60話 皆からのお見送りです!
「おめでとう、マリー! 凄いわ、王宮に出仕だなんて!」
ニーナが、マリーベルの手を握りながら。興奮したようにそう叫ぶ。
その顔は満面の笑み。マリーベルの慶事を、まるで我が事のように喜んでくれている。
あの泣き虫でいつも縮こまっていた少女の姿は、そこに無い。
立派に成長し、今ではマリーベルの中流階級層に置ける中心メンバーの一人として、他の面子との顔つなぎや調整を引き受けてくれている。社交に於いても、プライベートに於いても。彼女は自分にとって、かけがえのない友達だった。
万感の想いを込めて、マリーベルはニーナを見つめる。
「ありがとう、ニーナ」
――マリーベルの宮廷出仕が決定した。
それも、次期王太子妃候補の傍仕えとしての大抜擢。
ゆくゆくは、この国の国母となるかもしれない令嬢からの直々のご指名。
その噂は、良くも悪くも社交界に広がり始めることだろう。
しかし、それよりも何よりも、今のマリーベルが気にする事は他にあった。
話を受け、それから宮廷へ出向くのはなんと、たったの三日後。
急も急な話だ。新しく服を仕立てる暇も無い。
幸い、こういう時に備えてフォーマルなドレスは用意をしてあった。そして、装飾具の類は、デュクセン侯爵家から下賜される。それならばと、アンと一緒に大格闘。丸二日を費やし、何とか装いを整えたのであった。
本来なら、大々的に発表をし、祝いの場を設けるのが筋なのだが、とてもそんな暇は無い。
それらは一時帰宅を済ませてからとして手紙で済ませ、、ごく一部の親しい友人達――訪問日に訪れてくれたニーナ達に、招待会もどきのお茶会として、まとめて挨拶を行うことにしたのだった。
場所は、お屋敷の庭。
貴族の屋敷に比べれば、こじんまりとはしているものの、それでもそこそこの広さはある。
何十人も招くことは出来ないが、これくらいの人数なら十分に過ぎる。
何より、社交を経て目を肥やしたマリーベルの手で、お庭は大幅なアップグレードが加えられたのだ。
誰が見ても恥ずかしくない、それは立派なガーデンである。
「ホント、凄いわよねえ、マリィは。まさか、社交期に入ってたったひと月からそこらで、宮廷に参上するとはね!」
ニーナの隣で、レティシアが微笑む。
「私も鼻が高いわ。貴女はとっても優秀な生徒だったから、ね」
「そう、マリーは凄いんですよ、ミセス・マディスン! とっても素敵な、最高のレディですもの! あぁ、でも――」
ふと、ニーナが顔を曇らせた。
「これからは、中々会えなくなるのね……。今だって、お貴族様相手の社交で、あまり顔を見れないのに。何だかマリーが遠い人になっちゃったみたいで、少し、その……寂しい、わ」
そう言って肩を落とすニーナが、何とも可愛らしい。
マリーベルはたまらず、その肩を抱きしめた。
「私も寂しいですよ。でも、私は私。マリーベル・ゲルンボルクに変わりありません。ちょちょいと用事を済ませたら、すぐに帰ってきます。また一緒に、お茶をしましょう?」
「マリー……うう、うぅぅ……」
「あら、あら。もう。泣き虫さんが、再発しちゃいましたか?」
ポロポロと涙を溢す少女夫人の目を、マリーベルはハンカチで優しく拭う。
「ご、ごめんなさい、ちょっと、向こうで、頭、冷やして来る……!」
子供みたいに泣きじゃくった事が、恥ずかしかったのだろう。
タタタ、と駆け出し、ニーナ嬢は花壇の向こうに姿を隠す。
その背を優しく見守っていると、マリーベルの肩に、手が置かれた。
「……大丈夫か、とは聞かないよ。それは、アンタの旦那が散々に言ったろうからね。アーノルドの事は、夫と私に任せときな」
レティシアは、片目を瞑り、マリーベルの背を叩いた。
「行っといで! アンタなら、何が相手だって平気だよ! お高くとまった連中の鼻っぱしら、へし折ってきな!」
「……はい!」
流石はレティシア姐御。気合の入れ方というものが分かっている。
「――メレナリス閣下とそのご夫人、いらっしゃいました!」
ティムの声が、朗々と響く。
礼を言ってその場を離れると、マリーベルは来客を迎えに駆け出す。
「まぁ、レリック様、イセリナ様! お二人とも、わざわざこんな――」
「デュクセン卿が知らせてくれてね。私が顔を繋いだようなものだから、取り急いだのだろう。律儀な御方だよ」
「ええ、ええ。本当に、間にあって良かった……」
微笑む夫妻の顔は、何処となく陰が差している。
そう、彼らは知っているのだ。如何に、宮廷が煌びやかで華々しく――そして、恐ろしい所か。
そして、そこに向かうマリーベルが、何を期待されているのか、を。
「お断りすることは、出来ないの……?」
「イセリナ。何を言うんだ、そんな――」
妻を諌め乍らも、男爵もまた同じ気持ちであったのだろう。
苦虫を噛み潰したような顔をした彼の顔に、マリーベルは思わず頬が緩んでしまう。
――心から、心配をしてくれているのだ、彼らは。
「何かあったら、直ぐに手紙で知らせなさい。検閲はされるだろうから、符号を決めておこうか。向こうにも知り合いは居る。私達は、君の味方だ。何があろうともな」
力強く己の胸を叩く男爵と、その横で目を潤ませながら必死で頷く夫人。
あぁ、と。マリーベルの口から吐息が零れた。
(幸せだな、私。こんなにも暖かい人たちと知り合えたのだから……)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その後も、来客は続いた。
妻の様子を見に来たリレー氏に、お馴染み眼鏡のディック。
更に何処から聞きつけたか、あの女性新聞記者・セシリアが祝いの言葉を述べに来たうえ、何と『悪食警部』までふらりと現れたから驚きだ。
「気を付け給え、お嬢さん。宮廷は怖い所と聞くからね。だから、このお守りを持っていくといい」
そう言って、彼は小さな小袋を差し出した。
「ヒヒ……アストリアの方で使われるお香がしたためられたものさ。開いて叩けば、雅な香りが漂う。向こうでは、悪霊から我が子を守るために使われるそうだ。母の手で香草を摘み、小袋に縫い付ける。古いものだが、ひひっ、まぁ何かの足しにはなるだろうさぁ」
胡散臭いこと、この上ない。
マリーベルは指でつまみ、それを揺すった。
「いや、うん。汚いものじゃないから。バッチくないから。だから、鼻をつまむのは止めてくれたまえ!」
だったら、その笑い方を止めろと言いたい。
まぁ、貰える物は何でも貰っておくのがマリーベル流だ。
一応、中だけちらりと確かめて、懐に入れておくか。
何処か哀愁を背に漂わせて去る警部を見送り、マリーベルは小袋を手の平に載せた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
日が暮れ始め、夕焼けが空を赤く、紅く染め上げる。
来客を全て見送り、マリーベルは玄関口でうん、と伸びをした。
その背中に、ぽんと手が当てられる。
「お疲れさん、マリーベル」
「今日は意外な人達が来ましたねぇ。もっと時間に余裕があれば、も少し準備も出来たのですが」
電報や手紙だけでは、どうにも即実性に欠ける。
「遠くの人にも声を届けて、お喋りとか出来るようになるといいのに」
「そのうち、そんな日も来るかもな。新王国の方で、似たような実験を行ってるそうだぜ」
成るほど。考える事は人間、誰も同じなのだな。
次々と技術の革新は進み、古き迷信は駆逐されてゆく。
神の声は遠ざかって久しいと、フローラは言っていた。
マリーベルは、己の手を握っては開く。
もしかしたら、もうあと百年もすれば、こういった力も、残らず消えてしまうのだろうか。
それは何だか、寂しい気もする。
「ほいほい、旦那、奥様。そんな所に突っ立ってないで、ここに座った、座った」
『そうですわ。どうぞこちらへ』
マリーベルが感傷に浸っていると、使用人二人の声が響き渡る。
夫と顔を見合わせ、そちらに行ってみると――
「わぁ……!?」
「おぉ、こりゃすげえな!」
庭に面した廊下。扉が開け放たれたその内側に、テーブルが置かれていた。
綺麗に敷かれた純白のテーブルクロスの上には、色とりどりの料理とワインが置かれている。
「ほら、さっき準備は任せるって言ってくれたろ? 食材も好きに使っていいって。だから、そうしたんだ」
得意そうにティムが笑い、アンがその傍で優しく微笑んだ。
「このワインはオイラとアンが給金を出し合って買ったんだぜ。まぁ、貴族様が飲むようなのに比べりゃ安いけどさ。それでも、まぁそこそこ良い奴だよ」
『私達からのお祝いですわ、奥様。良ければお二人でどうぞ、お召し上がってくださいまし』
――あぁ、駄目だ。こんなの、ズルイ。
マリーベルが頬に力を込めようとしたその時、横合いから伸びた指先が、目元を拭ってくれた。
「ありがとうよ、ティム、アン。こりゃ、最高の贈り物だぜ」
「へへっ! んじゃ、オイラ達は向こうに行ってるから、後はお二人で――」
そそくさと去ろうとするティムとアンを、しかしマリーベルは呼び止めた。
「……一緒に、食べましょう」
「え? いや、駄目だろ。オイラたちは使用人だし。一緒の席に着くわけには――」
「だな、そうすっか。おう、椅子を持ってこなきゃな」
「ちょっと、旦那!?」
アーノルドが隣室から椅子を二脚持ち出し、テーブルに置いた。
「強引なんだからさぁ。本当は良くないんだぜ、こういうの。示しってもんがねえ……」
そうぶつくさ言いながらも、ティムの顔には笑みが浮かんでいる。
本当は、この小さな従僕の言う通りだ。
それはマリーベルも重々に承知している。
でも、今。この時だけは。
最後に、我儘を言いたかったのだ。
「うちのお姫様がワガママを通すの、今に始まったことじゃねえだろ。そも、女主人がメイドのお仕着せ着て、お前達と一緒に走り回ってるんだ。今更だ、今更」
『ふふ……そうかもしれませんわね。これが、ゲルンボルク家ですものね』
何故か、ひどく嬉しそうにアンが頷くと、実体化してその椅子の上に腰掛けた。
少量なら、ワインくらいは窘めるらしい。
本当に不思議なメイドさんだった。
「よし、乾杯だな! っと、ティムの飲み物は――」
辺りを見回すアーノルドを制し、マリーベルは立ち上がる。
「あ、それじゃあ果汁を絞りましょう。えっと、確かこっちに、今朝届いた奴が――あった、えい!」
「素手で!? ちょ、せめて導具とか使いなよ!?」
『まぁ、流石は奥様。豪快でいらっしゃいますわねえ』
「なんつうか、もう見慣れちまった自分が怖えなぁ……」
誰かが笑うと、その横に居た者も笑い、次第にそれは屋敷中に広がっていく。
それは、とても暖かくて。心に染み入るような温もりを持った、さざめき声。
(私は幸せですよ、旦那様)
皆に見えないよう、こっそりと涙を拭い、マリーベルは笑った。
また、彼らの笑顔を見る為に。
彼らと共に、このお屋敷で楽しく暮らすために。
(――行ってくるね、みんな)
ワイングラスを持った手が、微かに揺れる。
マリーベルの心情を移し込んだようなその指先に。
そっと、夫のそれが重ねられた。
いつもお読みいただきまして、ありがとうございます!
これにて第2章は完結。幕間を一つ挟み、これから新章に突入いたします!
最後までどうぞ、ご覧いただけましたら幸いです!
なお今日は、通常の連載とは別に短編も投稿してみました!
https://book1.adouzi.eu.org/n3249ic/
箸休めに、良ければこちらもご覧くださいませ!




