68話 第二王子さまご登場ーーなのですが
『交代式』――其れは正式名称を『衛兵交代式』という。
読んで字の如く、各宮殿を守る衛兵たちの交代の儀式だ。
楽団が奏でる荘厳かつ雄大なメロディに背を押されて行進するその様を、一目見ようとする者達は後を絶たない。
エルドナークに古くから在る風習であり、王権を示す証でもある。
四の月から七の月までは毎日行われるこの『交代式』は、エルドナーク王家の風物詩とも言えた。
当然、それを見届けるのもまた、王家やそれに連なる者達の大切な『お役目』である。
朱い幕を垂らしたバルコニーに、お偉方がずらりと並ぶ。
第一大蔵卿――『首相』や各大臣たち。その末席には王太子妃候補であるフローラとクレアが着く。
無論、マリーベルも主の背後に控えている。一名だけならば傍仕えも許されるのだ。
やがて正門を超え、広場から続く道のりに赤と黒の軍服に身を包んだ兵たちが姿を見せ始める。
砲筒を肩に掲げ、一糸乱れぬ動きで行進する様は、成るほど確かに見応えがあった。
旦那様にも是非見せてあげたいものだと、そんな事をマリーベルは思ってしまう。
子供みたいにはしゃぐであろう夫の姿が脳裏に浮かび、笑みがこぼれそうになる。
(いけない、いけない! 今は目の前に集中!)
旦那様不足が脳に響き始めているのかもしれない。
頭を撫でるあの手を恋しく思いながら、マリーベルはそっと目線をずらす。
その先にあるのは、高貴な方々の更に中心。首相たちを従えるようにして立つ、一人の青年の姿だ。
(この方が――王位継承権第二位の王子様。ランドール・エルドナーク殿下……か)
マリーベルも新聞の記事でちらりと見ただけであるが、兄とは随分と風体が異なるように思う。
才気煥発、眉目秀麗。まさしく王子様!といった様相のアルファード殿下とは、何もかもが違って見えた。
曲がりかけた背筋と、顔の半分を隠すように伸びた黒い髪。
そこからは、何の感情も移さぬ虚ろな赤い瞳が覗いている。
肌も青白く、頬もこけており、いかにも不健康そうだ。
もしも彼を暗がりで見たなら、怪奇小説に出てくる怪人と見間違えそうである。
時折、ため息を吐き、かったるそうに身を揺するその様はどうだろう。
全身から『面倒くさい』『ここにいたくない』なオーラをビンビンに感じる。
(……この方を王太子様の代わりに担ぐの? え、本気で?)
思わず、マリーベルすらそう思ってしまうくらいの社会不適合者の姿がそこに在った。
レーベンガルド侯爵は何を考えているのだろう。
もしや、不利であれば不利な程に燃えるとか、そういう性癖の持ち主なのか。
――あり得そうで、怖かった。
「……めんどうくさい」
「殿下、殿下。それをお口に出されるのはお止めくださいませ……」
王子様の真横に居る、禿げ頭の中年男が窘める。
「うるさいな。大体、兄上はどうしたんだ、兄上は。何故私を引きこもらせてくれない」
「ですから、王太子殿下はお体の調子が優れないらしく……」
「ふん。最近、あそこの香水臭い娘をはべらせているからだろう。鼻がひん曲がりそうだ。処せないのか、アレ」
何という自由な王子様か。禿げ頭さんの苦労が偲ばれる。マリーベルは大いに慄いた。
心なしか、あのクレア嬢の顔が引き攣っているように見えるのだから、相当な物だ。
「なぁ、ザッハ。こんな小うるさいモノを見るの、やめたらどうだ。金だって掛かるだろう。うるさいし、何よりうるさい。うるさくて仕方が無い」
「お耳に障ったのでしたら申し訳なく。ただ、これは伝統なのです伝統。わかりますか? 示威行為というものなのです。殿下の一存では止められませぬ。我慢なさいませ」
そう言って、禿げ頭――エルドナーク首相、ザッハドルン・グレーベル侯爵が顔をしかめた。
八大侯爵家のひとつ、グレーベル侯爵家の当主だという彼は、その輝く頭を抑えながら、大仰にため息を吐く。
その様を、周りの大臣たちが気の毒そうに見ている、その光景。あまりにも異様が過ぎて言葉にすらならない。
マリーベルの主たるフローラすら『お労しや……』等と呟いている。
この国の将来が明るいんだか暗いんだか、マリーベルもその様子からは察する事が出来ない。
「帰りたい、帰りたい、引きこもりたい……」
「もう少し、もう少しでございますから。背筋を伸ばしてくださいませ。せめてほら、笑みを浮かべて手を振って――違う、そうではありませぬ」
ケケケと笑いながら指をゆらゆらと揺らす王子様。
不気味とかそういう領域をぶっちぎった光景に、あちらこちらから疲れたような吐息が聞こえてくる。
(……これを担ぐの、本当に?)
マリーベル、二度目の疑問炸裂であった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そんな風にして、首相の残り少ない毛根に痛みを与えつつ、何とか交代式は幕を閉じた。
バルコニーの外と内側で、纏う空気は段違い。
士気の高い衛兵さん達が、いっそ可哀想に見える。
大臣たちが供を連れ、兵たちと共に中へと引っ込んでゆく。
その背にはみな、一様に疲れたような気配が纏わりついているかのようだ。
ランドール第二王子はといえば、ようやく終わった『お務め』に喜色満面でいらっしゃる。
嬉しそうに『ククク……』等と笑みを零しておいでだ。
マリーベルは、フローラと目線を交わす。
衆目に晒されるのを好まぬ、引きこもりの王子様。接触するならば、今を置いて他に無かった。
「――殿下。この度は、ご尊顔を拝見適い、誠に恐悦至極に存じます」
「また小難しい言葉を使うものだな、デュクセン嬢」
じろり、と。髪の間から光る目が、フローラを睥睨する。
「お前が何を思っているかは知らぬ。私は兄上とは違うからな。お前には興味が無い。欠片も無い。これっぽちもあり得ない」
「さ、左様でございます、か……」
あまりにもつれない態度に、フローラの口調に素が混じる。
無理もない、と。マリーベルは思った。なにしろ彼女も、弟王子とは面識があまり無いのだという。
『――アルファード様、は……その……他の殿方と接するのを、好ましくは、おもわれ、ず……』
そう言って、微妙な笑みを浮かべたフローラの顔は忘れられない。
更に、引きこもり体質の弟王子様は社交嫌いときたものだ。
交わした言葉も、二言三言。彼が奇跡的に外に出た時、挨拶をたまに行うくらいだという。
義理の姉となるべき相手とも交流を持たないのだから、これはもう筋金入りの引きこもり王子であった。
「――だから、私達を巻き込むな。お前達のくだらん争いに、興味は無い」
ゾッとするような声。それには他者を拒絶する明確な力が込められていた。
「どうか、お話を。アルファード様――王太子殿下に纏わることなのです」
「……ふん。悪いが、今の私は気分がすぐれん。お前が兄上のお気に入りだろうとなんだろうと、聞く耳を持ちたくはない」
億劫そうに告げると、ランドールはフローラとマリーベルに背を向けた。
取りつく島も無い、その態度。
どうしたものかと思い悩むマリーベルは、そこでハッと気づく。
フローラが、ドレスの布地を一度だけ、引っ張り離したのだ。
それを見て取り、マリーベルはそっと頷いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――真夜中。
傍仕えの部屋の扉が開き、そっと抜け出す人影があった。
辺りをキョロキョロと見回すと、『彼女』はハンドベルを手に、そろそろと足を忍ばせて歩き出す。
不思議な事に、周囲を警備しているであろう兵たちの姿は行く手に見えない。
『彼女』もまた、その事を把握しているかのような仕草で、ゆっくり、ゆっくりと前へ進んでゆく。
そして、その姿が廊下の角に消えたのを見て取り、マリーベルは姿を現した。
具体的に言うと、張り付いていた天井から飛び降りたのである。
東洋の『ニン=ジャ』とかいう暗殺者の話を聞いてから思い付いた、新式の隠密方法である。
素早く主の部屋をノックすると、フローラを外へと誘う。
「すごい、わマリー……ちょっとだけ覗いたけれど、何というか、夢に見そうな光景だった……」
「ふふふ、そう褒められると照れますね! さぁ、行きましょうか」
軽く息を吸うと、何故だか眉を顰めるフローラを横抱きにして、マリーベルは歩き出す。
『祝福』起動中は、肺活量もまた常人のそれを遥かに超える。
呼吸をしなくてもしばしの間、十全に活動する事が可能なのであった。
要所要所で息継ぎをすれば、体重の軽い令嬢を抱えて歩き、気配や足音を消すことなど、造作も無い。
(……しかし、やっぱり『彼女』と第二王子は繋がってたのかぁ)
廊下の向こうに消えた人影――ミュウ・イーラアイム伯爵令嬢の姿を思い起こし、マリーベルは顔をしかめた。
こんな間近に居る、こちら側の人間だと思っていた彼女にも、既に手が回っていたのだ。
『……ほんの少しだけ、殿下から思考が伝わり、ました……今夜、イーラアイム嬢と会うつもりのようで、す……」
衛兵交代式の直後、部屋に戻ったフローラは、マリーベルにそう告げた。
ほんの、独り言のような思念。それは、呟きにも似た漏れ声となり、フローラの『祝福』に反応したのだと。
第二王子の心を読み切る事は出来ない。その事実はすなわち、彼もまた『選定者』であることを示している。
そんなランドール王子から、いきなり漏れ聞こえた声。あからさま過ぎて、逆に不信を抱いてしまいそうになった。
――けれど、今のマリーベル達は例え罠だとしても、二の足を踏んでいる暇は無いのである。
クレア・レーベンガルドが『人形』の使い手だと分かった以上、あちらが次の手を打つ前に何とかせねばならない。
(とにかく、動かなきゃ。待ちに回ったらダメ!)
その一念を胸に抱き、こうして真夜中の散策に出たミュウを、追いかけたのだ、が――
廊下を歩き始めて、しばし。マリーベルはふと覚えた違和感に、首を捻った。
(……この廊下。こんなに角が多かったっけ?)
王宮に来てより数日。そのだだ広い宮殿の全貌は未だに把握が出来ていない。
だが、この道は昼間も通った場所だ。いざという時の逃走経路の為に周辺の調べも済んでいる。
なのに、行く先行く先に角が現れる。左に右に、十字路に。
ミュウの足音を耳で追いながらも、その気配はどんどんと遠ざかってゆくようにすら思える。
――おかしい。何か、変だ。
そも、いくら夜中とはいえ、ここまで一人の兵や使用人に出くわさないのも奇妙であった。
「フローラ様……」
「え、え……どうやら、『また』仕掛けられた、よう、です、ね……」
肌の上にまとわりつくような、奇怪な感覚。
それは、昨夜。あの庭園で感じたものと同じ。
何の前触れもなく、ただひたすらに、突然に。
「『祝福』の空間に、取り込まれた……?」
――チリン、と。何処かで鈴の音が鳴った気がした。




