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81話 勝利をこの手に掴みましょう!


 ――セティリア・エルドナーク。

 それはエルドナークの歴史に燦然と輝く、偉大なる女王陛下の御名である。

 二十の若さで即位してより、五十年。歴代国王の中でも最も長き治世を誇り、為した業績は数えきれないものである。

 

 とはいえ彼女の政治的手腕、その全てが完璧と評価されたわけではない。

 在野の学者や、他国の知識人たちが現女王陛下を語る時、それは功罪双方を伴うのが常だ。

 

 時代の流れとはいえ、半ば強引に推し進められた科学技術革命。先王の頃から続くそれは、先進的な考えを持つセティリア女王の元で更なる飛躍を遂げ、遂には全盛期を迎える事になる。

 

 革新的な工業技術がもたらし恩恵は大きく、衣服から食、身の回りの生活用品に至るまで。国民の生活はかつてとは考えられない程に豊かとなった。そうしてそれは植民地計画とそれに拠る貿易の発展と相まって、かつてない程の栄光をエルドナークにもたらした――の、だが。

 

 貧富の差もまた如実に表れ、農村部から都市部への人口流出が大問題となる。極度に流れ込んだ人の密集を補いきれず、各地で汚物・汚臭が悪化。工場から出る煙や蒸気がそれを後押しし、筆舌に尽くしがたい程の醜悪な有様を作り出してしまった。

 

 輝かしき栄光とは裏腹に、昏く淀んだ空気に身を委ねるのが、エルドナークの民の日常。

 それは、たとえ王都であっても変わらない。

 のちの世に語られる『大悪災』とは、急すぎる技術の発展に人の心と体が付いていかずに起こった、いわば必然的な事象であったのだ。

 

 しかし、これに対しセティリアは手をこまねいて見ていたわけではない。

 女王自ら議会の先頭に立ち、ルスバーグ公爵家・レーベンガルド侯爵家・シュトラウス伯爵家の『御三家』と共に問題の解決に尽力。見事に美しきエルドナークの情景を取り戻し、更には各領地の財源見直しや農地改革により、人口流出すら食い止めた。


 一方に天秤が傾けば、すぐさまにもう片方へ重しを載せる。

 若き頃より大胆かつ繊細な政策を打ち出し、進めてきた彼女の知見は、結果としてエルドナークを大いに実らせた。

 

 そしてこの事が、彼女自身の評価を著しく困難なものとしている。

 

 失政と思われたものも、後に女王自身が修正し、更に優れた恩恵を国にもたらす。

 落ち度をそのまま疵とせず、むしろ好機と見なして国民からの支持を上昇させる。

 更には革命後の緊張漂う隣国との折衝すらそつなくこなし、その優れた外交的手腕を諸外国に見せ付けた。

 

 名実ともに、エルドナークの象徴たる女王陛下。

 ある歴史学者は、彼女を指してこう述べた。

 

 

 ――まるで女王は、未来が見えているかのようだ、と。

 

 

 自身に対する賞賛も畏れも全て呑み込み、彼女は静かに微笑む。

 慈愛を湛えたその横顔は、老境に達した現在も変わらない。



『何を嘆くことがありましょうか。私にはまだ、残された家族がおります。そう、エルドナークの民はこれ全て、我が愛すべき子等であるゆえに』



 かつて王家を襲った悲劇。

 たった二人の孫を残して子や伴侶を失った女王陛下は、訪問先で心境を述べられた時、そう答えたという。

 

 病床に伏せてなお、圧倒的な国民の支持を受ける為政者。

 愛と敬意を込めて、人は言う。彼女こそが、王国エルドナークそのものである――と。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「静謐の儀を行う……ううん、確かに良い案っていえばそうなんですけど……」


 第二王子が女王陛下への謁見を求めて去った後、物置部屋に残されたマリーベルは首を捻った。

 

「でも、時間稼ぎとしては、これ以上ない、こと、だわ……。女王陛下の御力添えがあれ、ば……最低でも丸一日、向こうの動きを封ずることが、出来る……」


 対するフローラは、しかしその案をあっさりと受け入れたようだった。

 涼しい顔でうんうんと頷いている。されどマリーベルとしては、どうにも納得しがたい。

 

「それ、次期王太子妃のみが行える、調和神様と契約神様への禊の儀式でしょう? フローラ様に先んじてそれを行うっての、世間の目がどう向くか……」


 しかも相手はクレア・レーベンガルドの姿を偽った怨敵なのだ。

 宮廷における天秤は、これで更に傾く。フローラへの嘲笑と風当たりはより一層に強さを増すに違いなかった。

 

「是非もない、わ……。二心を持つ者を炙り出し、王宮内の風通しを、良くする……」


 王太子殿下が戻られたその時までに、彼が吸う空気を清浄なものにしておきたい。

 そう言って、フローラは微笑んだ。

 

「言わせたい者には、言わせておけば、それでいい……。後で悔いるのが誰であるか。間もなく、分かる、でしょう……」


 時折、彼女が垣間見せる酷薄さ、冷徹さ。王配に相応しき器量。人の上に立つ者として、それは不可欠なものだ。

 恐らくフローラは、必要とあればマリーベルすら切り捨てるだろうし、そうせねばならない立場にある。

 

 国を担うものとして、かく在るべきと立つ、彼女の姿。

 それが酷く痛々しく見えるのは、自分の傲慢なのだろうか。

 

 決断を下すものもまた、その身と心に痛みと傷を抱えるものなのだと、マリーベルにも何となく理解が出来た。

 

(まぁ、切り捨てられる方にとってみりゃ、たまったものでもないけどさ)


 上も下も、相応に苦労がある。どんな立場であれ、辛さも悲しみも存在するのだ。

 他人が背負うものを、自分の秤で指して比べるものではない。

 

 あらゆる階級を経験し、果てには天上人たる王室関係者とまで親しくなった、それがマリーベルの所見であった。

 

「後は、念の為のひと押しとして……『彼女』から、使いを通して出した便りが、効いてくれれば、それでいい……」

「……ええ。そうすれば少なくとも、レーベンガルド侯爵の足を止める事が出来ますものね」


 胸のうちに、少々重たいものが沈む。

 けれど、それを表に出してはならない。目的を違えるわけにはいかないのだ。


 ここから先は、ほんの少しの躊躇いが命取りになる。

 マリーベルは気合を入れ直すように拳を握りしめ、そっと息を吐き出した。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「あ、マリーベル! 見て見て、これ! 素敵な庭園!」


 第二王子の自室、その広間に続く扉を開けると、クレアが顔をパッと輝かせてマリーベルを迎えた。

 

「動かしたら、怒られるかしら? でも、触ってみたいわ。弄りたいわ」


 頬に指を当て、侯爵令嬢はそう言ってウンウン唸り始めた。

 その目と鼻の先にあるのは、第二王子殿下の手作りだという箱庭の模型。精緻を極めたそれは、本物と見まがうほどに素晴らしい。どれ程の労力が掛かっているものか、想像も出来なかった。

 

 あの王子様の機嫌を損ねるような真似は、やめて頂きたい。後が怖い、怖すぎる。

 怪奇小説に出てくる怪人もかくや、というランドールの紅い瞳を思い出し、マリーベルはぶるりと震え出す。

 同じことを思ったか、クレアの相手をしていたらしきミュウが、さり気なく天然令嬢の体をその身で遮った。

 

「ミュウさんもご苦労様! 何か、変わりはありましたか?」

「お疲れ様です、レディ・ゲルンボルク。こちらは特に何も。使いの方も出しておきました。邪魔さえ入らなければ、そう遠からず侯爵家のタウンハウスに辿り着くかと」


 滑らかに滞りなく、言の葉を舌に載せて彼女は繰り出す。

 未だに自分の事を名前で呼んでくれないのは、警戒の徴かどうなのか。

 ミュウとの距離を測りつつ、マリーベルは得たりと頷いた。

 

「言った通りにしたわ、マリーベル! これでお父様とお母様とお話が出来るのね! あぁ、楽しみ!」


 クルクルとドレスの裾を回転させながら、クレアが満面の笑みを浮かべた。

 

「……ありがとうございます、クレア様。お父様達とちゃんとお話が出来たら、良いですね」

「なあに、心配してくれてるの? 大丈夫よ! 言ったでしょう、優しいお父様とお母様なの! 自慢の両親だわ!」


 可憐な妖精の如く笑うクレアに、こちらもまた笑みを返す。

 すると、どうしたことか。マリーベルのその背を、ミュウがそっと撫でてくれた。


「……ミュウさん?」

「貴女という人間が、少し分かってきました。どうにも損をする気性をお持ちなようで」


 そう言って、彼女は傍らにある椅子を指差した。

 

「気を張っているのが、目に見えていますよ。付け入る隙を出してはなりません」

「……はい、先生」


 さり気ない気遣い、有難く頂戴しよう。

 ミュウの言う通りに椅子に腰かけると、すかさず目の前に紅茶が差し出された。

 

「はい、マリーベル! 私が淹れたのよ!」

「中々に、筋がよろしいかと。素質はありますね」

「褒められちゃったわ! ミュウの教え方が良いのよ!」


 ニコニコニコ、嬉しそうに、楽しそうに。クレアはカップをこちらに向けたまま微笑んだ。

 その瞳は、ときめくような輝きに満ちている。

 傍らのミュウを見て、次いで視線を後方に巡らせる。

 

 微かに開いた扉の先、そこには厚いヴェールで顔を隠したフローラの姿が在る。 

 マリーベルの視線の意味を理解したか、二人の令嬢はそっと頷いた。


「ありがとう、頂きますね」

「ええ、どうぞ! マリーベルみたいに優しいお味が出せていたら嬉しいわ!」


 暖かい紅茶の味が、舌を伝わり喉を潤す。

 何故か泣きたくなるような温もりを、ゆっくりと飲み込んでゆく。

 

 窓の外からは、いつの間にか朱い光が差し込んでいた。

 日が落ち、夜の帳が落ちようとしている。

 

 微かな緊張が、背を震わせていくのが分かる。

 間もなく、なにがしかの決着がつく。

 勝利か敗北か。運命の天秤が傾く時は、間近まで迫っていた。

 

 

『……ベル』


「え?」


 一瞬、空耳かと思った。

 不安と恐れが、幻聴をもたらしたのかと。

 

『――聞こえるか、マリーベル?』


 いや、違う。そうじゃない。

 脳裏に直接閃くような、この声は。

 聞きたくて、逢いたくて。仕方の無かった、その人の――

 

「……旦那、様?」


 茫然と目を見開いたその視線の先。

 手の平に載せられた髪の束から。

 

 アーノルド・ゲルンボルクのその声が、マリーベルの脳内に響き渡った。

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