百三十七話 ルーカスと原風景
毎週土曜日23:30よりテレビ朝日系全国24局ネット〝IMAnimation〟枠・BS朝日・AT-Xにて放送開始しております。
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「悪ぃが、先に寄り道させてくれ」
人里らしき場所が見えてきたあたりで、先行していたオーネストが進路を変える。
生い茂る木々しか見当たらないはずれ。
高台に位置するそこに向かうと一方的に通達したオーネストに、真っ先に不満げな様子を見せたのはクラシアだった。
「……寄り道って、あんたねえ」
積み重なった疲労に、日が落ちかけの時刻。
今は人里に向かって身体を休める事を最優先すべきだろう。
そう指摘をしようとするクラシアの意見は、何一つとして間違っていない。
そう、オーネストも認識していたのだろう。
「分かってる。寄り道は、後回しにすべきってのはよ。だから、アレク達は先に言ってても構わねえよ」
普段ならば、文句の一つ。
売り言葉に買い言葉で、罵倒に近い言葉がやって来る筈のところで、オーネストは反論らしい反論をしてこなかった。
その様子に調子を崩されたクラシアは、驚きを隠せず吃る。
「……別、に、嫌とは言ってないわよ。ここはあんたの故郷だし、理由があるんでしょう」
多少の無理を押す程の理由がオーネストにはあるのだろう。
「でも、寄り道。なんて言葉を使って濁す必要はないような気がするのだけれど」
たとえどんな理由であっても、打ち明けて話した上で、だめだと首を横に振る人間はここにはいない。寄り道とは言わず、素直に話してくれたら初めから「分かった」の一言で済ませられたのにと告げるクラシアに、オーネストは少しだけ悩みあぐねる。
やがて、特別隠し通す程のことでもないと結論を出したのだろう。
「……素直に話すと色々と気まずい思いをする羽目になりそうだと思っただけだっつーの。別に、どうしても隠し通してえ事でもねえ。寄り道ってのは、その、親友に顔を出しに行くンだよ」
気恥ずかしそうに口にするオーネストの言葉を受けて、クラシアはヨルハと顔を見合わせる。
まるで理解の出来ない宇宙の言葉でも聞いたような表情を浮かべて「しん、ゆう?」などと繰り返していた。
「オレさまにだって親友の一人や二人、いるっつーの。流石に馬鹿にしすぎだろそこ二人」
協調性のある性格でない事の自覚はちゃんとあるのだろう。顔を引き攣らせながらオーネストは怒りを滲ませてこそいたが、どこか仕方がないと割り切っているようでもあった。
同時、俺は思い出す。
「気まずい思いをする羽目になる」「親友」それらの言葉を受けて、過去の情景が蘇った。
その親友は、オーネストが常に誰にも負けられないと息巻く理由となった人物なのではないか。
随分と昔、魔法学院時代に大喧嘩をした際に吐露してくれたオーネストの原風景の根幹たる人物なのではないか。
そう思い至った俺を制するようにオーネストから「何も言うな」と言わんばかりに視線を向けられた。
「……とはいえ、向こうがどう思ってたかまでは知らねえが。最後の最期まで、オレさまは気遣われてたからな。性格は腹立つくらい人間出来てて……ぃやちげえ。いけ好かなくて。槍の腕はオレさまよりずっと上な癖にこっちを持ち上げ続けやがって。顔面も女みてえに綺麗で────ンぁ? なんでオレさまはあいつと親友なんだっけか?」
一時の苛立ちが過去の思い出を一瞬だけ凌駕したのだろう。
此方に分かりようのない疑問を投げかけられた俺達は、三人してジト目を向ける羽目になった。
「……。あれ。その親友さんも、オーネストより槍の腕が上なの?」
ヨルハが驚いて声を上げる。
ノベレット・アンデイズ。
オーネストにとって先生という立場の人間は兎も角、親友と呼ぶ人間までもオーネストが認めた上で堂々と声に出す行為があまりに珍しかったからだろう。
基本的にオーネストは負けず嫌いだ。
それこそ、〝大陸十強〟であろうとそれがなんだと立ち向かおうとする程度には。
ノベレットについて語った時は、まだ不服そうな感情を滲ませて、実力が上なのも今だけだと言わんばかりに口にしていた。
しかし、今回はそれがなかった。
まるで、実力が下である事を不変の事実だと彼自身が決めつけてしまっているかのように。
あの傲岸不遜を地でゆくオーネストが、まさかと気の所為だろうと思うも、それは違うと証明するようにオーネストの口から言葉が付け加えられる。
「……業腹ではあるがな。その通りだ。あいつは、オレさまより強えよ。あいつが一番強かった。誰がなんと言おうと、あいつが一番強かったンだよ。これまでも。そしてこれからも。それだけは、何があっても変わらねえ」
その言葉だけでも、オーネストが親友と呼ぶ人物がどれだけ大切な存在なのかがよく分かる。だからこそ、タソガレがシュトレアの話を持ち出した時、あれだけ感情が露わになっていたのだろう。
「……そんなに?」
脚色が入っている事は誰の目からも明らか。
けれど、オーネストがまるきり嘘を吐いているようにも見えなくて、ヨルハは堪らず聞き返してしまう。
「少なくとも、オレさまが槍で勝った記憶はねえな。勝ちを譲られた事は……二回くれえあるが」
忘れたい記憶でもあるのだろう。
ただ、浮かべるオーネストの表情は、苛立ちというよりどこか物寂しげな悲しみの色の方が強いようにも思えた。
「だが、安心しろよ。オレさまがそう言う相手は、後にも先にもあいつ────ルーカスだけだ。たとえ相手が誰であっても、オレさまが誰かに勝ちを譲ってやる事は一生涯ありえねえ。それがたとえ、先生であっても。アレクであっても、だ」
ルーカスを除いて、誰にも負けねえ。
それが、オレさまに出来る唯一の恩返しでもあるから。オーネストはそう言葉を締め括る。
そして何事もなかったかのように気丈に振る舞うべく、オーネストは不敵に笑い始める。
その姿は誰の目から見ても強がりにしか映らなくて、かける言葉を見失った俺達の目には、必死に自分自身の感情を押し殺しているようにしか見えなかった。
* * * *
その日の事を、オーネストはよく覚えている。脳裏に焼き付いて離れないその情景を。
肺の息すら凍りそうだった雪積もる日の朝に交わされた言葉の全てを。
昨日の事のようにオーネストは思い出せる。
何故ならそれは、あまりに鮮烈な思い出で────たとえどんな相手であっても、負ける事は許されないと本当の意味で誓った日の出来事であったから。
アレクに話したオーネストの根幹。
その、続きだから。
全身を病魔に冒されて。
碌に肢体すら動かせなくなり、ずっと寝たきりの状態だった。
そんな人間の言葉だったから、尚更にかつてのオーネストは耳を疑った。
『────勝負をしよう。オーネスト』
ルーカス・ミュラー。
オーネストがたった一度として、真っ向から勝つ事が出来なかった槍士。
しかしそれも過去の事となってしまっており、今や見る影も無く彼の身体は痩せこけていた。
槍を握る事すら、今やままならない。
ベッドの上で横たわり、時が過ぎるのを待つだけ。そんな生活を余儀なくされていた男はあろう事か、ある日突然そんな事を言い出した。
『……は?』
上体を起こし、差し込む日差しに目を細めながらルーカスの口から告げられた言葉に、オーネストは一瞬、己の耳がおかしくなったのかと疑った。
次いで、何かの聞き間違いだったのだろう。
そう思い込む事にしたオーネストの間違いを、ルーカスは問答無用にただす。
『勝負をしようと、そう言ったんだオーネスト』
『…………』
『今日は、随分と調子がいいんだ。本当に、自分の身体じゃなくなったみたいに』
力無く、笑う。
そんな状態で一体何が出来るのか。
勝負など、土台無理な話だろう。
世迷言を口にする暇があるなら、少しでも安静にしてろ。
そう思い、ルーカスの世話をみている人間────先生を呼ぼうとしたその時だった。
『勝ち逃げは、許さない。オーネストにそう言われて、気付かされたんだ。狡い話だった。勝ちを譲られる以上の、侮辱もないのに』
『それ、は』
もう終わった話だと思っていた。
かつて越えられない壁と認識していた好敵手は、病に冒され、もう槍は握れない。
二度とこの壁を越えられる日はないのだと思い、そう己を納得させた。
当時は泣き叫んだ。
そんな話があるかと。
そんな不条理を受け入れられるかと。
それでも、日に日に弱る様子を目の当たりにしては最早何も言えなくなった。
どころか、オーネストは自分自身を責めるようになった。
一番辛いはずのルーカスが、力無く笑いながらどうにか気丈に振る舞おうとしていたのに、己が駄々を捏ねたせいで感情を決壊させてしまったから。
だから、己がルーカスの分まで強くなろう。
この〝天才〟に、終ぞ負けなしで勝ち続けた本物の〝天才〟がいる事を世に知らしめてやろう。それだけが、己に出来る唯一の贖罪だと信じて疑っていなかった。
『だから。最後の勝負をしよう、オーネスト』
甘美な言葉だった。
もう、二度とないと思っていた機会。
それが転がり込んできたと言われているのだから。
『……馬鹿な事を、言ってンじゃねえよ』
しかし、その言葉にオーネストは首を横に振った。当然だ。ルーカスが衰弱する様をもう1年以上見続けている。
その月日は、ルーカスがもう二度と槍を握れないと諦めるには十分過ぎた。
病人相手に、槍を握れる訳がなかった。
『先生にも、安静にしてろって言われてるだろ。ったく、こんな時にあの人は何をしてんだ』
病人は病人らしく寝て、少しでも体力を回復させろと説得をするのがあの人の役目だろう。
髪をかきあげながら、血迷った事を言うルーカスから目を逸らす。
過保護極まりない先生が聞けば、気が動転しながらも必死に考えを改めさせようとするだろう。先生がいれば、こんなふざけた事を冗談でも口にする事は出来ないはずだ。
『オーネスト』
そう思って探しに向かおうとするオーネストを、ルーカスが呼びとめた。
『先生は、上手い事言いくるめて席を外して貰った。あの人は絶対に、許してはくれないだろうから。だから、僕は────』
瞬間、ルーカスが嘔吐き、血痰のようなものを吐き出しながら咳き込んだ。
誰の目から見てもその様子は深刻で、限界を迎えている事は明らかだった。
『頼、むよ、オーネスト。今日は、調子がいいんだ。今日だけは、昔のように、槍を握れそうな日なんだ』
────だから、頼むよオーネスト。
繰り返される言葉。
縋るように口にされるその言葉はあまりに弱々しく痛々しくて。
それでも、認められる訳がなかった。
一方的なものかもしれない。
それでも、オーネストはルーカスを唯一無二の幼馴染で、大切な好敵手で。
槍があろうがなかろうが、オーネストの中で彼が〝親友〟である事には変わらないと思っていたからこそ────。
『────僕たち、親友だろう?』
『っ、』
だからこそ、耳を塞げなかった。
お前にしか頼めない事なのだと言われて、下唇を思い切り噛み締める。
……それは、幾ら何でも狡いだろうが。
喉元まで出かかった言葉。
しかし、オーネストはすんでのところで飲み込んだ。そんな事は承知の上でルーカスは口にしているのだ。
そうでもしなければ、オーネストが意地でも頷かないと知っているから。
その上で、どれだけの覚悟と決意をもって言い放ったのか。それを否応なく理解させられては、黙るしか出来なかった。
『……どうなっても、知らねえぞ』
先の言葉を口にしたが最後、オーネストがそう言うしかなくなると知った上で発言をしたルーカスは、小さく笑う。
悪戯っ子のようで、それでいて、申し訳なさそうで、悲しそうで。
様々な感情が複雑に綯い交ぜになったような表情だった。
『恩に着るよ、オーネスト』
そうして、立ち上がる。
枯れ枝のような、腕と足だった。
今からでも、冗談だろう。と言って取りやめるべきなのはオーネストも分かっていた。きっと、それを言えばルーカスは諦めるだろう。己が応じなければ、いいだけの話なのだから。
けれど、言えなかった。
口が裂けても、それだけは言えなかった。
勝ちを譲られたあの日から、ルーカスがどんな思いで生きてきたのか。
そして何より、誰がルーカスを追い詰めたのか。それを理解しているからこそ、ああ言われては断れる筈もなかった。
だからせめて、ルーカスが勝負を望むのならば、一瞬で、身体に限りなく負担のない形で終わらせよう。そう思い、あえて肩すら貸す事なくオーネストはルーカスの部屋に立て掛けられた予備の彼の槍を取り、外に出た。
あの日からずっと、部屋に立て掛けられ続けていたルーカスの木槍。
彼の代わりに使おう。
そんな考えを抱いた頃もあったが、ルーカスの快復を信じ手に取る事はしなかった。
けれど、容態は悪化の一途を辿った。
『……やり方は、いつもと同じでいいよな』
吐く息が白く凍える。
その寒さがルーカスの身体にどれ程の悪影響を及ぼすのか。己の行為がどれだけ愚かで、間違っているのか。
それを理解した上で、槍を杖代わりにやっとの思いで姿をあらわしたルーカスに投げ掛ける。
『もち、ろん。いつもと同じで構わないよ』
槍を手放すか。参ったと口にした方の負け。
これまでずっと不変だった彼らのルール。
だからオーネストは、ルーカスの槍を真っ先に弾くつもりだった。それで終わらせるつもりだった。故に。
『……なら、いくぞルーカス』
適度な距離を取り、そんな開始の合図と共にオーネストはルーカスへと肉薄を始めた。
獣が如き敏捷性で地面を蹴り、加速。
刹那の内に距離をゼロへと詰め、ルーカスが手にする槍へ円を描くように己が槍を走らせ────弾こうとしたその瞬間。
『…………舐めるなよ、オーネスト』
腹の底にまで響くような、苛立ちの声。先程までとは打って変わって低い声と、突き刺すような眼差しは、一瞬の遅れすらなくオーネストの動きを追い、身体を翻していた。
反動の力。
目にも止まらぬ速さで勢いを相乗し、繰り出された木槍には容赦のない殺意が乗っていて。
『────っ』
一瞬の思考。本能が鳴らす警笛に身を委ね、槍を突き出した状態のまま咄嗟に身体を捻る。
常人にはあり得ぬ挙動。
それでも、数瞬遅れて頬にやってくる焼けるような擦過の痛みが、オーネストの肝を冷やした。けれど、安心するにはまだ早かった。
耳朶を掠める風切り音。
それが鳴り止まぬ内に突き出された槍の軌道がぐにゃりと撓り、突然変化する。
────蛇頭────。
そう呼ばれる槍の技術の一つで、先生曰く、魔法に頼らない純粋な技量における一つの到達点。
予測不可能なソレを前に、オーネストはどうにかその間に槍を差し込み────しかし、当然のように力負けした彼は身を地面に投げ出す事となって横に転がり、砂煙を巻き込みながら立ち上がる。
違和感を覚えて手の甲で額を拭うと、べちょりという感覚が伝う。
〝蛇頭〟による二撃目。
防いだと思ったソレは、実際には防げておらず、何故か傷を負っている事実に驚愕し苦笑いを浮かべながらも、ふは、と息だけでオーネストは笑った。
反応で負けた。
技術で負けた。
力でも、押し負けた。
一年以上も床に臥していた人間に、こうも負けた事実に。かつての力関係が未だ健在だと突き付けられているようで、驚愕の感情をほんの少し、歓喜が上回る。
──────この、化物が。
賞賛を込めて、心の中でそう吐き捨てる。
しかし、同時に聞こえる喘鳴音。深刻な咳き込む音を聞いて眉間に皺を寄せた。
随分と調子がいい。
先の言葉に嘘はないのだろうが、それでもやはり槍を振える身体ではない。
その現実を見せつけられて手と足が止まる。
『……来ないのなら、今度は僕からいくぞ』
痛みからか。悲しさからか。
怒りからか。寒さからか。
声を震わせ、ルーカスは一頻り咳き込んだのち、前傾姿勢を取る。
身体が限界を迎え、倒れ込んでしまった。
そう勘違いしても仕方のない体勢で────しかし、地面に顔が触れる少し前にルーカスは大地を力強く蹴り付けた。
一瞬にしてぶれ、掻き消える姿。
程なく聞こえた呼吸音は、オーネストの背後からであった。
『刺突、散閃────っ!!!』
みしり。
己の腕から悲鳴があがるのもお構いなしに、ルーカスは槍を振るう。
迸るその軌跡は、あまりに縦横無尽だった。
音すら置き去りに、肢体の全てを狙い過たず貫かんと雨霰と連撃がオーネストに降り注ぐ。
愚直なまでに繰り出される前後運動。
しかし、それが〝蛇頭〟の使い手であれば、話は変わる。予測不可能の高速の刺突。
およそ病人が繰り出せる筈のない攻撃に、服が裂け。皮膚が裂け。凍える程の寒さすら忘れてオーネストは夢中になる。
そして何百倍にも引き延ばされたと感じる一秒が数度経たのち─────最後の一撃だけは槍で防ぐ事を諦めて、オーネストは肩越しに振り返り何もない筈の場所に槍を振り下ろし、凄絶な衝突音が凍えた空気ごと吹き飛ばし、辺りに響き渡った。
『────これを、防ぐんだ?』
驚いていた。
一瞬先の勝利を確信していたからだろう。
今までの猪突猛進なオーネストならば、馬鹿正直に迫る槍全てを防ごうとした筈だ。
傷を許容してまで、致命傷だけを防ぐ。
そんな器用な戦い方は間違ってもしなかった。その事実に、一年という差をありありと見せつけられているような気がしてルーカスの胸がズキリと痛んだ。
自分だけが、その場で足踏みをするしかない。その事実に目を細め、思わず泣き出しそうにもなっていた。
『……呼吸が、聞こえた。目の前から聞こえ続けてた筈の音が、急に背後から聞こえた気がした。防いでなんか、ねえ。お前が万全の状態だったら、今の一撃でオレは負けてた』
だから、オレの負けだ。と槍を下ろそうとするオーネストに、ルーカスは言葉を投げる。
『……いい、や。これが、今の僕だ。言い訳なんてしない。それを承知の上で、僕はオーネストに勝負を挑んで、オーネストはそれを受けてくれたんだ。なら、その上で超えてやるのが道理だろ』
だから、そんな申し訳なさそうな顔をするなとルーカスは慰めるように責め立てて、震える腕で穂先を向けた。
『構えろよ。一年ぶりなんだ。こんな楽しい時間を、まだ終わらせる訳ないだろ。そんなクソくだらない罪悪感で、僕に勝ちを譲るなよオーネスト』
『……わかっ、てる。ただ少し、言い訳をしておきたかっただけだ。オレが勝った時に、お前がぎゃーすか喚かねえようにな』
『ははッ、そう、こなくちゃな?』
そして再び、お互いに槍を振るう。
体力。膂力。身体の状態。
すべてにおいてオーネストが数段上回っている。それでも、互角に見える戦いが出来るのは、ひとえにルーカスの馬鹿げた才能故だろう。オーネストどころか、彼の師たる先生すらも、天才と呼んだルーカス・ミュラー。
オーネストの視線の動き。
筋肉の収縮。空気のぶれ。吐かれる白い息。
接地音に、動きの誘導。
それら全てを限界などとうに迎えた身体で、不屈の意志で以て全てを捩じ伏せて駆使している。そうする事で、どうにか互角という戦況の膠着を生み出していた。
まごう事なき、天才だった。
やがて時間にして、数分。
時を忘れて興じた勝負は、戦闘音を聞き付けて慌ててやって来た先生が介入した事で終わりを迎えた。
しかしその直前、絶妙な力加減で振われていた筈のルーカスの槍が、おかしな力の加えられ方をしたせいで砕け散っていた。
きっと、先生が帰ってくるまでがリミットだと予め知っていたから、そういう終わり方を選んだのだろう。
屈託のない笑みで、『参った』と口にしたルーカスに、やはり勝ちを譲られた。
そうオーネストは認識していても、責められるわけもなく、問い糺す事も出来なかった。
そして翌年の雪解けに、ルーカスは病でこの世を去った。
あの勝負が、余命幾許かの時間を間違いなく削り、逃れられない死という運命を決定付けた。そう責めると分かっていたからだろう。
亡くなる寸前まで、ルーカスはオーネストに謝ってばかりだった。
────勝ち逃げは許さねえ。
本当は、そう言い出したオーネストの責でもあるのに、それを責める事は一度としてなかった。気遣ったのだろう。
自身が死んだ後、出来る限りこの事で責めないで済むようにと。
オーネストにはその自覚が誰よりもあった。
だから、墓前に常に顔を出しては謝る癖があった。シュトレアに寄ると決まった時、真っ先に墓前に向かったのはそのせいでもあった。
やがて、辿り着く高台。その頂上。
簡素な墓が幾つか立ち並ぶ場所に、偶然にも人がいた。
雪を想起させる鮮烈なまでの白い髪。
腰にかかる程度に伸ばされたソレを、先で小さく結っただけの後ろ姿。
身体つきは華奢で、女性とも男性ともとれるシルエット。
中腰で、どうにも墓の掃除をしているようだった。こちらの存在には気付いていないのか。
聞き取れないが、墓に向かって何やら呟いているようでもあった。
そんな人を前に、同郷の人間として挨拶でもするのかと思えば、オーネストは立ち止まり何を思ってか己の得物である〝貫き穿つ黒槍〟を顕現。
そして俺達が止めるより先に、その石突を地面に都度、三回。
鈍い音を響かせ、大地を叩いた。
その行為に一体何の意味があるのだろうか。
尋ねようとオーネストの表情を伺うとそれはもう酷い顔を浮かべていた。
「────その呼び方は、オーネストか。酷いなあ。ちゃんと耳は聞こえるって言ってるんだから、〝先生〟って呼んでくれたらいいのに」
「呼ぶ度に感極まってニコニコ顔でダル絡みしてくる癖が直ってるンなら、幾らでも呼んでやるよ」
立ち上がり、振り返るその人の目元は細い布で覆われていた。
オーネストとの会話を聞く限り目が見えていないのだろうか。
だが、その場合、どうやってオーネストに槍を教えたのか。
一瞬にして湧き上がる疑問の数々。
それらを一旦彼方に追いやり、先生────ノベレット・アンデイズだろう人物の言葉を待った。
「それは難しい相談かもしれないなあ。だってオーネストはワタシの愛弟子だもん。ところで、どうにも三人くらい人を連れてるみたいだけど、紹介はしてくれるのかな?」
「ああ、もちろんだ。だが、その前にあんたに聞いておきたい事がある。オレさまの親友────ルーカスの本当の死因と、〝匣〟について、あんたが知ってる事を全て、洗いざらい吐いてくれ。ノベレット・アンデイズ」









