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47話 癒しが欲しいのです!


「……本日は不躾な『お願い』を聞き入れて頂きまして、感謝の言葉もございません。それではまた、後の機会に――」

 

 定番の挨拶を交わし、マリーベルは礼を取る。

 目の前で微笑む伯爵夫人は、優雅な仕草でこちらに退出を促した。

 

 フットマンの導きに従って玄関へと移動する途中、マリーベルはさりげなくテーブルの上へ目を移す。

 そこには、既に訪問カードが置かれていた。

 白く薄い、簡素なデザインの紙には、シンプルに名前だけが表記されている。

 

【デュクセン侯爵夫人】


 八大侯爵家のひとつ、その爵位名を見てマリーベルは顔をしかめそうになる。

 わざと先に訪れた夫人のカードを残し、それを見せつけるように置いたままにしたのだろう。

 

 見ようによっては下品とも取れる行為だが、裏を返せばそれはマリーベルを如何に侮っているかの証拠だ。

 

(顔で笑って心で嗤う。全く、お貴族様って奴は、もう!)


 憤慨するも、それを顔に出してはならない。

 マリーベルは礼式通りに四枚のカードを並べて残す。

 夫と弟、リチャードの物だ。

 

 訪問カードは、西方大陸で広く周知され、扱われている伝統的な社交のアイテムだ。

 新王国やアストリアのそれは、如何に華美で豪奢な物にするか、相争うようにデザインされるらしいが、エルドナークでは真逆。

 

 礼式に乗っ取った厳密な書式。シンプルで見やすく、控えめで実務的なものを好む。

 夫の本拠地ホームが新王国の方であるなら、尚更のこと。皆、それに注目を集める筈。

 一見されただけで社交の相手として相応しいか判断され、そこで弾かれたら終わりなのだ。

 

 これをどう扱ってくれるものか、それはあちらの判断次第。

 

 のしかかって来る疲労に足取りを重くしつつ、マリーベルは次なる訪問先に向かうのだった――

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「つかれたぁ……つかれたぁ……」


 お屋敷アンソニーの自室で、ぐたりと背もたれに寄り掛かりながら、マリーベルは天井を仰ぐ。

 コルセットをしていなければ、きっと軟体生物の如く椅子の上でグニャグニャした淑女失格の姿勢を見せていたことだろう。

 

「お疲れ様でございます、奥様。さ、お紅茶を。たっぷりのクリームとバターを付け合せたビスケットもございますよ」

「ありがと、アン……あぁ、美味しい……染みるねぇ……」


 次から次へとビスケットを口に運び、マリーベルは脳を甘味で蕩けさせてゆく。

 

「アンのビスケット、だいすき……すき……き……」

「あぁ、語彙まで乏しく……お労しや……」


 幽霊メイドの気遣わしげな声が、耳に痛い。

 社交界ソサエティの社交を開始してから、早くも三週間ばかりが過ぎようとしていた。

 決して舐めていたわけではないが、それでも苦戦続き。中々に思うように先へは進まなかった。

 

 そも、上流階級社会に縁のない物が行う縁繋ぎの社交は、大きく分けて二通り。

 伝手を何度も手繰って大き目のパーティーに何とか出席し、そこで紹介をしてもらうか。

 それか、紹介状を添えて訪問カードを送り、向こうから『訪問』を受ける事でこちらも返礼に赴き、交流をスタートさせる。

 

 この、どちらの方法も、マリーベルは使っていない。

 後者は幽霊屋敷の噂。伝統的な貴族ほど、身の穢れを厭うものだ。新興の成り上がり商人風情の屋敷に足を運ぼう等と言う気まぐれを起こす者は、早々居ない。

 

 そして前者。男爵家の名代として参加すればやれない事も無いが、『上』に知人が居ない以上、強引な参加は不況を買う。

 ゆえに、こちらは『時』を待つほかない。

 

 その為、変則的ながらも挨拶文と訪問をしたい旨を告げるカードを送り、返事が来たところから優先的に『訪問』を行っているのである。

 

(でも、中にはそれを受けたにも関わらず、門前払いを喰らわせる所もあるのよね……めんどうくさいぃ……)


 エルドナークにおける一定の階級層以上に蔓延しているのは、『空気を読め』の文化である。 

 

 いわゆる居留守行為も、『何かの理由を付けて訪問者に会いたくない意思表示』であり、それに対して気を揉んだり、嘆いてはいけない。そういうものかと受け入れ、スマートに訪問カードを残して去るのがエレガントな貴婦人の鑑なのだ。

 

 口を閉じ、余計な事は話さずとも、お互いに相手の気持ちを察して、暗黙の了解を得る。

 東洋にあるという、『龍の国』と似たような文化だと、ディックは語っていた。 

 

 それが面倒くさくて、マリーベルにはたまらない。

 

 山のような儀礼と、場にふさわしき振る舞い。

 生粋の貴族令嬢や夫人なら、それこそ空気のように身に付けるものなのだろうが、如何に十年近い教育を受けたとはいえ、元は平民育ち。即席奥様のマリーベルには分が悪かった。

 

(ただ、やり抜かなきゃね。愚痴も文句も言うだけ言って発散し、心に残しちゃいけない)


 養母の教えが脳裏に蘇る。

 マリーベルも中流・上流の社交を経て悟ったのだが、基本的に厳密なマナーを重視するのは『下』の階級だ。

 もちろん、『上』もマナーやエチケットに煩いが、そちらの場合、最も大事なのは間違えた時の対処法。

 

 以前にマリーベルもティムに語ったが、『あれ、自分の方が間違ってるのかな?』と思わせたら勝ちなのだ。

 基本、作法とは上流階級――それも貴族が作る物。場を間違えた振る舞いや言動、装いを『堂々と』胸を張り、それこそが紳士ジェントルメンの見本だと、認めさせた事によって、今日のマナーは出来上がっていった。

 

 つまるところ、流動的なのだ。それらには流行廃れが存在する。それを見た中流階級の目端が利くものが真似をして、自分達の階層以下に流通させる。


 上のやることを間違えてはならない。厳重に律しねばならない。

 

 あの、わけのわからないカード入れのルールもそうだ。

 元は恐らく、貴族の誰かが面白がって行ったものだろう。

 それを他者を弾く審判の秤として利用し始めたのは、ある意味では必然であったのか。

 

(……恐らく、シュトラウス卿が旦那様に言い放った、『力を示せ』とはそういうこと。皆に認めさせろと、暗にそう告げている)


 それを踏まえ、マリーベル達は今後の作戦を練り始めている。

 上流階級層と舌戦を交わしながら、そちらにも意識を傾ける。

 それは、思ったよりも何倍もしんどい『仕事』であった。

 

「ほんと、最近は脳が茹で上がりそう……あぁ、癒し、癒しを求めなきゃ……」


 マリーベルは懐から写真を取り出し、じっくりと眺める。

 可愛い、愛らしい。何度見ても飽きない。

 

(もし、この頃の旦那様と私が出会ってたら、どうだったろう)


 十五歳のマリーベルが、同年代のアーノルドと邂逅する場面を夢想する。

 

 場所はどこだろう。そのころには商人を志していたという彼なら、商店街や露店の通りか。


(……あぁ、でも。学校とかで出会うっていうのもいいなぁ)


 かつての貴族学院、現在では中流階級のエリート層も広く受け入れた『学校』を思い浮かべる。

 二百年ほど前は、貴族の令嬢もそれなりの人数が通っていたらしい。

 

 今は逆に各家庭内での教育に力を入れている。

 貴族の令嬢が社交デビューするまで、他家とふれあう機会など、滅多にない。

 むろん、マリーベルもその一人だ。これは男爵家の懐事情によるものも大きいが。

 

(でも、ちょっと憧れちゃうな。昔の恋愛小説とかを見ると、学園内での許されざる禁断の恋! とかあるんだよね)


 もし、その時代に自分達が生まれていたら。ちょっと面白い妄想だ。例えばアーノルド辺りもお貴族――いっそ王子様とかだったらどうか。

 

(確か、あの有名なルスバーグの恋愛伝説とか『そう』なんだよね。元平民の男爵令嬢が、王太子様に見初められて恋に落ち、やがて波乱の末に初代の公爵夫妻となる――ってやつ)


 マリーベルは目を閉じる。どうせ想像だ、好き勝手に考えよう。

 多分、自分は今と変わらない性格。王太子様を誘惑して、虜にして、思い切り贅沢とかしてやろうとか考える。


(もしかしたら、お母さんを死なせた貴族社会への復讐、意趣返し――とか、考えているのかもね)


 うんうん、ちょっとノッて来た! 

 マリーベルは調子に乗って、アレコレと妄想の翼を広げ出す。

 

 王子様アーノルドに見付けてもらいやすいよう、木の上とかに昇る。そこで足をブラブラさせながら、彼を待つのだ。

 すると、レパシスの花びらが舞う中、旦那様が姿を現し――

 

「――マリーベル、居るか?」

「わひゃっ!?」


 ノックの音と共に聞こえる、その声。

 マリーベルは文字通り、飛びあがりそうになった。

 

「おい、どうした!? 何かあったのか!?」


 ドアが開き、焦ったようにアーノルドが中へと飛び込んで来る。

 

「だ、旦那様!? えっと、あの、その――」

「何だ、どうした!? 妙に焦って……って、ん?」


 アーノルドの目線が、マリーベルの手元に移る。

 

 ――ヤバイ。

 

 マリーベルはサッとそれを背中に回し、口笛を吹いて誤魔化そうとする。

 

「おい、その隠したものは何だ? 今、見ちゃいけねぇもんがチラッと目に映ったぞ?」

「みまちがえですよぅ だんなさまー」

「露骨に目を逸らすな! それは、まさか――」

「あぁっ! 返して!」


 アーノルドの動きは無駄に素早い。

 軽やかなステップを踏んだかと思うと、次の瞬間にはマリーベルの背後を取っていた。

 

「おま……っ! お前!? どどど、どこでこれを手に入れた!?」

「返してください、私の癒しなんですぅ!!」

「アンナミラ――今はセシリアだったか! あの女の仕業か! あぁ、くそ! 処分したと思ったのに! こんなもの――」


 写真を破ろうとアーノルドが手に力を込め――ピタリと固まった。

 

「お、おい……なにもそんな、この世の全てに絶望したような顔をするなよ……!? 写真だろ!? 俺の昔の恥部じゃねえかこんなの!」

「でも、私の癒しなんですぅ……寝る時も添い寝して、おやすみなさいの口づけとかしてるんですぅ……」

「なんで!? え、こいつそんな羨ま――って、違う!」


 旦那様は、写真を手に握りしめたまま、何やら苦悩のご様子であった。


「や、やっぱりその――わ、若い奴の方がいいのか? 同年代の相手とか、そういう方が旦那として……」

「え、ヤですよ。そう言う人達、お金持って無いですし。人生経験とか足り無さそうですし。お金持って無さそうですし」

「二回言ったな……重要なんか、それ」

 

 そら当然である。金づるになってくれない男性など論外だ。話にも上がるものか。

 

「でも、若くて金持ちの貴族とかも居るだろ?」

「いや、そういうの要らないので。ここひと月の間で、ようく思い知りました。お貴族様の妻とか御免こうむりたいです」


 やはり、人には分相応というものがある。

 マリーベルはそれをしみじみと感じ取っていた。

 

「私は、旦那様が良いですよ。うん、旦那様じゃなきゃ嫌です」

「お、おぉ……そ、そうか……そっかぁ……」

「何でそんなにホッとしてるんです? 当たり前の事なのに」


 気が抜けている今が機会とばかりに、写真を奪い返す。

 よしよし、アーノルド君はこれで自分の物だ。

 

「あ、おまっ!」

「いいじゃないですか。減るもんじゃなし」

「尊厳とか精神力が削れんだよ! たく、お前って奴は――」


 そう言いかけたアーノルドが、不意に固まる。

 何かと思って視線を手繰ると、そこにはマリーベルの化粧台があった。

 

「え、あれ……俺の、写真?」

「そうですよ。今現在のならいいでしょ? この間に撮ったやつです。どうせ、旦那様も私の持ち歩いてるんでしょ? 夫婦で並んだ奴なら、私も装備してますよ、ほら」


 ドレスの中に忍ばせた、もう一枚の写真を見せる。

 

「社交は私の――そして夫婦の共同戦線でもありますからね。これがあると心強いんです」


 アーノルドは息を呑んだように、マリーベルを見つめている。 

 口をはくはくと開いては閉じ、また開く。二の句も継げない、とはこの事だろうか。

 何をそんなに驚いているのか、奥様には分からない。

 

「夫婦の写真は戦意高揚、アーノルド君は癒し、そしてあれは――」


 洗面台の写真を指差したところで、言いよどむ。

 流石のマリーベルも少し気恥ずかしかった。

 

「――お守り、ですね。うん、私の、お守り――」


 本人を前にしてそう告げるのは、どうかと思わないでもないが、それがマリーベルの偽らざる本心であった。

 

「ああ、もう! 何で、お前はこんなに……!」

「――あっ?」


 マリーベルの体が、抱きしめられる。

 火照った頬が、夫の厚い胸板に押し当てられ、なお一層の熱を帯び始めた。

 

「だんな、さま……?」

「何だこの生き物は。お前、これで猫かぶりでも無いとか、嘘だろ? 良く今まで、他の野郎に捕まらなかったな!」

「他の人なんて見えませんよ? 私を受け入れてくれる奇特な人なんて、きっと貴方くらいですもの」


 声にならない、悲鳴のような物がアーノルドの口から洩れる。

 マリーベルの背に回された手が、強さを増したような気がした。

 

「そうだ、旦那様……。ご褒美、ください。頑張ってる、ご褒美……」


 爪先を伸ばし、夫の耳元に口を寄せると、マリーベルは恥じらうように囁いた。

 

「頭を撫でてください。頬に触れてください。ギュって抱きしめて、添い寝してください……」


 そうすればきっと、良い夢が見れる気がするのだ。

 疲れた体に、一番良く効く気がする。

 素晴らしい考えだ。そう信じ込むほどに、マリーベルの頭が熱で暴走し始める。

 

「他の男の人に、こんなこと言えませんもの。私達は夫婦、なんですから――いいんですよ、ね? 貴方、だけですから……」


 体を抱く手が、強張ったように感じる。首筋に振り掛かる息が、妙にくすぐったい。

 マリーベルは夢見心地のまま、うっとりと目を閉じ――

 

「マリー、旦那? そこに居る? 手紙がきた、んだけど――」


 ――再び響いたノックの音で、現実に戻された。

 

「テ、ティムか! お、おぉ! もちろん、居るぞ! ここに居る!」


 パッと体が離されてしまう。

 マリーベルはその勢いでつんのめり、倒れそうになるところを何とか堪えて踏みとどまる。

 

「お邪魔します――あ、うん。本当にお邪魔だったみたいだね……」

「別に……そんなことありませんよ……ええ……もう……」

「悪かった、悪かったよ! だから、その恨めしそうな目を止めて!」


 こちらの様子を見て、何かを察したのだろう。少年が泡を喰ったように手紙を差し出して来る。


「ん、おぉ来た来た、来ましたか!」


 マリーベルは、その宛名に記された名を読み、ある種の確信から、にんまりと笑う。


「どうぞ、旦那様! 中身の確認を!」

「ありがとよ。どれ――」


 手紙と共に受取ったペーパーナイフで封を切り、アーノルドが中身に目を通す。

 その口元が笑みの形に変わったのを見て、マリーベルは拳を握りしめた。

 

「旦那様、大丈夫ですか? 大丈夫ですよね?」

「ああ、問題ねぇ。許可が下りたぞ」


 さし返された手紙を受け取り、マリーベルもその書面を確認。

 内容が確かであると読み取り、快哉を上げた。


「やりましたね、旦那様! これで、ようやく次の段階に進めます!」


 指に挟んだ手紙ををひらひらと揺らしながら、マリーベルは片目を瞑って見せた。

 

「――お貴族様を招く、『展覧会』。逆転の一手を、ぶちかましましょう!」

アン「……惜しい」

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