第11章 09話 大規模戦闘
「なんだこりゃあ」
およそ10日ぶりにガープ王国大湿地帯に戻ったアッシュ、カルボ、そしてセラ=ヴェルデの三人は、湿地帯のあちこちから白煙が立ち上るのを見、遠く離れたところから風に乗って剣戟と怒声を聞いた。
「どういうこと? もしかして……交渉が決裂して戦争でも起こっちゃったとか」カルボが困惑気味に言った。
「まさか! いくら領土問題と言ってもそこまで険悪なものでは……」
当事者であるフォレストエルフのセラ=ヴェルデはとても信じられないというエルフ風のジェスチャーをして、ふたりの人間の顔を見比べた。
「……ドニと合流しよう」
アッシュは重々しい口調でそれだけ言って、半生体馬を走らせた。
*
戦争である。
リザードマンを始めとした獣人、怪獣の集団は狡猾で、執拗だった。武器を使い呪文を唱え、怪物化した両生類を配置し、用兵した。
以前から大湿地帯においては常にリザードマンたちが脅威のひとつと数えられてきた。それなりに強力な敵ではあるが、普段は散発的に人間やエルフ、家畜を襲う怪物らの一種であり、十分な力があれば追い散らせる存在だった。
今回は違う。
ひと所に集結し統率されて波のように押し寄せてくるのだ。
フォレストエルフの長弓が大波のごとく両棲人間のぬるぬるした肌を刺し貫き、人間側はクロスボウの一斉射でリザードマンの硬いウロコをぶちぬいて足止めする。それは通常の戦争であれば大きい戦果と言えるだけのものだったが、なにしろ”腐れ沼”の主たちは数が多い。人間=エルフ合同軍が弓でどれだけ射殺しても後から後から湧いて出てくるのだ。
いったい何が彼らリザードマンたちを駆り立てるのか?
「連中の向かう先が判明した」半分燃え尽きたようなボロボロの帷幕で、ガープ王国外交官マル=ディエスが士官たちに言った。「巨神文明遺跡だ」
士官たちの間に動揺が走った。薄々その事実は想像されていたが、マル=ディエスがこうもはっきりと断言するということはもうそれ以外に考えられないということだ、とほとんどの士官たちは思っていた。マル=ディエスは外交官であり武官ではないが、彼がいい加減なごまかしや当て推量でモノを言うエルフではないということは、士官たちにはよく知られている。つまり信頼されているのだ。
「フォレストエルフとの情報交換で裏付けができた。彼ら怪物は何かに惹きつけられて軍隊と呼べるものを形成している」
「何か、とは何でありますか外交官殿」士官のひとりが挙手をした。
「何かだ。それ以上のことはわからん。なんなら君が遺跡に入って解明してくれてもいいぞ」
士官はバツの悪そうな顔で姿勢を正した。
「あと一日……あと一日耐えれば増援が来る。正規軍が合流しさえすればリザードマンの攻勢は封じ込められる」
これは間違いない、とマル=ディエスは大きく手を広げ、士官たちを安心させる仕草をした。
「要するに今日を乗り越えればどうにかなるということだ。死者の数を減らし、可能な限り、そして……」マル=ディエスはすっかりやつれた顔で士官全員を見渡した。「スワンプエルフの人質をひとりでも多く奪還することだ」
帷幕の中に沈黙が横たわった。
リザードマンの襲撃にあい、哀れなスワンプエルフは人質に囚われたままである。リザードマンは知能こそ低いが独特の狡猾さがあり、人間と交渉を行えるだけの言語能力を持つ。
曰く、『人質の命が惜しければ道を譲れ』『さもなくば一日にひとりずつ食べる』。
10人いた人質のうち、すでに三人までが公開処刑よろしく爬虫人間や両棲人間たちがエルフを殺し、さばいて食うところを見せつけている。
スワンプエルフに罪はない、というのがガープ王国、フォレストエルフ双方の心情であった。
いまや人間とエルフの間の会談など後回しだ。協力してまずはリザードマンの軍勢を追い散らし、人質を全力で救出しなければならない。
「我が方の戦力ではもう奪還作戦を行えるだけの余裕が無い。だが王都軍の到着を待っていればおそらくさらに死体が増える。八方ふさがりだが……見殺しにはできん」とマル=ディエス。
「外交官殿、エルフ側に協力を申し出ては?」士官のひとりが挙手した。
「言われるまでもなく話しあいが進行中だ。弓による長距離狙撃と精霊術の組み合わせで救出すると」
「では彼らに任せては?」
「そんななげやりな対応が許されると思っているのかね?」マル=ディエスはシティエルフの小柄さを感じさせない剣幕で発言者を睨みつけた。「同盟相手にすべてを任せてイニシアチブを取らせる気か。平等にリスクを背負うのでなければ、せっかくの交渉成立に影が差す」
「それはつまり、我々はどのように動けばよいのでありますか」
「単純な陽動作戦だ。できるだけ派手な行動でトカゲ共を引きつけて、その間にエルフ側に奪還作戦を行ってもらう」
マル=ディエスはそう言って、自軍敵軍の編成をコマで示した地図を覗き込んだ。
「側面から回りこむようにして意識を向けさせる。敵は多い方が釣果も大きい。もちろん危険だし、君たちの何人かは命を落とすだろう」
帷幕の中は咳ひとつ聞こえなくなった。
「軍人でもない私に指揮されるのは不満もあるだろう。だがここだけは譲れない。あー、こういう時はどう言えばよかったかな。そうだ、『諸君らの健闘に期待する』。私も期待しよう。状況説明は終わりだ」
*
ガープ王国帷幕。
「おおっ! では黒薔薇どのは無事でしたか!」
ドニエプルは諸手を上げて――実際に両手を天に向けて――喜んだ。
アッシュたちが往復でほぼ10日ぶりに戻ってきたこともあるが、何よりも呪毒を受けていた黒薔薇の命が無事だったことにドニエプルは相好を崩した。
「まだ体力が戻ってないからここには連れて来なかった。ともかくお前もこれで自由の身だ、ドニ」
「いや、それなのですが……」
元々の話では、ドニエプルが人質として残りその間にエルフの解毒剤をヒューレンジ邸に預けていた黒薔薇に届ける――ということになっていた。
ところがドニエプルは、アッシュたちが戻ってくる前に軟禁を解かれていた。帷幕を襲ってきたリザードマンの一群を追い払った際の戦闘力とその功績を認められ、一時的にガープ王国の軍人として働くよう持ちかけられたのである。
「ということは、そんなに大変な状況なの?」とカルボは眉をひそめた。
「ううむ、残念ながら」
ドニエプルはアッシュたちが不在時の戦況を話した。リザードマンたちが異様な執拗さで巨神文明遺跡を制圧しようとしていることも。
「くっ、だからあの遺跡は誰も触れずに埋め直しておけばよかったんだ」フォレストエルフのセラ=ヴェルデは不機嫌を隠そうともしない。「人間たちがそのことを棚上げにして交渉を進めるから……」
「セラ=ヴェルデどの、今はそのことを話す段にあらず。スワンプエルフたちの身柄を奪還することが第一でありましょうぞ」
「そんなことはわかっている」
セラ=ヴェルデはぷいと横を向いた。今さら言っても仕方がないことは彼女自身理解していた。
「とにかく、できることをやろう。俺たちは傭兵だからな」
「わたしは違うぞ」とセラ=ヴェルデ。
「んなことはわかってる」
「じゃあ契約の交渉と行くか」
アッシュの言葉にカルボ、ドニエプルはうなずいた。
セラ=ヴェルデだけは拗ねたように唇を尖らせていたが……。
*
アッシュたちは外交官マル=ディエスに直談判をしに向かったが、そのようなことをせずとも兵士不足を補うために戦力に組み入れられた。
幸いなことに、というべきかドニエプルの働きから腕のたつ傭兵だと思われたらしい。リザードマンへの陽動作戦ではかなり危険で重要な場所を任されることになった。
セラ=ヴェルデも合わせてガープ王国側に編入された。これについては本人の意に沿わない流れだったが、陽動作戦は絶対に成功しなければならないというマル=ディエスの説得にむしろ戦意を高揚させることとなった。セラ=ヴェルデが単純なのか、それとも交渉のプロであるマル=ディエスの言葉が巧みだったからか。
ともかくアッシュたち四人は陽動作戦に動員された。
もはや戦って人間とエルフの誇りを取り戻すしか無い。
*
リザードマンたちには、ウォーチーフと呼ばれる指揮官レベルの個体は何匹か存在するが、”頭”がいない。指導者がいないのである。
不思議な事だが、これは今回の一斉蜂起だけに限ったことではなく”そういうもの”らしい。誰かがやろうと言い出したことが伝染し、いつの間にかその思想、目的に全体が染まっていくらしい。群体のようなものとも言える。少なくとも生物学者はそのように考えているようだ。
だから”頭”を潰せば雲散霧消する集団ではないということだ。
それがリザードマンたちの執拗で不屈の戦意を維持させている。
*
真昼から戦闘の始まりを示すチアーが鳴り響いた。
トカゲ類たちは疲れを知らない。人間=エルフ同盟軍としてはできるだけ日が落ちないうちに片を付けたいところだった。
と、戦場に空気を細切れにするような音が響いた。
フォレストエルフ弓兵隊が、長弓を敵陣ど真ん中に射撃したのである。次から次へと降り注ぐ矢のせいでリザードマンたちは混乱し、何体もが串刺しになった。そこに人間の陽動隊が横合いから突撃を仕掛けた。
雄叫びが上がり、剣が、槍が踊る。リザードマン、そして両棲人間たちは次々と切り刻まれ、大湿地帯に汚れた血が流れる。
リザードマンたちも黙って殺られるわけにはいかない。
カエルの歌人が不可思議な響きの鳴き声をだすと、最前線にいた兵士たちが数人骨抜きにされて、天を仰いでひっくり返ってしまった。強力な催眠音声だ。そこを容赦なく殺しにかかるリザードマンたち。
まさしくこれは戦争だった。
爬虫人間、両棲人間と人間、エルフとの殺し合いだ。
戦場の片隅で、将軍イモリに足を取られた兵士が悲鳴を上げ、頭からかぶりつかれる自分の姿が脳裏に浮かび、動けなくなった。
が、本当に動けなくなったのは巨大イモリだった。その頭は半分肉片に変わっていた。
アッシュのメイスが直撃したのである。
――久しぶりだな、こういうの。
アッシュはメイスにこびりついた肉片を払いつつ、自分が戦争の血風を楽しんでいるのを感じていた。




