百二十話 ユグレット
俺の発言を前にして、呆けるようにぱちくりとアヨンは目を見開く。
恐らく、彼女にとって予想外の言葉であったのだろう。
だが、そんな反応も長くは続かず、やがて緊迫した空気が弾けるかのように、小さく息が吐き出された。
「く、くふ、くふふふふふふふふ」
その感情を隠す気など毛頭ないのだろう。アヨンは雁字搦めにされた鎖を擦り鳴らしながら、口を弧に描いて白い歯を剥き出しに笑う。
腹を揺すりながら、どこまでも愉楽に声を弾ませる。
「成る程。成る程のう。取引と来おったか。確かに、儂は〝獄〟に囚われておる多くと違って嗜虐に飢えておる訳でもなければ、憎悪に支配されておる訳でもない」
その通りであった。
しかし、かといってアヨンが理知的で取引のし易い相手と言うわけではない。
真面に話し合いの場すら設けられない禽獣より酷い連中と比べたら、幾分かマシというだけだ。常識が常識として機能しない前提はアヨンも同じである。
そうでなければ、己の欲求に従い、大虐殺を引き起こす事もなかっただろう。
「して、お主は儂に何を差し出すつもりじゃ?」
取引とは、何かを望む代わりに何かを対価として差し出す事。
俺がアヨンに望むように、取引ならばそれに応じた対価を求める権利がアヨンに発生する。
喜色満面に染まったアヨンの笑みは、期待の表れか。はたまた、滑稽極まりないと嘲っているだけか。
分からない。
分からないが、仮に後者であったとしても俺のやる事は変わり無い。
そもそも、これ以外に選択肢はないのだ。
「一応言っておくが、出来ぬ事をほざくでないぞ」
流し目に、アヨンの瞳が動く。
その先には、己の肢体の自由を奪う鎖の束。
ただし、その鎖は渾身の一閃ですら僅かの欠けすらなく受け切る強度を誇った代物。
つい先刻繰り広げた戦闘の中で、鎖を断ち切る術を探していたアヨンでさえも、堪らず諦めていたほどのものだ。
鎖から解放される方法はついぞ見つからず、どれだけ鋭い一撃も、魔法も、鎖を斬り裂く事は叶わなかった。
故の、諦念。
故の、忠告。
他でもないアヨン自身が、まともな方法ではこの鎖からは解放されない。
そう決めつけざるを得なかったからこそ、確証もないにもかかわらず、〝獄〟から出してやる事が対価と口にしようものならば、それ相応の覚悟をしろよと言外に告げてくる。
「……アレク。こりゃ、どう見ても時間の無駄だぜ。仮に取引が出来たところで、微塵も信じられねえ中身になンの意味があるよ」
何があっても瞬時に対応出来るようにと、槍を既に取り出し、肩に背負いながら黙って俺とアヨンのやり取りを見つめていたオーネストが会話に割って入る。
取引というものは、互いにある程度の信頼があってこそ、成り立つものである。
信頼がゼロどころか、マイナスに割り込んでいる状況で、相手が差し出す対価が罠でないと言い切れない以上、その取引に意味はないと口にするオーネストの言い分はその通りでしかない。言い訳の余地なく、正しい。
きっとオーネストは、アテがあるとばかりの物言いをした俺の知己か何かかと考えてあの場では納得してくれたのだろう。
ただ、俺だって何も希望的観測一つで行動を決めるような向こう見ずではない。
恐らく、こういう時のために物事には何事も例外が付き物という言葉があったに違いない。
「……いや、信じられるよ。相手があの〝逆天〟だからこそ、信じられる。こいつが、自分の信条を、それこそ死ぬとしても曲げられない人間だからこそ、この取引は信じられる」
「おいおい、正気かよ」
────〝英雄願望者〟。
どれほどの犠牲を払おうとも、決して最後の最期まで曲げなかったであろう彼女の願いであり、信条。
ソレが叶うのであれば、それこそ彼女は悪魔にだって喜んで魂を渡す事だろう。
一度、戦ったからこそ、そう言い切れた。
「少なくともあんたは、〝英雄〟に成り果てようとする人間を害する事は出来ない筈だ。そうだろう?」
アヨンが求めているのは、傀儡ではない。
どんな困難も確固たる意志で以て乗り越える正真正銘の物語上に存在するかのような〝英雄〟。
そして先の戦闘で、彼女は俺にその素質があると口にしていた。
だからこその取引。
だからこその信頼。
どんな経緯であれ、アヨンが望んで止まなかった〝英雄〟に成り果てようとする人間を、彼女は害せない。それが、彼女自身が認めた素質を持つ者であれば、きっと尚更に。
何故ならば、それこそがアヨンの生涯そのものとすら言えるから。
百年以上の時を経て尚、微塵も変わらなかった想望を対価にされては、アヨンであっても無下には出来ない。俺にはその確信があった。
現実────。
「……成る程。その謎の自信の理由は、それ故じゃったか。確かに、儂はその申し出にだけは拒む事が出来ぬ。いや、お主の言うように儂だからこそとでも言うべきか」
アヨンは仕方がなさそうに笑った。
〝英雄〟という偶像は、彼女が何を犠牲にしたとしても捨て置けなかったもの。
それを知った上での提案だからこそ、この対等とは程遠い取引に笑うしかなかったのだろう。
特に、あの場で殺す事を躊躇う程度に彼女は俺に価値を見出してすらいたのだから。
「他の人間が口にしようものならば取り合う事すらしなかったじゃろうが、お主ならば話は別よ。あの時の覚悟然り。そして、自己犠牲を前提とした上の、この取引。少なくともその精神性は、どうしようもなく〝英雄〟に相応しかろうて」
そして、アヨンの好奇心に満ちた視線が値踏みをするようなものに変化する。
「それで。お主はその対価として、儂に何を求める? 見ての通り、儂は真面には動けぬぞ。ま、誰のせいとは言わぬがの」
「あんたの〝逆天〟の力を借り受けた上で────〝獄〟をどうにかしたい」
冗談ともつかない彼女の嫌味に構う事なく、俺は告げる。
「……。前者は兎も角、後者は恐らく無理じゃな」
溜息にも似た吐息を挟んでアヨンは答えた。
「一応説明するが、儂の〝逆天〟は魔力に作用する〝固有魔法〟よ。裏を返せばそれはつまり、魔力の介入がない物に、〝逆天〟は通じぬ。そして、不純物が混ざっていればいるだけ、本来の効果が望めなくなる」
能力の開示。
所有者にとって生命線とも呼べるものを呆気なくアヨンが口にした理由は、彼女なりの誠意か。はたまた、知られたところで対処の仕様がないと決めつけているからか。
「……不純物?」
「端的に言うなら、魔力以外の力じゃな。その正体は儂にも分からん。じゃが、そのせいで儂でさえもこの通りよ。その大元ともなれば、余計に無理じゃろうて」
鎖の擦れる音を見せつけながらアヨンは言う。
「ゆえ、力になれるとすれば前者のみになろう。この〝獄〟そのものをどうにかする事。そして、その管理者であるユースティティア・ネヴィリム。あれの、説得。この二つは、どうにもならん。仮に模索するならば、この二つを除いた手段しかないじゃろう」
カルラが狂人と呼んでいた人物。
どう考えても尋常とは程遠い人間だろうが、〝獄〟を力技でどうにか出来ないならば、創った張本人をどうにかするしかない。
安易にたどり着いたその選択を、見透かしたようにアヨンは否定してきた。
「……しかしよ、見れば見るほど。聞けば聞くほど、半端な〝正義の味方〟だな」
会話をぶった斬るようにオーネストが言う。
「仮にも、〝正義の味方〟を語る人間なら、こうなる事も予想出来てただろうによ」
こうなる事とは、管理者であるユースティティアの力が弱まった事で囚われの身であった罪人が好き勝手暴れている件だろう。
確かに、徹頭徹尾悪を憎み、正義を尊奉する人間がこの状況を予想出来なかったとは思い難い。何より、カルラの言葉が本当ならば、正義を貫く為ならば人倫すらも躊躇なく無視して突き進む人間だった筈だ。
オーネストの言う通り、少しだけ違和感が残る。
仮に、捕らえた罪人を利用する目的だったとしても、万が一がないようにもっと拘束を徹底していてもおかしくない。
そもそも、力ある罪人を何人も捕らえておく事はあまりに危険性が高過ぎる。
「そうじゃな。ただ、恐らくユースティティアは、予想した上でそれを許容したのじゃろう」
「……どうして」
「偏に、その危険性を抱え込んででも果たさねばならない目的があった────そう捉える他なかろう。でなければ、説明つくまい。そもそも、そこのツンツン頭の言うように儂も前々から疑問を抱いておった。ここが本当に罪人を捕える為に創られた場所なのか、とな」
「まるで、心当たりがあるような言い方じゃねえか」
「儂らの役割を考えれば当然じゃろう。捕らえられた儂らは、ユースティティアの目であり、手であり、足であった。ゆえに、目にするものも自ずと多くなっておった」
鎖で繋がれた彼ら彼女らは使い勝手のいい駒だったという訳か。
「そして、ここに繋がるのじゃ。のう? アレク・ユグレット。どうしてあの時、儂がユグレットの名に反応したか、気にならぬか」
……そうだ。
アヨンは、グランが俺の名前を呼んだ時、「ユグレット」の名に妙な反応を見せていた。
まるでそれは、あり得ないものでも見るかのように。
「答えは簡単よ。一時的ではあったが、儂がユースティティアの命でアリア・ユグレットを監視しておったからじゃ」
「────ッ、アレクッ!!!」
ガシャン、と音が響いた。
鉄格子越しだったが、その言葉を聞いて反射的に俺は、思わず手が出ていた。
だが、幸か不幸か、鉄格子に阻まれる。
オーネストが大声を上げ、強引に肩を掴んでくれてなければこのまま魔法の一つや二つ、撃ち放っていたやもしれない。
「……詳しく、話せ」
「先に弁明しておくが、儂はお主の母の死に一切関与しておらぬ。あくまでも儂は、監視をしておっただけに過ぎん」
「なら、一体何の為に監視をしてたんだよ」
語気が強くなる。
けれど、それも仕方がなかった。
「万が一、あの男にアリア・ユグレットが奪われた場合、生死を問わず奪還しろと。ユースティティアは儂に命じておった。だから、監視しておったのじゃ」
その言葉に俺はもう訳が分からなくなった。
頭の中が混乱している。
煩雑で、言葉の意味すら分からなくなった気すらしてしまう。
「……あの男って、誰だ」
「これでお主らに伝わるかは分からぬが……背丈の小さい眼帯の男よ。名前は知らぬのでな。それ以上、伝えようがない」
「……テオドール……!!」
眼帯の、背丈の小さい男なぞ彼以外に心当たりがある訳がない。
という事は、ユースティティアとテオドールは前々から接触をしており、協力関係にあったという事なのだろうか。
……否、であるならば先のアヨンの言葉はおかしい。
まるで、テオドールの邪魔をせんとするものであった筈だ。
頭の中が、混乱する。
疑問が疑問を呼んで、整理がつかない。
「話がぐちゃぐちゃだ」
そんな中、オーネストが呆れるように言う。
「オレさまは賢くねえし、深く考える事自体が嫌いだ。だから、この会話が時間稼ぎのようにも思えるし、まどろっこしくて仕方がねえ。そんな訳で、端的に結論だけ言うぜ」
億劫な心境を隠す事もせず、オーネストは自分勝手に思うがままの言葉を口にしてゆく。
「ユースティティアって奴は、あのクソ眼帯の敵か? 味方か? それと、アレクの母さんの身柄を求めてた理由を吐け。理由によっては、オレさまは関わった全員を何が何でも殺す」
「答えられないと言ったら」
笑みを消し、スッと銀の瞳を覗かせるアヨンに怯む事なく、オーネストは無情に告げる。
「その身体に穴を空けてでも答えさせる」
「悪くない殺気じゃな。その言葉が、脅しでない事がよく分かるわ。じゃが、儂は本当に知らぬよ。何も知らぬ。開示出来る情報は全て答えておる」
「なら、ユースティティアって奴の居場所を言え。そンくらいは分かンだろ」
「うむ。その問いならば儂にも答えられる。じゃが、その必要はなかろう」
「あ゛?」
アヨンの視線が、オーネストから外れた。
その視線は、オーネストよりももっと奥────少し先を見ているようで、
「アタシがアリア・ユグレットの身柄を求めた理由は、単純に操り人形に渡す訳にはいかなかったからだ。それ以上でもそれ以下でもない。これで満足か?」
そこには、藍色の髪を腰付近まで伸ばした女性がいた。顔色は悪く、今にも死に掛けの人間のソレで、だから俺の顔は反射的に引き攣っていた。
外傷はない。
ならば、身体の内の問題なのだろう。
身体を引き摺るように歩み寄ってくる。
その様子も含め、やはり彼女は死に掛けの人間のそれでしかない。
なのに、この距離になるまで彼女の一切に気付けなかった。
それがどれだけ異様で異常なのかを理解したが最後、気を抜ける訳もなかった。
「……渡すわけにはいかなかったその理由を、まだ聞いてない」
「特別な意味などない。ただアタシは、あいつらの思惑通りに事が運ぶのが許せなかったのと、一方的に押し付けられたデカい借りをほんの少しばかり返そうとしたに過ぎない」
あっけらかんとユースティティアは言う。
「テオドールと同類扱いされたくはないが、アタシも〝神〟が嫌いなんだ。だからこれは、そう。単なる嫌がらせにも近いな。それと、同情か」
「……同情?」
「そうだ。自分自身が未だ、操られている事に気付いていない人形に対する同情。僅かな自由な時間に得た記憶と感情すら、利用されている哀れな人形に対する同情だな」
────人形。
ワイズマンとの直前の会話があったからこそ、その言葉はテオドールを指しているのだとすぐに気づけた。
「テオドールと名乗るあいつは、魔眼の力を持つ人間を求めていた。他でもない、〝神の意思〟とやらに従って。尤も、当の本人は何も気付いていなかったがな。それが、神を殺す事に繋がると信じて疑っていなかった」
「……〝神の意思〟だと? あのテオドールが?」
口を開けば神を殺すと宣うあいつが、〝神の意思〟に従っているなど、土台あり得ない話だと思った。
「言っただろう。普通の人間のように見えるが、どこまでもあいつは、人形でしかない。一度はその運命から解放されはしたが、あいつは今も、昔も、ただの操り人形でしかない。それは、かつて言葉を交わしたアタシだから、言い切れる。神への復讐などと真っ当な理由を持っているように見えるが、根っこにあるのはあいつを操る存在の意思以外の何物でもない。それに気付いていた人間から、アタシは監視を頼まれた。それもあって、〝獄〟を創った。相手に気付かれないようにする上で、〝正義の味方〟というアタシの肩書きはよく働いてくれたよ。お陰で、誰も何も疑わなかった。尤も、悪を恨む感情は今も変わらんがな」
この〝獄〟という存在が、〝正義の味方〟による罪人への檻でしかないと、現実、カルラでさえもそれを微塵も疑っていなかった。
本当に、信じられない話ばかり。
だが、ユースティティアが口にする言葉には、一応の筋が通っていた。
「質問には答えた。これで満足だろ。だったら、今すぐ〝獄〟から────いや、この国から出ていけ。ここから先は、アタシ達が責任をもってケリをつける。これは、あの時、テオドールを殺しておかなかったアタシ達の責任だから」
馬鹿正直に質問に答えてくれた理由は、ソレだったのだと今更ながらに気付いた。
彼女は俺達を脅威と捉えていた訳でもなく、利用しようと誘導した訳でもなかった。
ただ、俺達をメイヤードから追い出す為にその対価として質問に答えていたのだ。
彼女としては、ここまで巻き込んでしまった人間に対する慰謝料。
そんな感覚だったのやもしれない。
だが、である。
「断る」
「あ?」
俺は、それを理解して。
けれどその上で、拒絶の言葉を突き付けた。
剣呑な空気が満ちる。
相手は見るからに死に掛けだ。
なのに、どうしようもなく恐ろしく感じるこの感覚は、言葉では説明出来なかった。
本能が忌避しているとでも言えばいいのか。
「あんた達が、確実にこの状況をどうにかしてくれる保障がどこにある。今にも死に掛けのあんたが言ったところで、俺は信じられない。何より、俺にだってあいつには借りがある」
もし、何もなければ。
俺は引き下がっていたのかもしれない。
「少なくともあいつがいなければ、母さんが死ぬ事はなかった。親父があんな悲しい顔を見せる事はなかった。エルダスが、罪悪感に苛まれる事もなかった。ヨルハが、グランと離れ離れになる事も、リクが死ぬ事もなかった」
関係がないと割り切るには、あまりに関わっているものが多すぎた。
「メアが、苦しむこともなかった」
ここで手を引いて、もし万が一、ダメだったら。次はどうなる。
次はどんな悲劇が訪れる?
仮にそうなった時、誰が責任を取ってくれるという。
だからこそ、ユースティティアの言葉には頷けなかった。
「……ああ、そうだろうな。アタシはそれを目にしてないが、テメエには様々な不幸があっただろう。この世には、理不尽な不幸ってやつが腐るほど転がってやがる。アタシも、それはよく知ってる。でも、今はのみ込んでおけ」
明確な怒気が込められる。
「カルラから聞かなかったのか。アタシら〝呪われ人〟は、普通じゃないと。テメエらが戦ったところで、得られるのは無駄死にという結果だけだ。万が一すらなく、この結果は既に決まり切っている。テメエが命を掛けて引き分けたアヨンは勿論、他の救いようのない悪党共も、テメエが言ったこの死に掛けのアタシに、手も足もでなかったんだ」
アヨンは、その言葉にたった一言として言い訳を口にしなかった。
その通りだと言うように、無言を貫く。
「……そうかもしれない」
少なくとも俺は、カルラには勝てない。
それこそ、足元にも及ばないという言葉が適当と思えるまでに。
そんなカルラが曲がりなりにも認めていたユースティティアにも、間違いなく勝てないだろう。
万全の状態であったならば、アヨンにも勝てないかもしれない。
嗚呼確かに、この場において俺はお荷物だ。
ユースティティアの言葉は紛れもなく正しいのだろう。
「でも、〝仕方がない〟からと言い訳をして目を背ける事は大嫌いなんだよ。もう、しないと決めてるんだよ」
〝仕方がない〟と流されて、許容して、諦めて、言い訳をして。
その結果、後悔を抱えた過去があるからこそ、俺は嫌悪し忌避を隠さない。
「少なくとも、メアを助ける方法を見つけるまで、俺はメイヤードを後にする気はない。それに、人が死ぬのを黙って見てるほど俺はクズじゃない。だから、ここまで関わってしまったからには、あんたの言葉であっても応じられない。ユースティティア・ネヴィリム」
「ならば仕方がないな」
敵意が剥き出しになる。
まるで、死神の鎌を首にかけられたような錯覚すら覚える鮮烈な殺意であった。
「……その状態でてめえ、ヤル気かよ」
「万全でなければ戦えないは、弱者の言い訳に過ぎないからな」
「言うじゃねえか……ッ」
俺達はテオドールの敵である。
その目的は、過程は兎も角、一致している筈だ。しかし、その立場を明かしたにもかかわらず、敵の敵は味方とならない理由は、薄々理解している。
ユースティティアが、母の事を告げた上で俺達に出て行けと言ってきたのだ。
間違いなく、〝魔眼〟を持つ俺が邪魔なのだろう。
しかし、その反応は俺からすれば悪手極まりなかった。それはつまり、テオドールが俺に執着を見せる可能性がある事を示しているから。
純粋な戦闘力では勝てないにせよ、その要素があるならば俺にも勝てる可能性が生まれる。
「なら、容赦なく行かせてもらうぜ? 悪ぃが、得体の知れねえ奴の言葉に従ってやる程、オレさま達は馬鹿じゃねえんだ」
そして、血が滲む程に強く槍を握りしめたオーネストがユースティティアに肉薄しようとして、けれど、激突が起こる事はなかった。
「……チ」
「……時間切れか」
まるで狙ったかのようなタイミングで、俺達の世界が大きく揺れた。
鳴り響く轟音。
もしや、カルラが全てを始末し、助けに来てくれたのだろうか。
そんな希望を抱くが、それが間違いであるとすぐに思い知らされる。
だから、この突然の出来事でユースティティアの目がこちらに向いていない今をこれ幸いとして俺は言う。
「アヨン」
「なんじゃ?」
「取引の続きだ」
ユースティティアの登場によって中断されていた取引の続き。
アヨンもそれを待ち侘びていたのだろう。
やっとか、と告げるように笑みが深まる。
「あんたの求める〝英雄〟に相応しいかどうかは分からない。なれるかどうかも分からない。でも、今は戦う力が────」
「〝逆天〟」
────必要なんだ。
足下を見られる事覚悟で俺が言い終わるより先に、アヨンが言葉を被せた。
俺に対して言い放たれたそれは、彼女の〝固有魔法〟であり、代名詞とも言えるもの。
回復魔法の比じゃない速度で、身体が癒えてゆく。底をついていた筈の魔力まで、回復してゆく。
「あの時、あの話を持ちかけた瞬間より、儂に選択肢がなくなったように、お主にも選択肢はない。じゃから、その問答は無用よ」
「…………」
「それと、心配せんでもよい。仮に、お主が儂の望む〝英雄〟に成り果てずとも、その時は貸しを一つ、違う形で返して貰うだけの事よ。なに、些細な願い事を聞いてくれればそれで良い」
「……人倫に悖る行為は出来ないぞ」
「儂を何だと思っておるのやら。確かに、〝英雄〟という存在に憑かれてこそおるが、それはあくまで、儂を含めた理不尽な不幸に喘ぐ人間を救ってくれる存在を求めたが故よ。意味のない虐殺を、儂は求めておらん。安心せい」
相手は、リアトレーゼの悲劇と呼ばれる〝英雄〟を造り出す為に国ごと、その糧にしようとした人物。
彼女の過去を少しでも知る人間ならば、およそ信じられない一言である。
しかし、何故だか、理由らしい理由もないのにその言葉は嘘ではないと思えた。
「分かった」
「取引成立、じゃな」
人影が視認された。
小さい、子供のようなシルエット。
見覚えは────嫌になるくらいにある。
「それと、折角じゃからサービスをしてやろう」
そんな中、アヨンの言葉は続く。
「サービス?」
「このままでは、天地がひっくり返ってもお主らはアレに勝てんよ。尤も、アレがユースティティアと同格なのだとすればの話じゃが」
お互いに万全でなかったとはいえ、一度死力を尽くして戦った相手の言葉だからこそ、重みがある。
「ゆえ、勝てると思うな。正真正銘、負けて当然の相手なのじゃから。なれど、決して諦めるでない。手が折れようと、足が千切れようと、心臓が鼓動を止めるその瞬間まで諦めるな。奇跡という奴は、そういう人間にしか微笑まぬ。少なくとも、儂がそうであった。そうであったから、儂は〝逆天〟のアヨンになった」
一番重要な部分を、回りくどい言い方で表現されたからこそ、逆によく分かった。
つまりは、彼女は未だ解明されていない本当の意味での〝固有魔法〟の事を言っているのだろう。
〝固有魔法〟とはその名の通り、その者にしか扱えない特別な魔法。
元来の魔法とは、異なる魔法を指す。
だが、奇妙なことにその使い手は、子供もいれば大人もいる。
研究者もいれば、研究など一度もしたことが無く、魔法に殆ど触れた事がない者すらいる。
信じられない話ではあるが、ある日突然、〝固有魔法〟を使えるようになった。そんな珍妙な話が実際に存在するのだ。勿論、研究に研究を重ねた結果、元来の魔法とは異なる〝固有魔法〟に辿り着く人間も存在するが、本当の意味での〝固有魔法〟と呼ばれる物は、理屈や論理などで説明しようがない破綻だらけで。
本当に、その者の為だけに用意されたとしか思いようのないある日突然、ふとしたきっかけで使えるようになった魔法を指す。
だから、ある国ではその者の想いが形取った姿であるとして、〝固有魔法〟を想いの魔法などと言い表したりもするらしい。
恐らくアヨンは、どんな絶望的な状況であっても、諦めなかった先で〝固有魔法〟を習得した、とでも言いたいのだろう。
本当か嘘かは分からない。
だが、とんだサービスだなと思った。
「……は。サービス精神旺盛だな」
お陰で、最後の最後まで諦められなくなった。けれど、〝逆天〟のアヨンに〝英雄〟という言葉を用いて取引をしたにしては、まだ優しいサービスであったのやもしれない。
俺に言わせれば、サービスではなく呪いの言い間違いなのではと思ったが、口に出す事はやめておいた。
それがあろうがなかろうが、ここまできて途中で諦める選択肢はそもそも無かったから。
「お主が死んでは、対価を受け取れぬだろう」
「それもそうだ」
そこで、アヨンとの会話は終わった。
「────ぼくはユースティティアに会いに来たというのに、どうやら場違いな人間がいるね」
否、ここでは強制的に打ち切られたが正しいか。聞こえてくる声は、やはり覚えのあるもの。テオドールの声であった。
「そしてどうにも、そこの罪人と結託しているように見える。ねえ、ユースティティア。どうしてまだ、そんな人間が生きてるんだい?」
「……どうだって良いだろ。アタシはこの状態なんだ。使えるものはなんだって使う。それだけの話だ」
何故か、ユースティティアは俺達を庇った。
先程まで、実力行使をしてでもこの場から追い出そうとしていた人間が、である。
「ところでだ。テオドール。アタシが認められるだけのもんは持ってきたのかよ。見たところ、カルラの首は持ってないようだが」
「ちゃんと持ってきてるよ。尤も、カルラの首じゃないから、見せるならきみの目の前での方がいいと思ってね」
俺達は蚊帳の外に、話は進む。
口振りからして恐らく、すでに一度、テオドールはユースティティアを訪ねていたのだろう。
「……アレク。あいつの手を見ろ」
何かに気付いたオーネストが、耳打ちするように告げてくる。
「手?」
「あの、ちびっ子と全く同じ状態だ」
言われるがままに確認すると、彼の手には何かが埋め込まれていた。
見覚えのある、鉱石のような異物。
「……〝ホムンクルス〟か」
だが、俺の記憶が確かならばテオドールにそんなものは埋め込まれていなかった。
ただ、直前に聞かされたヴァネサの推論を踏まえると、答えが出てしまう。
つまりテオドールは、メイヤードにあった〝賢者の石〟を奪い、自身の身体に取り込んだのだろう。
「そうさ。自分自身を、〝ホムンクルス〟に近付ける事でぼくはぼくらにあった制限を取り払う事に成功した。その過程で人間を半分辞める事になったけれど……そんな事は今更だろう。そもそも、人の寿命の限界をとうの昔に超えたぼくらが、本当に未だ人間なのかどうかも怪しい」
「……確かに、今のあたしらが制限なく力を使えるのなら、勝機はある」
「なら、約束通り─────」
「ああ。協力してやろう」
そこで俺達は、殺意をユースティティアに向ける。やはり、彼女はテオドールと結託していたのだ。ならば、二人が協力する前に、先に万全とは程遠いユースティティアを倒さなくては。
そう、結論づけようとした瞬間だった。
感じたのは一抹の違和感。
その違和感は、続く彼女の言葉によって確信へと変わる。
「ただし、アタシが協力してやるのはあくまで神を殺す事についてのみだ。操り人形としてのテメエには、協力する義理はないな」
巻き起こる殺意の奔流。
ユースティティアはここでテオドールを殺す気だ。
その真意を汲み取った人間から、動き出す。
彼女の言葉を最後まで聞いていたテオドールだけが、一歩遅れた。
加えて、ユースティティアの言葉を聞くあまり、俺達への警戒心が薄れた。
それが、まごう事なき致命傷。
誰よりも早く、大地を蹴り上げ肉薄を始めたオーネストの穂先がテオドールに迫る。
「────殺った」
どう足掻いても最早避けられないであろう攻撃。そう、俺も確信した。
なのに、オーネストと共に肉薄をしていた俺の視界に映り込んだ墨色の何かの存在が、俺にこの言葉を叫ばせた。
「いや違う! 避けろオーネストッ!!!!」
既に足は大地を離れ、槍を突き出している。
避けるにも避けられない。
何より、あと数センチで穂先はテオドールの頭部を貫く位置にある。
絶好の機会。
だが、決死の思いで叫んだ俺の言葉に、オーネストは常人ではあり得ない挙動で身体を捻り、横に旋回する事で応じた。
「……成る程。何となくだが、勝てねえと言われた理由が分かった気がすンぜ」
オーネストが、手で頬を拭う。
そこには一筋の血。
鋭利な刃物で抉られたような傷が生まれていた。
「……〝古代魔法〟のような兆候もなければ、魔力の消費も、魔法陣すらなかった」
気付けたのは、本当に偶然だ。
ユースティティアとアヨンに、絶対に勝てないと忠告を受けた上で、最大限の警戒をしていたから辛うじて気付けたに過ぎない。
だが、オーネストを襲った大地から這い出てきた鉤爪のような攻撃の正体が、全く分からない。
一体、どんなカラクリなのか。
何も分からないから、対処のしようが無かった。
思考を巡らせる中、敵とすら認識されていないと憤るべきか。未だ侮っていると喜ぶべきか。
テオドールは襲った俺達に一瞥すらくれず、ユースティティアに言葉を投げかける。
「…………。まるで、ぼくが神を殺そうとしていないような物言いじゃないか」
「耳は正常のようで安心した。ああそうだ。アタシはそう言ったんだ。操り人形にまた成り下がりやがった今のテメエには協力出来ない」
「……ぼく、が、操られてるだと? そんな訳が、あるか。ぼくは、あのクソ共を殺す為だけに生きてきたんだ。生きて、るんだ」
テオドールは頭を抱える。
譫言のように、何かを確かめるよう言葉をぶつぶつと呟く。
だが、そんな彼に構う事なくユースティティアは言葉を続けた。
「なら聞くが、どうして『ユグレット』の奴の子孫を殺そうとした? あいつに、誰よりも感謝を抱いていたテメエが」
「それは、神を殺す為に必要であったからで────」
そこで、不自然にテオドールの言葉が止まった。
〝神降ろし〟と呼ばれる外法に巻き込まれたエルダスを餌として、テオドールは俺の母を殺そうとした。
ただ、何故ここでその話が出てくるのだろうか。そもそも、『ユグレット』の奴の子孫とはどういう事だろうか。
「ならどうして、テメエは〝賢者の石〟なんて外法を使って、『ユグレット』を生き返らせようとしていた? 他でもない神に利用されていたテメエが、あいつを何故、生き返らせようとしてる? はぐらかすなよ。テメエが〝賢者の石〟で生き返らせようと用意した棺の一つが、あいつのものなのは知ってる。あの神に良いように利用されたあいつが生き返ったとして、一番、誰が喜ぶかなんて明白だろうが。また、あいつを苦しめたいのかテメエは」
「ぼくはただ、ただ……た、だ? ア、れ。なんでだ。いや、そう。神を殺す為に必要であったからで。だから、あの人と同じ、魔眼の力が必要で……。あレ。なんで、だ。なんで、ぼくは、よりによってあの人を利用しようと、考えてた? いや、ちがう。違うんだ。ぼくはただ、俺はただ、」
混乱しているのが手に取るように分かる。
だが、それは俺もそうだった。
ユースティティアの言っている『ユグレット』は、俺でなければ、母でもない。
親父でもない。
あの言い方は、もっと前の人間。
それこそ、数百年近い時を遡った先で、生きていた人間のような。
まるで俺に言い聞かせるように、視線を一瞬移し、最早言葉が届いていないであろうテオドールの事などお構いなしに声を張り上げた。
その内容は、思わず頭を抱えたくなるほどに、衝撃でしかない事実であった。
「『ユグレット』は、かつて『大陸十強』と呼ばれていた人間の一人であり、神の都合で殺された人間の一人だ。そして、操られていたテオドールを救った人間でもあり、アタシにデカい恩を一方的に押し付けて死んだ人間でもある。アタシがアリア・ユグレットを監視していた理由は、あいつの子孫が、また、神なんて塵に利用される事が許せなかったからだ。これで納得したか。アレク・ユグレット」









