88話 夫婦の絆
「アーノルド・ゲルンボルク……!?」
明らかに人の物ではない、歯車が剥き出しの片腕を晒し、裸体の女が目を見開いた。
月明かりに輝く、銀の髪。風貌から察するにクレア・レーベンガルドだろうか。
だが、この状況はどういうことだ。アーノルドは油断なく周囲を睥睨する。
人形を挟んだ向かいに、妻とフローラ・デュクセンの姿が見えた。
無事とは言い難いが、見たところ二人ともが重傷らしいものは負っていない。
そうか、何とか自分は間に合ったか。
(――っとに、ギリッギリだったな!)
じりじりと間合いを詰めながら、努めて表情を変えず、アーノルドは心中で息を吐く。
まさにまさにの強行軍。
車の性能限界まで速度を上げて、ほぼ突っ込む勢いで宮殿に辿り着き、そのまま王宮外壁をよじ登る。
魔の山とか呼ばれる断崖絶壁を踏破した事があったが、それを思い起こさせるようなスリリングさ。
レティシアの先導と、予め道具は用意してあったとはいえ、無茶にも程があった。もう二度とはやりたくない。
「だんな、さまぁ……!」
アーノルドの耳に、マリーベルの声が届く。
「そいつは、レモーネです! レモーネ・ウィンダリア! 子爵家の最後の生き残りですよぅ!」
「なに……!?」
「どういう仕組みか分かりませんが、今のそいつは工場長に化けた人形と同じです! 何処かに本体が居て操作を――」
マリーベルの言葉が言い終わらぬうちに、『レモーネ』の姿が霞む。
恐るべき速度。地を這うような低姿勢で、アーノルド目がけ矢の如く疾駆する!
「旦那様ぁぁぁっ!!」
慌てて後を追おうとするマリーベルを、奇妙な鎧人形が阻止する。
繰り出される槍を、少女は必死に捌き、こちらに向かって手を伸ばした。
突き出された手刀が、アーノルドの心臓目がけて狙い違わず繰り出され――
「――挨拶も無しに、随分と不作法ね」
響く、甲高い音。勢いそのままに、『レモーネ』の体が横転し、地を転がりながら炎と燃える白木に激突する。
「あら、燃えないの。凄いわね、それも『祝福』とやらの力? それとも『人形』の性能?」
いつの間にか、アーノルドのすぐ傍らに、レティシアが佇んでいた。
その手には、黒光りする大振りのナイフが握られている。
彼女が昔から愛用する、専用の得物であった。
「あなた、確か……そう、レティシア。レティシア・マディスンね。中流階級層で名を売る、麗しの花――だったかしら」
平然と立ち上がり、火の粉を払うと、『レモーネ』が嗤う。
「ふふ、なるほど。アーノルド・ゲルンボルクの関係者なら、頷ける話だわ。貴女、とんだ毒花だったわけね」
「うちの主人は、それが良いと言ってくれるの。裏も表も含めて愛してくれる。貴女には、そういう人は居ないのかしら?」
艶やかに微笑むレティシア。その言葉に、『レモーネ』は眉根を顰めたように見える。
表情まで自由自在とは、いったいどういう技術なのか。恐らくは『祝福』が関わっているのだろうが、本物の人間そのものに見えるとは、全く不可思議な話であった。
「アーノルド。後ろのアレ、あのデカブツ。胸部装甲にアストリアの言葉で『十二番』の名称が振られているわ」
ナイフをちらつかせ、『レモーネ』をけん制しながら、レティシアが淡々と告げる。
「マジか。良く見えるなお前」
「鍛え方が違うのよ。いい、マリィが苦戦している所からして、あの炎の槍は尋常じゃない。多分、『洗礼』によるものね。つまり、アレは――」
「――騎士人形、か」
クソッタレが、なんてものが出て来やがる。アーノルドは心中で吐き捨てた。
妻は、何とか騎士の攻撃を捌いてはいるが、決定的な攻撃が繰り出せないでいるようだ。
あのマリーベルが、である。
規格外の戦闘才覚と身体能力を持つ彼女が、たった一体の人形を攻略しあぐねている!
アーノルドは、妻がしゃがみ込んだその瞬間を狙い、再度銃撃を放つ。
宙を裂いて飛来する弾丸に、騎士人形は敏感に反応した。
後方に向けて槍を振り抜き、弾丸を消失させる。
その隙を待っていたかのように、マリーベルが飛んだ。
騎士の肩口に蹴りを落とし、踏み台にするように後方へ空中回転。
フローラの元に着地をすると、彼女を抱えて更に跳躍。横合いに、飛ぶ!
騎士人形が跳ね飛ぶマリーベルへと穂先を向けようとするが、そうはさせない。妻がフローラを抱えた時にはもう、アーノルドは引き金を引いていた。
「……まぁ、効きはしねえか」
放たれた弾丸は、またもや炎に巻かれて融解する。
(……速いには速い。だが、動きが妙に単調だな。マリーベルとやりあっていた時とは、何かが違う、ような……)
まるで、自動反応だ。標的と定めた相手以外の攻撃に、無造作に反復動作を繰り返す――ようにも思える。
様子を窺うように動きを止めた騎士人形。妙に鈍い動作に、アーノルドは警戒と共に困惑を抱く。
油断はならない。伝承が真実ならば、千の軍勢を瞬く間に殺しつくしたという、伝説の騎士人形が相手だ。
レティシアのような人を超えた技術も無ければ、マリーベルのように神から授かった権能も無い。
只人に過ぎない自分など、気を抜けばすぐに血袋と化すだろう。
「旦那様っ! どうしてここに!?」
そうこうするうちに、マリーベルがアーノルドのすぐ近くに着地する。
何処か能天気にも聞こえる、その声。数日ぶりに見る少女は、戸惑いつつも表情に嬉しさを隠しきれていない。
だが、アーノルドは妻のその姿を間近に見た瞬間、叫び出しそうになってしまった。
少女が纏うドレスはあちらこちらが破れて焼け焦げ、美しいストロベリーブロンドの髪も、無残に乱れて額に貼り付いている。
その顔には疲労の色が濃く出ており、頬には擦り傷のようなものまで見えた。
そうして、その瞳の端に煌めくそれ。
確かに残る涙の痕を認めたその瞬間、アーノルドは全身の血が沸騰するかと思った。
激しい怒りと己に対する叱咤・罪悪感などがうねりとなり、胸の中でぐつぐつと吹き上がる。
――落ち着け。今、感情を表に出せば相手の思うつぼだ。
騎士人形と『レモーネ』を見据えたまま、アーノルドは大きく息を吐き出した。
「……マリーベル」
「はい、旦那様っ!」
こちらを見上げる瞳。
淡い空色の輝きに目を落とし、アーノルドは内なる感情を抑え付け、微笑んだ。
「よく頑張ったな、流石は俺の妻だ」
「……っ!!」
少女の瞳が、大きく開かれる。
その目端に盛り上がる、透き通った煌めき。アーノルドはそれを美しいと、心からそう思った。
「はいっ! はいっ、旦那様ぁ……っ!」
お日さまのような笑みを浮かべ、マリーベルが頷く。
「――チィッ!」
それを隙と狙い、『レモーネ』が接近するが、それを許すレティシアではない。
振り上がった鋭い爪を、黒曜の刃が受け止め、逸らし、地に振り落とす。
同時に膝が伸び、人形の腹をしたたかに打ち抜いた。
流れるような攻撃動作。傍で見ていたアーノルドの方がゾッとしてしまう。
本当に彼女が味方で良かったと、そう実感する。
しかし、敵もさるもの。追撃で放たれた刃を寸前で躱し、『レモーネ』は距離を取った。
憎々しげな顔でこちらを睨み付ける女に、レティシアは涼やかに笑う。
「ちょっと、邪魔をしないで頂戴な。折角の夫婦の再会。無粋にも程があるわよ」
「毒は毒でも、猛毒とは恐れ入るわ。本当に、憎たらしい小娘……!」
「あら」
ナイフを手の内で弄んでいたレティシアの表情が、一変する。
あぁ、と。アーノルドは悟った。こんな彼女は、長い付き合いの中でも、数度しか見たことがない。
つまるところ、レティシアもまた、自分と同じ心境だったのだろう。
「ふざけた事を抜かしてんじゃねえよ、クソ貴族が。憎たらしい? それはこっちの台詞だ」
淑女の仮面を脱ぎ捨て、口調もまたそれに相応しいものへと変ずる。
傍らのマリーベルが目を瞬かせる。流石にここまでの乱暴な言葉は、彼女も初めて聞いただろう。
こうなったレティシアは手が付けられない。唯一抑えられる夫もここには居ない。
マリーベルに抱えられたフローラなど、もう状況に付いていけないのだろう。
おろおろと目線を泳がせている。流石のアーノルドも、申し訳なく思ってしまう。
「良くもアタシの妹分をいたぶってくれたねぇ……! 万倍にして返してやるから、覚悟しな!」
レティシアが、自身の頭部――結い上げられた髪に手を差し込む。
引き抜かれた『それ』を五本の指に持ち、猛女は足を前へと滑らせた。
音すらしない。如何なる技術の賜物か。大地を滑るようにして、レティシアが『レモーネ』に接近する。
完全に虚を突かれたのだろう。『レモーネ』が慌てて構えを取ろうとするが、遅い。
レティシアの左手が、宙に放たれる。
迎撃せんと身を屈めた『レモーネ』の体が、不自然に静止した。
「何っ!? これは――糸!?」
レティシアが得意とする、鋼の糸である。
彼女が『古巣』とやらに居た頃から愛用してきたもの。
これもまた、どんな技術が使われているのか。
鋼糸はまるで蛇のようにくねりながら、『レモーネ』の四肢に絡みつき、その体を完全に拘束していた。
「あぁ、頑丈だねえ。本当なら、肉は裂けて血が滴り落ちるというのに」
「この……っ! なんなのよ、貴女はッ!」
もがく『レモーネ』に向け、レティシアが黒曜の刃を振りかざす。
激しい音とともに、火花が散る。
敵の方が純粋な身体能力や体の頑強さは上だろう。だが、踏んだ場数と技が違う。
人外の相手と、真正面から互角に打ち合うその姿。レティシアの口元は歪み、笑みさえ浮かべている。
恐ろしく頼り甲斐はあるが、それはそれとして怖い。怖すぎる。
どうしてこうも、アーノルドの周りに居る女はみな、猛者ばかりなのか。
「――旦那様っ! フローラ様を!」
その言葉にアーノルド応じる間もなく、妻が地を蹴った。
主の危機を悟ったか。炎の槍を持ちて突撃して来た騎士人形を、横合いからマリーベルが蹴り飛ばす。
「いったぁ! かったぁ! なにこれ、何で出来てるんです!?」
ぴょんぴょんと片足を抱えて飛びつつ、マリーベルが息を吐く。
対する騎士も、槍を構えて立ち上がる。その動作からするに、今の一撃もまるで堪えていないようだ。
――長期戦は、不利だな。
相手は未知の敵だ。どんな奥の手を隠し持っているかは分からない。
今、この機会に姿を現したのも怪しい。何かを企んでいるのではないか。
レティシアに翻弄される『レモーネ』の顔には焦りが見えるが、それも何処となく噓くさく思えた。
ここは、こちらの目的を優先すべきだろう。アーノルドはそう、素早く判断する。
今は、どういう状況だ? 何が、どう動いた。
妻とフローラ、彼女達二人がここに出向いている所からして、当初通りに作戦を決行しようとした事は明らかだ。
「失礼、デュクセン卿令嬢。王太子殿下は、どうされました?」
「あそこでは、ありませんでした……! アルファード様は、あの離宮とは別の、そう。恐らくは別の場所に――」
罠だったか。歯噛みしそうになりつつ、アーノルドは後ろを振り返った。
連れて来て良かった。こういう時こそ、『彼』の出番であろう。
「おい、フェイル坊ちゃん! 分かるか!?」
「へいへい、お任せあれ。うん、あぁ……」
アーノルドの言葉に、背後に控えていた少年が、舌をぺろりと出した。
「うぇ、まっず! 何この味! 酷いね! 腐り果てた肉だってこんな味はしないよ! アレよりずっと酷い! あぁ、吐きそうだ!」
「喰った事あんのお前!?」
「後学のために、少々――と、それはともかく。あっちだね。左程遠くはないかな。あの霧の向こうの向こう。そこから、この味の大元が広がってるよ」
シュトラウス伯爵縁の少年。フェイルが指差したその先へ、アーノルドは目を向けた。
霧に包まれた木立。宮殿内の図面を脳裏に広げる。王宮の方角とは、逆のようだが……
「あれは…‥! そうか、氷室!」
「なんですって!?」
声を上げたのは、フローラだった。
「間違いありません、あそこは冷温の貯蔵庫……! あぁ、そう! そうです! アレは確かに、地下にある!」
興奮したように捲し立てる侯爵令嬢。
その様子から、アーノルドに脳裏に閃く物が在った。
「では、王太子殿下はそこに――」
言い終わらぬうちに、激しい衝撃音が響く。
騎士人形と相打ったマリーベルが、反動を利用してアーノルドの元へと着地した。
「つっよ! 旦那様! アレを倒すのは中々に骨が折れますよぅ!」
「わーってる! 怪我はねえな! おい、王子の居場所が分かったぞ!」
「本当ですか!?」
マリーベルの顔に歓喜が浮かぶ。
「なら、そっちが先ですね。何とかしてアレを足止めするかして――殿下を救出しないと」
「ああ、そうだ。流石、良く分かってるな」
「ええ」
マリーベルは、嬉しそうに微笑んだ。
「私、あなたの妻ですもの」
どういうわけだろうか。少女の全身から、生気が。闘志が漲っているように思える。
何故かは分からない。けれど、アーノルドは妻の様子に安堵する。
ここに辿り着いたその時、あまりにも儚げに見えたその姿。
心臓が嫌な音を立てた、あの気持ちは。二度とは味わいたくなかった。
「ははっ、そうだな! ああ、その通りだ!」
拳銃を構え、アーノルドもまた笑う。
「くだらねえ騒動を起こした連中に思い知らせてやろうぜ。俺達を敵に回す、そのリスクってやつをな」
妻と共に身を寄せるようにして立ち、ゲルンボルク夫婦は凛然と構えた。
次回の更新は明後日、5/11(木)となります。




