147話 謎めく『それ』の正体は!?
「そうか、弟君はまだ行方が知れず、か」
気遣わしげに、セリーヌが目を伏せた。
お屋敷の応接間。ソファーに座り向かい合う二人の淑女の顔は、どうにも晴れる事が無い。
マリーベルは沈黙を塞ぐように紅茶を口に含み、微かに頷く。
「ええ、色々な方々に協力をして頂いているのですが、どうにも足取りが掴めなくて」
最後に弟の姿を見たのは、ハインツ男爵家の家政婦・ジェンマだ。
そこから先の行方は、まさに霧の中。どこへ身を隠したのか、全く分からない。
「リチャードの体を使っている以上、生身の人間ではあるはず。衣食住が必要でしょう。となると、協力者が他にも居るのか……」
恐らく、以前からこういった事態に備えていたのだろう。
一体いつから、弟は『アレ』になっていたのか。
幼い頃の無邪気な笑顔と、成長の兆しを見せた少年の涼やかな表情。
それが、マリーベルの脳内で互い違いに駆け巡る。
「人の意識の内側に潜む『何か』か。恐るべき敵だ。恐らく、依代として使ったのは、弟君が初めてではなかろう」
「ええ、間違いなく。父――先代ハインツ男爵も、自分がそうとは知らないまま、操り人形にされていたのでしょう」
だから、自身もろともに命を断とうとしたのだろう。
あの嵐の晩、崖崩れの危険性も高い場所を馬車で疾走していた理由が、ようやく理解出来た。
「遺言状もそうです。最終的に利用されたとはいえ、あの文面は彼が正気である時に書かれたものでしょう。その真意も、今なら分かる」
「貴女の母君を閨に引き込んだその時、肉体の主導権を持っていたのは『それ』であった――」
「ええ、すなわち弟の中に居るものこそが、私の父親なのでしょう」
吐き気のする事実だ。考えるだけで怒りが込み上げてくる。
「先代男爵が、私を虐げたわけも、これではっきりしました。それはまあ、娘とは見れないでしょうね。無理もないことかと。もしかしたら、あの前家政婦が『大評定』で指摘した母の不貞も、先代がそうと思い込んで話したとすれば、まんざら根拠が無いものでもなかったのでしょうね」
「意外と冷静だな。坊やはそれこそ、先代男爵に対して随分と憤っていたものだが」
「旦那様は過保護ですから」
自分への痛みより、他人の苦しみに怒る人間なのだ、あの人は。
だからこそ危なっかしく、だからこそに目が離せなく、だからこそマリーベルは彼を愛しているのだ。
「まあ、こき使われた事とか、個人的な恨みはたっぷりとありますけど。それはもう、しょうがないです。死んだ人間に対して、いつまでもグダグダと言ってる余裕はありませんから」
それに、一番の被害者はマリーベルの母親だ。それだけは間違いない。
わけのわからないままに、わけのわからない男に襲われ、孕まされ。
わけもわからず職も失い追い出されて、わけのわからない力を持った娘を産むことになった。
なのに、母は。あの優しいお母さんは。
自分の運命に対して、一つの恨み言も零さず、最期までマリーベルを愛してくれた。
(ええ、そう。私には、その事実だけで十分過ぎるもの)
もちろん、母にした事の借りは返させてもらう。
養母や弟を苦しめたことも、存分に思い知ってもらうつもりだ。
その為なら、マリーベルはこの手を汚す事も躊躇わない。
躊躇わないでいられる、はずだ。
「強いな、貴女は。それに優しい子だ。坊やが選んだ理由も良く分かるというものだ」
優しげに微笑むと、セリーヌは居住まいを正した。
「私はこれから、故郷に戻るつもりだ。少し調べたい事があってね」
「アストリアに、ですか?」
「ああ。レモーネ・ウィンダリアが操った『人形』が気になる。あんな短期間で騎士人形を、不完全とはいえ修復したのだ。こちら側に、協力者が居る可能性は高い」
それに、と。女性警部はため息を吐きだした。
「他の家門を牽制する必要も出て来た。戦場の死神と恐れられた栄光も、今は昔。現存する騎士人形の家系は数少ない。この度の対応を巡り、それはもう老人共が騒ぎ始めてね」
「政治的な問題、ですか。どこも大変ですね……」
「本当に面倒くさいものさ。お偉方も、この機を幸いと権力闘争に邁進しておられる。だから、これを持ち出すのも一苦労だったよ」
セリーヌは僅かに口元を歪めると、何かの冊子を差し出した。
何枚かの紙を、雑に綴じたもの。その表面は、びっしりと文字で埋め尽くされている。
「これは?」
「坊やに頼まれていたものさ。出来が雑なのは許してくれたまえよ。何せ、実家で埃を被っていたそれを、急いで書き写したものなのだから」
戸惑うままに、冊子を受け取り、上から字面を追う。
最初の一文、表題にあたる場所には、エルドナークの文字で簡素にこう書かれていた。
「聖女伝承……?」
「うむ、その通りだ。今では学者連中くらいしか話にも出さない、古い時代の伝説さ」
聖女――すなわち、聖人の類だろうか。
聖典に書かれている、神に纏わる偉大な功績を為したという者達。
「そこでいう『聖女』とは、聖典に書かれた聖人たちとは、また違う」
「え?」
マリーベルの疑問に応えるように、セリーヌはそう告げる。
「調和神及び、付き従う十一従属神とは、全く別。それ自体が独立した信仰だ。一説では、古代に存在した土着の神々を揶揄したものとも言われているな。何処かの時代では、これを論ずることそのものが異端とされ罰せられた、なんてこともあったとか」
癖なのだろうか。とん、とんと。テーブルを指で叩きながら、セリーヌは難し気な顔をした。
「前に……そう、随分と前のことだ。坊やに少し喋った事があってね。彼はそれを覚えていたのだろうよ」
「それは、どういう――」
「『聖女』とは、この世の外の理をもたらすものである」
何を言われたのか分からず、マリーベルは目を瞬かせた。
「古い古い言葉では、訪ない人、等と称されることもあったそうだ。見た事も無い衣に身を包み、聞いた事も無い言語を操り、周囲に多大な影響をもたらすもの、と」
「おとない、びと……」
「私が知る限りでも、アストリアや南洋の国々、それに老マディスンの最後の奥方――ディックくんの母親の故郷、東にある龍の国にもその伝承が残されているようだ」
しかし、と。セリーヌはそこで初めて顔をしかめた。
「エルドナークには、それが無い。不自然なまでに、痕跡が残されていないのだよ」
「えっと、良く分かりませんけど、それは単にその聖女とかいう人が、この国を訪れていないだけでは?」
「私もそう思っていたのだがな。祝福の鐘の下、その玄室に残されていたという遺物が、ね」
言われて、ハッとする。
見た事も無い衣、時代にそぐわぬ物品の数々。
確かに、あれらの物が千年も前の技術で作られたとは思えない。
それこそ、全く異なる場所から、この国へ持ちこまれたとすれば辻褄が――
「――聖女は、居た筈だ」
セリーヌが断言する。
「ともすればエルドナークの建国に関わったのではないかと、私はそう思っている。あの場所には、愛の詩が残されていたのだろう? ハインツ家の初代当主――この国における、最も古き貴族。その始祖の名と共に」
「待って、待ってください! だとすれば、だとしたら……っ!」
何か、とてつもなく恐ろしい事に気が付きそうだ。
これまでの過程で得た情報、触れ合った人たち。
それらがマリーベルの頭で渦巻きながら、一つの形を為そうとしていた。
『お前達が、のうのうと暮らす事を許さない。一度死した存在がもう一度蘇り、今の時代に生きる者の魂を乗っ取りすり替わるなど、おぞましいにも程がある!』
――レモーネ・ウィンダリアは、何と言っていた?
『というか、転生には血筋が云々っていうのが本当なら、旦那様は実は公爵家の血とか引いてるんです? 実は王家の生き残り、隠し子だった! とか、そういう劇的な出生の秘密が――』
――胡散臭いと思いつつ、マリーベルは夫の話を聞いて、その疑問を覚えた。
「……転生、生まれ変わり。意識を乗っ取り、すり替わる。その要因のひとつは、もしかしたら。血筋によるものと――」
「ウィンダリア家の地下には、古い書簡があったろう? 似たようなものを、私も発見してね。滅んだ『騎士人形』の家系から近年、発掘されたものなのだが。そこにも同じように名前が記されていたよ」
名前、そう。それは、恐らく。
マリーベルは、己の手のひらを凝視する。
浮かび上がる細い血管、そこに流れる血を――
「少なくとも三百年前、大陸争乱期の頃には既に活動していたのだろうね。いや、我々が知らないだけで、更に古い、古い時代から『そう』なのだろうな」
未来を描いた画家、ラ=ズリの絵画を思い出す。
マリーベルとアーノルド、二人が並んだその情景。
『あぁ、契約が済んだのだよ。『あれ』との誓いがこれで果たされたのさ。『伝統派』の主流はこれで没落、力を失った』
運命を操り、未来を予想する『祝福』を持ったレーベンガルド侯爵の言葉は、どういう意味だったのか。
吐き気が、震えが止まらない。
一体どこから、いつから。
これは、仕組まれていたものなのだ!?
もしかしたら、自分と夫の出会いもそうなのだろうか。
一度疑い出したら、きりがない。
それとも、それともまさか。
胸の内、魂の奥底から何かが警鐘を放つ。
不意に思い浮かんだのは、あの恋愛伝説に謳われる、二百年前の婚約破棄騒動。マリーベルの前世といわれる、レジーナ・メレナリスであった少女の辿った運命も、もしや。
あり得ない、あり得ないとは思いつつ、マリーベルは己のその考えを、妄言と切り捨てられなかった。
だとすれば、敵は。
父と弟の意識に潜み、暗躍をしていたその者の、名は!
「初代ハインツ男爵――ルーサー・ハインツ……!」
歴史の彼方から響く、おぞましい笑い声。
それを、マリーベルは聞いた気が、した。
次回は明後日、10月12日に更新いたします。




