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『ぎび もあ』  作者: トキタケイ
びえりお漂着編
11/46

試練⑦~再び、夜

 ワク村では、重罪人はその身に悪魔が宿ったものとされ、悪魔祓いとして神木と呼ばれる森の巨木に縛り付けられる。このことから、ワクには古くから山の神の存在があったことは否定できないが、やはりその歴史について詳しく知る者はいない。


 悪魔祓いでは、神木に縛られた状態で水のみを与えられ数日間を過ごすのだが、罪の重さにより日数は異なる。

 カギロウに言い渡された悪魔祓いの日数は、試練と同じ20日間であった。過酷なスミ山から帰ったばかりの少年に、それは耐えられる罰であろうか。


 いずれにしろ、5人の従者に拘束されたカギロウは抵抗することも出来ず、森へ向けて村の表通りを歩くのみだった。

 村人はその光景を良く分からないまま眺めるが、誰も呼び止めたりはしなかった。

 カギロウはこれから罰せられるのだと、それだけは理解していたのだ。誰もがただ訳も知らず、一人の罪人を見送る。


 しかし唯一、それへ声を掛ける者がいた。

「カギロウさん……!」

 カナサである。

 従者たちに袋叩きにされたばかりのカギロウは弱々しく、重そうに頭を上げて声のほうを見た。

 そして赤い瞳に彼女を映すと、柔らかく笑う。

「カナサすまない。俺も、お前と同じ気持ちだったよ」

 別れの言葉は、彼自身がもう村に戻ることが出来ないとわかってのことだった。

 そのままカギロウはまた項垂れ、カナサの前を通り過ぎた。

 あまりに突然で、あまりに想像の外にある最後で、カナサの目からは一筋の涙も流れはしなかった。





 神木は木々が生い茂る森に、それだけが一際高く、天を衝くように伸びている。

 樹幹もやはりとてつもなく太く、従者たちは神木へカギロウを縛り付けるのにかなりの労力を要した。

 カギロウは体をよじらせ自身を拘束する縄の強度を確かめるが、ほんの少し軋ませただけでびくともしない。


 今よりカギロウの悪魔祓いは始まる。

 神木と一体になり、身を清めるのだ。

 従者達は特に言い残すこともなく、カギロウをおいて主の元へ帰って行った。


 父と母はどうなるのだろうか。

 カギロウにはそのことが大きな不安としてあった。

 それとカナサ。

 長の怒りに触れ、重罪人となったカギロウはカナサと結ばれるなどあり得ない。

 しかしカギロウは、カナサと結ばれないとすれば、それは試練で命を落とした時以外にないと考えていた。

 カナサもそうであったはずだ。

 このような形で彼女を悲しませたことに、カギロウも深く悲しみを覚えた。


「すまない……、俺は心からお前を……」

 カギロウは、戦士となり告げる筈だった言葉を呟いた。

 想いは巡り、一日はすぐに過ぎ去っていった。


 



 何日間、経っただろうか。

 衰弱したカギロウは思考を捨て、ただ神木の一部となっていた。

 瞳の赤は薄れ、変色していた肌も元の健康的な褐色を取り戻している。


 悪魔は、祓われていた。

 だが意識は薄く、もうじき神木へ命の火さえ吸い尽くされてしまいそうに表情は虚ろだ。

 朝の光は眩く、それだけでカギロウの体力を削る。

 目を開けているのにも疲れ果て、彼は一日の始まりを確認したらまた瞼を閉じた。


 その時、誰かが歩いて来る足音がした。

 恐らくは従者が水を持ってきたのだろうと、カギロウは目を閉じたままであったが、不意に体を締め付ける縄が緩み、解放された彼は力なく地面へ叩きつけられた。

 20日が過ぎたのだ。


 カギロウは起き上がる気力も無く,頬に土をこすりつけるようにしてゆっくりと顔を上げる。

 その目の前へ小刀が投げ出され、刃は微振動してしばし鳴った後にしんと静まった。

 さらに目線を上げると、カギロウの視界に従者の脚が入り込む。

 見下ろす従者の瞳はまるで光を宿しておらず人間味が無い。よもや従者とは本当に彫刻に魂が宿った化け物なのではないかと、曖昧な中にいるカギロウはそんな冗談じみた錯覚に陥るのであった。


「長から言伝だ」

 ドロ沼に浮かぶ泡が弾けるような、低く囁く声がした。

 カギロウはその声に耳を傾ける。

「お前に憑りついた悪魔は20日間などという時間で祓われるものではない。よって今後、村へ立ち入ることを禁ずる。もちろん村の人間と会うことも同様に禁止する」

 従者の声は森に余韻を残し、やがて小鳥のさえずりだけが周囲に響いた。


 カギロウは、特段驚いた様子もない。初めからそうなるであろうことは予想していたからだ。

 長としては悪魔祓いによりカギロウが命を落とすことを密かに期待していたに違いない。

 悪魔が祓われるか否かは二の次でしかない。

 そしてカギロウは生き残った。

 ならば、カギロウを村へ入れることを禁ずることがこの時の長にとっての最善手であった。


「ただし一つだけ、希望を残すこととする」

 長からの言伝には続きがあった。


 ふと、カギロウの前にもう一人の従者がやって来て両手に収まるほどの小さな壺が置かれた。

 カギロウは従者がもう一人いたことにも驚いたが、なによりその壺が一体どんな意味を持つのか想像もつかない様子である。

「これは……なんだ」

 枯れ果てた喉を絞ってでも、カギロウは聞かずにはいられなかった。

 その問いに、従者は反応といえるものは示さなかったが、あらかじめ決められた台詞をなぞるようにカギロウに聞かせた。

「異形の肉を干したものを壺に入れておいた。もしお前がそれを喰わず、孤独に耐え抜くことが出来たなら、いずれは村へ立ち入る機会を与えてやろう」


 到底希望などとは呼べぬ絵空事が伝えられた。

 つまりは、異形を神と崇める長の信仰に賛同し、村の外で永遠の孤独を生きることを強いられたのである。

 しかし、とカギロウは考える。

 もし長に最後の慈悲というものが残っていたなら。

 単なる怨恨でこんな試練を与えたのではなく、本当にカギロウを救うためであるとすれば……。

 希望という言葉は少年にはあまりに眩し過ぎて、彼はその誘惑の光にすがり付き、終わりの見えない試練を受け入れた。

 

「言伝は以上だ。お前から何か伝えておくことはあるか」

「長に、感謝を……」

「確かに預かった」

 従者はそれだけ言い残し、歩き去って行く。

 カギロウは慌てて口を開きそれを呼び止める。

「待て、父と母は無事か。それとカナサにも伝言を……」

「これ以上は私の仕事ではない」

 振り返ることもせず、従者はそのまま遠くへ消えた。


 ぶつけようのない怒りに、カギロウは声にならない叫び声を上げた。

 そこで彼は力尽き、気絶するように眠りに落ちた。




 次にカギロウが目を覚ましたのは太陽がほぼ真上から照らす昼の頃であった。

 相変わらず体に力は無かったが、彼は顔の前に置かれた物に気が付いて目を見開く。

 芋を干したものが、そこに積まれていたのだ。


 自身が眠っている間、誰がここへ訪れたのかをカギロウはすぐさま理解した。

 手を使う余力もなく、無数の蟻がたかるその芋へ、口で迎えに行って喰らいつく。

 味などは感じることも出来なかったが、カギロウは噛み締めるたびに涙を流した。

 酷く衰弱した状態で、体外への水分の排出は好ましい事ではない。

 しかし、今のカギロウにはそれが必要なことであるように思われた。



 後日カギロウのいなくなった神木で、一人の少女に憑りついた魔を祓うため三日間の悪魔祓いが執り行われた。




 〇




 カギロウは暗闇の中で壁を見つめ、あの時のように静かに泣いた。


「カギロウ、お前まだ起きているな。何を考えている」

 声がして、衣擦れの音が響いた後、カギロウは背後から暖かな息遣いを感じる。


 緊張する背中にびえりおは密着し、震える肩に手を添えた。

「過去を思い出していたのか? いいぞ、私に話してみろ。きっと楽になる」

 カギロウはすぐさま心を石に変えた。冷えた星のように強く堅牢な石だ。

 だが内側では、熱く滾る感情が確実に燃えている。


 一つの言葉では言い表すことの出来ない複雑な感情であったが、そこには如何なるときもカナサが存在している。

 従者達により神木へ連行されたあの時、カギロウは彼女への想いを消えぬ残り火として留めておくことを決めた。

 それでも傍らに置かれた芋を見てから、カナサという火がカギロウの中で大きく育っていることは彼自身も自覚していた。


 カギロウの中の彼女は時を止めたまま優しく微笑み続け、その笑顔は、常に彼を救ってきた。

 いつしか、アキワタノカミへ祈るのと同じだけカナサを想うようになっていたのだ。

「もうじき眠るところだった。邪魔をするな」

「……つまらぬ奴」

 遠ざかっていく気配を確認してから、カギロウは瞼を閉じた。

読んで頂きありがとうございます。

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