92 殺しすぎで自滅するタイプ
ドランカムはクガマヤマ都市に無数に存在するハンターの徒党の一つだ。ハンター稼業を主業務とする民間軍事会社でもある。
ドランカムには多数のハンターが所属している。発足当初の小規模な組織だった頃は、元となったハンターチームの結束で問題なく順調に業務を続けていた。しかし組織が成長するにつれて、所属するハンター達の間で派閥が生まれ、時にはドランカムの運営に支障を来すことも出てくるようになった。
ドランカムが成長して規模を拡大していくと、組織の運営を円滑に進める為にハンター以外の人間を組織に加え始めた。それは組織の成長を促進させたが、派閥の問題をより大きくする原因にもなっていた。
管理側とそれ以外の軋轢も増え始める。役職が増え、そこにハンターの経験のない者が増え始める。安全な都市の中から1歩も外に出たことのない人間が、危険な荒野に出る人間にしたり顔で指示を出す。命懸けでモンスターを撃退した際に使用した弾薬や回復薬が多すぎると文句を言い、持ち帰った遺物の質や量に採算が合わないと文句を付け始める。それは組織の運営としては正論かもしれないが、それでも腹は立つのだ。
そしてドランカムには最近新しい派閥が生まれていた。最近勢力を増してきている若手ハンター達の派閥である。彼らの後ろ盾はドランカムの運営方針に若手優遇の指針を与えた幹部だ。ドランカムでも珍しいハンター歴の無い幹部である。
その若手ハンター達の派閥はドランカムでも古参のハンター達の派閥と仲が悪い。そしてシカラベ達が所属している古参の派閥が、彼らとの派閥争いに勝つために賞金首討伐の功績に目を付けたのだ。
アキラはシカラベの話を聞いて依頼の背景を何となく把握した。理解の追いつかない部分をシカラベに尋ねる。
「ドランカムが内部でいろいろ揉めているってのは分かった。それがハンターオフィスを介在させない理由とどう関わってくるんだ?」
「ハンターオフィスを介在させるとドランカムの窓口を必ず経由する必要がある。その過程で他の派閥にいろいろ情報が漏れる。その防止だ。そしていろいろ柔軟な手段と臨機応変な対応を実現させるには、そのドランカムの窓口を通さない方が都合の良いことも多いんだ。例えば、少々信頼性に欠ける借金持ちのハンターを作戦に加えようとすると、他の派閥や事務方からいろいろ横やりが入ったりもする。その辺の都合だ」
「いろいろあるんだな」
アキラは感慨深く呟いた。大きな組織に所属するとアキラには思いも付かないことがいろいろあるようだ。
シカラベがアキラに尋ねる。
「納得できて、他に質問もないのなら、そろそろ返答を聞こうか」
アキラが暫く思案してから答える。
「受けても良いけど、条件がある。基本的に俺は好き勝手に戦う。大まかな作戦には従うけど、部隊行動の細かい連携とかは期待しないでくれ。そして勝ち目がないと思ったら、俺は俺の判断で撤退する。撤退する時に一声掛けるけど、そっちの判断に従っていつまでも残って戦ったりはしない。死にたくないからな。この条件で良いなら受ける」
「随分そっちに都合の良い条件だな」
「それはお互い様だ。公式には存在しない扱いの人員だ。捨て駒にされるのは御免だ。で、どうする?」
今度はシカラベが思案を始める。十分思案した後に、不敵に笑って答える。
「良いだろう。契約成立だ」
アキラとシカラベの契約は成立した。これでアキラはかなり変則的ではあるが賞金首討伐に参加することになった。
アルファが少し怪訝そうな表情でアキラに尋ねる。
『アキラ。これで良かったの? 賞金首との遭遇を避ける予定だったはずよ?』
『最低限、俺の判断で勝手に逃げる約束は取り付けた。……俺の実力だと、やっぱり危険か?』
『アキラ1人で戦うわけではないし、止めるつもりはないわ。急に積極的になったなって思っただけよ』
『そうか? 比較的安全で、十分報酬が高いなら受けた方が良いと思っただけだよ。誰かが賞金首を討伐するのを待ち続けて、いつまでも遺跡に遺物収集にいけないのも問題だしな』
アルファは思案する。アキラをその思考に導いたのは、恐らくアキラとエレナの会話だ。アルファとしては、アキラの意思を大きく左右させる存在が、自分以外に存在するのは好ましくない。
今のところは許容範囲だ。しかし今後は分からない。対策は練っておいた方が良いだろう。アルファは密かにそう判断した。
アキラは他の要員との顔合わせを兼ねてその場に残ることになった。
アキラは取りあえず席を移動した。そこに座っていると、次に交渉に来る人の邪魔になるからだ。シカラベ達がいるテーブルには注文用の端末が付いている。それを利用して簡単な料理を注文する。そしてシカラベから依頼の詳細を聞きながら料理を待つ。
賞金首討伐の簡単な計画は既に決まっていた。アキラは明日の朝4時に都市から少し離れた荒野でシカラベ達と合流して目標の賞金首を倒しに出発する。4体の賞金首の中からどの賞金首を討伐目標とするかは、ドランカム経由の情報と別経由の情報を考慮して、シカラベが出発直前に決めることになっている。
最悪の場合、出発前に全ての賞金首が他のハンターに討伐されている可能性もある。しかしだからといって今すぐに討伐に向かうわけにもいかない。シカラベ達もいろいろ準備が必要だ。今も人員の調達も含めてその準備の最中で、その後も徹夜で準備を済ませるらしい。
暫くすると少々着飾った格好の女性が料理を運んでくる。女性はアキラのような子供がいることに少々驚いていた。
彼女がアキラの前に料理を置きながらシカラベと話す。
「随分子供の新顔ね。しかも2階にいるなんて。シカラベ、あんたの連れ?」
「そうだ。こいつは今日も明日も忙しい。だから営業には来るな。他のやつにも言っておけ」
彼女が慣れた笑顔で話す。
「流石に子供を相手にはしないわよ。あんた達の方は?」
「俺達も忙しいってマスターに言っているだろう。聞いていないのか? この席の客は全員対象外にしておけ」
「つれないわね。何のために2階にいるのよ」
「こっちにもいろいろあるんだ。この仕事が終わって祝杯を挙げる時には、俺達の気前も良くなってるさ。それまで待ってろ」
「その言葉、忘れないでよ?」
彼女は挑発的に笑って帰っていった。
アキラはその会話内容が少し気になってシカラベに尋ねる。
「2階に何か意味があるのか?」
「ああ。ここの3階は娼館だ。そこのやつが2階でウェイトレスをするついでに、そっちの方の注文も受けているんだ。純粋に酒を飲みに来るやつは1階で飲むのがここの慣例だ」
シカラベの説明を聞いて、アキラは1階で店主に追い返されそうになった理由を理解した。アキラがシカラベに軽い非難の視線を向ける。
「……子供を呼び出す場所じゃないだろう」
シカラベが軽く笑いながら答える。
「ハンター稼業に歳は関係ないだろう。別にアキラへの嫌がらせでここを指定したわけじゃない。ハンターオフィスを介在させない依頼を受ける相手との交渉は、2階の方が都合が良いんだ。気にするな」
アキラは溜め息を吐いて、もうそれ以上深くは気にせずに食事を取ることにした。
アキラ達の席に4人組の男達が近付いてくる。ヤマノベは彼らに気付くと、軽く手を振って彼らを招く。彼らはヤマノベが呼んだ追加人員とその関係者だ。借金持ちの男が2人。2人の監視役の男が1人。そして債権者の代理人でありシカラベ達との交渉役の男が1人。
交渉役の男と監視役の男が席に着く。借金持ちの男達はその後ろに立っている。交渉役の男であるトメジマが言う。
「遅れたかな?」
ヤマノベが少し不機嫌そうに答える。
「ああ。俺達を待たせるだけのやつを連れてきたんだろうな?」
「勿論だ。案山子でも良いなら幾らでも連れてくるが、そっちの条件を満たす人間を連れてくるのは大変なんだ。少し遅れるぐらいは見逃してくれ。賞金首討伐に首を突っ込むぐらいの実力があって、ハンターオフィスの介在無しの条件を飲むやつを探すのは大変なんだぞ?」
「その為にお前達に高い手数料を支払ったんだ。これで後ろのやつが役立たずなら、こっちもそれなりの対応を取るからな」
「分かってる。交渉を始めようか」
ヤマノベはトメジマと依頼の交渉を始める。アキラは食事を続けながら交渉内容を聞いていた。アキラの隣には監視役の男が座っている。それはアキラの知っている人物だった。以前ヒガラカ住宅街遺跡で会ったハンターのコルベだ。
アキラもコルベもお互いに気付いていたが、お互い交渉の邪魔にならないように黙っていた。しかしアキラはヤマノベ達の話を聞いてある程度事情を把握すると、どうしても気になってしまい、コルベに話しかける。
「……久しぶり」
アキラから話しかけられたので、無視するわけにもいかずコルベも答える。
「また会ったな」
「借金持ちのハンターの監視役か。それが本業か?」
「副業だ。食われた両腕の治療費をそこの業者から借りてな。返済は済ませたが、その縁でこういう副業をしているんだ。義手の方も生身に戻したいから、まだまだ金が要るんだ。そっちは何でこんな場所に? シェリルの護衛はどうしたんだ?」
「ハンター稼業が本業だ。シェリルの護衛が本業ってわけじゃない」
「そうか」
「そうだ」
アキラとコルベは何とも言えない会話を済ませた。二人の間には僅かだが張り詰めた空気が流れていた。しかしアキラの溜め息でその空気は四散した。
「コルベがギューバの借金とかに詳しかったのはそういうことか。監視ならもっとちゃんとやってくれ。そうすればあんな手間は省けただろう」
コルベが笑いながら答える。
「悪かったよ。俺もギューバがあそこまで馬鹿だとは思ってなかったんだ」
「もしかして、デイルもそうなのか?」
「いや、あいつは借金持ちでもないし、監視役でもない。俺達とは無関係だ」
負債を抱えるハンターを密かに監視するために、金融業者が裏で手を回しているハンター仲介業者に、監視対象のハンターを登録させることがある。そして偶然紹介されたように装って、監視役の人間と監視対象の人間を組ませるのだ。
一応表向きはハンターオフィスからの認可も受けている普通のハンター仲介業者なので、無関係のハンターも登録されている。デイルもその1人だった。デイルがコルベと組んだのは単なる偶然だ。
「デイルはあの後に物凄い長い抗議文を仲介業者宛てに送ったらしいが、何の意味もないな。訳ありのハンターを囲っておくために、金融業者が仲介業者を装っているようなものだ。デイルが騒いで、その仲介業者の悪評が多少広まったとしても大して効果はない。元々半分ダミーみたいな業者なんだ。ガワだけ変えて作り直すだけだろう」
「そんなところに登録するなんて、デイルもついてないな」
コルベの話を聞いて、アキラは他人事のように呟いた。実際他人事だ。
しかしアキラとコルベの会話は、他の人間に影響を与えていた。トメジマの後ろに黙って立っていた男だ。彼はカドルというハンターで、借金返済の為にこの場に連れてこられたのだ。
カドルはアキラを見て苛立っていた。そしてついに耐えきれなくなり、荒々しい声でヤマノベ達の交渉に口を挟む。
「おい、そのガキもメンバーなのか?」
トメジマがカドルを窘める。
「勝手に口を挟むな。黙って待ってろ」
カドルがそれを無視してかなり不機嫌そうに話す。
「……こっちは命懸けで賞金首と戦うんだぞ!? そんなガキを勝手にチームに加えられて、報酬を分配する頭数を水増しされて、こっちの報酬を減らされるのは御免だって言ってるんだよ!」
場の人間の視線がアキラに集まる。アキラは平然としている。
カドルがコルベを指差しながら話す。
「しかもそのガキ、そいつの知り合いじゃねえか! お前ら全員でグルになって、俺の報酬を減らそうって魂胆か!? ふざけるなよ!」
トメジマがカドルの話を聞いて思案する。そして交渉を優位に動かす材料ができたとほくそ笑み、強い口調でカドルを窘める。
「良いから黙ってろ! 交渉に口を挟むな! ……コルベ、見張ってろ」
興奮気味のカドルを押さえるために、コルベが立ち上がってカドルの横に立つ。その後でトメジマがヤマノベに話す。
「……まあ、何だ、そいつの言い分も分かるだろう。こっちとしてもガキを増やして頭数にされるのはちょっとな。何とかならないか?」
「具体的には? お前も交渉役なら、具体的な内容はそっちから出せよ」
「そのガキをチームから外せとは言わないが、報酬の分配比率を実力相応に下げてほしいね」
トメジマはアキラを見ながらそう提案した。ドランカムには若手のハンターが多数在籍していて、しかもドランカムの優遇処置により、実力とは分不相応に高性能な装備を身に着けているハンターもいると聞いていた。アキラをその類いの若手のハンターだと考えたのだ。
カドルの考えもトメジマと大体同じである。ただし更に評価が悪い。シカラベ達がトメジマと結託して自分への報酬を下げるために、装備だけ取り繕ったハンターを連れてきたのだと考えていた。
ヤマノベがシカラベとアキラの様子を窺う。アキラと交渉したのはシカラベだ。今からアキラの契約条件を変更する場合は、アキラとシカラベの両方の納得が必要だ。
シカラベが面倒そうな表情でアキラの様子を確認する。アキラは他人事のように黙って食事を再開していた。
シカラベは溜め息を吐いてから、真顔でトメジマ達に宣言する。
「駄目だ。既にアキラとは報酬を頭割りってことで契約済みだ。お前らの都合でそれを変更したりはしない」
トメジマが苦笑いを浮かべながら話す。
「おいおい。幾ら何でも俺が連れてきたやつらと、そのガキの報酬が同じってのは酷いんじゃないか?」
シカラベが真面目な表情で答える。
「実力相応の分配比率なんてどんな決め方でも揉めるだけだ。そっちへの支払いは頭割りの3人分で、人数は3人以上。変更はない。寧ろ対等と過大評価されていることを喜べ」
シカラベは自分達、つまりシカラベ、ヤマノベ、パルガの3人を基準にしてそう答えた。しかしカドルはアキラを基準にしている言葉に捉えてしまった。
馬鹿にされたと捉えたカドルが憤慨して叫ぶ。
「俺がこのガキより下だと!?」
カドルにはまだ辛うじて理性が残っていた。しかし食事を続けていたアキラが、叫ぶカドルを非常に面倒そうな表情で見て、溜め息を吐き、些事のように食事に戻ったのを見て、残った理性は消えてしまった。カドルにはアキラの行動の全てが自分を馬鹿にするためのものに見えてしまった。
カドルが激情に身を任せて銃を抜き、銃口をアキラに突きつけようとする。アキラを殺したいのか、ただの脅しでアキラの怯える姿を見たいのか、それはカドル自身にも分かっていない。ただ激情の解放先を求めて暴挙に出ていた。
カドルの銃が弾き飛ばされる。カドルはそのことに驚く暇もなく口の中に銃口を詰め込まれた。そしてそのまま喉の奥を強打され、銃を咥えたまま床に叩き付けられた。
驚愕し混乱するカドルの視界には、自分の口の中に銃を押しつけているアキラの姿がある。カドルの銃を弾き飛ばしたのもアキラだ。カドルは自分が銃を握っていないことに漸く気が付いた。そして無表情で自分を見ているアキラを改めて見て、自分が殺されかけていることを漸く理解した。
暴れようとするカドルに、アキラが銃を更に強く押しつける。カドルは苦悶の声を出して、恐怖に引きつった表情のまま大人しくなった。
結果から過程を把握した者が驚愕の表情を浮かべる。過程を把握できた者が軽い驚きと称賛の笑みを浮かべる。前者はトメジマ達であり、後者はシカラベ達だ。
特にシカラベはアキラの動きをしっかり把握できていた。銃を構えようとするカドルの動きは、アキラの視界の外で行われていた。それにもかかわらずアキラはカドルの動きに反応し、素早く立ち上がって距離を詰め、カドルの銃を左手で弾き飛ばし、右手で銃を抜いてカドルの口の中に銃口を捩じ込んだのだ。
コルベもカドルを止めようとしたのだが、アキラの方が速かった。コルベは唖然としながらアキラを見ていた。
シカラベが軽く笑いながら思案する。
(……視界の外で行われた動きに対してこの反応。アキラは地下街でも離れた場所にいるモンスターの位置を正確に把握していたが、同じ技術か? 情報収集機器を常時作動させて、常に周囲を監視しているのか? ……違う気がするな。動きの方は強化服の性能と考えられるが、アキラが着ている強化服は地下街の時とは別の製品だ。強化服の身体能力を把握して十全に動くためには、相応の訓練が必要なはず。この短期間で新しい強化服を使いこなしているのか? それとも強化服の制御装置が優秀なのか? ……違う気がするな。どうもアキラが相手だと、こういう勘が鈍るんだよな)
シカラベはアキラの反応と動きを称賛しつつ、アキラにその反応と動きを可能にさせた何かを探っていた。当たらずといえども遠からず。比較的近い答えを導けたのはシカラベの優秀さの証拠だろう。
シカラベの推薦とはいえ、ヤマノベとパルガはアキラの実力に対して半信半疑だった。だがその実力の一端を見て評価を改めた。シカラベが連れてきただけはあると考え直し、アキラを十分な戦力として換算する。
アキラはカドルの口の中に銃口を突きつけながら、カドルの顔を無表情で見ながら、シカラベに何でもないことを聞くように尋ねる。
「シカラベ。こいつを殺すと、明日の作戦にどの程度影響が出る?」
カドルが強張る。アキラが脅しではなく、普通に本気で尋ねていることが分かったからだ。
シカラベは少し驚いたが、アキラを無理に止めるような返事はしない。
「然程影響はない。そいつは碌に状況判断もできないやつのようだからな。好きにしろよ」
アキラがまだカドルを殺していないのは、一応既にシカラベに雇われている状態だからだ。そしてアキラがカドルを殺すと、アキラの手で依頼の成功率を下げる可能性があったからだ。しかしシカラベの返答で、その条件の大部分は取り払われた。
アキラのカドルを見る目が僅かに暗くなる。アキラの目を見たカドルの怯えが酷くなる。カドルの命は風前の灯火だ。しかしその灯火が消える前にシカラベが続けて話す。
「ただこの場で殺すと、この店の主人から死体の処理代や血で汚れた床の掃除代、穴の開いた床の修繕費用を請求されるかもしれない。それは自分で払えよ?」
アキラが少しごねるように話す。
「経費になったりしない?」
「駄目だ。銃声を聞いて怒鳴り込んでくる主人の対処も自分でやれ。俺は面倒だから手伝わない」
アキラは溜め息を吐いて銃を戻した。アキラのカドルへの殺意は、その後の面倒事を許容するほど強くなかった。ここが荒野なら殺していた。荒野ならば死体は適当に捨てれば済む。似たようなことを考える者はそれなりにいて、荒野の治安を悪化させていた。
アキラがシカラベの方へ振り返る。
「俺は帰る。このままここにいると面倒事が増えそうだ。明日も早いしな。後で念のために明日の集合場所と集合時間を俺の情報端末に送ってくれ」
「分かった。ちゃんと準備を済ませておけ。遅れるなよ?」
「ああ。じゃあな」
アキラはそれだけ言って階段の方へ向かおうとする。しかし一度止まって付け加える。
「……それと、シカラベがそこの馬鹿を雇うのは勝手だが、そいつを生きて返す約束はしない方が良いぞ」
「だろうな」
シカラベは笑って返事をした。アキラの言いたいことはシカラベにもしっかり伝わっていた。アキラはそのまま階段の方へ去っていった。
ヤマノベが去っていくアキラを見ながら呟く。
「短気だねぇ。あれは殺しすぎで自滅するタイプだな」
どちらかと言えばアキラの行動に対して否定的なヤマノベに対して、パルガがどちらかと言えば肯定的な意見を返す。
「相手が気長な保証はないし、一応防衛だ。その辺の区切りをしっかり付けておけば良いんじゃないか?」
「その辺の区切りは次第に甘くなっていくんだよ。今まさに、その末路がそこに転がっているだろう?」
ヤマノベがカドルを指差してそう話した。分かり易い実例を見てパルガが唸っている。
カドルが身を起こして銃を拾おうとしている。しかしカドルが手を伸ばしていた銃をコルベが先に拾う。コルベはカドルを蹴飛ばして俯せに床に転がした。コルベが苦悶の声を上げているカドルに命令する。
「寝てろ」
コルベがもう1人の借金持ちの男に警告する。
「お前も妙な真似はするな」
コルベに睨まれて、もう1人の男が激しく頷いた。
ヤマノベがトメジマを軽く威圧しながら笑う。
「さて、交渉の途中だったな。……確かに、俺がお前に伝えた追加要員の条件に、味方に銃を向ける馬鹿ではないこと、とは明示していなかった。契約は成立していないし、作戦も始まっていないし、俺達とお前達は味方ではないとも言える。その辺りの齟齬の確認も含めて、じっくり話そうじゃないか」
トメジマは冷や汗をかきながら平静を装っていた。トメジマの非常に苦しい交渉は、始まったばかりだ。
深夜か早朝か判断に迷う時刻にアキラは車で荒野を移動していた。目的地はシカラベ達との合流地点だ。目的は賞金首討伐である。
日の出にはまだ時間がある時刻だ。アキラは前日に早めに就寝したが、それでも睡眠時間は足りていない。アキラは軽い眠気を堪えながら車を運転している。
助手席に座っているアルファがアキラに話す。
『私が運転するからアキラは今のうちに仮眠を取ったら? 何かあったら起こすから大丈夫よ。アキラが寝不足だと作戦に差し支えるわ』
「そうか? じゃあ頼む……、待て、俺が眠っていると、アルファの運転に差し支えたりはしないのか? 俺の意識が朦朧としていると、強化服の操作とかが難しくなるんだろう?」
アキラは以前にスタングレネードの影響を受けた時のことを思い出して、アルファに一応確認した。
アルファが笑って答える。
『問題ないわ。車と強化服は違うし、睡眠時と意識が朦朧としている状態も別だからね』
「そうか。じゃあ頼んだ」
アキラにはその違いがよく分からなかった。だがアルファが大丈夫だと言っているので問題ないのだろう。そう判断して仮眠を取ることにした。
アルファが眠り始めたアキラを見て微笑む。集合時刻に遅れないように、アキラの眠りを妨げないように、アルファは注意して車を運転した。
それなりに仮眠を取った後で、アキラがアルファに起こされる。
『おはよう。眠気は取れた?』
「……ある程度は」
アキラは目覚め切れていない頭で辺りを見渡して状況を確認する。日はまだ昇っていない。
『今のうちに何か食べておいたら? シカラベ達と合流した後に食事の時間がある保証はないわ』
「そうだな」
アキラは後部座席の荷物からハンター用の携帯食を取り出す。車の後部に積まれている荷物の大半は予備の弾薬等だが、一応食料の類いも積んである。
ハンター向けに販売されている携帯食には、通常の携帯食とは異なる部分を売り物にしている商品も多い。
一見普通の食料で味も食感も普通だが、ほぼ完全に体内に消化吸収されて体外に排出される量が極めて少なく、更に尿意や便意を抑える効果があるもの。回復薬の代わりとしても使用できるもの。何らかの原因、食事中に胃を破壊されるなどの理由で体内に紛れ込んでも悪影響の出ないもの。異常なまでに消化吸収が速いもの。意識の覚醒を促し集中力を高めるもの。都市の中で普通に生活している限り、全く必要としない機能や効果、安全性を売りにしている商品だ。
アキラは試しにそれらの商品をいろいろ購入していた。アキラが手にしているハンター用の携帯食は、見た目はただのサンドイッチとコーヒーだ。強いて言えば、サンドイッチはしっかり柔らかく、コーヒーはしっかり温かい。アキラは訝しみながらそれらを口に含む。
「うーん。普通だ。これはこれで凄いことなんだろうけど」
『気になるなら、次はもっと味も気にして選んでみたらどう? 温かくて美味しい食事は、戦意高揚のためにも重要なのよ?』
「そうだな。少しは生活に余裕も出てきたし、それぐらいの贅沢はしても良いはずだ。多分」
『装備代に8000万オーラムを躊躇なく支払い、200万オーラムの回復薬の使用を全く躊躇わないハンターの発言とは思えないわね。普段からもう少し良いものを食べても良いのよ?』
「そう言われても、普段はあれで特に文句もないしな」
アキラが家で食べる食事は、宿に泊まっていた時と大して変わっていない。それでもスラム街での生活に比べれば十分豪勢な食事ではある。今のところ、アキラは普段の食事に概ね満足している。アキラもより美味しい料理を食べたいと思ってはいる。しかしその為に自腹で高額の代金を支払うのは、どうしてもまだまだ躊躇してしまうのだ。
『無理に勧めたりはしないわ。でも、もう少し贅沢をしても問題ないことは覚えておいて。少なくともハンター用の携帯食を、気兼ねなく選べる程度にはね』
「ああ、分かった。それならもう少し食べるか。ちょっと足りなかった」
アキラは後部座席に手を伸ばして追加の携帯食を手に取った。そのアキラの姿を見てアルファが少しだけ苦笑していた。
アキラが食事を終えた頃、シカラベ達に指定された集合場所が見え始めた。集合地点には既にシカラベ達が待機していた。


















