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63話 突撃しますよ、王太子様!

今章は基本、19時台の更新となります。


『――これは誓いだ、フローラ。私は決して心を偽らない。君に対して誠実であろう』


 そう言って微笑む彼を、心から愛おしく思い始めたのは、何時からだったろうか。

 

 フローラ・デュクセンが王太子に出会ったのは、自身が十二を数えた頃だ。

 

 八大侯爵家の令嬢として、『祝福』が発現した王太子妃候補として。初めて宮廷に出仕したあの日の事を、フローラは一生忘れないだろう。

 

 それまでも己の『祝福』を父母が何処か薄気味悪く思っていることは知っていた。

 それでも自家であれば、悪意から隔離されて過ごすことは可能だったのである。

 事実、フローラは蝶よ花よと育てられた。

 ナーサリーも厳選され、他家の令息・令嬢以上に活動する場所を限定され、そうして温室の中でぬくぬくと成長してゆく。

 

 そんな、何処か居心地が悪くも安穏とした世界は、ある日突然に崩壊した。

 

 一歩外に出れば、そこにあるのは喜怒哀楽渦巻く、混沌の坩堝。王宮に務める者はみな、顔で澄まして心で嗤う。

 

 謀略・諫言・罵詈雑言。人を平気で陥れ、自分が上に行くことを考える者ばかり。

 そんな人々が、表面上は穏やかに微笑みながら互いに相対するその姿は、吐き気がするほどに醜悪であった。

 

 フローラはその『祝福』ゆえに、早々と王太子妃の最有力候補として内定していた。

 しかし、それはもちろん、限られたものだけが知る秘密。

 

 大多数の者は、才気にあふれている訳でもなく、特別に美しいわけでもないのに、特別扱いされる少女。

 みな、フローラを心の内で見下し、時には下卑た目で思う者まで現れた。

 

 

 ――気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い!!

 

 

 ある日、とうとう限界が来たフローラは、庭園に逃げ込み、草むらの陰でひとり、嗚咽を零していた。

 どうして、自分がこんな目に遭うのか。王太子妃など、到底無理だ。

 フローラは聡明な子でもあった。長じれば自分がどんな役割を担うのか、完全に理解していたのだ。

 

 王族が果たすべき最も重要な公務、それすなわち『外交』である。宮廷外交、王室外交等と揶揄されるもの。外交官では担えない、各国の王族や大貴族との折衝。

 

 エルドナーク王太子妃ともなれば、当然の如くそれに同席する。

 フローラが持っているのは、その為の『祝福』。その為の異能なのだ。


 当然、そこに満ちる悪意はこの王宮の比ではあるまい。

 それにフローラが晒され、とても耐えられるとは思えなかった。

 

(けれど、それを果たされなければ、お父様に失望されてしまうわ)

 

 自分の立ち位置がどれ程に複雑なものか、それすらもフローラは察していた。

 

 どうすれば良いのかもわからず、ただただしゃくりあげ、幼い涙を溢れさせる。

 声も枯れよとばかりに、やがて口から出る叫びが周囲に響き始めた、その時だった。

 

 

「やあ、お嬢さん。そんなに泣いて、どうしたのかな?」


 

 ――その日のことを、フローラは忘れない。

 

 陽の光に照らされ、煌めく銀の髪。

 何処までも優しい瞳でこちらを見つめる、蒼い目。

 差し出された手のひらの、その暖かなぬくもりを。

 

 そう。フローラはその日、『運命の恋』に落ちたのだった――

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 その通路は狭く暗く、少し先さえ見通せない。

 足元も覚束ず、一歩一歩踏みしめるようにして前へ前へと歩いてゆく。

 天井は低い。身を屈めねば頭が当たるほどの位置。横幅も大の男が二人は通れまい。

 そんな道を、マリーベルが先導するように前に立ち、フローラの手を引きながら進んでいた。

 

「大丈夫ですか、フローラ様?」

「うん、平、気……」


 マリーベルが後方を振り向くと、侯爵令嬢は気丈な表情を崩さず、ただひたすらに前を見据えていた。

 

「アル、ファード様……アルファード、様……」


 その唇から紡がれるのは、愛しい男の名だけ。

 胸を突くかのような哀切に満ちた言葉に、マリーベルはそっと目を伏せた。

 

 ――この人は、そんなにも王太子を愛しているのか。

 

 普段のおしとやかで穏やかな人柄と、相反するかのような、大胆な行動力。

 その源にあるであろう感情を察し、マリーベルは胸元で拳を握りしめた。

 

(何のつもりか知らないけど、先走ったわね馬鹿王子! 好きな女の子をこんなにも心配させて……!)


 憤りのあまり力を入れ過ぎたか、手の内でミシリ、という音が鳴る。

 

(おっと、いけない!)


 慌てて力を調整する。

 今、マリーベルが右手に持っているのは小さなランタンだ。

 万が一の時に備え、フローラの自室に備え付けられていた簡易の明かり。

 それを前へと翳しながら、二人は道を歩き続ける。

 

 通路は、意外な程に手入れがされていた。

 四方にレンガが敷き詰められ、圧迫感こそあるものの、黴臭さや汚れはまるで感じられない。

 

 『いざという時は、いつでもこの道を忍んで会いに来てくれ』


 王太子は、常日頃からフローラにそう告げていたらしい。

 とはいえ、ただでさえ不気味な通路を、愛する娘一人に通らせることに気が咎めたのだろうか。どうやったか知らないが、整備と手入れは欠かしてはいないらしかった。

 

 そろりそろりと、そうしてどれほど進んだろうか。

 いい加減、暗闇に目が慣れ始めてきたころ、マリーベル達はその終着点に辿り着く。

 

 突き当たりの壁、そこには梯子が掛けられており、その上には扉のようなものが見える。

 

 マリーベルが振り向くと、その視線を受けフローラは無言で頷く。

 

 細い指先に握られた銀の鍵。それを受け取ると、マリーベルは梯子に手を掛け、扉のカギ穴に手を伸ばした。

 

 かちり。

 難なく鍵は回り、開錠。そのまま扉を開こうとするが――

 

(……開か、ない?)


 取っ手が壊れているわけではあるまい。これは、外側へ戸を解放する仕組みのようだ。確かな重みが、扉の向こう側から伸し掛かってくるのを感じる。何かが、この上に載せられているのだ。

 

 マリーベルは下を向き、フローラを見た。それだけで、彼女は理解をしたのだろう。先ほどと同様、王太子妃となるべき令嬢は、決意に満ちた瞳で頷いた。

 

 その目に込められた切なる願いを感じ取り、マリーベルは息を吸い込む。


「――ッ!」


 常人を遥かに超えた、『祝福』の剛力。

 それは、扉の上に載せられたモノを軽々と押しのけ、宙へと浮かび上がらせた。

 

 開いた隙間に指をねじこむと、そこに在るモノをひっつかみ、扉の上から退かして置く。

 微かに音はしたであろうが、響くほどのものではない。

 

 マリーベルは一息の間に戸の向こうへと降り立つと、周囲を睥睨。五感をこらし、危険が無いかを見て取った。

 

 既に明かりは消されているのか、薄暗い。窓の向こうから指す月明かりが僅かに室内を照らすのみだ。

 動くモノがない事を確認し、扉の下へと手を伸ばした。

 

「……フローラ様」

「は、い……!」


 マリーベルが伸ばした指をフローラが掴む。

 そのまま一気に引き上げ、彼女を傍らへと下ろす。

 興奮か不安か、荒い呼吸を繰り返すフローラを背に庇うと、マリーベルは屈んだ姿勢のまま、ランタンを翳した。

 

 明かりに照らされ、内部の様子がぼんやりと浮かび上がる。

 豪奢な部屋だ。お高そうな絵画や装飾品、調度品などが棚や壁に並んでいる。

 

 その様子を見たであろうフローラが、背後で微かに身じろぎする。

  

「……おか、しい。この部屋、内装が、変わって、る……」

「王太子殿下の部屋では無いのですか?」

「い、え……」


 肩越しに見たフローラの顔は、訝しげに歪んでいた。

 

「間違いなく……殿下の、アルファード様の、お部屋、です……」


 戸惑ったようなフローラの表情。内装が変わっているとは、どういう事なのだろうか?

 

 こちらの懸念を感じ取ったのだろう、フローラが壁に掛けられた絵画を指差した。

 

「あの、絵……元は、あそこに、私の似姿が、飾られて、ました……。壁掛けにある棚も、そう。私が昔に手作りした、小さな人形があった、はず、なのに……」


 令嬢の瞳が、悲しみに揺れる。

 どう言葉を発していいか分からず、マリーベルは視線を前へと向けた。

 動くものは無い。先ほど押しのけ退かしたのは、タンスか何かだったようだ。

 フローラの部屋のように、ベッドの真下という訳ではない。

 

 ランタンを動かし、寝具の方へと明かりを照らす。

 

(……居ない?)


 おかしい。

 時刻は、真夜中と言っても良いだろう。

 

 ミュウを使いに出し、王太子が『お休みあそばれました』とは確認済みだ。

 彼女が嘘を言っていないことは、フローラが知っている。

 だとすれば、これは――

 

「……っ!」


 ゾクリと背が粟立つ。

 まただ。また、何度か感じたこの気配。

 異様な匂いが鼻先を掠める。

 

 それだけではない。

 きゅる、きゅるという、何かが擦れるような音が、微かに耳を撫でつける。

 

「マリー……!」


 フローラも同じものを感じたのだろう。

 マリーベルのドレスを握る指先が、怯えたように震えている。

 

 この香りは、匂いは。この音は。

 いったい、何処から漂って――

 

 

「――誰だ?」


 

 暗がりの中、のっそりと影が立ち上がる。

 

 ベッドの更に向こう、開け放たれた扉の近くから、その声は響いた。

 

 マリーベルがハッとして振り向くと、そこから姿を現したのは、寝衣姿の貴公子だ。


 月明かりの中、輝くような銀の髪が揺れ、艶やかにたなびく。神代の芸術家が彫り上げたが如く、整った顔立ち。双眸に輝く薄い蒼の光が、星空のように煌めいて見えた。

 

 それは、いっそ不気味とも思える、美の極致。

 

「アルファード、さま……?」


 茫然としたような、フローラの声。

 それに呼応するように、彼――アルファード・エルドナークは、無感情な瞳を己が妃候補へと向けた。

 

「フローラ、か? どうやってここに来た。誰の許しを得て、ここへきたのだ?」

「え……?」


 戸惑うように、フローラの瞳が揺れる。


「我が寵愛が失せたからといって、まさか夜這いを掛けようとでも? だとすれば、何と見下げ果てた娘よ」

「なっ!?」


 あまりの言葉に、マリーベルは絶句する。

 彼女が、どんな想いを抱えてここまで来たか。何も分かっていないというのか。

 

 演技とは思えない。その声音は冷たく、感情というものがまるで籠っていなかった。

 フローラから伝え聞いた王太子のそれとは、まるで違う。これが、一度は愛を囁いた令嬢への仕打ちだというのだろうか。

 

 もしや、何らかの『祝福』を受け、性格が反転している?

 もしくは、薬か何かを嗅がされて、人格を惑わされているのか。そう思わねば、あまりにもフローラが不憫であった。

  

「発情した雌猫のような真似を……それでも八大侯爵家の令嬢か。恥を知れ、フローラ」

「……っ」

「さっさと失せろ。お前の顔など、二度と見たくもない。それとも、衛兵に連れられてこれ以上の恥を晒したいか?」


 侯爵令嬢の表情が蒼白に染まり、唇が血の気を失って震え出す。

 

 正視に耐えない。心を操られているのかしれないが、幾らなんでも酷過ぎる。女心を踏みにじるにも、程があるだろう!

 

 無礼は先刻承知! この馬鹿王子様に一言申してやろうと、マリーベルは足を前へと踏み出す。

 しかし、少女が断罪の罵倒を繰り出すよりも早く、その場に紡がれた言葉が在った。

 

「す……か……?」


 俯き、身を震わせるフローラ。喘ぐように開かれた唇から、その呟きは漏れ出していた。

 

「何だ、フローラ? まだ何か、言いたい事が――」



「――誰ですか、貴方は?」


 

 ぴん、と。空気が一気に張り詰める。フローラの顔は蒼白。唇は震え、瞳はゆらりと揺れている。


 それは――感情が失せて見えるほどの、激しい怒りの表れ。

 紅蓮の憎悪をその美貌に湛え、侯爵令嬢は『王太子』を睨み付けていた。

 

「お前、何を言って……」

「黙りなさい。あの方が――アルファード様が、そのような事を仰る筈がありません」

「馬鹿な。余程に頭がめでたくなったと見える。哀れなむす――」

「――黙れと言ったわ、下郎」


 先ほどの王太子の言葉など、比較にならない程に底冷えする声。凍てつく吹雪の如き威容。凛と立つその姿は、同性のマリーベルすら見惚れるほどに美しかった。

 

「一瞬でも、あの方を見間違えた自分が許せない……口を開くな、声を出すな。それ以上――」


 ――あの御方を、侮辱するな!

 

 躊躇いなく断じたフローラの叫びに、ようやくマリーベルも自身が覚えた違和感の正体に気付く。


 そう、そうだ。聞こえなかった。部屋の中へと目を凝らし、耳を研ぎ澄ましたあのとき。王太子がここに居るならば、当然、聞こえるはずなのだ。


 ――彼の行う『呼吸』が、その息吹が!


(私の耳が、それを察せない筈がない! 聞こえない筈がない!)


 そう、()()()()()()()()()


 目の前の『王太子』の挙動は、微か。ほんの微かにぎこちない。そうして、少女の耳は決定的な『それ』を捉える。

 

(この音……そうだ、聞いた事が在る! これは、あの時と同じ、同じものだ!)


 鋭敏になった聴覚は、正しくその音の道筋を手繰り寄せてゆく。

 果たしてその先にあるのは、美貌の青年。

 『王太子』の胸の内より不協和音を響かせている、それは、その音は――

 

「――『歯車』の音!」


 叫びと共に、マリーベルがフローラを庇うように、その眼前へと飛び出す。


「ヒ……ヒひ、ひひひひ、ヒ――」


 すると、どうだ。それを合図にしたかのように、『王太子』の口から不気味な声が漏れ出した。

 

 くきり、くきり。

 

 その首が、左右に揺れ動く。

 振り子のように頭を巡らせながら、青年は這いずるように歩き出した。


 一歩、前へと出るごとに、ぎくしゃくとした動きで『王太子』は体を揺らし、口を吊り上げてゆく。

 その動作、その挙動。

 それにマリーベルは、見覚えがあった。

 

(まさか……そんな、嘘!?)


 鼻先を掠める香りが、玄妙に変化する。

 覚えのある、その『匂い』へと。

 あの記者会見の日、工場で嗅いだ『それ』へ――

 

「――にん、ぎょう?」


 月光の輝き中、『それ』は美しい容貌を歪め、にんまりと笑んだ。

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