9話 冷淡
扉を開いた先に現れたのは、ティアルが夢にまで見た、平穏な学園をそのまま絵に描いたような風景だった。
教室に響く朗らかな笑い声、楽しそうに会話を交わすクラスメイト達。中には初日がゆえに、まだその輪に馴染めていない生徒もちらほら見えたが、それもまた一興。
そんなティアルにとって素晴らしい世界を切り裂くように、突然横から耳を劈くほどの大きな声が聞こえてきた。
「うおおおおおおおおお! ティアルとリランじゃん!」
聞き覚えのある声に名前を呼ばれ、二人は恐る恐る声の主の方へと目を向ける。
「げっ!」
その視線の先には、先程校庭で出会った太陽のような金髪の少年、ルークが、周りの目も気にせずこちらへ向けて笑顔で大きく手を振っていた。
「……彼も同じクラスだったのね。歓迎してくれるのは嬉しいけれど、目立ちすぎてありがた迷惑だわ」
ティアルはそう小さく呟いてため息を漏らす。
気まずい空気の中、二人はゆっくり教室へと足を踏み入れた。
リランの方は、ルークと同じクラスだったのが衝撃的だったのか、怒りを通り越して呆れたというような表情でゲッソリとしていた。
「落ち込まない。少しずつ慣れていけばいいわ」
「はい……」
今にも干からびてしまいそうなリランをなだめながら、席を探すティアル。既に教室にはほとんどの生徒が集まっており、数多くの机から自分の席を探すのにさほど時間はかからなかった。
「ここね」
窓際の少し後ろの列。
その机の上に据えられた金色のネームプレートには、『ティアル・アストリフィア』と綺麗な筆記体で名前が刻まれていた。
ティアルはその文字を一瞬眺めると、静かに椅子を引いて着席した。
周りの席は全て埋まっており、残念ながらリランと近い席ではなかった。
ティアルは、彼女の姿を探すように少しキョロキョロと教室内を見渡してみた。すると、こちらとは反対の廊下側の席に、見慣れた真っ黒な容姿の少女が目に映る。
そしてその隣の席には、弾けるような笑顔の金髪の少年。
「あ」
その光景を見たティアルの口から思わず声が漏れる。
早速ルークにだる絡みされているリランは、怒りの感情を顕にして必死に言い争っていた。
「……あれだけ元気なら、すぐに馴染めそうね」
他人事のように囁くティアルだが、その声色にはもの寂しそうな音を忍ばせていた。
そんなティアルの前に、何人かの生徒が囲うように集まってくる。
全員の顔を見渡した後、私何かしたかしら。と言いたげに、ティアルは少し焦ったような素振りを見せた。
「……あの、何か……」
ティアルがそう言いかけるが、割り込むように生徒の一人が目をギラつかせて問いかけてくる。
「あなたがアストリフィアのお嬢様?」
「そうだけれど……」
固唾を呑み、小さく答えるティアル。
何をされるのかと、一滴の冷や汗が頬を伝う。それと同時に、思い出したくもない幼少期の記憶が一瞬ティアルの脳裏を横切った。すると――。
「すごーい!! 私、本当にアストリフィアのお嬢様と同じクラスになれたのね!」
「え?」
返ってきた言葉は予想だにしないものだった。
ティアルは呆然としながらも、安心した様子で肩の力を抜いた。
「すっげー! 本当にお嬢様みたいだし、めっちゃ可愛いじゃん!」
「みたい、じゃなくて実際お嬢様よ」
「今度俺とカフェでも行かない?」
「いや、それは飛躍しすぎだって」
突如として現れる歓迎のムード。
今まで厭っていたアストリフィアの肩書きも、こういう扱い方をされるなら悪くないと、ティアルは一つ学びを得た。
「ていうか、アストリフィアのお嬢様に対してこんな絡み方、普通に罰受けるんじゃないか?」
「あっ、確かに……」
ティアルを囲っていた生徒達が、その言葉を起因に騒然とし始めた。
嫌な予感を感じたティアルは、一足先に言葉を並べる。
「いえ、そんな事はしないから大丈夫よ。その代わり、これからは普通のクラスメイトとして接してくれると嬉しいわ」
ここにきて初めて表へ出すティアルの中に眠る本音。
直接的に『普通』でありたい、と述べられた訳ではないが、彼女にとってはこれが『普通』へと近づける大きな一歩だと感じていた。
「わかった! 本人がそう言うんなら、ぜひそうさせてもらうぜ」
「そうね! これから三年間よろしく、ティアル!」
他人から呼び捨てにされるなんて何時ぶりだろうか。
順風満帆な日々を送ったお嬢様なら嫌気がさすのだろうが、ティアルに限ってはそうではなかった。
むしろこれが彼女の願っていた事なのだから。
「……ええ、よろしく」
不安だらけの学園初日ではあったが、この愉快なクラスメイト達となら、ティアルはこの先の学園生活も上手くやっていけるような気がしていた。
「……もう、騒がしいな。隣の席の身にもなってよ」
賑やかな空気を切り裂くように聞こえる落ち着いた高めの声。
ティアルが隣へ視線を向けると、容姿だけでは男女とも区別がつかない、無愛想な表情をした少女がこちらを見つめていた。
「あ、ああ。すまないな騒いじまって。先生もそろそろ来るだろうし、この辺でお開きにするか」
「そうだな。んじゃ、また後で話そうぜティアル!」
その二人の言葉を皮切りに、ティアルを囲っていたクラスメイト達は自分の席へ向かって四散していった。
「まったく、かの有名なアストリフィアの人間が入学してきたと思えば……いい気なものだね」
「……何が言いたいの?」
考えの読めない不思議な少女を前に、ティアルは僅かに眉をひそめる。
「名門アストリフィア家に生まれて、元々天才なあなたがわざわざ学園に来てまで自分の才能を見せつけようとしてるのが、気に食わないだけ」
「私、そんなつもりじゃ……」
「あなた、入学試験の学科を首席で出てるよね? しかも、満点。ルミレイア学園史上初の業績だよ」
「……それについては、私自身も嬉しいと思っているわ」
徐々にピリつく空気に、ティアルはこれ以上彼女の機嫌を損ねないよう、自分なりに下手に出る事にした。
「割と素直なんだね。でももう一つ、どうしても気になる事があるんだ」
「何?」
「実技の試験、合格ラインギリギリで通ってるのはさすがにおかしいと思うんだ。いくら難易度の高い学園とはいえ、ラインギリギリなんてその辺の頭の悪い人たちでも取らないよ」
その返答に、ティアルは完全に言葉を失った。




