五十八話 明かされてゆく事実
* * * *
「……あっちは随分と賑やかになってきたわね」
それなりに離れた筈なのに、まだ戦闘音が轟音として聞こえてくるってどんだけ暴れてるのよアイツら。
そんな呆れに似た感情をほんの僅か含ませつつ、逃がされていたうちの一人、クラシアは移動を続けながら呟いた。
「二人とも、無事でいてくれると良いんだけど」
「まぁ、大丈夫でしょ。アレクは兎も角、オーネストのバカは殺しても死なないような男じゃない?」
だから、心配する必要は何処にもないのだとクラシアは言う。
「だから、あたし達はあたし達に出来る事をしておけばいいのよ」
そう口にするクラシア達が向かう先は、
「だから、早く〝ダンジョンコア〟を見つけて戻るわよ」
ダンジョン〝ラビリンス〟。
そのダンジョンコアの在り処であった。
ダンジョンコアには、ダンジョンの難易度によって差があるものの、多くの魔力などが内包されており、その用途は様々。
そしてクラシアは、オーネストが己らを即座に逃す選択肢を掴み取った理由が足手纏い云々ではなく、早くダンジョンコアを取ってこい。
という事であると、短くない付き合いから答えを導き出していた。
「うん。そうだね」
パーティーのリーダーにもかからわず、逃がされた。恐らく、己が補助魔法しか使えないから。
そんな事でも考えていたのか。
あからさまに曇った表情を浮かべていたヨルハであったが、クラシアの一言に小さく笑いながら首肯した。
ただ、そんな中。
「ヨルハ・アイゼンツ」
クラシアでも、ヨルハでもない声————オリビアが何を思ってか、ヨルハの名を呼ぶ。
「唐突ではあるが、一つ、聞きたい事がある」
「えっ、と、ボクに?」
「そうだ。お前にだ」
オーネストとアレクと別れてから、それなりに時間が経過している。
その間、こうして聞こうとしなかったのはオリビアなりに聞くべきか、否かと悩んでいたからなのか。
兎も角。
「お前に兄弟はいるか? 兄か、姉か」
「……へ?」
てっきり、ダンジョンについての質問かと思っていたのだろう。
その脈絡のない質問に、素っ頓狂な声がもれる。
しかしながら、問いかけた張本人であるオリビアの表情は、真剣そのもの。
「いいから答えろ。返事によっては、お前達の力になれるかもしれない」
「力、ですか?」
「疑問なのだろう? あの〝闇ギルド〟の男が、どうしてお前を攫おうとしていたのか。あの時はすぐに分からなかったが、今さっき、漸く思い出せた事が一つある。だから、質問に答えろ。ヨルハ・アイゼンツ」
その一言に、ヨルハとクラシアの表情が引き締まる。
確かにオリビアの言う通り、グロリアのあの一言に関しては、二人の中で解消されない疑問として胸の中に残っていたから。
「わか、りません」
「分からない?」
「……兄がいるのかもしれないし、姉がいるのかもしれない。だけど、ボクには分からないんです」
その答えこそが、ヨルハの家庭の複雑さを明確にあらわしていた。
クラシアは学院時代に聞き及んでいたのか。
隣で複雑そうな表情を既に浮かべていた。
「ボクの家は、家庭環境が、その、ちょっとだけ複雑で」
進んで語りたい話ではない。
何処かはっきりとしないその物言いこそが、その旨を言葉はなくともオリビアに告げていた。
「でも、それがどうかしたんですか?」
「……私が師を探していた事は言ったな?」
「はい。それは、聞きましたが……」
「師を探してるうち、色々あって〝闇ギルド〟の内情にも詳しくなったんだが……その中で、偶然知った名前にお前と同じ〝アイゼンツ〟姓の人間がいた。名を、グラン・アイゼンツ」
彼女にとっての師である〝剣聖〟メレア・ディアルを探す中で知り得た名前。
もし仮に、オリビアの言うグラン・アイゼンツという名前の人間がヨルハと関係がある人間ならば、先の攫っていくという言葉に説明がつかないか? と彼女は言う。
「グラン・アイゼンツ……」
「ただの偽名かもしれないし、偶然姓が同じであったという可能性もある。だが、血は争えないのもまた事実」
ヨルハ・アイゼンツは優秀な人間である。
ならば、その縁者が優秀である可能性は極めて高い。だとすれば、〝闇ギルド〟に身を置き、名前が売れているような立場にあっても何らおかしくはないと。
「もし、繋がりがある人物であるならば、気をつけた方がいい。好意であれ、恨みであれ、連中と関わるとロクな事がない」
それは、まごう事なき事実である。
「ただ恐らく、お前が攫われかけていた理由には十中八九その人間が関係しているのだろう。これ以上を私は知らないが、それでも知っておいて損はない筈だ」
もし、心当たりがあるならば、それを辿ると良いとオリビアは言う。
「……その、ありがとうございます」
「お前らに借りを作りたくないだけだ」
ぶっきらぼうに返事する。
視線は、その時既に言葉を交わしていたヨルハから、クラシアに移っていた。
恐らく、借りとはクラシアに対する治癒の件の事を言っているのだろう。
————……素直じゃないわね。
不器用ながら、どうにかして借りをさっさと返そうと試みるオリビアの態度に、クラシアは小さく笑う。けれど、その笑みは長くは続かない。
「……ぞろぞろとお出ましか」
薄暗くある〝ラビリンス〟最下層。
その景色に紛れるように、黒の外套を頭から被り込んだ怪しげな人影が姿を覗かせる。
その数、二十は下らないだろう。
ぞろぞろと現れた〝闇ギルド〟の人間らしき者達の存在を前に、直前まで浮かべていた笑みが消える。
「クラシア・アンネローゼ」
「何かしら」
「お前、戦えたな?」
治癒特化の人間。
ただ、戦闘もこなせたよなと確認の言葉が一つ。
それは、〝モンスターハウス〟で、戦えていた事実を目にしていたからこその一言であった。
「ええ、分かってるわ」
————あたしも一緒に戦えって事でしょう?
そう言葉を続けようとしたクラシアであったが、
「なら話は早い。ここは私が残る。だから、お前達二人は先に行け」
直後、オリビアの口から紡がれたその一言を前に、ぱちくりと不自然に目を瞬かせ、言葉の意味を頭の中で咀嚼し、理解してゆく。
「〝剣聖〟や、あの〝名持ち〟と比べれば見劣りする連中ではあるが、それでも〝ラビリンス〟の最下層に連れてこられるような人間だ。恐らく、雑魚、というわけではないんだろうさ」
この人数である。
厄介な能力を持った人間も中にはいるかもしれない。
だから、変に時間を食われてしまう可能性を考えれば、ここは己が一人で残った方が効率的だろうと。
「それに、私の目的は〝剣聖〟メレア・ディアルだ。コイツらから聞き出したい事がある」
だから、ここからは別行動といこう。
その申し出に、頭を悩ませる時間は全くと言っていいほどに存在していなかった。
だが、本来のオリビアの目的を考えれば、ずっと共に行動する事は土台無理な話であって、ならば、今はその厚意に甘えてしまおう。
「……分かったわ」
早々とそう結論を下し、クラシアはヨルハの手を引いてその場から脱するべく駆け出す。
「クラシアっ!?」
「向こうはSランクパーティー〝ネームレス〟の古株! だったら、あたし達が心配するような人じゃないでしょ」
向こう見ずなところはあるが、その実力は折り紙付き。
そんな人間が、任せろと言っているのだ。
ならば、彼女にここは任せてしまって早いところ〝ダンジョンコア〟を見つけてしまうべき。
何より、オリビアとはどうせ遅かれ早かれ別れる事になっていた。
ならば————。
「それに、急がなきゃいけないのは多分アレク達の方。あのバカがあたし達を逃したって事は、相応の理由があったって事な筈。だから、今はそっちを優先しないと。アレク達の場合は特に、急がなくちゃまずい」
アレクとオーネストの奥の手の存在は、クラシア達も勿論知っている。
そしてそれが、制限時間付きの諸刃の剣である事も。
「……確かに、クラシアの言う通りだ」
「あれを使った時のアイツらが負けるとは思わないけれど……急ぐに越した事はないわ」
そこで漸くヨルハもクラシアの行動に納得したのか。オリビアの下へと戻ろうとしていた抵抗感が消え失せる。
やがて、新たに聞こえ始める戦闘音。
それらに背を向けて、ヨルハが掛けていた補助魔法の力を十全に発揮しながら、早く早くと駆け走る。
そうして走る事、数分。
無我夢中に走り続けるヨルハ達であったが、ある時唐突に、彼女らの足が動きを止める。
「…………魔力濃度が、変わった……?」
空気中には様々な魔力が飛び交い、分泌されている。そして、その濃度が濃くなるほど、人は息苦しさを感じるようになる。
空気が重いと感じるのだ。
そのあまりの濃さに、視覚化出来るほどの魔力の粒子がダイヤモンドダストのように其処彼処で舞っていた。
「……流石は、フィーゼルのダンジョンコア、とでも言うべきなのかしら」
ダンジョンコアは魔力の結晶のようなもの。
故に、その側には尋常で無いほどの魔力が集まる傾向にある。
ダンジョンの難易度によってダンジョンコアの大きさといったものも変化する。
それは周知の事実であったものの、それを加味しても〝ラビリンス〟のダンジョンコアは規格外の存在と言わずにはいられない。
そして、幻想光景とも言える現象を横目に、一歩、また一歩と足を進めてゆき、たどり着いた場所。
そこには、拳大よりも少し大きい程度の、〝核石〟によく似た鉱石のようなものが、壁に埋め込まれるようにそこに在った。
「……一応、マークは付けておくとして」
アレク達と別れた場所からそれなりに遠く離れている筈だし、いざという時、逃げ込む場所としても悪くはない。
「あたしはここで見張っておくから、コアはヨルハが取ってきてくれない?」
ロキから教わった〝転移魔法〟の準備をしながら、クラシアが言う。
戦える人間であるクラシアが見張りで、補助魔法に特化したヨルハがダンジョンコアを取りに向かう。
その判断は至極当然のものであり、ヨルハ自身もその判断に微塵の疑問も覚えず「分かった」と返事をする。
程なく、ダンジョンコアによる息苦しさなどものともせずに、壁に埋まったソレへと歩み寄ってゆき、取り出そうと手で触れた————その直後。
ばたり、と音が響いた。
どこか重量感の感じられる頽れるような、そんな音。
鈍臭く転けてしまったならば、いつものヨルハならばいたた……と、痛がる素振りか、何でもないと小さく笑うくらいのものはしそうであったのに、そんな声は一切聞こえては来なくて。
自然の音からは明らかに程遠いその音を前に、見張るからといってダンジョンコアに背を向けていたクラシアが、肩越しに振り返る。
「————ヨルハ?」
そこには、受け身も取らずに倒れたヨルハの姿があった。









