74話 お友達になりましょう!
「――クレア・レーベンガルドが偽物?」
ミュウの口から放たれた『疑問』は、マリーベルの想像を超えるものであった。
隣に居るフローラもまた、予想だにしていなかったのだろう。目を瞬かせながら、呆然としている。
「はい。彼女が王宮に出仕してからこれまで、それとなく観察をしていましたが、所作や言動に揺れを感じる事が度々ありました。癖のようなものでしょうか。あるいは性根が滲み出ているかもしれませんね。ひとつひとつは微かなものではありますが、積み重なればそこに不審を感じるものです」
何より、ミュウが惑いを覚えたのが、先日の『道行き』でのフローラとの相対だという。
「あの会話は、私も聞いておりました。彼女が貴女の事を『ミセス』と呼び、レディ・デュクセンから訂正をされたあの騒ぎ。あのやり取りが、どうしても心に引っ掛かっていたのです」
「単に、私の事を侮っていたからではないのですか? 見下しというか、そういうの」
「いえ。あの声色や反応は、虚を突かれたように見えました。思わず口に出してしまったかのような、使い慣れなさ。この国の社交を学んで居る貴族令嬢としては、どうにもおかしい」
きっぱりと言い切ったその言葉は、ある種の確信を宿しているかのように思える。
フローラのように心を読めるわけでもなく、直接相対したわけでもないのに、微かな違和感からそれを見出すとは。
流石のイーラアイム嬢である。こちら側に引きこめたのは、大正解であった。
「……他国の貴族階級は、伯爵以上の令嬢に『レディ』に相当する称号を付ける事が多い。子爵以下は、『ミセス』に値します。たとえば、隣国――アストリアの貴族などはまさに、その通りの――」
「あ、あぁぁっ!」
『ウィンダリア子爵夫人は、アストリアからの亡命貴族だ。その血脈は――』
「人形遣いに、遡る……!」
思い出した。ラウル・ルスバーグにも言い放ったという、夫の知見。
そうだ、確かにそんな事を、アーノルドは言っていた。
アストリアの伝説に謳われる、二十六体の『騎士人形』と、その使い手たち。
何処からその話を聞き出したのか。
かの子爵家は、古き血族に名を連ねると、旦那様はそう言っていたのに!
(そっか、惑わされてた! あの時、クレア・レーベンガルドがあからさまな態度と気配、それに『匂い』を纏って現れたから、てっきりそうだと思い込んでた!)
だとするならば。『交代式』に出席し、フローラとも舌戦を繰り広げたあの女性の正体は。
「一族の中で、唯一生き残ったという、ウィンダリア子爵令嬢! やっぱり、『人形』の祝福の使い手は……!」
「まだ、結論を出すには早計かと。可能性は高くとも、思い込んではなりません。私の疑問も、あくまで一意見。参考にすれど、それに盲目となっては意味が無い。ゆえに、レディ・ゲルンボルクには確かめてもらわねばなりません」
ミュウの視線が鋭さを増す。
初日にマリーベルを鍛え上げた、『鉄の女教官』が舞い戻って来たかのようだ。
知らず、少女は背筋をぴんと伸ばしてしまう。
「ならば、別行動、です、ね……。私達が交代式に、出ている最中、に……マリーに探って貰えれば……」
何処か迷うような仕草で、フローラがマリーベルを見る。
その口調は吃音が混じっており、素に近い言動となっていた。
不測の事態もあり得る行為を命じる事に、躊躇いを覚えているのだろう。
心優しく、凛とした王太子妃候補様。
彼女が王太子の補佐として、その傍に立つ姿を見たい。
明るい未来を感じさせるその光景を、旦那様と共に祝福したい。
だから、マリーベルは力強く、己の薄い胸をドンと叩くのだ。
「――お任せあれ、フローラ様! このマリーベルが、侯爵令嬢の正体を暴いてしんぜます!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――と、勢い込んで引き受けたまでは良かったのだが。
「でね、それでねっ! わたし、あそこでずっと待ってるの。『あの人』が戻って来るまで、良い子で待っているのよ」
「そ、そうなんですか……エライですね……」
「え、えへへ……そう、そう思う? 嬉しいな……!」
無限に続く回廊を歩きながら、マリーベルは『彼女』――クレア・レーベンガルドの話に耳を傾けた。
あの十字路で出会った性悪陰険女とは、まるで別人だ。
姿形は同じでも、その心の在り方が全く違う。
無邪気で純真、幼い少女のような稚気さえ感じる。
「王子様のね、花嫁様になれるって、お父様は言って下さったのよ。お母様も、それはもう喜んで……」
他人と話せるのが嬉しくて嬉しくて、仕方が無い。全身から喜びが放たれている。
尻の辺りに、見えない尻尾が生え、ぶんぶんと振っている姿を幻視してしまう。
(……これ、多分フローラ様の『読心』封じだ。どうやって知り得たのかは分からないけれど、余計な疑念や雑心を抱かないように教育したってわけだ。万が一、思念を読まれても心を空にすることで、何も読ませなくする――)
怒りと嫌悪に、吐き気がする。恐らく、最低限の礼儀作法を仕込んだだけで、後は王太子妃教育どころか、通常の貴族令嬢の下地も整えておるまい。レーベンガルド卿に都合の良いだけの、お人形以下の女の子。
そうやって、王子様が迎えに来てくれる事を夢見るだけの、幸せなお姫様を造りだしたのだ。
その事は、すなわち。
隣で愛らしく微笑む令嬢が、『選定者』ではないという事実を示していた。
(あの庭園で見かけたクレア・レーベンガルドが、恐らく本物。ここに居る彼女なんだろうね。ということは、あの時の『王太子殿下』は人形? それとも、まさか――)
『そも、疑問がもうひとつ。『人形遣い』と『変化』。これは別々の『祝福』なのでしょうか。『祝福』の担い手同士は、権能が効き辛いと聞いております。でしたら、重ね掛けをするような真似が、可能なのか……』
ミュウの言葉が、脳裏を掠める。
だが、それこそあり得ないはずなのだ。
『祝福』はひとりにつき、ひとつのみ。複数の『祝福』を操ることなど、出来ない……はず。
(それとも、私が知らないだけで、例外が存在するのかな? あぁ、もう! ひとつ物事が解決したと思ったら、次の疑問が湧いてくる!)
「どうしたの、マリーベル? 頭でも痛い?」
「い、いえ! 何でもないですよ、クレア様」
「え、えへへ……♪ クレアって呼んでくれた! ね、ね! もう一回、もう一回呼んで?」
純真そのものの瞳で、こちらを見つめるクレア。
それがあまりにも痛々しくて、目を逸らしてしまいそうになった。
こんな筈では無かったのだ。
クレア・レーベンガルドが二人いるとして、どちらの性格も大して変わらないだろうと思い込んでいた。
いざとなれば、性悪な言動で足掻く悪役令嬢をとっ捕まえ、交代式の場にでも引きずり出してやろうと考えてもいたのに。
これでは、証言能力が有るかも怪しい。
下手に姿を見せて、向こうの『クレア』を逃してしまっては、王太子殿下を救う所の話ではなかった。
「あのね、マリーベル? お願いが、あるの……」
もじもじと恥じらうように身をよじり、クレアが上目づかいにこちらを見た。
「お、おともだちに、なってくれる……? 私ね、社交界とかにもあまり出られなかったから、年の近い女の子と話したこと、ないの」
「そ、それで私を?」
「だめ、かなぁ? マリーベルみたいな綺麗な女の子と、お友達になれたら、すごくうれしいんだけど……」
段々と語尾から力が失せていく。
自信が無さそうなその言葉から、彼女がどんな扱いを受けているのか、うかがい知れた。
ズキズキと痛みだした心を無視して、マリーベルは微笑みを作る。
「良いですよ。お友達になりましょうか、クレア様」
「ほんと!? やったぁ! ありがとう、マリーベル! お友達が出来た、お友達ができたぁ!」
童女のようにはしゃぐクレア。あまりにも幼すぎるその様を見て、マリーベルの内心に疑惑が沸き上がる。
これでは、無理だ。王太子妃など勤まるまい。首尾よく全てがあちらの思い通りに運んだとして、これまで『クレア』が見せた振るまいと、目の前の彼女の言動はまるで一致しない。
先の庭園での一件のように、黙り込んで成り行きに任せるくらいは出来るだろうが、それがいつまでも通用するとは思えないのだ。
王族が減少してしまった今、王太子妃が担う役割は大きい。
特に外交官では補いきれない、他国の上層部との折衝。場の仕切りや宴の指示など、判断せねばならない事は多岐に渡る。
この娘に、それらをこなせるはずが無い。そんな事は、少し話しただけでも良く分かる。
(――レーベンガルド侯爵は、この娘を一体、どうするつもりなの?)
お日さまのような笑みを浮かべる令嬢を見て、マリーベルは不安を抱いた。
レーベンガルド卿が開いた遊戯。その局面で、この女性が果たす役割とは――
「あの、クレア様?」
「なあに、マリーベル?」
「王太子殿下――王子様が、今どこにいらっしゃるか知っていますか?」
駄目で元々の問い。
しかし、マリーベルの予想に反し、彼女は首を傾げて頬に指を当て、考えるような素振りを見せた。
「マリーベルも、王子様に会いたいの?」
「え、ええ! そうなんです! 是非、是非に!」
「でも、お父様が怒ってしまわれないかしら?」
流石にそこは言い含められていたのか、少し不安げにするクレア。
その手を握りしめ、マリーベルはここぞとばかりに畳みかける。
「ほら、私達は友達になったのでしょう? 内緒にしておけばあ、お父様にもわかりっこありませんよ。代わりに、私の秘密も教えて差しあげますから、ね?」
「マリーベルのひみつ?」
「そう、そうです。二人だけの秘密。お友達の証みたいなもんです!」
「ふたりだけの、ひみつ……」
クレアは、頬を紅潮させて己が胸をそっと押さえた。
「素敵! 何だか、ドキドキするわ! そうよね、秘密。お友達だけの秘密、ね!」
こちらの言葉を疑いもしない、その態度。
小さな子供を騙しているようで罪悪感が首をもたげるが、マリーベルは敢えてそこから目を背けた。
今は、緊急の事態なのだ。東方格言眼鏡曰くの、背に腹は代えられぬ、というやつである。
了承を確認し、マリーベルは足を止めた。ちょうど、目的地に着いたのである。
装飾が施された鉄製の扉――第二王子の居室の前に立ち、少女はクレアの手を引いた。
「詳しい話は中で伺いましょうか。お茶も出しますよ。美味しいビスケットもあります」
「お茶! お友達とのお茶会!」
クレアは目をキラキラさせながら、歓喜に震え出す。
「ええ、美味しい紅茶を呑んで、楽しくお喋りをしましょうね。貴女のお父様には、私から説明しておきますから、遠慮しないでくださいな」
流石にこれは怪しすぎるかとも思ったが、クレアは何も疑問に思わず、うん! と大きく頷くのみ。
あまりに事が上手く運びすぎて、逆にマリーベルの方が警戒心を抱いてしまう。
「王子様、ずっと目を瞑っていらっしゃるのだもの。お茶も一緒に飲めないし、退屈だったの」
「え……?」
不意打ちのように放たれた言葉に、ギョッとして振り向く。
クレアは、己の言葉がどういう意味を持つか分かっていないのか。
ただただ興味深そうに、扉の装飾をじっと見つめている。
「目を、瞑って……? ご、ご無事なのですか!? 王太子殿下は、ちゃんと、生きて――」
「うん。それはもちろんよ。クウクウ寝息を立てていらっしゃるわ。ずっと、ずっとね」
何だ、それは。どういう意味なのだ。
「シェーラ……あ、私の代わりになってくれてる『あの人』ね、彼女が言うのよ。王子様はお寝坊さんだから、起きるまで、良い子でお待ちしていましょうね、って」
にこやかに語るクレア。
まるで、伝説に語られる眠り姫の逸話のようだ。
王子様は、お姫様のキスで目覚める。そんな言葉を信じているかのように、クレアは自分の置かれた状況、その異常さに全く気付いていない。
(焦るな! 言葉選びを間違えちゃ、駄目! 彼女を確保できたのは大きい。今は、話を聞き出す事に専念する!)
閉息した状況を打破する、逆転の一手。
目の前の侯爵令嬢は、その切り札になり得るかもしれない。
マリーベルは、どくどくと脈打つ鼓動を押さえ込むようにして、そっと息を吐いた――




