表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
142/176

135話 逃がしはしません!


「何が、起こったんです?」


 マリーベルは、今しがた目の前で起きた光景が信じられず、慄きながら夫を見上げる。

 すると、彼もまた冷や汗を頬に垂らしながら、何とも言えない顔で首を振った。

 

「一応の予測は付くが、確証はねえ。つまるところ、妻に裏切られたっていう所なんだろうが」

「あれ、思い切り脇腹を抉ってましたよ。多分、深手です」

「そうか――」


 アーノルドが僅かに首を巡らし、後方へ視線を向ける。

 マリーベルもつられてそちらをチラリと見て、軽く息を吐いた。

 

 養母の足元、物言わぬ亡骸となった女性の姿が、妙に痛ましく思えたからだ。

 先ほどの侯爵とのやり取り、その全てが理解できたわけでは無い。

 だが、拾い上げた情報から察するに、彼女がこちらに内情を流していたのは、恐らく間違いないのだろう。

 

 上流階級社会の社交に挑んだ際、その初めての相手となった貴婦人の姿が、脳裏に浮かぶ。

 

 ――もしかしたら、あの時から。

 彼女は、この結末を望んでいたのだろうか。

 

「商会長。取り押さえますか? 今ならきっと――」


 眼鏡秘書ディックが油断なくライフルを構えたまま、足を一歩前へと踏み出す。

 彼の言う通り、周囲の人形クレア達は次々に姿を消している。

 無力化するなら、今が絶好の機会だ。 

 

 それを、アーノルドも察したのだろう。夫がこちらにそっと視線を投げかける。

 その示すところを正しく理解し、マリーベルは息を吸い込んだ。

 周囲に神経を張り巡らすようにして視覚や聴覚を強化、警戒の範囲を広げ、牽制する。

 

 だが、ゲルンボルク夫妻たちが行動を起こすその瞬間を読み取ったように、サウス・レーベンガルドが声を張り上げた。

 

「『盟約』を行使する! 私を『あそこ』へ連れて行ってくれたまえ!」

「マリーベル!」


 アーノルドの声に、マリーベルが地を蹴るよりもなお速く、『それ』が何処からか飛来した。

 

「マリー! 観客席の方からだ!」


 背後からティムの叫び声が聞こえるが、それが分かった所でどうしようもない。

 

 稲妻の如く現れた影は、侯爵の肩を背負い、そのままの勢いで再び飛び上がる。

 それを追うようにして銃弾が放たれるが、それらは侯爵を捉えることすら叶わない。

 

「ちぃっ! ここまで来て逃がすか――ディック!」


 アーノルドが叫んだその時にはもう、彼の秘書は行動を開始していた。

 いつも冷静なディックらしからぬ全力疾走で、少年従僕のその元へと向かう。

 

「ディックさん、動かせるよ!」

「良い仕事です。後は任せますよ」


 風車から切り離された蒸気自動車が、唸りを上げながらマリーベル達の元へと駆けつける。

 夫妻が飛び込むように乗り込むと同時、自動車が大量の蒸気を吐き出しながら車輪を回し始めた。

 

「商会長! 前に――」 

 

 マリーベル達の、その前を阻むようにして、未だ残る人形が数体。

 身を持って重なるようにして立ちはだかる――が。

 

「――邪魔は、させん」


 たちまちのうちに伸びた影が、幾条となくひらめき、それらを拘束。抑え付けるようにして地面へと転ばせた。

 

「ヒューレオン閣下! ここをお願いします!」

「了解した。奴を逃がすな」


 怒鳴るようにして叫んだアーノルドに、静かな声が応えた。

 マリーベルもまた後ろを振り向き、確かめるようにして仲間達の姿を見やる。

 不安、信頼、困惑、様々な表情を浮かべた彼らであるが、その視線の向かう所はひとつ。

 それらを背に負って、天に輝く月光の下、蒸気自動車は疾駆する。


 

 アーノルド・ゲルンボルクとサウスレーベンガルドの『遊戯』。

 互いに持てる策と力を尽くしたそれは遂に、最終盤へと差し掛かろうとしていた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 闘技場コロッセオの形状は、実に単純なものだ。

 石舞台を挟んだ両側。恐らくかつてはそこから馬車や荷車を通していたのだろう。

 吹き抜けのような通路となっており、外へと直結していた。

 

 一気に霧の中を走り抜けたアーノルド達は、そこに広がる光景に目を見開いた。

 

「ここもか! あの野郎、何処までも好き勝手しやがって!」


 闘技場の外に控えていた、恐らくは新聞社の記者だろう人々。

 彼らは皆、地面に倒れ伏し、呻き声を上げていた。

 

 助け起こしたい所ではあるが、今はそれすら叶う余裕はない!

 人垣の無い部分を選び、車が道を駆け抜ける。

 

「どうやら、商会長の予想は当たりですね。『霧』の力が、我々に及んでいない。侯爵が弱り、効果が薄れた、というのもあるのかもしれませんが」

「適用時間があるっつうこったな。首相官邸の時と同じだ」


 マリーベルもその話は後から聞いた。

 夫達が首相閣下の元へ駆けつけた時、濃い霧が漂い、人々は深い眠りの中にあった。

 けれど、どういうわけか。後から来たアーノルド達はその効果が及ばず、行動を阻害される事もなかった、と。

 

「元来、ひとりひとつしか持てない筈の『祝福』だ。神さまの決めた事を捻じ曲げようってんだからな。必ずそこに、何らかの制約があると踏んだ」  

「納得はいく話ですけど、それ結局確証はないですよね?」

「まぁ、上手くいったんだから良いじゃねえか」


 妻の追及をさらりとかわし、アーノルドは空を睨んだ。

 

「――追えるか?」

『はい、そこの通りを右に。遠ざかるよりも高く――上へ、飛んでいますね』


 夫の問いに応えたのは、くぐもった声。

 それは、彼の胸元から聞こえて来た。

 言わずと知れた幽霊メイド・アンのものである。

 

「……うん、私にも視えます。前の時より、動きが鈍い。上へ、上へと昇ってますね」

「向こうは一応は怪我人を背負ってるからな。全速力は出せねえんだろうさ」


 マリーベルの視覚もまた、遠くへ霞む影を捉えていた。

 以前、見かけたその時の速度より、明らかに遅い。

 ゆえに、侯爵を連れ去ったのが誰か、ハッキリと見分ける事が出来た。

 

「仮面を被っていますが、体格や面差しからして間違いないでしょう。あの自称・名探偵ですよ、あれ」

「やっぱりか。ラウルめ、何を考えてやがる!」


 マリーベルも全くの同感であった。どいつもこいつも、一体何をどう考えて動いているのか。

 

「仮にも兄があの場に居るってのに、大胆なんてものじゃねえな。それとも公が関わっている――いや、それはないか。だが、だとすれば……」


 ぶつぶつと何やら思索する旦那様。

 ちなみにマリーベルはもう、早々に思考を放棄しかけている。

 とりあえず今の自分の仕事は、肉体労働だ。

 行きがけに懐に入れておいたイモを取り出し、齧り付く。

 度重なる『祝福』の発動のせいか、心身に重く負担が伸し掛かるが、気にしていられない。

  

「無理はすんなよ。少しでも不利と思ったら迷わず引け」

「それは私の台詞です」


 いざとなったらどんな無茶をやらかすか分からないのが、この旦那様である。

 マリーベルが出来る限り傍で見ていなければならない。


 すると、ハンドルを握っていたディックが、戸惑うような声を上げた。

 

「商会長。お二人の言葉が確かであるなら、侯爵が向かった先は――」

「あぁ」


 彼もまた、その行き先を悟ったのだろう。アーノルドが眉を顰めながら呟く。

 

「――王都名物。時計塔だ」



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 


 ラムナック時計塔。

 それは、王都中央区・リーヴイルの宮殿脇に立つ、巨大な時計台だ。

 建築計画が持ち上がったのは、今から四十年近く前。火の不始末により宮殿が焼け落ちた際、再建築に伴って議会から提案されたものだ。マリーベルの実家、当時のハインツ男爵が設計に多大な関与を寄せたらしく、その完成された造形デザインは女王陛下も絶賛したと言われている。

 

 そうして完成に二十年を擁したそれは、今では王都の民に欠かせない物だ。

 特に時計など買い求める事が出来ない、労働者階級のものにとっては必須と呼べた。

 遠くからも識別可能な、そびえ立つ大時鐘。その鐘の音によって人々は動き、日々の生活を確かめるのである。

  

 既に陽は落ち、夜の帳がそびえる威容を包み込む。

 本来、満ちる事の無い月が天に瞬く異常事態に、人々が騒めき始めた、そんな頃。

 

 その影は、時計塔の上へ、上へと。ひたすらに駆け昇ってゆく。

 

「目指しているのは、頂上か!」


 蒸気自動車を走らせながら、アーノルドが天を睨み付ける。

 その傍で、マリーベルは焦りにも似た気持ちを抱く。

 侯爵が何を考えているか分からない。だが、人々の生気を集めて月を象るような男だ。

 王都を一望に睥睨できる場所に辿り着かせたら、恐ろしい事が起きるのではないか!?

 

「旦那様! ここからなら、直接行った方が早いです!」

「なに?」


 夫の服の裾を手で掴み、もう片方の腕を時計塔の上部へと向ける。

 一瞬、彼は呆けた眼差しで妻と大時鐘を見比べ――そうして、顔をひきつらせた。

 

「まさか、お前……!」

「常識で考えられない事をする相手には、非常識で対抗すべきです!」


 丁度、霧が色濃くなってきた。『祝福』の、ではない。その気配が無い所からして、これは自然現象であろう。

 何にせよ、人の目が届きにくくなるのは有難い。

 夫の首根っこをひっつかみ、両膝を抱え込むようにして抱き寄せる。

 歌劇オペラでも良く見るもの。古き文献によれば、古代リルーサ文明期より伝わる、婚礼式での正式作法のひとつ。


 お姫様抱っこ(プリンセス・キャリー)の完成であった。

 

「こ、この格好は駄目だ! つうか役割逆じゃねえの!?  せめて体勢は変えてくれ!」

「却下します。この方が収まりが良いんで! ディックさん、出来たらあそこで倒れてた方々への手配、お願いします!」

「了解しました。とても良くお似合いですよ商会長。どうぞ、ご武運を」

「冷静に受け止めるな! おい待てマリーベル! マリィィベルゥゥゥ!」


 夫の情けない声が宙に尾を引き消えてゆく。

 最終決戦のその舞台へ向かい、マリーベルは勢いよく飛び立った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ