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115話 月下の語らい



 正餐会の夜は深まり、常ならば解散の運びとなる頃合いを迎えた、その時。

 月明かりが差し込むテラスの庇の下で、アーノルドは苦々しい目をラウルに向けていた。

 

「随分とお楽しみだったなぁ、ええ?」

「そう怒らないでくれたまえよ。これも一種の伝統さ。アルファード殿下は慕われているからねえ。彼の評判を落とすような事になりやしないか、皆は心配なのさ」


 グラスを傾け、実に美味そうにワインを味わう自称・名探偵。

 お前はどうなんだと問いたいのを、グッと堪える。どうせ、こちらを煙に巻くような答えしか返ってきまい。

 アーノルドは嘆息しつつ、庭園を眺めた。

 

 流石に見事な物だと思う。月下の中に浮かび上がるそれは、石の造りや木々の配置など、いかにも上品で見る者の目を楽しませてくれるだろう。最も、今のアーノルドには心を和ませるような余裕はないが。

 

「意外とあれだな、君は芸術にも詳しいんだね。グローアも感心していたよ。中々に鋭い審美眼と知識をお持ちだ、ってね」

「商売柄、扱う機会が多かっただけだ。贋作を掴まされた事も、一度や二度じゃ無いからな」

「贋作、ねえ」


 ククク、と。嫌らしい笑みを浮かべラウルが空を見上げる。

 雲一つ見えない星空に、真円を描いた月の姿。それが、アーノルドの不安を煽り立てて止まらない。

 

 王太子からもたらされた情報が真実ならば、月が満ちた今こそが、レーベンガルドの『祝福』が最高潮に達する時だ。最後まで招待を受けるかどうか、悩んだ理由がそこに在る。そも、公爵とアーノルド達は正餐会で招待されるほどに親しいと言える間柄では無いのだ。

 

 出来ればフェイルを連れて来たかった。

 通常の家庭招待会なら、アーノルドはそうしただろう。


「答えてはくれませんかねえ、公爵家次男殿。アンタは、何を知っている?」

「何を、とは?」

「とぼけるなよ、ラウル・ルスバーグ。いい加減に持って回ったような、思わせぶりの言い回しは止して貰おうか。グローア・ローディアムを招待するよう、公爵閣下に進言したのもアンタだろう」


 アーノルドの言葉に対し、ラウルは目を細めた。何処か慈しむような眼差し。優しささえ宿るその瞳が、どうにもアーノルドは気に食わない。こちとら年上である。幼子を見守るような目で見るなと言いたい。

 

「ハインツ男爵家のタウンハウスで」


 アーノルドは、僅かの逡巡を込め、そう口火を切った。

 

「絵を、見た」

「ほほう?」

「ラ=ズリという名の画家が描き出した、それ。元にあった絵の下から現れたその風景は、あり得ないモノだった」


 アーノルドは一歩、前へ足を踏み出す。

 手を伸ばせば、届く距離。自然と間近で向き合う形となり、二つの視線が絡み合った。

 

「――お前は、俺達に何をさせたい? 前世がどうの、真実の愛がどうだの、どうにも要領を得ない。何もかもが浮ついて、実体の無い誤魔化しばかりだ」


 アーノルドも腹の探り合いは嫌いではないが、いい加減に鬱陶しさが極まる。

 

「知っているんじゃないのか、ラウル・ルスバーグ。前ハインツ男爵の死の理由と、ウィンダリア子爵との関係を。ラ=ズリの絵が持つ真の価値を」


 知らないとは言わせない。剣呑な雰囲気さえ漂わせ、そう詰め寄るアーノルドに対し、ラウルは唇を綻ばせた。

 

「君は動きが早いなぁ。一時的にせよ、王都の外に出た思いきりの良さも認めよう。レモーネが事実上の行動不能状態にあり、レーベンガルド卿は屋敷から動けない。この機会でならと、そう踏んだのだろうが――」


 謎めく笑みを浮かべたまま、ラウルはワイングラスを、大きく振った。

 

「――!?」


 縁から零れ、宙に舞った琥珀色の液体。

 アーノルドに降りかかるかと思われたそれは、()()()()()()()()()()

 

(いや、違う。動いてはいる。ひどくゆっくりと、まるで時の流れが遅滞したかのように――)


 やがて、再度グラスが揺れ動く。今のは夢か幻か。液体は円運動をするかのようなグラスの動きに縫い止められ、その全てが再びガラスの中に納まってしまった。

 

「ルスバーグ公爵家には、ひとつの伝承がある。親から子へと受け継がれてきたものだ」

「公爵家の……?」

「あぁ、兄上はそれを知っていたからこそ、らしくもない試しを行ったのさ。クラブの審査は――まぁ、僕にとっては物のついでだね。ギリアム辺りはそうは思っていないだろうけど」


 そして君は合格した。そう、ラウルは微笑んだ。

 とびきり嬉しそうな、何処か狂気さえ孕んだ眼差し。期待に輝く瞳は、アーノルドを通り越し、別の誰かを垣間見ているかのようだ。 

 

「尊ばれる立場なのだよ、君と奥方はね。奇跡のような存在だ。少なくとも、このルスバーグ公爵家にとっては、そうだ」

「俺とマリーベルが、初代夫妻の生まれ変わりだとでも言うつもりか」

「君も、もう気が付いては居るのだろう? 節々で感じるものはあった筈だ」


 それについては否定する言葉を持たない。

 アーノルドが黙り込んだのを見て、その顔を覗き込むようにラウルが背を屈めた。

 

「なぁ、聞かせてくれたまえ。君たちは第三の症例だが、仮に君の妻が、前世の記憶を完全に想い出したらどうする?」

「なんだと?」

「それによって、君の知る今の『マリーベル・ゲルンボルク』が消えてしまったら、どう思うね?」


 いや、と。ラウルは首を振る。

 

「逆も、しかりか。君がその過去世を取戻し、性格が激変したら。それは果たして、アーノルド・ゲルンボルクと呼べるのだろうか? 記憶の流通、それはすなわち価値観の推移だ。考え方そのものに、別の人間の心情が混ざり込む。それが幸福か不幸か、当人にも分からぬのではないかな」


 段々と、アーノルドにも呑み込めるものがあった。ラウルの意図するそれが、誰の事を指し示すのか。気付かぬ筈も無い。

 

「……ウィンダリア子爵の事を言っているのか」

「へえ?」



『転生者を許さない』



 あの、騎士人形との激闘の際。憎しみに目を焼き焦がせた娘の、爛々と輝く眼差しを思い出す。 


「二十五年前の話だが、調べれば分かる。当時の事を知る者も少なくは無い」


 穏やかで人格者だった、彼の子爵。美しい妻と可愛い娘、愛する家族が何よりの自慢だったという男。

 それが、ある時を境に。その性格を大きく変じさせたと、彼の知り合いや友人であった者達は口々に語った。

 

「大陸争乱期の絵画を集め始めたのも、その頃だったそうだな? そして、ハインツ男爵家に近付いたのも――」


 推測に足る、材料はあった。それは他ならぬ、目の前の『名探偵』が語ったものだ。

 

「やはり、そうなんだな。ウィンダリア子爵もまた、前世持ちか」

「そうだね、その通りさ」


 あっさりと認めるラウルに、アーノルドは舌打ちをした。

 

「伝え聞く所と、集めた絵画から察せられるアーラス王への執着。だとすると、もしや『それ』か。ウィンダリア子爵の前世は、このルスバーグ家の前身だった公爵家。二百年前の『王太子交代事件』の首謀者として罰せられた男」


 ――ブルム・テンダリア。

 

 王宮事件の際、夜会に出たアーノルドにラウルが口に出した名。

 そして、それが真実ならば。同じく前世を持つと語る、ラウル・ルスバーグの転生前の正体は。

 

「お前はあの舞踏会で言ったな。転生には三通りの例があると。前世と今世を切り離す者、途中から思い出す者。そして、初めから記憶を備えて生まれ変わって来る者」


 前者がアーノルドとマリーベル。後者がウィンダリア子爵とするならば。

 最後の例は、恐らく――

 

「当時、公爵家の当主であり、宰相でもあったブルム・テンダリアの名を、親しみすら込めて呼び捨てに出来るほどの間柄。そも、ルスバーグ公爵家は元を正せば血筋は元王太子である、初代当主に遡る。転生に纏わる原因の一つが仮に血に拠るものだとすれば、お前の前世は王家の筋か」

「凄いね。君も探偵になれるんじゃないか?」

「俺は商売人だ。人の懐は探っても、それ以外は専門外に決まってる。推理小説が大好きな、うちの奥様の受け売りさ」


 おどけるように言いながらも、視線は外さない。

 ラウルもまた、その笑みをより深く歪め、アーノルドをじっと見つめたままだ。

 

「お前が愛に拘るのは、もしかして前世の恋人か、妻辺りが理由なのか? 同じように転生を果たしたのかと、探しているんじゃないか」


 いや、そうではないか。アーノルドは首を振った。

 この迷探偵の事だ。何らかの確信が無ければ動くまい。


「心当たりがあるんだな。そして、その人物は俺やマリーベルと同じ症例――」

「怖いな、君は。これ以上話していると、丸裸にされてしまいそうだよ」


 顎先を引き、ラウルが床を蹴って後ろに下がる。

 その仕草が、アーノルドの推測が真実であろうと、何よりも如実に物語っていた。

 

「――ミスター・ゲルンボルク。主がお呼びにございます」


 重ねて疑問を放とうとした、刹那。

 控えめな声が、二人の間に割り込んだ。

 

「公爵閣下が? 俺に?」


 ついぞんざいな口調で言い放ってしまう。何故ならこちらに声を掛けたその女性は、アーノルドが知る人物であったからだ。

 

「やぁ、瑠璃! 今宵の君も綺麗だね! 本当に美しいよ! ささ、こちらに来て一緒に涼もうじゃあないか!」

「お戯れは止めて下さいませ、ラウル様。お客様の前です。品格が疑われますよ。今さらの事ではございますが」


 使用人の物とは思えない、辛辣な言葉。手厳しいね! 等と言いながらも、ラウルの顔は実に嬉しそうだった。

 そうして、アーノルドは気付く。以前から、この使用人を見るラウルの眼差しは、妙に親愛が籠っていた。

 月明かりに照らされた少女――瑠璃の横顔を見つめる彼の瞳。そこに一瞬、影が差したように思った。

 切なさすら感じる、確かな慕情の色。時折、妻が自分に見せるそれと同じもの。

 

(……まさか。コイツが追い求めている『真実の愛』の、その相手とは――)


 何にせよ、今宵の所はここまでか。絵画を集めたのが誰であるか、それとなく探ろうと思ったが、明かしはしまい。

 そも、公爵閣下を待たせるわけにもいかないだろう。

 肩を竦め、ラウルの横を通り過ぎる。

 

「あぁ、そうだ。ラウル・ルスバーグ閣下。ひとつ、聞き忘れた事がありましたよ」

「何だい?」

「百年近く前、このルスバーグ公爵家に、一人の令嬢が居たそうですね。『美食伯』夫妻とも親しい間柄だったとか。瞳の色こそ違えど、彼女は初代公爵夫人の再来とも噂された、美しき容貌の持ち主であったようで」


 ラウルの表情が、一瞬固まる。

 それを見逃さず、アーノルドは言葉を重ねた。

 

「年若くして儚くおなりになられたと聞きますが、それは本当なのでしょうか」

「何が言いたいのかな?」

「いえ、単なる世間話ですよ。妻の容姿とよく似た女性。しかも私は初代夫人の愛好家ですからね。気にならないわけがない」


 瑠璃とラウルの間に挟まれる位置で立ち止まり、アーノルドは背中越しに首だけを傾けて彼を見た。

 

「リリアナ・ルスバーグ。貴方の曾祖伯母に当たる方だ」


 それに対し、返ってくる答えは無い。アーノルドは馴染んだ動作で首を竦めると、瑠璃を促し歩き出した。

 

 反応は得た。後は確証が欲しい。

 焦り、逸る気持ちを抑え込む。不安の影が消えてくれない。マリーベルの顔が、ふと脳裏に浮かび上がる。

 体の奥底から、魂の根本から、それは生じてがなり立ててきた。

 

 屋敷に入るその直前、見上げた眼に映ったのは、煌々と輝く不気味に満ちた、月の姿であった。


次回は7/18(火)に更新いたします。

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