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ある日、子どもが不登校になりまして  作者: 千東風子


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20/20

おーわり!

 

 こうして、娘の不登校は中学校卒業とともに終わりを告げ、ひとまず闘病もひと区切りとなった。


 だが、娘が不登校になったきっかけや理由について考えてしまうと、中学校に怒りが向く。

 娘は怒られないように失敗を恐れた結果、自己肯定感が根こそぎなぎ倒された。教育機関ってそれじゃダメだろ。ましてや義務教育。


 そう考えてずっとずっとモヤモヤした怒りを中学校に対して持っていたのだが、ある時、その怒りがやるせなさになって自分自身に向いた。


 私の知り合いとご飯を食べていた時のこと。

 娘の不登校の話になり、流れで私が仕事を退職して家にいるようになった途端に娘が回復してさ~的な話をしたら、言われた一言。


「安心したんだろうね」


 安心。

 安心……、心が安らぐと書いて安心。

 私は、ずっとフルタイムで働き、本当に家には寝に帰るような日も多くあり、朝は子どもたちより早く家を出て、夜は寝ている子どもたちの顔を見る日々だった。娘が中学校に上がったあたりから仕事量が増え続け、不登校になったあたりがマックスだったような気がする。

 私は家に帰って子どもたちの顔を見て癒やされて充電して「また明日も頑張るか~」となる。


 では、子どもたちは?

 家にいない母親。晩ご飯も作り置きか出前か、父が作ったご飯を母のいない食卓で食べ、風呂に入って寝る日々。


 あれ、もしかして、もしかしなくても、子どもたちにとって家は安らげる場所じゃなかったんじゃなかろうか。

 寂しい思いをさせてしまっているとは思っていた。だが、家にいても孤独を感じた上に安心もできていなかったのだとしたら。

 子どもたちは少し年が離れているので、生活時間も違う。灯りのついていない家。音もなく、夏は暑く冬は寒い。出る時も帰る時もそれぞれ。具合が悪くても一人寝ているしかない。むしゃくしゃしても話したいことがあっても、下の娘は家に一人。


 学校に行くのが怖くなって、でも、行かなきゃ行かなきゃと自分を追い詰めた娘。

 どんな人だって何かしらのストレスは受けて生きている。そのストレスをうまく解消してバランスを取らなきゃ回復が追いつかずに疲れ果てて弱っていく。疲れを癒やすには、安心して緊張を緩める場所が絶対に必要だと思う。


 家は、私は、子どもたちにとってそうであれたか?


 否。

 どんなに自己弁護して他責しても、答えは否。

 そう思ったら、申し訳なくて、やるせなくて。

 もし、家が安心できる場所で、学校のストレスをきちんと毎日回復できていたならば、娘は発症しなかったかもしれない。

 子どもたちは、仕事をする私の姿から何かしら得ているものもきっとあったはず。それでも、過去に戻って選べるとしたら、私はどうしただろうか、と考えてしまった。


 全部タラレバだけれども。


 子育てと呼べる時間はどこまでだろうか。子どもたちが自立して巣立っていくまでだとすれば、残り時間はあと少ししかない。


 過去には戻れない。でも、子どもたちと一緒の未来はまだある。

 私は全力で子どもたちを甘やかすことに決めた。旦那がなんと言おうが、デロッデロに甘やかす。


 この話の中に父親である旦那があまり出てこなかったことにお気付きかもしれないが、うちは片親ではなく父親が存在する。

 こんな大変な時にお父さんは何してんだよ……と思われるのは可哀想なので、少し触れておく。


 旦那は子どもたちを溺愛している。私の帰宅が遅いので、旦那が晩ご飯をつくことも多く、子どもたちはお袋の味ならぬ親父の味で育ったと言っても過言ではない。むしろ私も旦那の味で育った。横に。

 おむつ替えも風呂も寝かしつけもなんのその。赤子の娘が風邪で鼻を詰まらせれば、自分の口で吸ってぺってする。いや、鼻吸い器あるけど、と思いながら、私にはできないことをやるほど、旦那は子どもたちと接してきた。私の仕事の都合がつかなければ、旦那と子どもたちの三人で旅行にも行くくらい、子どもたちもパパっ子だった。

 だが同時に、旦那は父親として子どもたちを正しく導いてやらねばと、きちんと厳しい存在でもあった。


 やがて子どもたちは思春期に入り、今までのパパっ子ぶりがそのまま反転して没交渉になった。年頃になると異性の近親者が生理的に無理になるのは人間の本能として仕方のないことらしいが、今までが蜜月だっただけに、その振り幅に驚くほどだった。

 一緒にご飯は食べるけれど、会話は最低限。旦那もどうして良いか分からずにおろおろと距離を置くだけ。それでも、旦那は子どもたちのことを気にかけていた。


 そんな中での娘の不登校。

 詳細は省くけれど、上の娘もここ数年、波瀾万丈だった。

 それらを機に、自分の働き方とか、経済的な展望とか、家族としてのあり方とか、子どもたちの人生や自分の人生について、きちんと向き合わざるを得ず、苦しくもがいた時間を経て、良い方向に進めたと思う。

 それは、旦那が私の退職を賛成し、少ない小遣いに納得し、生活費と学費を捻出して養ってくれているから。

 子どもたちと直接関わるのは主に私だけれども、旦那もしっかり家族を支えてくれている。


 私は退職して家にいるという選択をしたけれど、人生は、個人、家庭、経済力、会社、地域がとても複雑に絡み合っていくもの。そして一番予想不可能なのは、感情だと思う。あんなに色んな理由をつけて辞めたくなかった仕事をスイッチが切り替わるように辞められたのは、このまま子育てが終わってしまう焦りと寂しさという私の感情ひとつだった。

 複雑な環境ではベストな状態も揺らいでいく。要所要所でベターな選択に選び直していくしかない。


 起立性調節障害は思春期に発症することが多い身体の障害だ。八割の人が改善し、二割の人は自分の持病として付き合っていくことになるという。

 たとえ改善しなくても、医師は『自分は午前中に弱い』と認識し、午後から活動できる学校や仕事を選べばいいだけだと言った。

 たくさんの患者を診てきた経験から、社会に自分が合わせるのではなく、自分が合う環境を選んで生きればいいんだと教えてくれた。

 学校に行けなくても、それは「ちゃんと休めて偉いね」と声をかけてあげてくださいね、とも。

 学校に行かなくても、何かを学びたい、学ばなくてはと思った時にまた勉強すれば良いだけで、それには体調を整えることが一番。それで良いんだと。


 今でも娘は時々夜中にひとりネガティブキャンペーンを展開しているみたいだけれども、朝起きて学校に行き、自分で見つけてきたバイトで稼ぎ、定期テストに苦しみ、友達と遊んで帰ってくる。

 上の娘も落ち着いてきて、二人は家に帰ってくるとこう言ってくれるようになった。


「やっぱり家が一番落ち着く」と。


 たくさんの人に支えてもらって、やっと、子どもたちが安らぐことができる場所になれたのだと思った。







 今、苦しんでいる人やその人の側にいる人は、どうか深呼吸して、『こうしなければならない』とか『こうでなければならない』とかは一回横に置いて、身体を一番大切にしてほしい。

 身体がしんどいと心も弱る。

 決められたことや自分で決めたことができないと自分を責めてしまうかもしれないけど、どうかそれすらも自分だと認めることも大切だと思う。

 つらいけど、それも自分だと認めると、私は視野が広がった。

 更に一歩退いた広い視野で見ると、意外に選べる道がたくさんあることに気が付くかもしれない。そうしたら、もっと気が楽になる。


 どんな形でも明けない夜はない。信じて、諦めずに、気負わずに、不登校や病気と向き合っていくと、必ず区切りはくる。終わりじゃないかもしれないけれど、区切りがあると未来がもっと見えてきた。

 ひと区切りを迎えた私のこの話が、読んでくれた人の支えにほんの少しでもなれたら、とても嬉しい。



読んでくださり、ありがとうございました。


とりとめのない私の呟きでしたが、不登校や起立性調節障害のことを残しておこうと書いたものです。


今、娘はたくさんのことに悩みながらも元気に学校へ行っています。

将来、進学するのか就職するのかで、私がまた働かなければならないかが変わりますが、ひとまず、私はこれからも家にいる人です。


色んな家庭があるので、何が正解かは分かりません。

うちだって、いつか私が仕事を続けてさえいれば……と思う将来になるかもしれません。でも、その時がきたらまた悩んで考えて、まわりに助けてもらいながら、腹を決めていきたいと思います。


でも、きっと、なんとかなります。

元気はさておき、生きているので。


長い話にお付き合いくださり、ありがとうございました。また別の作品でお会いできると嬉しいです。

よろしくお願いいたします。

m(_ _)m


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