27話 幸せになりましょう、旦那様
麗らかな日差しが王都を照らす、春真っ盛りの四の月。
遂に、アーノルドとマリーベルの結婚式、その日が訪れた。
いかに豪放磊落で知られるマリーベルといえど、その心は純情っぽい乙女。
一生の思い出となるべきその日を、文字通り指折り数えながら待ちわびていた。
そうして迎えた結婚式本番である。もう、マリーベルは絶好調。朝も早くから、興奮しっぱなしであった。
「まぁまぁ奥様、お綺麗ですわ!」
屋敷の『婦人の間』に、アンの歓声が響き渡る。
マリーベルはメイドの賞賛を受け、姿見へと再び目を移す。
可憐な花の装飾が施された、純白のドレス。ストロベリーブロンドの髪は後頭部で結い上げられ、ヴェールで覆い隠されている。その薄布が繋がるのは、オレンジの花輪だ。ティアラの如く、金糸の川に橋を渡している。
念願の花嫁衣裳。
それを纏ったマリーベルは、感動に打ち震えていた。
「そう? そう思う?」
「ええ、ええ。とっても良くお似合いかと。妖精の姫君がご降臨あそばされたかと、錯覚してしまいましたもの」
アンの言葉に、マリーベルは頬を染める。
姿見の前で、軽くターン。白いドレスの裾が翻り、雪のような煌めきを振りまいた。
「アン、ありがとう。手伝って貰って助かっちゃった。貴女ってば、ドレスの着付けも出来るのね」
「えぇ、昔。こっそり練習した事がありましたの。あれは――あら? いつの事だったかしら」
首を傾げるメイドの姿に、マリーベルはくすくすと笑う。
この娘が使用人としてゲルンボルク夫妻に仕えてから、はや十日あまり。穏やかで暖かく、まるで母親のような雰囲気を持つ彼女に、マリーベルはすっかりと懐いてしまった。
このメイドの前では、何故か敬語も取れてしまう。
旦那様に感じるのとは、また違った安らぎと心地良さ。
それが何ともたまらなく、マリーベルの気持ちを和ませてくれる。
(……旦那様も、綺麗だって。思ってくれるかな)
無意識の内に、マリーベルは胸元を押さえてしまう。
そこに刻まれた炎の印が、今日は妙に気になった。
「……さ、そろそろ参りましょうか。ご主人様もお待ちかねでございますよ」
マリーベルの背が、そっと押される。
実体は無い筈なのに、その指先からは確かな温もりを感じた。
本当に不思議な女性だと、そう思う。
メイドの優しさに後押しされるようにして、マリーベルは頷いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「こりゃ、驚いたな……!」
花嫁の姿を見るなり、アーノルドが目を見開いた。
何だかそれが気恥ずかしく感じて、マリーベルは照れ隠しに声を張り上げる。
「そうでしょう、そうでしょう! 正に絶世の美少女でしょう、旦那様! 遠慮なく賛辞の言葉を贈って良いのですよ! ていうか褒めて! いっぱい褒めて!」
「……あぁ、あぁわかった、わかった! よく似合ってるよ、お前は絶世の美少女だ!」
「えへへ……♪」
少しヤケクソ気味ではあるが、彼にそう言われるのは嬉しい。照れ隠しなのか、『綺麗だ』とは言ってくれないけれど、まぁ許してあげよう。及第点だ。マリーベルは段々と気分が高揚して来た。有頂天、という奴である。
「旦那、馬車が――って! わぁ、すっげぇ! 本当にマリーかよ!」
そこに飛び込む、素っ頓狂な声。
見れば、ティムが目をまあるくして、マジマジとマリーベルの方を眺めている。
「ほらほらティムさん。そんなに花嫁様を見つめる物ではございませんことよ。これからお式を迎えて、神さまに認められた『夫人』となるのですから。今日くらいは、きちんとしたお言葉でお送りしてくださいませ」
「あ、うん……! じゃなかった、はい……!」
よろしい、と。満足げに微笑むメイドさん。
あのティムも、アンの前では借りてきた猫のように大人しい。
すっかり彼女は、このお屋敷の『おふくろさん』であった。
「えっと、とても良くお似合いです、奥様! 俺も色んな人の『花送り』を見てきたけど、どんな花嫁さんより綺麗です!」
「ありがとう、ティム君」
その言葉が、とても嬉しい。
たった二人から始まり、三月を過ごした結婚生活。
初めて、この屋敷を訪れた時、そこに不安が無かったといえば嘘になる。
でも、今は――
感慨深げに微笑むマリーベルに、アーノルドが手を差し出した。
「さぁ、行きましょうか花嫁殿? 皆にその姿を披露してあげなくては、ね」
いつにない、紳士的な言葉。芝居がかったそれが何だかおかしくて、マリーベルは笑ってしまう。
程よく、緊張もほぐれてくる。妻の扱い方が分かって来たな、と奥様は感心した。そうして、気取った仕草で伸ばされた腕を、そっと掴む。
「はい、旦那様……」
――あぁ幸せだな、と。マリーベルはそう思った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
エルドナーク王国に於いて、結婚式の時刻として許されたのは、八時から十二時。正午まで、である。調和神様の聖典にどうたら書かれているらしいが、その辺はマリーベルも良く知らない。別に午後三時くらいまで良いのでは? とも思う。
幌の無い馬車に揺られながら、奥様はそんな事をぼうっと考えた。もうそろそろ、時刻は九時を回った頃だろうか。何だか、現実味が無い。足元がふわふわして落ち着かないのだ。
道すがら、通りの人々から投げられた花が宙に舞う。色とりどりの綺麗なそれに見送られて、花嫁と花婿は教会に向かうのだ。これが『花送り』。古くは二百年ほど前、初代ルスバーグ公爵の結婚式の際に、公爵自身から提案されて施行された事から始まった、らしい。相変わらず、愛に纏わる逸話に事欠かない家門である。
マリーベルの隣では、旦那様が相変わらずの山賊顔でにこやかに笑っている。が、口元が微かに歪み、その表情が引き攣っているのをマリーベルは見逃さない。
「美少女と野獣だ……」
ひそひそと、周囲で囁かれる声。馬車の速度はゆっくりめなので、良く聞こえた。
「旦那様……」
「言うな、分かってるから! どうせ俺は強面だよ、ケダモノ顔だよ! 悪いか!」
――どちらかと言えば、野性味あふれて素敵だと思う。同年代の若者には無い大人の魅力があるのだ!
そう言って励ますと、彼は悪くなさそうなお顔で顎を撫でた。旦那様は単純である。
やがて、馬車は教会へとたどり着く。
古くから、貴族達が成婚の儀を果たしたとされる、由緒正しき大聖堂。まず目に入ったのは、白塗りの大きな門構えだ。柱に刻まれた調和神を讃える聖句と、契約神の女神像がマリーベル達を出迎えてくれた。
「――よっ、と!」
ひらり、と。ティムが後部席から飛び降りる。
彼は軽やかな足取りで地面に着地。膝を付き、主たちへ向かい恭しい動作で頭を下げた。
それを確認したアーノルドが続いて馬車を降り、花嫁の降車をエスコートする。
堂に入った仕草。練習の賜物であった。
マリーベルが歩き出すと、ティムがすかさず近寄り、ドレスの裾を持ち上げてくれる。
そうして『しずしず』と門扉をくぐったそこには、見覚えのある顔が並んでいた。
ディックにその妻であるレティシア。それにハインツ男爵家時代の同僚である、馴染みのメイド達。
すっかり顔なじみになったゲルンボルク商会の従業員の姿もある。
マリーベルが微笑み、彼らの横を通り過ぎる。すると、まず動いたのはディック達――マディスン夫妻。
夫がアーノルドの真後ろに、夫人はマリーベルのその背後に。四人が歩き出すと、その後ろからぞろぞろとメイド達が列を成して着いて来る。その気配を背中越しに察し、マリーベルは笑いそうになる。カモメの親子みたいだ。
「おい、プルプル震えるな。ここで腹抱えて爆笑したら一生の恥だぞ」
旦那様のご忠告が腹筋に染みる。流石、妻の事が良くわかっていらっしゃる。夫婦検定の段位を軽やかに上がって行っているようで、感慨深い。初めて会った時とは大違いだ。ついにここまで辿り着いたのだ、マリーベルとアーノルドは。
「目を潤ませてくれてるっぽいのは良いんだが、何だろな? 絶対違う理由で感動してるだろ、お前」
囁く声さえ心地良い。そうして、付添人たちを従え、マリーベルは教会の中へと足を踏み入れた。
「――おめでとうございます、姉上」
口元を、ギュッと引き絞る。今度こそ、涙が零れ落ちそうでたまらなかった。
立派な正装に身を包んだ弟が、微笑みながらマリーベルを迎えてくれたのだ。
「……東洋の格言に、馬子にも衣装という言葉があるそうだ。まぁ、お前にはぴったりさね」
その真横で、扇をはためかせながら、養母が相変わらずの憎まれ口を叩く。
後ろに居る眼鏡を思わせる言動。何か彼から吹き込まれたかと疑ってしまう。
「母上、そう思ったのなら御顔を隠さず、姉上をちゃんと見て、お言葉を掛けてはいかがです?」
「嫌だね。あの娘の花嫁衣装は白すぎて、眩しすぎる。目に毒さ」
その声が、微かに震えているように思えたのは、マリーベルの気のせいではあるまい。
――あぁ、幸せだな。
何度目かの想いを、花嫁は噛みしめる。
男爵家の『家族』に見送られ、マリーベルは夫と共に花道を歩き出す。
豪奢な祭壇の前には、小さな机があり、その上に一枚の用紙が置かれている。
『特別結婚許可証』。王国国教会の頂点たる、大主教に名の元に発行された最上位の盟約証書。
『由緒正しき男爵家のご令嬢。そうだ、お前の家格を考えれば、これくらいは当然だろ?』
誇るでも偉ぶるでもなく、何でもなさそうにそう言って。
そっと背を撫でてくれた夫の、あの笑顔は忘れられない。
きっと、一生覚えてる。
妾腹の娘。平民の娘。卑しい出自と、実の父に蔑まれた娘。
男爵の戯れで手を出され、そうして生まれたマリーベルが、貴族としても最上位の結婚式を挙げられる。
皆に、多くの人に、祝福されて。
(駄目……もう、たえられ、ない……)
マリーベルの唇から、嗚咽が漏れ始めた。
止まって欲しいとそう思うのに、後から後から溢れて止まらない。
「ほら、皆が心配するぞ。これで終わりじゃねぇんだ、むしろ――」
頬に当てられたハンカチの温もりに、ハッとする。
そうだ。ここからが、始まりなのだ。
儚げな令嬢を気取って、めそめそしている場合ではない!
「つい、感極まってしまいました。ごめんなさい、もう大丈夫です」
苦笑する夫に首を振り、マリーベルは後方を振り向く。
この結婚が無理矢理ではないと、美少女とケダモノの式では無いのだと。
そう、知らしめるように。マリーベルは周囲に向かって、心から幸せそうに微笑んだ。
それだけで、観客たちには十分に伝わったようだ。微かなどよめき声が、耳に響く。
「では、契約神の名の元に、これより新たに結ばれた夫婦の、宣誓式を行う」
祭壇の向こうに立つ司教が、そう言って厳かに印を切る。
朗々と聖句が読み上げられ、予め定められた様式の通りに式は進んでいく。
「――では、指輪の交換を」
花婿付添人のディックが、指輪を差し出す。
何十年か前、女王陛下がご自身の結婚式で『それ』を行って以来、大流行して根付いた習慣だ。
金色に輝く結婚指輪。その輝きがあまりにも美しくて、また涙が零れそうになる。
いけない、自分はこんなに涙もろかったろうか。
恥ずかしい。恥ずかしいが過ぎる。マリーベルはお腹に力を入れてグッと堪えた。
白い手袋に包まれたアーノルドの太い指が、マリーベルの薬指へと触れた。
確かな重みが、のしかかる。それを嬉しいと、少女は感じた。
「では、主たる調和の神と契約神の御前で、誓いと共にサインをなさい」
聖職者の言葉に、アーノルドとマリーベルは揃って前へと足を踏み出した。
「アーノルド・ゲルンボルクは誓います。病める時も健やかなる時も、妻を愛し寄り添い共に在ることを」
「マリーベル・ゲルンボルクは誓います。病める時も健やかなる時も、夫を愛し寄り添い共に在ることを」
ペンを掴み、同時にサインを書きこむ。
そうして、決められた所作通りに印を切り、二人は互いに向き合った。
「――死が、二人を分かつまで」
異口同音に、そう告げる。
アーノルドの眼に浮かぶのは、恋に浮かれた熱情では無い。きっと自分もそうだろうとマリーベルは思う。
共に戦う同士の、意志を確かめ合う鋭い輝きが、その視線には込められていた。
それは確かな宣誓。これから臨む戦いへの、挑戦状。
「よろしい。では、誓いの印を明かしたまえ」
アーノルドの手が妻のヴェールに触れ、そっと横へ掻き分ける。
夫の蒼い目が、マリーベルのそれを射抜いた。
どくん、どくんと。心臓が高鳴る。手が、体が震え出す。
肩が抱き寄せられ、頬と頬が触れ合う。
熱い吐息を飲み込むようにして、マリーベルは目を閉じた。
「――お前は綺麗だよ、マリーベル」
――やっぱり、旦那様はズルい。
触れ合う唇の熱さに悶えながら、花嫁は万感の想いと共に涙を溢れさせた。




