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97話 ただいま


「……考える事が多くて、知恵熱とか出しそうです」


 がたごとがたごと、車に揺られながら、大空を見上げてマリーベルはそう呟く。

 雲一つない、昼下がりの蒼い空。快晴というやつだろうか。

 暖かな日差しに照らされながら、しかしマリーベルの心は今一つ晴れ渡りはしない。

 

「まあなぁ。一つ謎が明かされたと思ったら、すぐに次が沸いてきやがる。油虫かてめえはって感じだぜ」

「想像すると嫌なお気持ちになるので、その単語はお控えください」


 うぇぇっとマリーベルは、はしたなく舌を出す。

 今、自分達が居るのは王都郊外。周りにあるのは木立ばかりで、人気は無い。

 王宮では常に他人の目に晒されていたことを思うと、何だか爽快感があった。

 

「まぁ、王太子様もちゃんと人を愛する御心があったようで、そこは何よりです。振り回されたフローラ様がなんじゃそら、って感じではありますが」

「男も色々あんだよ、色々と」

「そうやってすぐに誤魔化す、目を逸らす。口笛まで吹いたらやましさ満点ですね」

「それは初めて会った時のお前だろうが」


 そんな過去はもう葬り去った。マリーベルはいつだって今を生きる女なのである。

 

「都合の良い頭をしてんな、おい!」

「それが私の取り柄ですので!」

「胸を張る事か、ったく……」


 前から伸びた手が、ぐしゃぐしゃと、頭を雑に撫でてゆく。

 向こうでは髪が乱れるからと、流石の夫も遠慮をしていたようだった。

 その温もりが何だか久しぶりに感じ、マリーベルは心地良さそうに目を細めてしまう。

 

「最近、隙あれば惚気るようになったわね……」


 横合いから届く苦笑の響きに、マリーベルはハッとする。

 

「羨ましいですか、レティ! 安心してください、貴女の心の隙間は私が埋めて差し上げます! いえ、私にしか出来ない! 

あぁ、我が女神! 我が天使! 叶う事ならすぐさま貴女をさらい、二人きりで心ゆくまで愛の睦言を囁いて暮らしたい……!」

「前を向いて頂戴、ディック」


 東洋格言色惚け男(ディック)の言葉を、レティシアが冷たく撥ね付ける。

 いつものやり取り、いつもの光景。それが、マリーベルの心を暖かく和ませる。

 

「お怪我の具合は大丈夫ですか、レティシアさん?」

「ええ、これくらいは何てことないわ。少し骨にヒビが入っただけよ。それもあの薬のお蔭で随分と楽になった。払った代償がこの程度なら安い物よ」


 お得な買い物をしたわ、的な笑顔で頷くレティシア。その美しく淑やかな横顔には、満足げな色さえ浮かんでいる。

 普通のご夫人は、骨にヒビが入ったら大騒ぎなのであるが。一体全体、彼女の過去には何があったのか。

 聞いてみたくは思うが、マリーベルは口を閉ざした。言いたければ、向こうから話して来るだろう。

 多分、あまり愉快な武勇伝ではないくらい、想像は付く。

 

「だからと言って、怪我人には違いがないのですから。静養は大事ですよ、レティ」

「はぁい、旦那様。よぅく存じておりますわ」

「存じてねえだろ、絶対。俺が言うのも何だが、休みを取れ、休みを。お前、放っておいたら不眠不休で三日とか動くだろ」


 アーノルドの言葉に、失礼ね、と。レティシアは不満げに鼻を鳴らした。


「本気を出せば一週間は可能よ」

「やるな、って言ってんだ! 出来るかどうかは、この際関係ねえの! いいから、旦那といちゃついてろよ。俺が許すから」

「お許しが出ましたよ、レティ! 知ってますか? これをお墨付きと言うのです! このむさ苦しい男を送り届たら、さっそく愛の営みを行いましょう!」

「むさ苦しい、は余計だって言ってんだろ! いい加減お前は、雇用主に対する態度っつうもんをな……」


 ぎゃいぎゃいと喧しく喚きながらも、三人はとても楽しそうだった。

 マリーベルが少々嫉妬に駆られてしまいそうなくらいに、愉快気なやり取り。

 

「ったく、すまねえなマリーベル。毎度のことながらうるさくしちまって」


 あきれ果てた、というように。いかにもうんざりとした表情を顔に貼り付け、アーノルドが妻へと振り返る。

 友人達とはしゃぎながらも、マリーベルをそれとなく気遣うその仕草。自然にそれを行う彼を見て、鼓動が微かに跳ねた。

 そういえば弟や妹が居たのだったか。女心には疎い割に、こちらの寂しい気持ちにはすぐ気付く。

 

 ――本当にズルイ旦那様だと、そう思う。

 

「そうですねえ、たまには旅行とか、如何です? 商会長を見習って海水浴とか素晴らしいかと。蒼い海、砂浜に寄せる白波。照り付く日差しと、そこに輝く我がレティ。これはひょっとして美の極致では? 尊すぎて目が潰れそうです。おぉ、神よ……」

「ちゃんとハンドルを握ってね、ディック」


 片手で聖印を切り始めた夫に、レティシアが釘を刺す。

 彼女の顔も、しかし何処となく楽しげであった。

 

 レティシアが傷付いた様を見て、さぞかし大騒ぎをするかと思いきや、案外とディックは冷静であった。

 自分の無茶の結果、彼女が怪我を負ってしまった。それをマリーベルが詫びた際、彼は涼やかに笑ってこう言ったのだ。

 

『お詫びなど不要ですよ、奥様。この件に関して、誰かを責める事などしませんし、出来るわけが無い。それは、妻の覚悟と行動を侮辱する事になります』


 普段、軽口ばかりを叩くマディスン夫妻。彼らを繋ぐ絆の深さ、強固さが、マリーベルは少し羨ましく思う。

 自分達も、この二人のようになれるのだろうか。

 

「あぁ、その……なんだ」


 マリーベルがそんな事を思っていると、不意に夫が声を上げた。

 どうしたのだろうか。どこか照れ臭そうに、頬を掻きながら、彼は意を決したように口を開く。

 

「今回は、面倒を掛けたな。本当に助かったぜ。ありがとうな、二人とも」


 その台詞が、意外であったのだろうか。

 夫妻は顔を見合せ――そうして、微笑んだ。

 

「いつもの事ですから」

「いつもの事だもの」


 異口同音に、発せられたその言葉。

 きょとんとした顔のアーノルドがおかしくて、可愛らしくて。

 淑女の姿勢は何処へやら、マリーベルは声を上げて笑い出した。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 屋敷前で下ろしてもらい、冷やかしの言葉と共に立ち去るディック達を見送ったのち。

 マリーベルは門をくぐりながら、意気揚々と喝采を挙げた。 

 

「おぉ、懐かしきは我がお屋敷(アンソニー)! いやぁ、帰ってきた! って感じがしますね!」

「その名前で定着させんのか……? というか、懐かしいも何も十日かそこらしか経ってないだろうに」

「いや、体感的にはひと月以上の濃さがありましたって。ちょっと密度が在り過ぎて未だに足元がふらつきますもの」


 それだけ、激動の十日間を潜り抜け、我が家に戻ってきたのだ。

 感慨もひとしおである。

  

「まぁ、そうか。そりゃそうだな。お前の言う通りかもな」

「あれれ? 何だか妙に素直ですね。さっきのディックさん達への労いといい、らしく無さ過ぎてちょっと不気味です」

「もう少し言葉を選ぼうな! やめろ、胡散臭そうに腰を引かせるな、構えを取るな! 俺は偽物じゃねえぞ!」


 いけないいけない、アレは少しマリーベルの心的外傷になってしまったらしい。

 淑女キックの構えを解除し、誤魔化すように口笛を吹いた。


「露骨な態度を取りやがって……!  別に、大したことじゃねえよ。人間、素直に口へ出さなきゃいけない事もあるって、そう思っただけだ」

「王太子殿下とフローラ様の事ですか?」

「まぁ、それもあるが……」


 それだけじゃない、と。アーノルドはマリーベルの頭にぽん、と手を載せる。

 それきりだんまりの夫に、少女はぷくりと頬を膨らませた。

 今、こういう時こそ口に出すべきものがあるのではないか。どうなのか。

 

 そんな妻の態度をどう思ったか。愉快そうにアーノルドが頬をつついてくる。

 その指先にされるがままになりながら、マリーベルは夫の胸元へ目を向けた。

 

「アン、ここのところだんまりですね」

「ん? あぁ、そうだな……」


 アーノルドもまた、眉をしかめて懐中時計を取り出す。

 ここ数日間、ずっとこんな調子なのだと夫は告げた。

 彼女は尋常ならざる身の上だ。何か、『祝福』的な不調があったのではと心配になる。

 

「ここのところ、あちらこちらへと同行させちまってたし、それが良くなかったかもしんねえな……」


 それとなく、具合を尋ねて様子を見てみよう。気遣うようなアーノルドの言葉に、マリーベルも同意する。

 彼女は、敏腕メイドである以上に、自分にとって大切な存在だ。今となってはもう、お屋敷にアンが居ない等とは考えられない。

 

「さっき『伝言』を残していったときは、声の調子が明るかったから、大丈夫だとは思うんだがな」


 ――先に帰って準備をしております。

 王宮を去る間際、それまで黙っていたアンが唐突に口を開いてそう言ったのだ。

 

 不安げな妻をなだめるように、そっと頭が撫でられる。

 その温もりに身を委ねながら、マリーベルは目を閉じた。

 

 ここの所、色々とあったせいか、少し不安定になっていたようだ。

 これからも舞踏会に社交にと、やるべき事は幾らでもある。

 よしっと。気合を入れ直したマリーベルの耳を、夫の唇が掠めた。

 

「お前のそういう前向きな所が、俺は好きなんだろうなあ」

「ほへっ!?」


 慌てて耳を抑えて見上げると、顔を少し赤くした夫が、そっぽを向いていた。

 

「今、なんて!? なんて言ったのです!?」

「いや、その……まぁ、いいじゃねえか」

「良くないです、良くないです! 素直に口に出して! ほら、早く! 有言実行!」


 為すべき時は今ここぞ。鼻息も荒く詰め寄る妻をかわし、アーノルドは足早に歩き出した。

 ――ずるいずるい、旦那様はズルすぎる!

 その腕をしっかりと抱き留め、引きずられるようにしてマリーベルも足を進める。

 

 手入れが行き届いた、可愛らしい花壇を通り過ぎる。

 満開となった寝ぼけ花に見送られながら、涼やかな風に押されるようにして、二人は扉の前に立った。

 

「――お帰りなさいませ、ご主人様、奥様」

「お疲れ様、二人とも!」


 ノックする間もなくそれは開き、中から見慣れた二人が姿を現した。

 

「色々と大変だったんだって? アンに聞いたよ。オイラじゃ想像も付かない事があったんだろうなぁ……」

「お顔に出ておりますわ。とにかく今は、疲れを落としてくださいましね」

「そうそう、夕食は楽しみにしておいてよ。マリーの好きな物を山ほどに用意しておくからさ!」


 ――あぁ、と。マリーベルは思った。

 帰ってきたのだ、帰ってこれたのだ。我が家に、皆の元に。

 じわりと滲む視界が、横からそっと拭われる。


「さ、行こうぜ。美味いメシと暖かいベッドがお待ちかねだ」

「はい……っ!」


 背中をそっと押され、マリーベルは屋敷へと足を踏み入れる。

 微笑ましげにその様子を見守る、ティムとアン。その姿がまた、胸にじんわりとした熱を産む。

 何かを待つような二人の気配に、あぁ、と。今さらながら少女は気付く。

 そうだ、そうだった。自分は一言、大切な『それ』を告げていなかった。

 

 心身共に疲れ果て、傷付き失ったモノもある。

 けれど、今は。今だけは。

 背に触れる、夫の温もりに身を委ねながら、とびっきりの笑顔で微笑む。

 

「ただいま……!」


 息を吸い、声を高らかに。

 万感の想いを込め、マリーベルはその言葉を告げた。



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