよろと立ち上がる。
慌ててその背に駆け寄り、ミュウは肩を貸すようにして脇を抱きかかえた。
「老マディスンには、世話になった。ある意味では我が師とも言えよう。アーノルド・ゲルンボルクが住むあの邸宅も、マディスンに頼まれて私が設計したのだ」
「なんと……! それは、奇妙な縁にございますね」」
空気が和らぎ、弛緩する。
ミュウもまた、安堵のあまりへたり込んでしまいそうになる。
「殿下、僭越ながら申し上げます。積もる話は後に致しましょう。奥様――マリーベル・ゲルンボルクとデュクセン侯爵令嬢はどちらに?」
「離宮に向かった筈だが――」
言い終わらぬうちに、壁の向こうで常ならぬ音が響く。
高い外壁の、それを呑み込むかのように炎が吹き上がり、赤々と空を照らし出した。
「な、何が……!?」
「罠に嵌ったか! おのれクレア・レーベンガルドめ!」
二人の言葉に、ディックが眉根を顰めた。
「クレア? クレア・レーベンガルドが裏切ったのですか?」
「いや、状況は良く分からぬ。マリーベル達が離宮に向かった後、我らの部屋に突然二人の『クレア』が踏み込んで来たのだ」
「二人……」
何かを考えるように、ディックが顎先に手を添えた。
「殿下。ご無礼を承知でお聞きいたします。その『クレア』に体を触れられませんでしたか?」
「なに?」
ランドールが戸惑ったように声を上げるが、構わずディックは言葉を重ねた。
「重要なことなのです。いかがでしたか?」
「ああ、確かに。片方の『クレア』に体を掴まれた、が……」
「やはり――」
口惜しげに、ディックが臍を噛む。
「何だ、どうしたというのだ。もしや、向こうの『祝福』の条件と何か一致するとでもいうのか?」
「ご明察です、殿下。貴方がたを襲ったのは本物のクレアでは無いでしょう。恐らくはその姿を模した『協力者』。レーベンガルドの『同盟』の一員です」
アレが偽物のクレアで在ることは、ミュウたちも推測はしていた。
けれど、ディックの憂いはその先にあるようであった。
「アルファード殿下から、商会長がお聞きになったそうです。その『祝福』は、『人形遣い』でも『変化』でも無い、と」
「兄上から……!? いや、待て! そうか、兄上の『祝福』か。視たのだな、彼の逆賊どもの権能を」
「その通りです。そして、その祝福とはすなわち『模倣』」
眼鏡の奥――ディックの双眸が鋭く光る。
「力の深度を増すごとに、段階も上がるようです。姿形ばかりか、内部や思考までも同一のものを『模す』ことが可能だと。それは、対象の持つ技術や能力もまた、条件が揃えば同様であるらしく」
「なんだと……!? おい! それでは、もしや!」
「そうです。お察しの通りにございます」
ディックの頬に、汗が伝うのが見えた。
ミュウもまた、その会話の意味する事を察し、顔から血の気が引いていくのがわかる。
「そうか、そうだったのか! 離宮には『アレ』が在る! もし、『協力者』とやらがウィンダリア子爵家の生き残りとするなら、王宮に上がった目的は――」
王子の顔が、憎々しげに歪む。
「兄上に近付き、我に接触したのも、それか! おのれ、小癪な真似を!」
「ランドール様。これは由々しき事態かと。ミスター・マディスンの得た情報が確かならば、相手は――」
「ああ、そうだ」
荒い息を吐き出しながら、ランドールが天を仰いだ。
「敵は、我らの持つ『祝福』も『模倣』する事が出来る……!」




