第69話 出来損ない少女と罪の代償
マナは温泉で新たな気持ちになり、少し時間を貰って温泉街を散策していた。
今日の付き添いはヘンリーだ。
キリュウは少し前に温泉を出て行ったそうで、オラクルは義父に付き合わされているらしい。
フィフティ家に入ったために、色々付き合わないといけないようだ。
イグニスは街で地酒の飲み歩きらしい。
「アシュトラルももう少し待ってればフィフティちゃんと回れたのにね~」
ヘンリーも気が抜けているのか、屋台で買った串肉を頬張りながらマナと歩いている。
その緩み具合にマナは苦笑する。
「キリュウは何処に行ったの?」
「なんかフィフティ当主に頼まれものだってさ」
「お義父様に?」
「こき使われているんでしょ。フィフティちゃんを傷つけた罰じゃない?」
「………そんな小さい器じゃなかったと思うけど……」
「それはフィフティちゃんに見せてないだけでしょ」
ヘンリーの言葉はいまいち理解できずに、マナは曖昧に笑う。
「そんなに気になるなら通信してみれば? すぐに飛んでくるでしょ」
「………それは悪いよ。お義父様が頼んでいることなんでしょ? 重要なことだったら困るし……」
「そうだね」
そうこうしていると、視界に見知った人物が映った気がした。
マナはその方向を向いた。
「フィフティちゃん?」
「………ぁ、れ……気のせい……?」
「どうしたの?」
「ぁ、ちょっと知った人を見た気がしただけ。気のせいだったみたい」
「ふぅん? 気になるなら行ってみる?」
「ぇ……ぁ……うん」
悩んだがヘンリーの言葉に頷き、マナは建物の間の路地に向かった。
覗き込むと二人の人影が見え、ヘンリーに腕を引かれて物陰に隠れる。
何故隠れる必要があるのだろうか。
マナが疑問に思っていると、二人の人影が近づき、去って行った。
「………」
「あちゃ~……あれはアシュトラルとヤギョウちゃんじゃなかった?」
「………ヘンリー、それはわざと?」
「あはは、ごめんね~」
マナはヘンリーを半目で見た。
確かにマナの目にもキリュウとアンナ・ヤギョウが映っていた。
「でも、なんでアンナ・ヤギョウがここにいるのかしら」
「………あれ? フィフティちゃん?」
「何?」
「何って……アシュトラルとヤギョウちゃん、腕組んでたよ?」
「………それが?」
キョトンとしてマナは首を傾げる。
「いや、すぐに駆け寄って何してるか問い詰めるとか……」
「………なんで?」
「何でって……フィフティちゃん、アシュトラルの事…好き、だよね?」
「うん」
即答するマナにますますヘンリーの顔が困っていく。
「その……嫉妬するとか…」
「………あのね…」
マナはヘンリーに困った顔を向けた。
「………私、一回オラクルの方に一瞬でも気持ち向いちゃったから、一応浮気しちゃったって事になるんですけど…」
「そうだね。………って……え!? ラインバーク様に気持ち向いたことあったの!?」
ああ、言ってなかったっけ……とマナは苦笑する。
「………その私がキリュウにどうこう言う資格あると思う?」
「ぁ~……」
「しかも私、オラクルと子を持たないといけないのよ?」
「うん」
「………更に罪を犯してキリュウを傷つけるって事になるのに、私が何か言える事は無いと思うよ」
マナの言葉に、ヘンリーはなんとも言えない。
ヘンリー自身も、オラクルとの仲を応援すると言ったばかりだ。
ヘンリーもマナのようにキリュウにどうこう言える立場ではない。
マナもマナでまだ何もキリュウと話し合っていない段階で、女王を納得させる手段を持っていない。
まだオラクルと子を持たないといけないのは変わらない。
今の段階では、そう言うしかない。
「………なぁんかフィフティちゃん、悟ってる?」
「罪は背負って生きていくって誓ったから。あれが私のしたことの罪ならば、受け入れる」
「そっか。でも、先にフィフティちゃんを傷つけたのはアシュトラルだよ。その傷をアシュトラルにまだ返してないじゃない。なのに、我慢するの?」
「我慢っていうか……そういうのって回数とか、重いとか軽いとかじゃ無いと思うから」
心が傷つくということは、人それぞれ重みが違う。
マナがキリュウの心に傷を付けた事は、間違いなく重罪だと思っている。
キリュウに子供は望まれてないと知った時、凄く傷ついた。
けれど、マナは自分がした事の方がキリュウを傷つけたと思っている。
女王にオラクルとの子供にすると、フィフティ家に引き取られると聞き、実は心底安心した。
オラクルとの子供、と偽らなければならないが、愛する人の子供をこの目で見られる、見続けられると。
キリュウに否定された子供を産める事が、マナの救いになった。
この子を産めるのなら――
どんな事でも耐えようと、決意した。
その時のマナの決意が、更にキリュウを傷つけたと思う。
だからそれ相応の代償を支払わないといけないと…どんな代償でも甘んじて受け入れると決めた。
その結果、先程の光景がどんなに胸を痛くさせていても、誰にも悟らせない。
今はマグダリア・フィフティであって、マナ・リョウランではない。
現在、ヘンリーに笑いかけながらも、マナの心は悲鳴を上げている。
でも自分はマグダリアなのだと、痛む心は奥底に沈められる。
結果的に一人二役の今の状況は、マナにとって自分の心を偽るのに都合が良かった。
まるで芝居の女優のようにマグダリアを演じられた。
それが他人にとって良いことなのか悪いことなのかは別にして。
でもマグダリアなら、冷静に考えることが出来た。
マグダリアの夫はオラクルで、オラクル以外に恋心が向いていると思われてはならない。
その事がマグダリアの思考をより冷静にする。
「っと、そんな事話してる場合じゃないわね。アンナ・ヤギョウは何のためにここにいるのかしら」
「だよね。だって王宮魔導士である彼女は自由に王宮を出られないはずなんだから」
「………」
ヘンリーと共に考えるが、もう既に王宮魔導士じゃない二人には分からなかった。
「………オラクルに聞いてみましょうか」
「え? ラインバーク様に? でもラインバーク様ももう王宮魔導士長じゃないから分からないんじゃない?」
「遠征の間の休日があるとかなら、長年の経験…というかオラクルが計画組んでいた時とか、王宮魔導士時代の事は分かるでしょ。私達より王宮魔導士時代が長いんだから。大体十余年ぐらい?」
「成る程ね~。………一応聞くけど、追いかけなくて良いの?」
「マナなら追いかけたかもしれないわね」
言いながらマナは温泉に入っていた建物へと向かう。
「ああ、今はフィフティちゃんだもんね。愛おしい旦那に会いに行く方が正しいか」
「………その、“愛おしい旦那”って言うの、やめてくれる?」
「え? 愛してないの?」
「………はいはい。アイシテマスヨ」
ヘンリーの軽口に付き合いながらも、マナは勿論ヘンリーも、表情は硬かった。
キリュウらしからぬ行動。
不自然なアンナ・ヤギョウの存在。
二人の思考を休暇から仕事に切り換えさせるのには十分な要素だった。




