第15章 02話 あやしいふたり
「なんですの!?」「離して」「ください」「まし!」
激しい雨の降る夜。人の気配のない民家で黒薔薇と白百合は”動く鎧”と”青ざめた男”に行く手を阻まれた。
動く鎧は白百合の腕を掴み、関節を軋ませながら自分のほうへと引き寄せようとしている。
一方のペイルマンたちは黒薔薇へとにじり寄り、やはりその身柄を捕らえようとしているようだった。わけのわからない展開に少女たちは混乱し、超精神術を使うだけの余裕をすっかり失っている。脳内のエーテル波が全く安定しない。
と、豪雨のさなかに激しい稲光が闇夜にひらめいた。
思わず少女たちは悲鳴を上げた。民家の外には、3体のペイルマンどころではない、何か言い表せない異形の群れが押し寄せていた。
ふたりは鎧とペイルマンとに引っ張られ、繋いでいた手も引き離されてしまう。どういう意味があるのかわからないが、鎧とペイルマンたちはふたりの少女をどこかに運ぼうと――連れ去ろうとしているようだった。
恐怖が黒薔薇と白百合を支配する……。
その時、うじゃうじゃと豪雨の中をゆらゆらと動くペイルマンが突然吹っ飛んで、手足が四分五裂した。
「クロ、シロ! 無事か!」
駆けつけたのはもちろんアッシュだ。
押し寄せる化け物の群れの中から、たしかにふたりの答える声がした。安心するとともに、アッシュは口元まで滴る雨を手の甲で拭った。
――何なんだこいつらは!?
ざっと見て、10体以上の化け物。アンデッドが七分。残りの三分はてんでバラバラの姿をした人間大の人形だった。カクカクとぎこちない動きをしている。おそらく魔術で動いているゴーレムだろう、とアッシュは目星をつけた。
理由は分からないがそれらの化け物は互いに黒薔薇と白百合を奪い合っている――ように見えた。
ならばやらなければならないことはひとつ。
皆殺しだ。
だが。
――クソッ、こんなことならメイスを持ってくるんだった。
アッシュは黒薔薇と白百合を見つけて連れ戻せばいいだけだ思って、メイスは橋の下に置いてきていたのだ。
しかし戦いようはある。
「どけえっ!」
のろのろとアッシュの行方を阻むペイルマンに、アッシュはブーツのソールを叩き込んだ。青銀珊瑚(註:陸上に生える珊瑚の一種で、銀と同じく魔除けの効果を持つ。非常に高価)の埋め込まれた特注品のブーツはアンデッドに対する切り札にもなる。ノロノロと動くペイルマンに蹴りを繰り出すと、直撃した胸から瘴気が霧散して、形状を保っていられなくなった。
素早い動きでペイルマンたちをなぎ倒すアッシュだったが、次に行く手を阻んだのはぎこちなく動くマネキン人形たちだった。
――こいつら……?
アッシュは勘付いた。アンデッドとゴーレムはこんな激しい雨の降る夜に目的もなく動き回っているのではない。生きた人間を捕まえようとしている。それだけではない。アンデッドとゴーレムは、互いに互いを排斥しようとしているようだった。2つの陣営、勢力、何かそんなものが競い合っているらしい。
「アッシュー!」「アッシュー!」「助けて」「くださいまし!」
化け物の群れの向こうから黒薔薇と白百合の悲鳴が聞こえる。まだ生きている。アッシュは多少安心し、すぐに敵の群れに向き合った。
「こんなもんで悪いが」アッシュは懐から、固い樫材のバトンを取り出した。「全員二度と動けなくしてやる」
瞬間的に殺気の塊となったアッシュはまずチェーンメイルのようなものを着込んだマネキンゴーレムの喉元にバトンを突き入れ、流れるようにローキックを放った。ミアズマの影響を受けて動いているアンデッドと違い、埋め込まれた青銀珊瑚の効果は発揮できない。
チェーンメイルのマネキンはぐらりと姿勢を崩すも、人間ではありえない関節の曲がり方で転倒を免れ、反対にアッシュへ殴りかかってきた。
スローなパンチだ。アッシュにはかすりもしない。
が、それを避けた途端、別のマネキンが飛びかかってきた。
メイスが手元にあれば、一秒で顔面を叩き割っていただろう。しかし今のアッシュは護身用のバトンしかない。完全には押し返せず、アッシュは豪雨でできたぬかるみに押し倒された。
「アッシュー!」黒薔薇が叫んだ。
「アッシュー!」白百合が叫んだ。
アッシュは歯噛みした。魔術によって擬似生命を与えられたゴーレムは単純な命令に従うことしかできないがその分単純な命令を果たすための力は強い。どうやらマネキンゴーレムたちは『ニンゲンを捕まえる』というような命令を受けているらしい。
バトンを脇腹辺りに思い切り突き入れる。人間なら急所に当たる場所だが、生きていないゴーレムを破壊できるほどの威力は出せなかった。
雨がまともに顔へ降り注ぐ中、水しぶきの向こうで黒薔薇と白百合が別々に引き離されてどこかに運んでいくのが見えた。ゴーレムと、アンデッド。それぞれが別々にふたりを逃げられないようにし、土砂降りの雨の中に消えていった。
と、奇妙な動きが起こった。
残されたペイルマンの群れとマネキンゴーレムたちが、唐突にお互いを攻撃し始めたのだ。生命のない存在同士の殺し合いだ。
「ふざけやがって……!」
アッシュは体中の力を腰まわりに集中させ、思い切りゴーレムの身体を跳ね上げた。わずかにできた隙間から転がって逃げると、すでに黒薔薇と白百合が別々の方向へさらわれていくのが目に入った。
アッシュは走って追いかける。しかしその足を、チェーンメイルを着込んだマネキンががしりと掴んでいた。転倒。思い切り泥まみれに。だがそんなことにかまっていられない。
「アーッシュ! 何があったぁ!?」
「セラか!」
「この……なんだこの化け物の群れは!」
ずぶ濡れのフォレストエルフはエーテルランプの光量を限界まで大きくし、雨の中を動き回る屍と人形たちを照らした。稲光が二度、三度と閃き、暗黒の中で踊っているかのようだった。
「わからん! クロとシロが攫われた!」
「何……!」
セラは一瞬息を呑み、即座に腰のジャーの蓋を開けた。中から若草色の淡い光が漏れ、ホタルのようにセラにまとわりつく。精霊の光だ。アッシュ同様、武器はいらないと判断して弓を帯びていなかったセラは、もう一つの顔である精霊使いとしての能力を発揮したのだ。
「合体精霊術”剣風”!」
気合の声。セラが腰から抜いたショートソードに精霊――命令に従うよう意思の力を吹き込まれたエーテルの塊――が宿り、豪雨の中に白々と輝きを放った。
セラは躊躇なく剣を振るった。”剣風”の名のごとくショートソードから風の刃が舞い散って、ペイルマンの顔を半分に削ぐ。
アッシュはセラの派手な動きに乗じて立ち上がり、連れ去られようとしている黒薔薇と白百合を追った。
しかし――。
アンデッドとゴーレムの群れの向こうに、さらに異様な風体の人影が現れた。それもふたりだ。
「邪魔者か」ふたりのうち、丸い笠を被った木の枝のように細い手足をした男――おそらく老齢の――が声を発した。
「そうらしいわねぇ」もうひとり、異常に肥満体の女が、激しく雨の降る闇夜の中でさえはっきりとわかる厚化粧をした口元を歪ませた。
男と女、それぞれの足元には、いつの間にか縛り上げられた黒薔薇と白百合が転がされていた。男の方に黒薔薇。女の方に白百合。
「な……何だお前らは?」
「それはこっちのセリフ」と太った女。「勝手にゲームに混ざってきたのはアナタたちよ」
「ゲームではない、実験だ」やせ細った男が女のほうを見もせずに吐いて捨てた。「そんなわけでこの子供は預からせてもらう。この村には近づけば殺す」
「あらやだ、残酷ねえ。これだから根の暗い死霊術師は!」
「ほざくがよいわ」
「ワタシはこのジジイとは違うわよぉん」肥満体をゆすり、女は足元に転がる白百合のびしょ濡れになった美しい金髪を掴んで無理やり顔を上げさせた。「アナタたち、この子を助けたかったらワタシのところにいらっしゃいな」
「ど……どういう意味だ?」セラが裏返った声で聞き返した。「それより……何なんだ、お前たちは!?」
「ワタシはヴァニア。”ドールハウス”のヴァニア。あっちのジジイはジアンシィ。クサくてキモチ悪いアンデッドをぞろぞろ引き連れてる死霊術師」
ヴァニアとジアンシィ。
「……セラ」アッシュが雨音の中でもギリギリ届く声で言った。「この距離から殺れるか?」
セラは指先だけでノンを伝え、「お互い武器を持ってこなかったのは間違いだったようだ」
「そこの女が何を考えているか予想はつくが……」枯れ木のような体のジアンシィが口を開いた。「ワシはこの娘を返す気はない。この村をウロウロするようなら殺すぞ」
「ワタシはねぇ、このジジイと反対」
「反対……?」
「そ。村の北側に館があるんだけど。そこにこの子はつれていくわぁん。取り戻したかったらワタシのところにおいでなさい? そっちのジジイと違ってちゃんと返してあげるわよ」
「ふざけるなヴァニア。おいそこの、気が変わった」
ジアンシィは目深に被った笠の奥で淀んだ眼光を光らせた。そこにはある種の狂気が住み着いている。土砂降りの雨の中でもそれは感じ取れた。
「お前たちがそこの女のほうにつくというなら娘を殺すことにしよう。反対にだ、ワシに協力するなら娘は生かして返すとしよう」
「どういう意味だ、それは!」セラが叫んだ。
ジアンシィはそれには答えず、「ワシは南の礼拝堂に居る。その気があるなら来い。明日の正午までは待ってやる」
それじゃあの、とジアンシィが何らかの呪文を唱えると、雨でよれよれになったペイルマンたちが一斉に口を木の虚のように開いた。
シュゴオッ! 突如、ペイルマンたちの口から不気味な煙が吹き出した。闇夜の豪雨の中では水しぶきと混ざって判別できないが、くすんだ色の不健康な紫色しているはずだ。
「瘴気!?」
アッシュとセラは異口同音に叫んだ。ミアズマは毒の煙に等しい。吸い込めば呼吸器系を内側からかきむしり、吸いすぎれば昏倒して、手遅れになればペイルマンのようなアンデッドになってしまう。
アッシュはずぶ濡れのマントで顔を覆い、セラは精霊を使って空気の膜を身にまとった。
十数秒。
ミアズマは豪雨の中に溶け、消えた。
ジアンシィも、ヴァニアも、彼らが率いていたアンデッドとゴーレムも。
そして、黒薔薇と白百合も――。




