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119話 恩讐の狼煙


 昼時の酒場パブに響く、陽気な笑い声。

 あちらこちらのテーブルには男達が固まり、各々が楽しそうに会話に花を咲かせていた。

 彼らの養分となる話題。それは今、世間を熱狂させて止まない醜聞だ。

 それらを聞き流し、肩で振り払うようにして、カウンター近くのテーブルへと足を進める。

 

 目的の人物は、果たしてそこに居た。

 

「だからさぁ、俺も怪しいと思っていたんだよ。出来過ぎた話じゃねえか。絶対にこりゃあ、裏があんだろ、ってな!」


 男は、得意そうに声を上げてテーブルを叩く。知人であろう、周りの男達もそれを囃し立て、実に美味そうにジョッキを口元へ運んでいるようだ。何処の国でもそうであるが、他人の不幸や落ちぶれた話は、酒のお供としては一級品。舌を蕩けさせる極上のネタだ。


「『魔女』に騙されたんだよ、あの男は! 王を気取った成り上がりが、調子に乗るからこういう事になるのさ」


 せせら笑うように、男はジョッキを口元へと傾ける。

 周囲も、それに追随しようと杯を掲げ――


「……っ!」


 ――どうやら、こちらの存在に気付いたらしい。

 男の正面に立っていた小太りの中年が、露骨に顔色を変えて息を呑む。

 だが、肝心の男は、知人の変化に気が付かない。自身を、さも真実を暴き立てた英雄であるかのように謳い上げ、肩を震わせている。

 

「よぉ、ジョン。楽しそうな酒を飲んでいるじゃねえか」

「あん……? 誰だ、気安く――って、ヒッ!?」


 効果は劇的だった。男――ジョンが、こちらを振り返ったと同時、そのまま仰け反るようにしてテーブルへと寄り掛かる。

 グラスが床に落ちて砕け、ジョッキの縁からエールが零れて卓上に広がってゆく。

 

「ア、アーノルド……!」

「どうした、幽霊でも見たようなツラぁして。いいから、続けろや。確か、そう。身分詐称に引っ掛かった馬鹿の話だったっけか?」

「ち、ちが、それは、だな……!」


 ガタガタと音を立て、ジョンの周囲に居た男達がその場を離れていく。どうやら彼らは、悪酔いを拗らせるほどに判断を鈍らせてはいなかったらしい。

 助けを求めるように知人達へ手を伸ばすジョンの、その腕をそっと掴む。

 

「か、勘弁してくれよ!」

「勘弁? 何を勘弁するってんだ? お前は俺に、そういった事をしたのかい?」


 アーノルドはうっすらと嗤いつつ、指先に力を込めた。

 ぎゃぁ、と悲鳴を上げるジョンの瞳を覗き込み、しゃくれた顎を撫でてやる。

 

「裏切ってはいねえ! そうだ、俺じゃない! 上の判断だ!」

「だから、何も知らせなかったのか? 俺は悲しいぜ。お前とは良い関係を築けていたと、そう思ってたんだがな」


 青白くなり始めたその顔を、アーノルドは上から見下ろす。


「この頃は、随分と暖かくなってきたよな、ジョン。水遊びをするには良い時だ。新聞記者ってぇのは忙しくて大変だろ? こんな風にちんたら酒飲んで息抜きをするより、もっと良い遊びを紹介してやるよ」

「ちが、ま……っ!」

「遠慮するなって、俺とお前の仲()()()ろ?」 


 ジョンの表情が、凍り付く。その視線が何処に泳いだか、丸わかりだ。アーノルドの肩越しに、見たのだろう。

 開いた扉の、その向こう。店の外に待機する、強面の男達を。

 そして、その間に挟まれ、蒼い顔で震える『同輩』の姿、を。


「お、俺は今でも、そ、そのつもりだ……! あ、あんたとは、持ちつ持たれつ、と、当然の……!」

「そうか、そうか! じゃあ仲直りだな、ジョン!」


 アーノルドは指を弾いて合図をし、店の主人に『それ』を促す。

 

「騒がせて悪かった、赤ワインを持ってきてくれ。グレシュ=モナの良い奴があるだろう? 割れたグラス代も込みで頼む」

 

 程なくして、空いた二つのグラスとボトルが、テーブルの上に置かれる。


「さぁ、色々と聞かせて貰おうか。なあに時間はある。ゆっくりと、じっくりと話をしようじゃあないか」


 アーノルドは手ずから瓶を捧げ持ち、ジョンの前に置かれたグラスへと、真紅の液体を注ぎ込んだ。

 


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 中央街区セントラルの歓楽街。夜半を迎えたせいか、周囲に人影はごく少ない。

 例外と呼べるような人々はみな、相応の地位を持った上流階級層の男達ばかり。

 

 その男もまた、一見して分かる立派な衣装に身を包み、整然と立ち並ぶ建物の前で気炎を吐いていた。

 

「――全く、どういうつもりだ。 貴族に金の催促をしようとは嘆かわしい! 近頃の中流階級層ミドル、それも紳士を自称する見栄張り(スノップ)共は手に負えん」


 忌々しげに空を見上るも、月も星も雲に隠れて輪郭さえ見えず、しとしとと雨まで降り出す始末だ。

 不快が表情に強くにじむが、男は首を振り、その感情を押し流そうとする。そうして従僕に合図をすると、用意された馬車に向かって、歩き出そうとして――

 

「どうも、グレイブランド閣下。いつぞやの結婚式以来でございますね」

「君は……?」


 ギョッとして立ち尽くす男へ向かい、霧雨の中からアーノルドが姿を現した。

 

「ミ、ミスター・ゲルンボルク!?」

「ご無礼をお許しください、閣下。少々こちらもワケ有りでして」


 街灯の薄明りの下、アーノルドは大仰に紳士の礼を取る。

 

「き、君が何故――いや、そんな事はどうでもよろしい! 丁度良かった、聞きたい事がある」

「借金の催促に関して、でございますか?」

「知っているのかね! もしや、あれは君の差し金か。そういえばあの銀行は、そちらの紹介で――」

「金を借りたら」


 言葉を遮り、アーノルドはステッキで地面を突く。硬質な音と共に、水滴が跳ね上がった。

 

「返すのが世の常でございますよ、グレイブランド閣下」

「商売人と聞いてはいたが、借金取りに鞍替えをしていたとは知らなかったな」


 侮蔑を隠さない声。彼は伝統派の貴族だ。古き良き時代を懐かしんで尊び、階級差を特に重んじる者達。

 平民が金を貴族に上奏するのは当然、例え金を借りる立場だとしても、頭を下げるのは向こうの方だ。

 それを真理として、頭から信じ込んでいる男だ。そのこと自体は、実の所は間違ってはいない。中流階級層の上澄み達でさえ、どうぞお金をお借りしてくださいと平伏し、繋がりを持とうとするのが常だ。

 

 そう、これまでの時代では、だが。

 

「これも商いの一つでございますよ。わが社は手広く事業を展開しておりましてね。そう、不動産業などもそうですな」

「不動、産……」

「我が妻の実家でもありましたでしょう。昨今、流行り始めたものでございますよ。土地を売って、金を作り、返済する」

「き、貴様――!」


 わなわなと手を震わせ、グレイブランド子爵はアーノルドを睨み付けた。

 

「イズリガル伯爵の所にも、現れたそうだな。紅玉を買い叩こうとしたと、そう聞いておるぞ」

「これは人聞きの悪い。少々、時勢を読み違えられたようでして、あちらからお声を掛けて頂いたのですよ」


 かつて王宮内での権力闘争に敗れ、あからさまにフローラ――次期王太子妃を冷遇した貴族。

 その名を出した子爵の顔に、微かな困惑が浮かび上がる。


「何を企んでおるのだ? その所業、社交界で噂になっているぞ。いかに例の件があるとはいえ、こうも性急に――」 

「伝統は大事です。それは今、私が何よりも思い知っておりますとも。けれど、変わらねばならぬものもあるのです。そして、その流れに乗らねば、待っているのは破滅のみ」

「君の、奥方のようにかね?」


 挑発的な言葉をしかし、アーノルドは微笑で受け流す。


「――そう、おなりになるのを望むとあらば」


 子爵の喉が、微かに脈動する。アーノルドの本気を見逃す程に、彼も迂闊ではないのだろう。

 見るべき特産品も豊富な農作物も無く、社交界への見栄に代々の財産を食いつぶしているような男だ。

 故にか、危機感は相応にあるはずだ。かつての結婚式で、アーノルドの申し出に真っ先に飛び付いてきたのも、その証拠。

 内心で平民を見下す事はあっても、伝統派の中では柔軟に動ける貴族である。

 

 そう、レーベンガルド侯爵に連なる派閥内においても、だ。

 

「私の資本は新王国に在る。いざという手段も取れるのですよ。閣下もそれは良くお分かりかと存じますが」

「……望みは、何だね?」


 頭の中で損得を弾き出したか、子爵が顔を強張らせて姿勢を正す。

 良い判断である。彼が貴族でなければ、傘下に勧誘していた所だ。

 アーノルドはゆっくりと歩き出し、右手を差し出した。

 

「良いお付き合いを致しましょう。貴方の御力になれれば幸いでございますよ、グレイブランド閣下」


 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 


「……これでまた、ひとつ。順調ではあります」

「そうだな」


 王都の東街区を、一台の蒸気自動車が疾駆する。

 その座席にどっかりと座りながら、アーノルドは天を仰いだ。

 空は微かに白み始めていた。間もなく、夜明けを迎える時間だ。


「……昔を思い出しますね」


 ポツリ、と。ディックが呟く。

 その声色に、少なからぬやるせなさを感じるのは、アーノルドの気のせいだろうか。


「……レティからの情報は上がっています。少しばかり遅くはありましたが」

「仕方ねえさ。これが奴の『祝福』なのだろうよ」


 幾ら記者が飛び付くほどの特級の情報ネタであろうと、今まで慎重に抱き込んでいた連中だ。思う所があったにせよ、掌返しが、幾らなんでも早すぎる。


 ジョンも、その辺りは自身でも不思議そうにそう語っていた。


 『何故かそれを、アーノルドに告げる気が起きなかった』


 そんなふざけた言い訳が、しかし今のアーノルドには何となく理解が出来てしまう。


「この遊戯ゲームとやらは、どっちかが潰れねえと終わらねえさ」

「……アーノルド兄」


 何時からか、彼が口にしなくなったその呼び名。

 それを最後に聞いたのは、何年前だったか。もう思い出す事も難しい。


 久しぶりの感覚。全身の血が沸き立つような、憤怒と憎悪に身を焦がす。

 かつて、復讐に邁進したあの頃を彷彿とさせる、それはひどく懐かしい感情であった。

 だが、それに身を委ねてばかりはいられない。過度の怒りは視界を狭め、身を滅ぼす。


 今のアーノルドには守るべき者達が居る。何よりも、愛しい妻が待っているのだ。

 狂おしい程の熱と、理性がもたらす冷たい思考。それを両立させねばならない。


「心配するな。あの時とは違う。二度と同じ轍は踏まん」

「では、方々への計らいも」

「あぁ」


 アーノルドは、ステッキの柄をこつり、こつりと叩く。


「生かさず、殺さずだ。線は超えるな。だが、容赦はするな」


 自然と、目つきが鋭く、頬が強張って行くのが分かる。

 この半年で、柔和になったと誰からも言われた。穏やかな瞳をするようになったと、感慨深げに語られた。

 その理由が、今のアーノルドには痛い程に良く分かった。


 ――今のこの姿は、アイツには見せられねぇな。

 

 冷えた思考の片隅で、そんな想いがくすぶる。

 マリーベルの笑顔と泣き顔が交差し、脳裏に浮かんでは消えてゆく。


「……お付き合いしますよ、商会長。何処までも、いつまでも」

「ディック」

「それが、私の望みであり、夢なのですから」


 相棒の忠誠に薄く笑って応え、アーノルドは深く息を吐き出した。

  

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