111 英雄の枷
カツヤ達が談笑を続けている内に、話題はカツヤ達の、正確にはカツヤのハンター稼業の活躍に移っていった。ユミナとシェリルが話題をその方向へ意図的に偏らせたからだ。
話はカツヤ達がドランカムに加入した当初の苦労話から始まった。カツヤはドランカムに加入した当初から才能の片鱗を見せていた。古参の実力者にその類い稀な才能を見出され、多くの仲間達と一緒に遺跡探索とモンスター討伐で活躍し、ついにはドランカムの幹部の1人に認められるまでに成長した。
カツヤとその仲間達はドランカムの中でも大きな派閥に成長した。最近ではドランカムの賞金首討伐部隊に任命された。カツヤは指揮官として部隊を指揮し、見事に賞金首の討伐を成功させたのだ。若く才能溢れるハンターの、輝かしい成功の軌跡だった。
シェリルは少々大げさに驚きながら話を聞いていた。話を聞きながらカツヤを何度も称賛し、称え、褒めちぎった。難しい状況でカツヤの判断を称賛し、危険な場所で勇敢に戦うカツヤを称え、自分の身を顧みずに仲間を助けたカツヤを称賛した。
シェリルは高い興味を示す表情で話を聞き続け、カツヤ達が危険な状況になった話では心配そうに表情を陰らせ、カツヤ達が成果を得た時の話では嬉しそうに笑ってカツヤ達を称賛した。
シェリルはユミナが意図的にカツヤを称賛しやすい話題を持ち出していることに気付いていた。その理由までは分からなかったが、ユミナの意図に乗ってカツヤを称賛し続けた。
シェリルの称賛は意図的なものだが話題との乖離もなく自然だ。無理矢理煽てている雰囲気は全くない。シェリルの話術も高く、そこに不手際は無い。しかしそれを聞くカツヤの反応は思わしくないものだった。
カツヤも初めのうちは自慢げに自分の活躍を話していた。シェリルに褒められると少し照れながら嬉しそうに笑っていた。しかし話が進むにつれてカツヤの表情に陰りが見え始め、笑い声も調子も落ち始めていく。カツヤ達が賞金首の討伐に成功した話では、シェリルがそのことを称賛してもカツヤはぎこちなく笑うだけだった。
少々露骨に褒めすぎて逆にカツヤの気分を害したか。シェリルは少しだけそう考えたが、ユミナとアイリの表情を見て判断を変えた。2人はカツヤを見て心配そうにしている。つまり2人はカツヤの態度に心当たりが有り、それはシェリルが原因ではないのだ。
シェリルは表面上は少し不思議そうな、戸惑いながらもカツヤの様子を気遣うような表情を浮かべながら、次の対処を思案する。次の事務手続きの時刻にはまだ少し時間があるが、カツヤ達にそろそろ時間だと告げて去るという手段もある。かなり気まずい空気を残すことになるが、雰囲気の更なる悪化を招く前に退散する選択も有りだろう。
しかしカツヤはドランカムでもかなり高い地位に就き始めているようだ。カツヤとの縁を深めてより貴重な情報を引き出すためにも、もう少し話を続けても良いかもしれない。シェリルはそう判断した。
シェリルが申し訳なさそうな表情を浮かべてカツヤに尋ねる。
「……カツヤさん。私は何かカツヤさんの気分を損ねるようなことを、知らず識らずのうちに口にしてしまいましたでしょうか? もしそうでしたら謝罪いたします」
急にシェリルに謝られたカツヤが慌て出す。
「え!? いや、そんなことはないって!」
「そうでしょうか……。先ほどから私が何か話す度に、その、気分を損ねているように見えました……」
シェリルは声の調子を落としながらそう答え、気落ちした表情で項垂れた。
カツヤが助けを求めるようにユミナを見る。
ユミナはカツヤを心配しながら、表情を少し真剣なものに変えて話す。
「カツヤ。誤解ならシェリルにちゃんと説明した方が良いと思うわ」
「えっ? あ……、ああ」
カツヤは言葉を濁した。ユミナはじっとカツヤを見ている。
カツヤは前にも似たような態度を取っていた。落ち込んで項垂れていたカツヤを気遣って、ユミナは何度かカツヤにその原因を尋ねてみた。しかしカツヤは、心配させて悪い、俺は大丈夫だ、などと言って謝るだけで、悩みの内容を話そうとはしなかった。
ユミナはカツヤの悩みの原因をある程度察していた。しかしそれを自分の口からカツヤに話すことはできなかった。
シェリルはカツヤ達の様子を窺った後に、カツヤの態度が自身の不手際ではない安堵の表情と、カツヤの様子を心配し元気づけようとするぎこちない笑顔を、自然に意図的に浮かべてカツヤに語りかける。
「無理に聞こうとは思いません。誤解であると知ることができただけでも私は十分です。でもカツヤさんに何か悩みが有るのでしたら、私で宜しければ伺います。単純に誰かに話すだけでも、気が楽になることはあるそうです。ユミナさんやアイリさんのようにカツヤさんを側で支えることは出来ませんが、私でも悩みや愚痴を聞き流すことぐらいはできます。気軽に話してください」
カツヤがどこか怖ず怖ずとシェリルを見る。シェリルは微笑んでカツヤを見つめ返した。
カツヤは内心の悩みと迷い、それを誰かに話すことの躊躇を顔に出して、表情をいろいろ変えて視線を彷徨わせていた。そして最後に視線をシェリルに戻した。優しく微笑んでいるシェリルを改めて見て、カツヤが口を開く。
「……シェリルは、俺のことを凄いハンターだと思うか?」
「はい。思います」
「……本当に?」
「そういう基準は人によって様々ですが、私としては、少なくとも先ほど聞いた話が全部嘘や出任せでなければ、十分凄いハンターだと思います」
「……そうか」
カツヤはそこで一度話を区切り、苦悩を感じさせる声と、気落ちした表情で続ける。
「……俺にはその凄いハンターってやつがよく分からなくなってきたんだ」
カツヤはゆっくりと話を続けた。
カツヤは昔からハンターに憧れていた。様々なハンターが活躍する話を見聞きして、その光景を想像して心を躍らせていた。
研鑽を積み重ねて自身の技量を高め、危険でそれ以上に魅力的な旧世界の遺跡に信頼し合う仲間達とともに向かう。身の丈を超えるモンスターの群れと戦い、遺跡の未知の領域を当てもなく進み、様々な苦難を仲間達とともに乗り越えて、貴重な旧世界の遺物を手に入れて帰還する。手に入れた莫大な報酬を刹那的に派手に使って騒いだりもする。より一層の躍進のために報酬の使い道を相談したりもする。東部に幾らでも転がっている成功したハンター達の冒険譚だ。
カツヤは同じように活躍する自分の姿を想像し、いつかは自分もそのような凄いハンターに成ってみせると決意した。幸運にもカツヤにはハンターとしての才能があり、仲間にも機会にも恵まれていた。
才能と機会と仲間がカツヤを押し上げた。カツヤは瞬く間にうだつの上がらない有象無象のハンターとは一線を画する凄いハンターと成った。
そして成功例の当事者となったカツヤは、輝かしい話の陰に隠れていた事象と向き合わなければならなくなった。それは成功すれば莫大な報酬を得られるハンターに、誰もが挙って成ろうとはしない最大の理由だ。
「……初めは、いや、それが初めてってわけじゃないけど、自覚っていうか、それをはっきり理解したのは、クズスハラ街遺跡から湧いて出たモンスターの群れからクガマヤマ都市を防衛する緊急依頼だった。同じ食堂で一緒に食事をして、辛い訓練を一緒に頑張って、遺跡の探索やモンスターの討伐を一緒に助け合った仲間が死んだ。敵の砲撃を食らって木っ端微塵になって死んだ。敵に体を食われて半狂乱になりながら死んだ。致命傷ではなくても手持ちの回復薬が尽きて死んだ。……仲間が死んだんだ。俺は仲間を助けられなかった」
ハンター稼業は死ぬほど危険なのだ。ハンターが死ぬことなどよくあることで、全く不思議のないことだ。成功したハンターの話とは、生き残ったハンターの話でもある。カツヤはその類い稀な才能を以て、自身とその仲間達を、その現実から遠ざけていた。だがそれにも限界はあるのだ。
「その時は、俺がもっと強くなれば、もっと凄いハンターになりさえすれば良い。そう考えていたんだ。それで俺は頑張って、その時に俺が考えていたもっと凄いハンターには成れたんだと思う。賞金首討伐部隊の隊長に任命されて、賞金首の討伐にも成功した。多分俺は普通に考えれば凄いハンターなんだろう。……でも駄目だった。また仲間が大勢死んで、……俺はまた助けられなかったんだ。シェリルに凄いハンターだって言われて嬉しかったのは本当だ。でもそんな仲間を助けられなかった俺のことを凄いって言われると、その、いろいろ考えてしまうことがあって……、それだけだ」
ユミナはまるで懺悔をするように話すカツヤをじっと見ていた。ユミナの予想通りカツヤは仲間の死を悔やみ、仲間を助けられなかったことを悔いていた。だがユミナにはカツヤを励ます言葉が思いつかない。
ハンター稼業には死の危険が付きものだ。死んでしまったのだからいつまでも悔やんでいないで気持ちを切り替えるなり忘れるなりした方が良い。ユミナもそれぐらいの言葉は思いついたが、それをカツヤに言うことはできなかった。なぜならユミナもカツヤの仲間であり、いつ死ぬか分からない誰かだからだ。
自分が死んだ時、カツヤがあっさり気を切り替えて、平然と自分のことを忘れてしまう。その可能性を高める言葉を、ユミナはカツヤに言うことはできなかった。
アイリもカツヤの悩みをある程度察していたが、慣れの問題だと考えて何も言わなかった。アイリはカツヤやユミナほど同僚の死を悲しんではいない。人間死ぬ時は死ぬ。人が死ぬのは当たり前のことで、特に驚くほどのことでもない。それが昨日笑い合った相手であったとしても。アイリはそれが自然な感覚になる環境で暮らしていた。
アイリはその環境から自分を救い出してくれたカツヤのことを強く慕っている。そして自分が死んだ時は、カツヤに悲しんでもらいたいと思う願望を持っていた。自分が死んだ時に、最近見かけないけど死んだのか、カツヤがそう軽く言って終わらせるのは嫌だった。だからアイリはカツヤに誰かの死に慣れろとは言えなかった。
シェリルは表向きカツヤの苦悩に共感するような表情を浮かべながら、カツヤの話を解釈し、要約し、対応を思案する。
カツヤは自分が頑張れば全てが上手くいくと思っている。カツヤにはそれを肯定する類い稀な才能があり、それを肯定する過去と今、経験と実績があり、恐らくは同様の未来がある。何の根拠もないが、シェリルはそう断定していた。
カツヤはどの時代のどの地域にどんな状況で生まれて過ごしても、ほぼ同様に活躍し、成功し、幸せになるのだろう。そして彼を愛することは、彼に愛されることは、その成功と幸せを共に分かち合うことなのだ。
シェリルは思う。カツヤの周囲にいる者達のカツヤへの態度はきっと二分される。肯定し、受け入れ愛するか、否定し、蛇蝎の如く嫌うかだ。好きも嫌いも関心だ。無関心ではない。自身を他者に無関心にはさせない何かがカツヤにはあるようだ。よほど他人に関心が無いねじ曲がった対人感の持ち主なら別だろうが、普通の人間にはカツヤの存在はきっと大きすぎるのだ。
シェリルは表に出さず、内心で苦笑する。
(才能が有り過ぎるが故の苦悩ってやつかしらね。全く共感できないけど。取りあえずそのことは脇に置いて、この話にどう対応するべきかしら。言葉をかけることもできない振りをして、ずっと黙っているって手もあるにはあるけど……)
シェリルが思案の末に対応方法を決めた。そして表情を少し真剣なものに変えると、カツヤへ少し強めの口調で告げる。
「カツヤさん。今から私がカツヤさんの話を聞いて思ったことを言います。見当違いや的外れなことを口にするかもしれません。その時は聞き流したり鼻で笑ったりしてください」
カツヤは項垂れて下げていた視線を上げてシェリルを正面から見る。じっと自分を見るシェリルに僅かに気圧されながらシェリルの話を待つ。
シェリルは真剣な表情でカツヤを見ていたが、表情を僅かに緩ませて微笑むと、深々と頭を下げた。
「都市を護っていただき、ありがとう御座いました。カツヤさんとカツヤさんの仲間の方々に、そして都市を護るために戦って亡くなられたカツヤさんの仲間の方々に、厚く御礼申し上げます。本当にありがとう御座いました」
カツヤ達はシェリルから急に礼を言われて呆気に取られていた。シェリルは顔を上げるとカツヤを正面から見据えて話を続ける。
「クズスハラ街遺跡から出現したモンスターの群れの襲撃を防ぐことができなければ、都市に大きな被害が出たでしょう。賞金首を放置し続ければ、都市はゆっくり疲弊していくでしょう。高額の報酬のために、名声を高めるために、ただのハンター稼業の一環で、やむを得ない事情で仕方なく、都市を護る目的以外の為に戦った方々もいられるでしょう。それでも死ぬほどの危険を冒して、実際に命を落として、戦ってくれたことに違いはありません。深く感謝いたします」
カツヤは酷く動揺している自分に気が付いた。しかしその理由は分からなかった。
「ハンターとして活動する限り、死の危険は存在します。自己責任と言えばそれまででしょう。ハンターにはその覚悟が必要なのかもしれません。しかし皆が皆、その覚悟をもってハンターとして活動できるほど恵まれているとは思いません。技量が足りずに亡くなられた方もいるでしょう。覚悟が足りずに戦場で平静を失って、満足に戦えずに亡くなられた方もいるでしょう。そして技量と覚悟を持ち合わせた方であっても、運悪く死ぬことはあるでしょう。その不運には、カツヤさんの助けが間に合わなかったことも含まれると思います」
カツヤは少し気が楽になった自分に気が付いた。しかしその理由は分からなかった。
「カツヤさんと亡くなられた仲間の方々との関係は私には分かりません。もしカツヤさんが命を賭して戦った方々のことを誇りに思っているのでしたら、一緒に戦えたことを誇りに思っているのでしたら、その方々のことをいつまでも覚えていてください。ですがもし、そうではなく、彼らの死がカツヤさんの足枷になるのでしたら、彼らのことは今すぐに全て忘れてください」
死んだ仲間のことを忘れろ。シェリルのその言葉を聞いて、カツヤが怒りを露わにして話す。
「死んだやつのことなんか、さっさと忘れろって言うのか?」
シェリルはカツヤの怒気が含まれた声を聞いても全くたじろがずに、カツヤを直視したまま真剣な表情で話を続ける。
「誇りに思っているのでしたら問題ありません。それはきっとカツヤさんの助けになります。困難な状況でも意気揚々と足を踏み出す力になります。絶望的な状況に立ち向かう意思を後押しします。ですが、その嘆きと後悔がカツヤさんの足枷になるのでしたら、それはカツヤさんを殺します。進むべき時に足を竦ませてカツヤさんを殺します。引き下がるべき時に足を縛り付けてカツヤさんを殺します。忘れてください。私を思いっきり怒鳴りつけて、忘れてください。私に思いつく限りの罵詈雑言を浴びせて、忘れてください」
カツヤは黙ってシェリルの話を聞いていた。仲間を失った悲しみは今もカツヤの心に残っている。ただその悲しみから生み出されるものは、カツヤを非難する類いのものではなくなっていた。
シェリルは少しだけ表情を緩めて話を続ける。
「……死んだ誰かの為に生きるなとは言いません。ですが、生きている誰かの為にも生きてください。先ほどから、2人ともずっと凄く心配していますよ?」
カツヤは僅かな戸惑いを感じながらユミナとアイリを交互に見る。カツヤは純粋に自分を心配する2人の表情を、自身の心による歪み無しに久しぶりに見ることができた。
カツヤが再びシェリルを見る。そして前向きな決意を込めた笑顔で答える。
「忘れない。いつまでも覚えておく」
どこか吹っ切れた表情を見せるカツヤにシェリルも笑顔を返した。
「優しいんですね。正直に言いますと、部外者が知ったような口で適当なことを言うな、と思いっきり怒鳴られると思っていました」
カツヤが不思議そうな表情を浮かべて尋ねる。
「……じゃあ何であんなことを言ったんだ?」
「カツヤさんが一度思いっきり怒って内に抱えているものを発散させれば、それだけでも随分楽になると思ったからです。その相手が部外者の私なら、カツヤさん達の間に下手な遺恨を生むこともないかと思いまして。要らぬ心配でしたね」
シェリルは微笑みながらあっさりそう答えた。
カツヤは軽くない衝撃を覚えていた。カツヤが仲間を失った日からずっと抱えていた苦痛を取り払ってくれた少女は、賞金首すら討伐した強力なハンターを、普通の人間など容易く殺せるハンターを怒らせてでも、カツヤの心配を、カツヤの苦しみを取り除くことを優先してくれたのだ。カツヤは軽い感動すら覚えてシェリルを見つめていた。
シェリルが席を立つ。
「名残惜しいですが、そろそろ予定の時刻になりますので、私はこれで失礼いたします」
シェリルはそう言って軽く会釈した。
「あっ……」
カツヤは帰ろうとするシェリルを、自分でもよく分からない声を出して引き留めた。
帰ろうとしていたシェリルの視線がカツヤに戻る。カツヤは僅かに照れながらシェリルに話す。
「……その、また会えるか?」
シェリルは少し驚いたような表情を見せた後、不敵に楽しげに微笑んで少し揶揄うように答える。
「ナンパですか?」
カツヤが返事を返せないほどあたふたする。シェリルが悪戯っぽく微笑んで話す。
「冗談です。縁があればまたお会いしましょう。ユミナさんとアイリさんもお元気で。では失礼します」
シェリルは再び軽く会釈してエリオを連れて帰っていった。
その場に残ったカツヤ達は食事を続けていた。ユミナとアイリがカツヤをまじまじと見ている。
「……えっと、何だ?」
「何でもないわ。カツヤが元気になって良かったなって思っただけ」
ユミナの返事を聞いて、カツヤがユミナとアイリに謝る。
「悪かった。心配を掛けてごめん。……もっと早く2人に相談していれば良かったな」
「同じチームの仲間なんだし、次からはもっと早く遠慮なくいろいろ相談してね」
「分かった」
カツヤはしっかり頷いて答えた。最近のカツヤが漂わせていた陰りはどこにも感じられない。
ユミナが小さく溜め息を吐く。たった2回しか会っていない少女が、あんなに落ち込んでいたカツヤの悩みをあっさり解決してしまった。ユミナはそのことに衝撃を受け、表には出していないが少しだけ落ち込んでいた。しかしそれは然程重要なことではない。ユミナの懸念は別にある。
(……早まったかな。……あー、駄目、こういう考えは良くないわ。カツヤが元気になった。それで良いじゃない)
少なくともシェリルはカツヤのことを恋愛対象として見ていない。だからきっと大丈夫だ。ユミナは自分にそう強く言い聞かせた。
残りの事務手続きを済ませたシェリル達が拠点へ戻るために都市の下位区画の道を歩いている。ダリスとは合流済みだ。ダリスに軽く事情を話して、帰り道でカツヤ達と出会わないように少々遠回りの道を選択していた。
シェリルは自分を見るエリオの視線に気付いていた。ハンターオフィスで手続きを済ませてから、エリオはずっとシェリルを複雑な表情でちらちらと見ていた。
シェリルが怪訝な表情を浮かべて、少しきつい口調でエリオに尋ねる。
「エリオ。さっきから何? 言いたいことでもあるの?」
エリオは誤魔化すようにシェリルに答える。
「あ、いや、何でもない」
エリオがシェリルを見ていた理由の大半は、先ほどカツヤ達を騙しきったシェリルに対する畏怖だ。そこにはそれなりに長い付き合いのある人物が変わってしまった戸惑いも含まれている。それを正直にシェリルに話す勇気はなかった。
誤魔化そうとするエリオの態度が気に入らないのか、シェリルが少し機嫌を悪くして尋ねる。
「何でもないのなら、そんな態度は取らないでしょう。良いから答えて。何?」
エリオにもシェリルにこのまま何でもないと言い続けることが悪手であることぐらいは分かった。だから代わりに少し気になっていたことを尋ねる。
「……さっきシェリルはあのハンター、カツヤ、だっけ? にいろいろ言っていただろう。あれってどこまで本心なんだ?」
「本心?」
エリオの質問を聞いたシェリルが軽い困惑の表情を浮かべた。言っている意味が分からないという様子だ。暫くその困惑を顔に出し続けていたが、急に納得したように表情を変える。
「……ああ! もしかして、カツヤの話を聞いた私が本気でカツヤの心配をして、同情して、親身になって元気づけたとでも思っていたの? 冗談言わないで。あんな話、心底どうでも良いわ。私がカツヤにした話だって、いつまでもぐたぐたぐちぐち言っていないで、もう少し前向きに考えたら? って話を思いっきり脚色しただけじゃない。ちょっと雰囲気に流されすぎよ。立っているだけで暇だったからって、そんなに話に聞き入っていたの?」
エリオが少し意外そうに答える。
「そ、そうなのか? いや、仲間が死んだら俺だって悲しいし、あんな強いハンターにも悩みとかはあるんだなって、少し同情してちょっと親近感を覚えたぐらいなんだけど……」
シェリルが眉間に皺を寄せる。
「エリオ。本気でちょっとしっかりして。私達は彼らに同情とかしている場合じゃないでしょう? 親近感? スラム街の子供と賞金首を討伐するハンターの間にそんなものが成立すると思ってるの? ああなりたいっていう願望の間違いでしょ?」
「そ、それもそう……か? いや、でも、ほら、何とか彼らと仲を深めて、アキラみたいに俺達の後ろ盾になってもらうとかさ。良い考えだと思わないか?」
「それで? 私もエリオもアリシアも、他のやつもみんな死んだ後に、また助けられなかったって嘆いてもらえば満足なの? 私は嫌よ」
「俺だって嫌だ」
「第一、私達の後ろ盾になってもらう見返りはどうするのよ。アキラが私達の後ろ盾になっていることさえ、奇跡みたいなものなのよ? アキラへの見返りだって、……私が何とかしている状態なのよ?」
アキラへの見返りすら真面に支払えているわけではない。アキラの気紛れがいつまで続くか分からない。シェリルはそう言ってしまいそうだったのを、何とか言い換えた。
エリオは少し項垂れる。無意識に抱いていた希望をシェリルにあっさり握りつぶされたからだ。
「……そうだな。悪かった。そうなったら良いなって、ちょっと夢を見ただけだ。現実は厳しいな」
「分かれば良いのよ。分かったら、もう少しアキラに感謝しておきなさい。アキラに後ろ盾になってもらっているから、私達は誰も死なずに済んでいるのよ? ……あの馬鹿は別よ? アキラに刃向かった挙げ句、私を人質に取る真似なんてしたからよ。死んで当然だわ。エリオは一度見逃してもらっているんだから、本当に気を付けなさい」
「分かってる。俺だって死にたくない」
シェリルはエリオの返事を聞いて満足そうに頷いた。その後で駄目押しに付け加える。
「エリオ。今の話とは別に、1つ忠告しておくわ。アリシアと別れたくなかったら、あのカツヤってハンターにアリシアを近づけないことね」
エリオの表情が固まる。そして非常に慌てながらシェリルに尋ねる。
「ど、ど、どういう意味だ?」
「ただの勘よ。エリオとアリシアは私達の徒党の幹部として、私と一緒に行動する機会が多いと思うの。私と同行したアリシアが偶然カツヤと出会って、カツヤに惚れたりしたら大変ね。話を聞く限りだと、カツヤは無意識に異性をいろいろ勘違いさせる言動が多いらしいわ。若くて美形で強くて才能があって、金持ちで優しそうで護ってくれて養ってくれそうな男のハンター。周囲に女性が山ほどいるみたいだけど、……諦めきれるかしら?」
シェリルはそう言って意味深な視線をエリオに送った。エリオの表情が青ざめていく。悲観的な想像をしているのだろう。それを確認した後で、シェリルが少し真面目な表情で思案する。
(私の後ろで話を聞いていただけなのに、エリオはカツヤにかなりの好感を覚えていたようね。確かに凄いハンターの活躍と成功の話だったから、エリオがカツヤに憧れを抱いても不思議はないけれど、それだけかしらね。或いは、エリオも前の私のような何かを感じたの? 下手をするとアキラを追いだしてカツヤを私達の後ろ盾にしようとか言い出しかねないから、アリシアを持ち出してカツヤへの好感度を下げておいたけど……、今のエリオの様子を見る限り、考えすぎかしらね……)
思案を続けるシェリルと、少し顔を青くしているエリオの横では、ダリスが2人の話を聞きながら別のことを考えていた。
(そのカツヤってやつがどれだけ凄いのかは知らんが、アキラも十分おかしいんだよな……。日に2度もモンスターの群れに襲われたことと、そこから助かったことで深くは考えていなかったが、あいつは強化服も着ずに、ちゃちなAAH突撃銃だけで、群れの襲撃に対処して俺達を助けたんだ。確かに俺達の主な火力はトレーラーの機銃で、2度目の襲撃を退けたのはエレナ達だが、アキラがあの装備で戦局をある程度維持したのは確かなんだよな。……やっぱり、変だよなぁ。カツラギはシェリルの豹変振りを気にしていたが、シェリルは優秀なだけで別にそこに不自然な点はないんだよな。アキラは……確かに強いんだが……何か、引っかかるんだよなぁ)
3人はいろいろと考えながら拠点への帰路へ就いていた。
その日の夜、カツヤは自室のベッドの上に横になってシェリルのことを思い出していた。一度しか会っていないのにもう一度会いたいと願った少女のことを。二度しか会っていないのに自分の苦悩を取り除いてくれた少女のことを。
最近のカツヤは眠るのが怖かった。死んだ仲間が自分を責める悪夢を見るからだ。仲間を助けられなかった悔恨が、罪悪感が、死んだ仲間を無意識に悪霊に変えていた。だがシェリルの話を聞いた後は、苦楽を共にした大切な仲間に戻っていた。きっと悪夢はもう見ない。
カツヤの心には悔恨と罪悪感の痛みと叫びがあった。それはカツヤに更なる強さを求めることを強いながら、四肢に纏わり付いて枷となり、その才を存分に発揮するのを邪魔していた。
だがそれは消え去った。心の大部分を占めていたそれが消え去って空いた部分に、それを取り除いた誰かへの気持ちがゆっくりと溜まっていく。
「連絡先の交換とかしなかったけど、……また会えるよな?」
カツヤは軽く笑って目を閉じて、安心して睡魔に身を委ねた。
その日の夜、シェリルは自室のベッドの上に横になって今日の出来事を思い出していた。
シェリルは自身の言動を反芻し、反省点を洗い出して今後の糧にしようとしていた。そこでカツヤが仲間の死を深く悲しんでいたことを思い出す。
軽い眠気が思考を乱した。シェリルは余計なことを考えてしまった。
問いが浮かび、その答えが浮かぶ。自問自答だが、恐らくその答えは正しい。シェリルの表情が歪む。
問いは短く単純だ。シェリルが死んだらアキラは悲しむか。答えは更に短く明解だ。いいえ。
シェリルはあらん限りの検証と、思いつく限りの反論と、都合の良い仮定と、それを否定する推測を、どこまでも続けようとする自身の思考を強引に打ち切った。
(……別のことを考えなさい。他に考えることは幾らでもあるわ)
あのまま考え続けていれば、きっと酷い悪夢を見る。そう確信したシェリルはひたすら別のことを考え続けた。ぎりぎりまで睡魔に逆らい、朦朧とした意識で別の思案を続け、最後に何も考えずに眠りに落ちた。
真っ白な空間に声が響く。
「余計なことを」
声が消えた。


















