九十一話 ワイズマン
「……それってつまり、その魔法師失踪にヴァネサさんが巻き込まれたって事か?」
姿を消したのであればそう考えるのが妥当だろう。
だが、俺の発言をロキが真っ先に否定する。
「いや、それならコイツは、失踪した人間の居場所は教えられないって言い回しを使うよ。こんなナリをしてるけれど、発言には細心の注意を払っている人間だから」
いつになく面白おかしそうにロキはチェスターのルーツを勝手に語る。
言葉には俺にも分かるくらいの親しみや、信頼の感情が含まれていて、チェスターと彼の関係は一体どういうものなのだろうか。
ふと、そんな事を思った。
「少なくとも、チェスターが嘘をつくことは無い。それは親しさの度合いに関係なく、誰に対してもそれは揺るがない。だけどその代わり、コイツは優しくない。聞かれた事を聞かれた通りに答えるだけ。そこには微塵の誤魔化しすらない。それが〝ど〟が付くほどの拝金主義者チェスター・アナスタシアのルールだから」
「おい、ロキ」
勝手に色々とバラしてんじゃねー。
睨めつけるようなチェスターの視線がそう訴えていたが、面の皮の厚いロキはまるで気にした様子はない。
「なら」
そして、ロキの言葉を受けてクラシアが再度口を開く。
「ヴァネサ・アンネローザが姿を消した理由はなに?」
質問の変更。
居場所が分からないとしても、姿を消した理由は知っているのではないか。
問い掛けるクラシアに対し、チェスターはにんまりと意地の悪い笑みを浮かべ
「それは、高く付くぜ?」
差し出すように手を差し伸べてから告げる。
「千万ギルだ」
〝古代遺物〟が買えるほどの額。
王都の一等地にそれなりの家が建つ程の金額をチェスターは何を思ってか口にした。
「その情報が欲しいなら、対価として俺チャンに千万ギル渡しな。そうすりゃ、おめーさんの質問に答えてやる。まさか、タダで情報が得られると思ってた訳じゃねーだろ?」
「……っ」
拝金主義者。
成る程、だからロキはカジノで金を稼ごうとしていたのか。
生半可でない金が、情報を得る為には必要だと予め知っていたから。
「助けて、くれる訳でもないのに情報一つで千万ギルって……!!」
情報に金銭的価値がないとクラシアも思ってはいないだろう。
だが、幾らなんでも千万ギルは高過ぎる。
足下を見ているのではと思わずにはいられない。
「このクソヤローの言う通り俺チャンは〝拝金主義〟でね。信じるのは己の目と耳と、金だけって決めてんだ」
金銭での解決を除いて、交渉の余地はないのだろう。どこか悟ったような澄ました表情は、払うか、払わないかの二択しかあり得ないと告げている。
「にしても、随分と吹っかけるんだな」
「誓って言うが、微塵も吹っかけてねーよ。これは正当な対価だ。寧ろ、内容を考えるとこれでも安過ぎるくれーだ。それと、情を期待してんならやめときな。てめーらがロキの知り合いだろうとなかろうと、それは変わらん。仮に拷問に掛けられようと、金という対価を差し出さない限り絶対に。なにせ俺チャンとそいつは、そういう場所で育ったからな」
仄暗い瞳が向けられた。
これまで殺気を始めとした身が竦むような視線を向けられる経験は多々あった。
チェスターから向けられるその瞳はある意味それらと同種のもの。
刃を向けられている訳ではない。
殺気をぶつけられている訳でもない。
心の奥の奥まで見透かしていそうなその昏い瞳が、眼差しが、俺には空恐ろしいものに思えた。
「ヨルハ」
きっと、オーネストも俺と同じ感想を抱いていたのだろう。
その声音はとても冷静で、そこから先のチェスター言葉に対して抗議するような様子はまるで感じ取れない。チェスターに対してはそれが無意味と悟っているのだろう。
「さっき稼いだ金、ここで出せ。それなりの額あったろ」
「……オーネスト?」
クラシアの呟きを掻き消すように、オーネストは若干、声量を大きくして言葉を続ける。
「勘違いすンなよ。オレさまはただ、こいつの言う相応って言葉の真偽が知りてえだけだ」
棚ぼたで得た金銭とはいえ、たったそれだけの理由で全てを手放す真似が出来る筈もない。
……いや、槍を除いて頓着らしい頓着のないオーネストならやりかねないかもしれない。
だけど、明確な言葉にこそしないが、その発言が不器用なオーネストなりの「優しさ」である事はよく知ってる。
「……うわ。本当にあった」
換金の旨を伝えた際に受け取っていたカードには、先程提示された千万ギル以上の額が刻まれていたのだろう。
現実味がないのか、たった数十分でこれだけの額を稼いだオーネストの運にヨルハは軽く目眩を起こしているようだった。
そんな彼女からオーネストはカードを引ったくるように受け取り、そして突き付けるようにチェスターに差し出した。
「手元にある金で解決出来ンなら、拒む理由は何もねえよ」
オーネストの行動に理解が追いついていないのか。なんで君らそんな大金持ってんの!?
などと一人、疑問を吐き散らすロキの声が場によく響いていた。
「……ん。さっきの言葉、訂正させて貰うわ」
払えると知ったから、改めて足元を見る気なのだろうか。はたまた、今更教えられないとでも言う気なのか。
そんな可能性が脳裏を過ぎる中、
「普通の人間なら損な時期だが、ヴァネサ・アンネローゼに用があるんなら、てめーらツイてる。それも、うんと特別に」
気を良くしたように彼は笑った。
次いで差し出されたカードの額を確認するまでもなく、それを受け取ったチェスターは懐に仕舞い込む。
「ったく、千万ギルで良いって言ってやったのに、ちょいと多いじゃねーか。まぁいいか。俺チャンにしては珍しく、サービスでてめーらに分かりやすく教えてやるよ」
クラシアからの質問の内容以上のことを伝える理由はそれであると前置きをした後、チェスターは俺達に向けて語り出す。
「てめーら、〝賢者の石〟ってもんを知ってっか」
「そりゃまあ、名前くらいなら」
知識だけならば、誰もが知る代物。
だから、言葉通りの意味であるならば答えは「イエス」だった。
しかし、その問い掛けの意味が分からない。
その理由とは、〝賢者の石〟と呼ばれる代物が現実には存在しないから。
曰く錬金術師と呼ばれる研究者達の到達点。
曰くそれを以てすれば、不老だろうが不死だろうが望んだままの力を手にする事が出来る。
だが、あくまで〝賢者の石〟とは空想上のものであり、人々の想像が創り出した産物。
だから、〝賢者の石〟の存在を知っていようが知っていまいが、何においても関係がないのだ。空想上ゆえに、その情報は何一つとして役には立たない筈だから。
だからこそ余計に、チェスターが口にしようとしていた内容が信じられなかった。
「今から二百年前、『ワイズマン』と名乗る大バカが、〝賢者の石〟に限りなく近い物を完成させやがった」
「────あり得ないわ」
チェスターの言葉に、何故かクラシアは反射的と言っていい程に真っ先に反応した。
「ああ、そーだ。あり得ねーんだよ。だが、それを可能とした人間が『ワイズマン』だ。けど、多くの研究者の悲願でもある〝賢者の石〟に限りなく酷似したものを作り上げた筈の『ワイズマン』は、人々に褒め称えられるどころか、その名を強制的に消された。その理由は、〝賢者の石〟もどきを完成させる為に数百という魔法師の心臓を秘密裏に触媒として使っていたからだ」
チェスターのその言葉のお陰で、カチリと失われていたパズルのピースが埋まった音すら聞こえた気がした。
猛烈に、嫌な予感に襲われた。
「そして今から一ヶ月前、多くの研究者を秘密裏に集め、『ワイズマン』のやり方を踏襲して作り上げられた〝賢者の石〟を、一人の研究者がそれを持って逃げ出した。その研究者の名が、ヴァネサ・アンネローゼ」
「……クラシアちゃんのお姉さんが、〝賢者の石〟を持ち逃げした事は分かった。姿を消した理由も、恐らくそれなんだろうね。でも、わざわざ話を複雑にして話す必要があった?」
浅からぬ仲であるチェスターの、「らしくない」行為に、ロキが引っ掛かる。
「大ありだ。つーか寧ろ、本題はこっからだからな。ロキが喋った理由は、あくまで表向き。ヴァネサ・アンネローゼが姿を消した本当の理由は、連中がアンネローゼの人間を必要としていると気付いたからだ。だから、姿を消さざるを得なかった。〝賢者の石〟を持ち逃げしたのは恐らくついでだろーな。本来ならば、『壊す』つもりだったんだろーが、連中の狙いにギリギリで気付いたヴァネサ・アンネローゼに時間はなく、持ち出して逃げんのが精一杯だったんだろーよ」
「……クラシアの家は、研究者の一家だったよな。必要としていたのは、研究者としての腕、か?」
あまり家の事を話したがらないクラシアから聞いている唯一の情報。
だが、俺の言葉に対するチェスターの返事は否定だった。
「研究者は、世界各国から連中が攫って連れて来てやがった。研究者の手は足りてた。連中がアンネローゼに求めていたのは、鍵だよ、鍵」
「鍵?」
「ああ、そーだ。〝賢者の石〟を生成してまで起こそうとしていた連中の目的に、アンネローゼの『血』が必要だったのさ。二百年前に存在した狂人にして世紀の大天才、『ワイズマン』の更なる狂行を止め、魂自体を縛ったアンネローゼの『血』が、『ワイズマン』の蘇生に欠かせないものだったんだよ」
魂を縛る方法など、聞いた事もない。
二百年前には失伝していなかった手段なのやもしれない。
だがそれよりも、
「……蘇生、って言った?」
「言ったぜ? 〝賢者の石〟を連中が作り出そうとしていた理由は、至極単純で、超絶馬鹿げた事をしでかそうとしていたからだしな。連中の目的はな、『ワイズマン』を蘇生したいのさ。なにせ、本当に〝賢者の石〟があるならば、それが出来てしまうからな」
禁忌にして、誰もに根付いた不文律。
研究すら禁じられる死者の蘇生こそが、目的であると聞かされて引き攣る顔を抑えられない。
「……とてもじゃねえが、そんな話、馬鹿正直にゃ信じられねえな」
壮大な作り話だなとオーネストは切って捨てようとする。
確かに、俺もオーネストと同様、壮大な作り話と思わずにはいられない。
だけど、その話が本当ならばヴァネサ・アンネローゼがクラシアにメイヤードに近づくなとわざわざ手紙を送った理由もある程度分かるような気がした。
チェスターの話を鵜呑みにするなら、その『ワイズマン』の蘇生には、アンネローゼの姓を持つクラシアでも問題がないと捉えられてしまうから。
「信じるも信じないも、てめーらの自由だ。俺チャンはただ、対価を支払っているだけ。俺チャンの知ってる情報をてめーらに伝えてるだけだからよ。だが、連中が『ワイズマン』の蘇生を試みているのはほぼ間違いねーよ。半年前に、今も尚厳重に守られていた『ワイズマン』の墓を掘り返した馬鹿がいたらしーしな」
蘇生には、恐らく触媒が必要になる。
生き返らせたい対象の触媒を、墓を掘り返す事で得ていたとしたら、彼の話にもある程度の説得力がついて回る。
だが、
「そこまで知っていて、今の居場所は知らないってのも妙な話だな」
メイヤードの事ならば一番の物知りを自称し、そこまで情報を得てるにもかかわらず、今の居場所は何故知らないのだろうか。
もしや、意図的に隠しているのか。
そんな疑問を抱いた時だった。
「このメイヤードには、俺チャンの目と耳が無数にある。俺チャンは、その目と耳を使って情報を得てる。言い換えれば、目と耳が正常に機能しない場所において、俺チャンはどうしようも出来ねー。たとえば、そう。魔法を使って別の空間に移動しやがった、とか」
国から出て行ったならば、チェスターがそう答えた事だろう。
だからこそ、別の空間に移動という言い回しをしたと捉えるべき。
そんなバカな真似が────と思ったのも束の間。
〝神降ろし〟を敢行した規格外の魔法師、リクによって、そのバカな真似を現実のものに変えられた経験が俺達にはあったではないか。
「……〝古代魔法〟」
「それこそあり得ないわよ。研究者としての腕は頭抜けていた筈だけど、魔法に関して姉さんはからっきしだったわ。〝古代魔法〟を使えるとはとてもじゃないけど思えない」
魔法師であっても、使える人間はひと握り。
本職でもない研究者が、それを学び、使う機会に恵まれるとは俺であっても到底思えない。
しかし、空間に移動する手段を俺達はそれを除いて知り得ないのもまた事実だった。
「別に、本人とは限らねーだろ。使える人間がいた。そう捉えちまえば辻褄は合う。んで、そいつがヴァネサ・アンネローゼを匿った。もしくは、捕まえた。ここに関しちゃ俺チャンの予想ではあるが、状況からしてこれ以外あり得ねーな」









