百二十五話 それは驕りなのか
「……ふむ?」
直後、ロキの手を離れて地面に転がる一冊の本。
ガネーシャは普段より培われた金目のものに対する異様なまでの嗅覚にて、それが「お宝」であると認識し手に取った。
彼女はロキの心配など微塵もせず、躊躇いなく本の中身を確認する。
そしてその中身が、錬成陣に纏わるものであると理解をして、此処へ吹っ飛んできたロキの意図を把握。
「クラシア・アンネローゼ」
「……だから、あたしの邪魔をしないでって」
名を呼び、ガネーシャはクラシアの言葉を知らんとばかりに無視し、ひょいと投げ渡す。
その際、乱雑に中途半端なページが開かれ、その部分でガネーシャの意図を察したのだろう。クラシアは怒る事をやめ、閉口した。
「ロキが何処でこんな物を見つけて来たのかは知らんが、コイツにしては珍しく使えそうな物を持ってきたみたいだぞ。安心しろ。お前の犠牲は無駄にしない」
わざとらしく十字を切り、壁に突き刺さっていたロキにガネーシャが哀悼の意を適当に捧げようとした瞬間であった。
「勝手に僕を殺してんじゃねえ!!」
「お、生き返った」
誰からの助力も得られなかったロキが、自力で壁から脱出し、声を張り上げていた。
「……出来ることなら、ガネーシャを今すぐにでも叩きのめしたいところではあるんだけど、生憎、時間がない」
戯けた様子だったのも束の間。
ロキにしては珍しくまじめ腐った様子で言葉を続ける。
「クラシアちゃん。それを使って出来る限り早く、何とかしてくれ。曲がりなりにもチェスターが用意してた『保険』だ。多分、使い道はあると思う」
「……早くって、言われるまでもなくあたしも出来る限り早くしようとしてるわよ。でもこの錬金術はそんな簡単に、」
「早くしないと、冗談抜きでアレク君達が死ぬ」
被せられた言葉に、緊張が走った。
「アレク君は兎も角、オーネスト君とはそれなりに付き合いが長いけど……彼の口から弱音を聞いたのは初めてだった」
「……冗談でしょう?」
「僕もそう思ったさ。でも、もしもの時は君ら二人を必ず逃がしてくれって。そう言って、アレク君達の助力に向かって行ったんだよ……時間がないとはいえ、まさか僕を投げ飛ばすとは思わなかったけど」
「…………」
最低限の分は弁えながらも、強者相手には嬉々として立ち向かうような人間が、弱音を吐いた。
それだけ聞けば、そういう事もあるだろうという結論に落ち着くだろうが、クラシアとヨルハは違う。
十年近い時を共に過ごす中で、彼女らはこと戦闘において、オーネストの弱音をたった一度も聞いた事がなかった。
だから、にわかには信じ難かったのだろう。
「相手がテオドールならば、そう言わざるを得ないだろうな」
この場において唯一、全ての人間と面識があるワイズマンが顔を顰める。
アレクの力量は、少なからず知っている。
その上で、彼を含めた束で掛かっても勝てないかもしれないと思わされる相手ともなれば、該当者は一人しかいない。
「少なくとも私は、アレが自分と同じ人間だと思った事はたった一度もない。アレは、戦ってどうこうなる相手じゃない」
一度対峙した人間の言葉だからこそ、その発言には重みがあった。
やはり、どうにもならないのではないか。
場に蔓延する淀んだ空気を破ったのは、意外にもヴァネサの言葉であった。
「ええ。そうでしょう、ね。そもそも、数百年前から生きてるような存在が、私達と同じ人間だなんて思う筈がありません」
錬金術師として上位の存在であるワイズマンが、あからさまに諦念を抱いてしまっている。
つまりそれは、テオドールが錬金術でどうこう出来る相手ではないという事実が不変である事を意味している筈だ。
「ただ、ならばどうしてそんな存在が、わざわざ此方に向かっているのでしょうか」
余興として楽しんでいる?
ジワジワと追い詰める行為に快楽でも覚えているのだろうか。
……恐らくどちらも違うだろう。
それならば、もっと違うやり方があった筈だ。
ならばどうしてか。
そんなもの、答えは決まっている。
「恐らく、そうしなきゃいけないからなんでしょう。理由は分かりませんが、人外染みた力を持っていようとその一点だけは乗り越えられないから。だからここに向かっているとすれば」
テオドールの持つ力だけではどうにもならない何かが、彼の向かう先────恐らく、此処にあるのだ。
ならば、絶望に浸るにはまだ早い。
ヴァネサは、クラシアに投げ渡された本型の〝古代遺物〟を横目に、彼女が編み上げていた錬成陣へ近づく。
「……指示、くれる? クラシア」
頭の中にあった「逃す」という手段を投げ捨てて、ヴァネサは口にする。
かつてのノステレジアが創り上げた奇蹟────造られた国メイヤード。
錬金術の一種の到達点とも言えるソレは、アンネローゼであるヴァネサであっても、ワイズマンでさえも手に追えない代物だった。
チェスターが残した『保険』を一瞥した際に映り込んだ魔法陣らしきものが、その証左。
故に、クラシアに指示を仰いだ。
「それと、ワイズマンさんも」
「……無論だ」
歴史に残る大罪人でこそあれど、ワイズマンは罪なき人の死を望んでなどいない。
どころか、引き金を生み出してしまった人間としての罪悪感に苛まれていた彼女はその願いを了承した。
────ただし、使える時間は微塵と言える程度にしかもう残っていなかったが。
「え」
瞬間、彼女らのすぐ側を何かが通り過ぎた。
小柄なソレは、人だった。
ほんの僅かの呻き声を残して、衝突音が響き渡る。反射的に振り返るとそこには、傷だらけのアヨンが血を吐きながら壁に打ち付けられていた。
程なく広がる血溜まりは、致命傷を負っている事をこれ以上なくあらわしていた。
「…………早、過ぎないかな」
その場に、ロキの乾き切った呟きが響き渡る。時間稼ぎに向かうからと別れたのはそこまで前の話ではない。
だが、それからかなりの距離を進んだ。
その上で、オーネストに投げ飛ばされたロキは十分過ぎる程の距離を稼いでいた筈なのだ。
なのに、もうここまで飛ばされてきた。
備える時間もあったものではない。
飛んできた方角に目を向けると、言い知れない悪寒に襲われる。
ロキにアヨンと名乗った彼女は、決して弱い人間ではなかった。
どうしてアレク達と共に行動をしているのか、気になる程度には明らか強いであろう人間だった。そんな彼女が、血反吐を吐きながら飛んできた。
その事実の深刻さを漸く認識して、ロキはなりふり構わず呆然とする彼女らに向けて叫び散らす。
「急げ、クラシアちゃんッ!!!! 本当に、時間がなくなる前に……!!」
オーネストが途中で引き返し、らしくない弱音を吐いた理由は間違いなくコレだった。
「……笑えぬ。流石に、笑えぬぞテオドール」
がらがらと崩れ落ちた瓦礫を退かしながら、不自然に折れ曲がった己の手を力尽くで元に戻しアヨンが立ち上がる。
全身傷だらけで、致命傷を負っていた。
なのに、痛がる様子もなく立ち上がり、闘志を未だ萎えさせない彼女は、間違いなく化物と言われる部類の人間であった。
「いくら〝逆天〟が使えぬとはいえ、ここまで一方的な戦いはいつ以来であろうか」
多対一の戦いにおいて、一側が取るべき行動は二つしかない。
一度に全員を相手するか。
若しくは、弱い者から倒すか。
テオドールが取ったのは後者。
そして、一番に選ばれた人間こそがアヨンであった。
即死こそ避けたものの、たった数合のやり取りで致命傷を負う羽目になってしまっていた。
「……ぁ、あの」
ヨルハが堪らず声を上げる。
今のアヨンの状態は、思わず目を背けてしまいたくなる程に痛々しく、それ故に立ち上がる彼女の行動は目を疑うものであった。
治療をしなければ失血死は免れないそれを前に、ヨルハは気遣おうとした。
けれど返ってきた言葉は棘しか感じられないものであった。
「下がっておれ。間違っても、邪魔だけはするでないぞ」
「でも、その傷」
「身体が動くのなら、それで十分じゃ。今は、一分一秒が惜しいのでな」
ふらふらとした足取り。
もう既にアヨンが限界であろう事は確認せずとも分かる事実であった。
なのに、意地を張る。
これ以上続ければ、死が避けられないものになると知りながら、それでもと。
そんな人間を止める術など、力尽くを除いて存在しない。
だからヨルハは諦める他なかった。
如何に後方支援役に徹していた彼女とはいえ、己とアヨンとの間にある力量差に気付かないヨルハではなかったから。
致命傷を負って尚、その差はあまりに大きかった。
故に、ヨルハはもう一つの選択肢を掴み取る。
「アレク達のところに、いくんですよね」
「……」
アヨンは予想外の言葉に足を止めた。
「ボクもそこに、連れて行ってくれませんか」
* * * *
「……時間稼ぎの為に、その身を犠牲に使いおったか。ユースティティア」
ぱら、ぱらと崩れ始める魔法陣広がる空を見上げながら、魔法学院学院長の肩書きを持つカルラ・アンナベルは呟いた。
このメイヤードには、ある時を境に目を凝らしても分からない程、薄い膜が張られていた。
ユースティティアによる、結界である。
その効果は、時間の操作。
〝獄〟という本来の時間軸とは異なる空間に居場所を作った彼女だからこそ出来た離れ業。
ユースティティアは、その身を犠牲にしてこのメイヤード自体の時間の進みを強制的に遅らせる魔法を最期の最期で使用していた。
他でもない彼女が、時間さえ稼げればどうにかなると判断を下したから。
「僅かな時間は稼げても、お主が死んでは他の問題が生まれるというのに」
愚かだと責めるような口調で、カルラは空に映るソレを睨め付ける。
彼女の判断は、カルラにとって理解に苦しむものであった。
ユースティティア・ネヴィリムは、〝獄〟の管理者である。
彼女が死ねば、〝獄〟は消滅する。
ならば、その〝獄〟に囚われていた者達はどうなるのだろうか。
〝獄〟と一緒に消滅する?
────否。
〝獄〟から解放され、野に解き放たれる。
これが答えである。
故にユースティティアが死んだ今、カルラはその対処に追われており、そのせいでテオドールの足止めをするという目的を果たせなかった。
テオドールとしても、カルラとの戦闘は出来る限り避けたかったのだろう。
だから、彼女との接触がなかった。
「……そも、他の人間に託すなぞお主らしくもない」
彼女に選択肢は二つあったのだ。
玉砕覚悟でテオドールを止めるか。
それとも、後に繋げるか。
後者の場合、〝獄〟の後処理までもが付き纏う上、誰かがテオドールの目論見を潰さなければならない。
タソガレは恐らく動けないだろう。
ヨハネスも、同様に。
カルラは〝獄〟の人間を相手しなければならない以上、ここから動く訳にはいかない。
ならば必然、動ける人間はアレク達に限られる。
あの僅かな邂逅で、彼らがテオドールを倒し得るだけの可能性を見たのだろうか。
……分からない。
分からないが、そうとしか考えようがない。
そんな考えに苛まれている時であった。
「────〝獄〟の処理について、悩んでいるのだろう。その役目は、ワタシがやろう」
名を呼ばれ、振り返るとそこにはカルラにとって面識のある男と、ない男の二人がいた。
面識のある橙髪の男────レガス・ノルンが肩を貸している男の発言にカルラは己の耳を疑った。
故に、聞き間違いと思い即座の返事を躊躇った。
「もう一度、言おう。〝獄〟はワタシが何とかする。だからキサマは、テオドールを止めに向かうのだよ。カルラ・アンナベル」
あの空間の維持は、ユースティティアだけのものだ。誰であっても、その不変を覆す事は出来ないだろう。
ただ一人、「夢」などという反則技を持つロンという例外を除いて。
「……寝言は寝てから言わんか」
レガスが肩を貸している。
だから信用してやる。
そんな結論を出す程、カルラはめでたい頭をしていない。どれだけ逼迫した状況であっても、ロンがテオドールの味方であったという事実は覆らないのだ。
「学院長、こいつは」
「……〝獄〟を開いた張本人、であろう? 説明されずとも見れば分かる。そしてだからこそ、信用ならぬよ。どういう経緯があろうと、あのテオドールに手を貸した。その事実以上も以下もないわ」
カルラとロンに接点はない。
それを予め聞かされていたのだろう。
恐らく、ロン自身がどういう人間かについても、全て。
レガスは殺意を剥き出しにするカルラに対して、慌てて説明をしようとするも、最後まで口にする前に遮られる事となった。
けれども、ロンとしてはその対応は予想通りだったのだろう。
「ああ。分かっている。分かっているとも。分かっているからこそ、ワタシはワタシにしか出来ない後始末を担うと言っている」
「…………」
問答無用で殺すべきだ。
これまでの行動を考えれば、その結論を下すべきである事は説明するまでもない。
しかし、頭ではそう思っているのに即断出来ない理由はこうしておめおめ、カルラの前に出てきた事実にある。
どうにか誤魔化しているようだが、瀕死の重傷を負っている。
治療は────受けていないだろう。
このまま放っておけば死ぬに違いない。
そんな状態で、カルラを相手取る事は土台不可能な話である。
姿をこうして見せる事が、自殺行為に他ならない事は当人が一番理解しているだろう。
だから、カルラも即断を躊躇われた。
何より、ロンの言うようにユースティティアの〝獄〟をどうにか出来る人間がいるとすれば、彼女レベルの空間系の魔法を使える人間か。若しくは、それに準ずる何かを使うか。
ロンの扱う夢魔法は、幸か不幸か準ずる何かに当てはまっていた。
タチが悪いのは、ロンを除いてユースティティアの代わりになれる人間が見当たらない事だ。そのせいで、答えが出せずにいる。
「脅す訳ではないが、キサマも限界が近いのだろう。カルラ・アンナベル。テオドールから、キサマの呪いについては凡そ聞いているのだよ」
「…………チ」
「大地の、呪い。地に足をつける事が出来ない呪いだと聞いている。だから、己の魔力で全てを覆った魔法学院に引き篭もっているのだと。引き篭もるしか、ないとな」
鋭い舌打ちを挟んだカルラは、ロンの発言を黙って聞き流した。
「……道理で学院長が学院の外に出ねえ訳だ」
目を凝らして漸く分かる程度に身体を浮かせていたカルラの状態を目視で確認したレガスは、そう口にした。
魔法学院とは、カルラにとっての唯一の安寧の地である。
一切外に出ない理由は、地に足をつけられないから。つけたが最後、呪いはカルラを襲い、瞬く間に生命力を吸い取られて枯渇し、最後には絶命する。そういう呪いだった。
疲労を度外視すれば、己をほんの僅か宙に浮かせる魔法を常時使い続ける事は可能である。
そこに戦闘が加わろうとも、本来の〝魔女〟と畏怖されたカルラであれば問題はなかった。
神の〝呪い〟によって、安易に魔法を使えない身体にされていなければ。
そのせいで、カルラは滅多な事がない限り外に出る事を許容しなかった。
テオドール程ではないにせよ、カルラも敵がいない人間ではない。
だから、万が一がないように普段は魔法学院に篭らざるを得なかった。
「ワタシを信用出来ないのは分かる。だが、〝獄〟をどうにか出来るのは恐らく、ワタシだけだ。……だから、頼む。どうかワタシに、二度も娘を見殺しにしたという咎を背負わさせないでくれ」
悲痛に、歪んだ。
「……なら、テオドールを止めるのが筋だろう」
「テオドールには手の内を全て知られている上、ワタシは娘を守ってくれようとした者達と敵対していた。瀕死のワタシが手を貸したところで、状況は悪化しかないのだよ」
疑心暗鬼に陥る事こそ、テオドールの思う壺だろう。
ならば、ロンはロンにしか出来ない事をするべき。そう思ったからこそ、瀕死の重傷をどうにか夢魔法で誤魔化し、レガスの肩を借りてここまでやって来たのだ。
「それに、キサマが懸念している事は起こらない。ユースティティア・ネヴィリムは化物だ。ワタシ如きが介入したところで、行えるのは精々が一時的な〝獄〟の維持なのだよ。彼女が作ったこの猶予は、誰であっても邪魔は出来ない」
「限界まで維持をして、死ぬ気か」
言葉に対して、痛々しくもありながら口角を吊り上げたその行為こそがロンの返答だった。
ロンが天才とはいえ、天才止まりではユースティティアの代わりは務まらない。
誰もが口を揃えて化物と呼ぶ人間が命を削って維持していた〝獄〟である。
彼が命を賭したとして、どれだけ保つか。
「物事には何事も得手不得手があるというだろう。偶々、ワタシはこれが得手であったというだけの話。元より、これはワタシが蒔いた種だ。だから、ああ。ここからは幸せな大団円の夢を描こうじゃないか。安心するのだよ。この夢は、何があろうとちゃんと描き切ってやるから」
* * * *
「────どうして戻ってきたよ、オーネスト。って、責められる状況でもないか」
片腕は折れた状態。
近接戦は真面に行えない。
アヨンもまた、己の代名詞である〝逆天〟をあと一度しか使えない状況にあった。
だから、アヨンと二人で戦いながら時間稼ぎを優先して動いていた。
けれど、アヨンはテオドールの攻撃を食らい、後方へと勢いよく蹴り飛ばされ離脱。
一対一を余儀なくする事になっていたからこそ、ここでのオーネストの登場は、助かったと言わずにはいられなかった。
「……いいか、オーネスト。間違っても、倒そうと思うな」
たかが数十合。たかが数分。
ただ、その時間を稼ぐ為に神経を削り、相応の数、生傷を作った俺はそんな結論を下さざるを得なかった。
小柄な見た目に似合わない膂力。
無尽蔵とも思える魔力量。
疲れを一切感じさせない様子。
倒せないと理解したからこそ、俺は足止めに徹する事にした。
俺達の勝利は、テオドールを倒す事じゃない。テオドールの目論見を潰す事だ。
それだけならば、まだどうにかなる。
「だから、俺が先にぶっ倒れた時は……後の事、頼むな」
〝神力〟という得体の知れない力に、〝古代遺物〟でさえも灰に帰す〝愚者の灰剣〟。
普通に戦えば、まず勝てない。
頼みの魔法でさえも、彼の前ではむず痒い攻撃にしかならなかった。
故に本来、テオドールの足止めをする事は土台不可能な話であった。
俺のこの、魔眼がなければ。
「────相変わらず鬱陶しいね、その目は」
本質を、読む。
脳内に流れ込んでくる記憶などの奔流。
それらを用いる事で、テオドールの行動を予測し限りなく未来視に近い事を実現させる。
発動条件は未だ不明ながら、今はなんとか使えるようであった。
テオドールに効果があるのは、この目とユースティティアから奪ったとも言える〝神力〟を込めた攻撃だけであった。
「でもそれももう限界だろうけど」
眼窩の奥が、焼けるように痛い。
そして目の能力で得た膨大な情報を受け取るたびに、頭の奥が破裂に似た痛みを覚える。
ひたすらにその繰り返しで、身体の生傷と相まって何が何の痛みなのかが最早判然としない。打たれていないのに、麻酔でも打たれたのかと錯覚してしまう程に身体の感覚が曖昧な状況にあった。
人はそれを限界と呼ぶのだろう。
身体が発する生命の危機という危険信号に違いない。
「うるせえよ」
全てを理解しながら、俺は笑って特攻を続ける。そんな事は、言われずとも分かってる。
分かった上で戦っているのだ。
一々再認識させてくるテオドールが鬱陶しくて、彼の行動を先読みして斬りつける。
手には〝神力〟を纏った〝魔力剣〟が一つ。
それを、テオドールは紙一重で避けた。
「背後が留守だぜ────〝竜牙〟ァ!!!」
一瞬で背後に回り込んでいたオーネストによる一撃。
紫の靄が密集し、まるで竜の牙を想起させるそれがオーネストの刺突と共に繰り出された。
けれど、周囲を巻き込んだ余波こそ大きかったが、彼の口から漏れ出たのは苦々しい一言であった。
「…………てめえの肌は、鉄か何かで出来てンのか?」
テオドールは、避けなかった。
鬱陶しい小蠅でも見るように、オーネストの渾身の一撃をただ認識するだけにとどめた。
「どれだけの絶技であっても、〝魔力〟を纏った時点で僕にとってそれは攻撃ですらなくなる。神からの恩寵である〝魔力〟は、神から力を押し付けられた僕らにとっては何の意味も持たない攻撃だ」
心底つまらないと言うように、凍てつく太陽のような冷えた視線を向けられてオーネストは激昂────するかと思われた。
だが意外にも理性が勝り、彼は飛び退いた。
「……倒そうと思うなってのは、こういう事だからかよ」
頑張ればどうにかなる。
そういう次元の話ではなかった。
致命傷を与えられるのは恐らくこの中では俺一人。しかし俺の身体は既に悲鳴をあげ限界を超えている。
倒せるビジョンが全く浮かばない。
故にこれは、勝てない戦いなのだ。
だから大事なのは、どう負けるかにある。
あまりに弱気な考えではあるが、それでも
「全てがあんたの思い通りに事が運ぶ、ってのは気に食わない。だから、まあ。もう少しだけ付き合えよ」
テオドールは、そういう戦い方をする奴の方が多分、苦手だろ────?
弱々しい笑みに感情を乗せて、俺はテオドールを射抜いた。
その時だった。
何の予兆もなく、吐き気がせり上がり、かふ、と俺の口から鮮血が溢れ出る。
誤魔化しようのない限界は、唐突にやってきた。
考え得る限り最悪の、自分の意思ではどうにもならない身体の限界という形で。
「ッ、アレク!?」
絶叫とも言えるオーネストの叫び声。
聞こえたその声は何処か遠くて、聴覚がおかしい事を自覚する。
何をされた訳でもない。
毒が蔓延している訳でも、遅効性の攻撃を受けた訳でもない。
だが、心当たりらしい心当たりはテオドールしかなかった。
「……なんの代償もなく、その力を使い続けられる訳がないだろう」
言われて、気付く。
身体の疲労。崩壊。
それらは、別に普段の〝リミットブレイク〟使用時にすら付き纏う当然とも言える代償だ。
〝神力〟とは、また別の話。
〝神力〟は、〝大陸十強〟と呼ばれる人間達が、呪われた代償に手に入れた力である。
呪いという明確な代償を未だ負っていない俺が、分不相応の力を使った代償を違う形で払わされる事になるのはある意味当然であった。
急に身体が鉛のように重く感じる。
どうにか堰き止めていた致命的な何かが、襲い掛かる。それは俺にとっての限界で。疲労で。痛みで。
意地で目を逸らしていたものが直視しろと言わんばかりにやってくる。
このタイミングでそれは、あんまりだった。
「ち、ぃッ、てめえは一旦下がってろ!!!」
注意を己に引きつけるべく、わざと目立つように大振りでオーネストが攻撃を繰り出す。
「涙ぐましい友情だね」
「て、めえ───」
しかし、その攻撃は当然のように防がれてしまう。返ってきたのは嘲笑う言葉。
舐めんじゃねえ! と激昂し、追撃を行うより先にそこらの路傍の石でも蹴るかのようにオーネストの腹に脚撃が叩き込まれる。
まるでボールのように大地を跳ねながら、蹴り飛ばされたオーネストは壁に衝突をした。
「でも、良かったじゃないか」
「なに、が」
蹴り飛ばしたオーネストには目もくれず、テオドールは言う。
全く以て意味の分からない言葉であった。
胸ぐらを掴んで激昂してやりたい気持ちで一杯だった。
腹が立つ事この上ないのに、捩じ切れるような内臓の痛みが襲い掛かって来ているせいでたった三文字を発するだけで限界だった。
「ぼくらのような身体でないにもかかわらず、ここまで〝神力〟に耐えられるんだ。きみはまず間違いなく、このままいけばぼくらと同じ道を辿る事になっていた」
つまりは、〝呪われ人〟。
贄だろう。
「万が一にもぼくを止められたとしても、きみに待ち受けるのはより一層酷な地獄だった」
ひどく淀んだ目でテオドールは告げる。
底冷えするソレは、言葉の通り、地獄を見てきた人間の目つきであった。
黒黒とした憎悪に染まった瞳は、誰であっても見透せない程に渦巻いて煮立っている。
「呪いを押し付ける体の良い贄として、これからの生を歩む事になっていた筈だ。あのクソ共は常に、呪いの押し付け先を探しているから。これは、ぼくなりの優しさだ。故に、喜べよアレク・ユグレット。ここできみは、死ぬ事で救われる」
俺は、知らない。
記憶として、テオドールの核となっている本質を覗き見はしたが、それはあくまで覗き見。
追体験をした訳ではなく、それ故に感情の理解まではしてくれない。
どれだけ地獄なのか。
その救いに、どれだけの価値があるのか。
俺はそれを、己の価値観の中でしか未だ判断が出来ない。
だから、間違っているのかもしれない。
でも、それでも俺は認められないから。
「……そんな救いは、願い下げだな」
決死の覚悟で剣を振るう。
狙うは頸椎。
どれだけ化物であっても、首を落として生きていられる人間はいない。
だが、俺の剣が届くより先に根元から刃が砕け折れた。
「そっか。でも、きっといつか、きみにもぼくの気持ちが分かる日がくるさ」
悲しげに伏せられた瞳を見つめ返しながら、鋭く澄んだ刃が俺の首を捉えた────その時だった。
「駄目ええええええええええええ!!!!」
割れんばかりの声量で、テオドールに制止を促す言葉が響き渡る。
俺もよく知る人の声だった。
だから、驚かずにはいられなかった。
けれど、テオドールはそんなものに構わず、手にしていた得物で俺にトドメを刺そうとした。した筈だったのだ。
「……なに」
〝古代遺物〟であっても容易く灰と化した〝愚者の灰剣〟の一撃が、一瞬で展開された結界によって防がれた。
その事実を前に、テオドールは目を剥いた。
そして続けて、一言。
「────〝逆天〟────ッ!!!!」
アヨンの叫び声までもが響き渡った。
身体の回復。
しかし、何故か全快とまではいかなかった。
それでも、動くならばどうにでもなる。
この勝機を逃すまいと、畳み掛けようと試みた瞬間だった。
大規模の魔法のようなものを瞬時にテオドールが展開。その照準には、俺とヨルハやアヨンが定められていた。
だから、慌てて俺は行使しようとしていた魔法を取り止め、変更。
彼の魔法を打ち消せるものを撃ち放とうとして。
「────ああ。やっぱりきみは、そうする人種だよね」
やって来た言葉は、侮蔑だった。
蔑みだった。憐れみだった。
嘲笑で、それは明確な落胆だった。
「誰かの死を、どうしようもなく許容出来ない。その為なら僅かな勝機ですら当たり前のように捨てる。愚かだよ、きみは」
見捨てれば良かったのだ。
もしかするとどうにかなるかもしれない。
その可能性に賭けて、大規模な魔法を展開したテオドールの隙をこれ幸いと突くべきであった。テオドールが俺の立場であったならば、間違いなくそうしていたのだろう。
だが、俺はそうしなかった。
防ぐ為に彼と同様に隙だらけの魔法を展開した。それが、致命傷だった。
「────避けろアレクッッ!!!! そいつの目的はてめえだ!!!!!」
オーネストの叫び声。
血反吐を吐きながらも告げてくれたその忠告が正しいと理解したその時には、テオドールが持つ剣が俺の背中を突き破っていた。
「か」
「だから、言っていただろ。覚悟が違うと」
単なる剣に刺されただけならまだ、どうにかなった。
俺の胸を貫いたのは、〝愚者の灰剣〟。故にその一撃は、致命傷だった。
「きみは、自分の傷や死は許容出来ても、仲間の死を絶対に許容出来ない人間だ」
どれだけ優位で、勝機に恵まれていようと、仲間を助ける為ならば当たり前のようにそれを投げ捨てる。
見捨てて得られる勝利には何の価値もないと言うように。
それは素晴らしい事だろう。
称賛されて然るべき人格者である。
だがそれ故に、全てを取りこぼすのだとテオドールは再三に渡って憐れんだ。
「そんな生温い覚悟でぼくを止められると本気で思っていたのなら、それはただの驕りだよ」
そうして、剣が引き抜かれた。
「────ッ、〝加速術式〟!!!」
真っ先に駆け付けてきたのは、ヨルハだった。それを見て、ボロボロの身体でオーネストが再びテオドールへ肉薄。
しかし、テオドールの興味は己の一撃を防いだヨルハにのみ注がれていた。
「〝神力〟もない人間がどうやってアレを防いだのかは知らないけど……不安要素はここで消しておこうか」
「ク、クラシア。クラシアに診せれば、大丈夫だから。ちゃんと、助かるから……!! だからアレク、」
剣が振り上げられる。
けれど、ヨルハは俺をどうにかこの場から逃そうと必死で全く気付いていない。
声を出してそれを伝えようと思うのに、何故か声が出てこない。
ただ刺されただけだというのに、身体にまるで大きな穴が空いたような感覚があった。
ヨルハの動揺具合からして、傷は深いのだろう。
「無駄口を叩く前に、早くそいつを連れていかんか!!!!!」
振り下ろされた刃は、割り込んだアヨンによってどうにか防がれる。
「そ、そうだ。貴女の、魔法で」
〝逆天〟の効果を見ていたのだろう。
だが、返ってきたのは無情なまでの一言だ。
「儂の〝逆天〟は治癒魔法ではない。それに、〝逆天〟はこやつらには効かぬ。恐らく、テオドールに付けられた傷は、事象を逆にしたところで元には戻らぬ」
そもそも、最後の〝逆天〟も既に使ってしまっている。
本当に、どうしようもない。
けれどそれでも可能性かあるとすれば、『賢者の石』くらいか。
「早く行かんか、小娘!!!!」
テオドールに対して時間を稼ぐという行為がどれだけ命知らずであるのか。
知っているからこそ、アヨンは怒鳴り散らした。
「まだ邪魔をするか。〝逆天〟のアヨン」
「どうにも儂は、諦めが悪くてなあ!?」
「もう手遅れだよ。それに、ユースティティアが稼いだ時間も、もう尽きる。ほら、見なよ」
〝楽園〟と呼ばれていたあの光景が、どこまでも広がってゆく。
足下にはいつの間にか、特大の魔法陣が展開されており、それがメイヤードと〝楽園〟を入れ替える役割を負っているのだとある程度の魔法の知識を持つ者は皆、理解した。
「さ、て。そろそろお待ちかね、神殺しの時間だ。はは。ははははは、あはははははははははははは!!!!!! 出てこいよ、クソガミ!!! 今度こそぼくが、ちゃんと殺してやるから。散々に痛めつけて、痛めつけて痛めつけて痛めつけて痛めつけて!!!! そして殺してやるからさァ!!!!!」
心に澱んだ積年の分、出来る限り惨たらしく死ね。
憎悪に染まった目を見開いて、テオドールは哄笑を響かせながら口にする。
その様子を見るだけしか出来なかった俺は、なされるがまま、ヨルハに運ばれながら意識を手放した。
* * * *
『────やあ』
見覚えのある景色の中で俺は目を覚ました。
声にも覚えがある。
顔にも覚えがある。
どうして今、俺がこの場所にいるのかは判然としないが、それでも一つだけ先に尋ねておきたいことがあった。
「その身体は、どうしたんだよ、アダム。いや、その姿が本来のあんたなのか?」
かつて俺達の前に現れた時とは異なる姿。
黒い斑に食い荒らされ、まるで死期を悟った老人のような枯れ木に似た身体をしたアダムがそこにはいた。
呪いに犯された萎びた身体で、彼は俺の問いに小さく頷いた。









